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2019年2月23日 (土)

青年団「走りながら眠れ」こまばアゴラ劇場(ネタばれあり)

<2019年2月22日(金)昼>

アナキストとして名を上げていた大杉栄と、婦人解放運動や奔放な恋愛で有名だった伊藤野枝。四男を出産する直前から関東大震災直前までの数ヶ月に、その活動からはあまり想像できない、自宅で交わされる繊細な会話の数々。

夫婦のじゃれあう場面のそこはかとないエロに初期っぽさを感じると思ったら、初演が1992年という超初期の作品。日常の夫婦の会話がただただ続く2人芝居だけど、死にまつわる話や憲兵の尾行の様子などは、間もなく憲兵に殺される史実を知っている現代の観客向けのダミーというか背景を補強する話。それらの間に、少年時代に犬や猫を殺して、長じてアナキストにまでなった男が、子供の将来を気にするいい父親に「堕落」していく様子を、翻訳中のファーブル昆虫記のオサムシの話(メスがオスを共食いする)で代弁させて、当時すでに完成された脚本の腕前を見せてくれる。

青年団歴の長い能島瑞穂と古屋隆太による会話は、実在の人物を題材に取っていることもあってか、台詞以上の密度や年月を感じさせる。あとこの2人は声が聞いていて気持ちいい。今が観ごろの完成形で、たぶん台詞を2回トチっていたけどそれも台詞かもと思わせる安定感。いかにも青年団という芝居で、日程を曲げて観ておいてよかったと満足感で一杯の1本。

<2019年3月3日(日)追記>

感想を書いた後で思いついたけど、これ、結婚して子供が出来たら演劇を止めていく演劇人への当てつけで書いたんじゃないのか。

2019年2月12日 (火)

松竹製作「二月大歌舞伎 夜の部」歌舞伎座

<2019年2月11日(月)夜>

息子の初陣を案じてあえて陣中に駆けつけ主人に様子を尋ねる妻だがそこには敵方の武将の母も現れて仇討ちを狙う「熊谷陣屋」、親の仇を討つために踊りを披露する名目で屋敷に入った兄弟が踊る「當年祝春駒」、派手好みで旦那もいれば情夫もいる芸者に入れ込んで貢いだ行商人だが袖にされ「名月八幡祭」。

幕見席の通しで観劇。熊谷陣屋は、チラシのあら筋は読んで臨んだけど、まったく不覚なことにしゃべっている台詞の1割も言葉として理解できなくて、あら筋の内容すら観て取れなかった。芝居観すぎて疲れていたのは確かだけど、あまりのわからなさにひょっとして病気かと自分でも驚いた。有名な古典だから筋も台詞も知っている人は多いだろうけど、純粋に日本語として聞き取れている人はどのくらいいたのか。

代わりに楽しんだのが名月八幡祭。わかりやすい筋立てに、歌舞伎には珍しく照明と効果音を使ったクライマックス。堅気の新助を演じる松緑の明晰な台詞と最後の笑い声、それをかばう歌六の大人振り、芸者の美代吉を演じる玉三郎の色っぽさ(相手に気を持たせるうちわの使い方が素晴らしい)、そして情夫という名のヒモ男が最高に似合う仁左衛門。見どころが多い。新歌舞伎っていいものだ。

當年祝春駒、難しいことを考えずに単に音と動きのきれいなことを追えばそれでもよいのかと思えたら、楽しめた。

渡辺源四郎商店シェアハウス「過ぎたるは、なお」こまばアゴラ劇場(ネタばれあり)

<2019年2月11日(月)朝>

青森県の、とある施設。かつて2人の息子を育てた母が入居している。入居している人たちは、仲よく過ごす人もあり、部屋で引きこもる人たちもあり。そこに新しい入居者がやってくる。

実にあらすじの書きにくい話だけど、重い話を別の話で包んで、1時間半ないと思えない密度。さすが長年やっているだけのことはある仕上がり。

実は早くになくなった母の代わりに導入されたロボットで、プルトニウムを燃料に半永久的に動くはずだったのに、エネルギーに欠陥が見つかり処分されるところを施設に入り、という背景はそのまま原発事故の敷衍。それを、少しずつひっかかる情報を提示しながら引張り込む。そこに、他のロボットが待つ恋人の話とか、育てた息子達が思惑をもって面会にやってきてからのいきさつを混ぜて、人間とロボットの「人間らしさ」の話に一気に振る幅の広さ。さらに、災害の話とか、ロボットの扱われ方の話とか、ガリガリ君の歴史(笑)とか、情報をちら見せして世界の奥行きを広げる手腕。青森は処理場があるだけにより実感のある話題だろうけど、重い話への重い抗議も間接的に示して芝居らしさも失わないバランス感覚は、さすが長年やっているだけのことはある。

終演後の話だと、畑澤聖悟と工藤千夏が交互に書いて、相手が書いた部分も勝手に書き直して、という手法で書かれたとのこと。どこがどちらの書いたものなのか気になる。役者はひとりくらい青年団出身の人が混ざっていると思ったけど、全員地元の人らしい。大千秋楽だったとはいえ至近距離に耐える演技。凝っているようでいてシンプルな舞台を飽きさせずに使って、まったく文句なし。もっと早くから観ておけばよかった。

遠征の都合で連休のときにしか上演できないとはいえ、東京では追加含めて4日間6ステージしか上演しないのだから、贅沢な話。ただし次回はGWを使ってスズナリで6日間8ステージ。

<2019年2月13日(水)>

感想を清書。

タカハ劇団「僕らの力で世界があと何回救えたか」下北沢小劇場B1(若干ネタばれあり)

<2019年2月10日(日)夜>

かつて漁業が主要産業だった海辺の町。誘致合戦に勝抜いて建設された素粒子研究所が稼働を始めるのを記念して、科学イベントが開催される。そこにトークイベントの参加兼この町を舞台にした小説の執筆を依頼されたでライトノベル作家がやってくる。取材先の学校では、科学らしい企画を頼まれた無線部OBやその先輩OGたちが企画に頭を悩ませていた。そこで何気なく電源を入れた無線に、ラジオのジングルが聞こえてくる。かつて無線部のメンバーが自主的に流していたもので、それを知っている人間は当時の無線部のメンバー以外にはありえない。そこで話は、唯一この場にいない、かつてのメンバーについての話となる。

劇団初見。いないメンバーは実は事故で亡くなっているはずで、それを防げなかった責任の一端は自分にあると苦にしている無線OBが市長の息子で、他のOBが働き始めたり大学院に通ったりしているなか、いろいろ学校に通っても中退して上手くいかない、というのがメインの話。この背景に、漁業が廃れた町の存亡をかけて誘致にこぎつけた市長と、素粒子研究所は危険だから今でも反対する人間がいる、という設定は原発そのもの。事実と異なる記憶を不特定多数の人が共有している「マンデラエフェクト」という現象を振っておいて、後半、亡くなっているはずのメンバーの声が聞こえるのは素粒子研究所の施設稼動に伴って、あったかもしれない複数の並行世界が混線しているからだ、という話がSFというかライトノベルっぽい。ここに、東日本大震災がなかったという登場人物も出してくるあたりが、10年経たずに何事もないように過ごそうとする日本社会への作者の主張だとは思う。

それはそれとして、東日本大震災のような単語をチラ見せするのではなくダイレクトに出してしまうとか(その後の鼻血が止まらない登場人物というのは東日本大震災を想定させる出来事の中でも悪手)、無線部OBとその先輩のOGの過去や現在の情報がほとんどないとか(市長からOGに協力を強要させる情報がそのとき初公開とか)、脚本の情報の出し方がまずかったのがひとつ。

あと、いない(亡くなった)メンバーへの思いの精算に話が集約されてしまっていたけど、それが弱くて終わってしまったのがもうひとつ。何と言うか、話の大きな筋は足し算ではなく掛け算で働くので、弱い小さい筋を掛けるととたんに全体が小さくなってしまうから注意が必要。かつ、原発や東日本大震災は(この芝居の通り)なかったことにしたい意識が働くテーマなので、よほどしっかりした筋をあの手この手で掛け算しないと成立しないのだけど、そこまで手が回っていなかった。

薄味だった仕上がりが、ライトノベル作家を登場させて、ライトノベルっぽい設定で、仕上がりもライトノベルっぽく、というところまで狙ったのかどうかは不明。ただ、昼に観た「るつぼ」が超重量級で、次の日に観た「過ぎたるは、なお」がまさに原子力の話題を扱いながら笑いも含めていろいろな設定を混ぜて気をそらさなかったのに比べると、不満。まして、原発(を想定させる設定)や東日本大震災を扱ってこの仕上がりか、と残念な気持ち。

役者は健闘。ただ、背景もその背景を想像させる台詞も多かった市長の松永玲子と、ライトノベル作家のもたい陽子を除くと、健闘にも限度がある。

この回はアフタートークがあって、脚本演出の高羽彩とゲストはミナモザの瀬戸山美咲。これはよほど原発寄りの話になるかと想像したらそこは避けたのか、脚本成立の話。いろいろあったけどメモが遅れたら大半を失念した。無線については相当勉強や取材をしたらしい。最後のQ&Aで、劇中の無線のコールサインはどのように決めたのかという質問に、コールサインは前半が地域を後半が個人を表す、地域は自分の出身地として静岡県という設定にした、個人は無線部の4人が同じ時期に試験を受けて合格したと想定して末尾1番違いで割振った、他に団体用のコールサインもあるがそれも団体用になるようにした、実在のコールサインと重ならないように気をつけた、これらには早稲田大学の無線部に取材してお世話になった、とのこと。

<2019年2月23日(土)追記>

感想を清書。

<2019年3月6日(水)追記>

国際リニアコライダー(ILC)の東北誘致」なんてことを実際にやっているのですね。それならなおのこと、原発と結びつけた話にするのはよくない。この施設が危険だと批判するならこれ単体の危険性を批判してほしい。

新国立劇場演劇研修所「るつぼ」新国立劇場小劇場

<2019年2月10日(日)昼>

 

1962年、アメリカの片田舎であるセイラム。娘や姪たちが夜の森で踊っているのを牧師が見つけたところ、娘が寝込む。姪がかつての勤め先の主人と不倫していたが振られて解雇されたのを恨んで、近所の少女たちを集めてその妻を呪い殺すための儀式を行なっていたのだが、驚いて寝込んだままの娘のことを魔女だという噂が広がる。姪はそれを隠すために、悪魔に取りつかれたと嘘の告白を行なうが、それを信じた村人たちの誤解を逆手にとって、何でもない村人たちを次々と魔女扱いで告発していく。

 

ロビーや当日チラシに書かれていたけど、魔女裁判の実話を扱った超重量級の脚本。「面白い脚本を面白く演じるのは難しい」のが舞台だけど、これを鑑賞に耐える水準を超えて脚本に対抗しうるところまで仕上げた力作。

 

立場も心情もばらばらな登場人物が絡んだりすれ違ったりするのを描くのは、場面ごとの役者の方針を合せつつ、最後まで役の方針も筋を通さないといけないけど、観た感じでは全員成立していた。全員は挙げないけど夫妻、2人の牧師、姪、家政婦などを演じた12期生や、夫妻の友人や副総督を演じたヘルプの修了生など、活躍している役者が多い。1幕最後の嘘の告白をする絶妙のタイミングや、2幕で引いた伏線をきっちり見せる3幕の裁判所の場面など、観ていて惹きつけられる。あと今回の上演は、場面転換時に賛美歌は歌っていたけど、効果音はあってもほとんどBGMはなかった。つまり演技で何とかしないといけないけど、それであそこまで仕上がったのは技量とエネルギーと両方あってのこと。

 

演出の宮田慶子が当日パンフに、この難しい脚本にするか迷ったけど一度は体験しておいてほしいから選んだと書いていた。でも、この脚本でもこのメンバーならいけるかもと思わせる何かがあったからこそ選んだのだと思う。舞台こそ簡素だけど衣装照明音響などスタッフ面の心配はなかったのも後押ししたかもしれない。そしてその賭けには勝った。長丁場のシリアスな芝居だったけど、タイムリーな要素を数多く含んでいたこともあって楽しめた。

 

願わくはこの修了生たちがより多くの機会をつかみ取れますように。

 

<2019年2月19日(火)追記>

 

感想を清書。

劇団東京乾電池「授業」アトリエ乾電池

<2019年2月9日(土)夜>

 

博士号を取るために教授の自宅に個人授業を受けにきた女性。知性高いと思っていた女性に授業を始めたら、頓珍漢な答えが返ってくる。それを受けて教授は奮闘していくが。

 

不条理劇と言われているけど、笑えるところは笑いをふんだんにちりばめて、こうありたいと思わせる演出。腕章をつけるところまで見せたのは演出なのか脚本なのか、そこまでやるなら後からの自戒を込めた風刺劇なことは明確だけど、不条理劇のくくりに入ってしまうのか。

 

狭い空間いっぱいに満ち溢れる、映像で観たことがなければ怪優と評したくなる柄本明の怪演ぶり。でもこの怪しさが本職だろうと思わせる。所々にメタなアドリブも入って、あちこちで「学芸会でいい」と言っていたのがどういうものか、少しだけわかった。いい年だろうにあのテンション、と思ったら最後に息切れしたのはご愛嬌。

 

終演後のあいさつでも言っていたから知っていると思うけど、1時間強の芝居でも腰が痛くなった。座席のクッションはぜひ考えてほしい。あと下北沢で駅の工事が行なわれて、アトリエまでの地図画像が役に立たなかった。踏切がなくなったから、本多劇場側から元踏切を超えて一直線が親切かと。

2019年2月 6日 (水)

神奈川芸術劇場の2019年度ラインナップがすごい

ステージナタリーから雑に引用しますけど、芝居メインで気になるところを挙げただけでこれ。

2019年度(2019年4月~2020年3月)主催公演
・「春のめざめ」演出:白井晃
・「恐るべき子供たち」演出:白井晃
・KAAT×地点「シベリアへ!シベリアへ!シベリアへ!」演出:三浦基
・「ゴドーを待ちながら」演出:多田淳之介
・「ビビを見た!」上演台本・演出:松井周
・新作ミュージカル「怪人と探偵」演出:白井晃
・「ドクター・ホフマンのサナトリウム~カフカ第4の長編~(仮)」作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
・KAAT+KUNIO「グリークス」演出・美術:杉原邦生
・「常陸坊海尊」演出:長塚圭史
・「アルトゥロ・ウイの興隆」演出:白井晃

2018年度 提携公演ラインナップ
・地点「三人姉妹」
・快快「新作」
・庭劇団ペニノ「笑顔の砦」
・DULL-COLORED POP「マクベス(仮)」
・別冊「根本宗子」「そのバレリーナの公演はあの子のものじゃないのです。(English ver.)」+新作公演
・カンパニー・デラシネラ「どこまでも世界(仮)」

そのほか主催公演
・劇団四季ミュージカル「パリのアメリカ人」

今が働き盛りの小劇場出身演出家を呼んできて、ラインナップは新作半分名作半分で、自分も演出家としてフル稼働、という白井晃の芸術監督本気ぶりが見えます。売れっ子は2-3年先まで予定が埋まっているから、芸術監督が本領を発揮できるのは就任して2-3年後からということですね。

今まで見逃していたものもあるので上に挙げたものは全部観たいですけど、中でも渋くて上演機会の少ない秋元松代を長塚圭史に当てた「常陸坊海尊」と、大長編すぎて上演機会の少ない「グリークス」の2本は、公立劇場だからできる意欲的な企画の面もあります。わけわからん系の話が趣味の白井晃がこんな商業的興味をそそる仕立てでラインナップを並べてきたのが本当に意外で、失礼ですが見直しました。これでクビになっても思い残すことはないだろうという1年です。

なお、演出家の顔ぶれを見たときに一瞬「青年団?」と思ったことも書いておきます。雑な引用で隠れていますけどDULL-COLORED POPの谷賢一も青年団経験者です。人材があふれすぎだからさっさとユニットを作って独立していくのが最近の青年団ですが、この世代は演出部が黄金時代で、独立のはしりとも言える世代です。なので今好調な演出家を挙げたら入ってしまうのはしょうがない。ただ、それをこれだけ揃えて気にしない白井晃もすごい。

2019年2月 4日 (月)

東京芸術劇場制作「父」東京芸術劇場シアターイースト

<2019年2月3日(日)昼>

パリに暮らす父と長女。長女が在宅の介護士を手配するも、3人雇って3人とも介護士を追い出してしまい、次女は優しいのにと長女に当てこすりを言う。ところが長女の言うことが毎回違う。どうやら父には認知症の気配があるようだが、父は自分の症状を認めない。

演技がこなれすぎていて、登場人物の名前や室内靴履きなど一部小道具以外は日本の脚本なのではないかと疑われる仕上がり。介護の問題を真正面から扱っているけど、軽い種明かしとしては、認知症の父の視点から見た場面と、長女の立場から見た場面が混在している芝居。大筋はわかっても詳細がどんどんずれて、認知症の人から見えている世界はこうなんだろうなと思わせる展開。

橋爪功の(文字通り)ボケかたに説得力があったけど、今回は追詰められる長女役の若村麻由美がその向こうを張ってさらに素晴らしい出来。脇を固めるメンバーも、相対的に出番は少ないけど手抜き一切無し。ラスト場面の柔らかさが見事だった女優は全然知らなくて、控えめに演じているのに存在感が強くて背も高くて、日本のどこにこんな女優がいたかと壮一帆を調べたら元トップだった。宝塚侮れん。

終演後のロビーで「認知症の父の視点から見た場面と、長女の立場から見た場面が混在している芝居」という点を同伴者に説明している人多数だったので、そこだけ承知して臨めばいろいろ感じるところのある芝居。まもなく介護される人も介護経験者も、年齢や経験を積んだ人ほど観てみては如何。当日券はまだあったけど、会場前方端だと見切れるので注意。大して広い劇場でもないので、選べるなら最後列端のほうがよい。

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