KUNIO「水の駅」森下スタジオ
<2019年3月27日(水)夜>
人が来ては去る道の真ん中に、一本の水道がある。流しっぱなしのその蛇口から水を飲む人達の様子。
舞台奥から人が来ては水を飲んで去っていくのだけど、ある人は喜びある人は興奮しある人は亡くなる。元の脚本がどのくらいはっきりした解釈を持っているのかは知らないけど、たぶん何とでも取れるように意図されたのだと思う。自分が観た印象は生々流転を表したかったのかなと考えたけど、いろいろな解釈はあり得るし、解釈を許容する芝居だと思う。
普通の芝居だと舞台が客の気をそらさないような工夫をしているけど、これは客の集中力を試すような芝居。なのに体調へろへろな状態で観に行ったので、つらかった。沈黙劇とはどんなものかと油断していたらマニア度高い。自分にとって声と言葉の重要度を思い知らされた。これを楽しめるようになったらまた出直す
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