まつもと市民芸術館企画制作「K.テンペスト2019」東京芸術劇場シアターイースト
<2019年5月25日(土)夜>
弟の裏切りにあって一人娘ともども追放され、孤島に流れ着いた元ミラノ大公。一人娘を育てつつ魔法を身につけた彼は、ミラノ大公となった弟がナポリ王一行の船に乗っていることを知り、魔法で船を難破させて島に上陸させる。そうとも知らず、一緒にいた王子が行方不明で意気消沈しているナポリ王を殺害して王位を取るよう、ナポリ王の弟を唆すミラノ大公。一方、わざとひとり分かれて島を探索させられていたナポリ王の王子は、元ミラノ大公の一人娘と出会い、恋に落ちる。
囲み客席の舞台には会議室のような机と椅子、かぶりつきの席まで用意。現代風の服装の役者がいて、おもむろに始まる芝居は、生演奏や声を多用して原始的な雰囲気を足しつつ、一応ミラノとかナポリとか設定はあっても無国籍風で、時代も超越したような不思議な仕上がり。すごい狭いエリアで展開するのだけど、それに反して芝居のスケールが、話が進行するほど大きくなっていって引きこまれる。
遊びたいように遊んで作ったような印象があるけど、それでも紛れもなくシェイクスピア。なんて表現すればいいんだろう。脚本が好きすぎて自分のやりたいようにやって、それでも成立させたというか。あれだけやりたいようにやっているのに、品位が保たれているのがすごい。そう、品位ある仕上がりだった。個人的には若い2人を祝福する光の場面が好きだった。簡単といえば簡単な演出なのに美しい。あとやっぱり声を足した音楽でより多幸感が出ていた。
役者はまあみんな上手。しいて言えば串田和美の声が、この会場でもだいぶ小さかった。病気したはずだけど、まだ活躍してほしい。でも他の役者がみんな役に対して構えている中でのぶらっと無造作に歩いている感じ、あれは自分で演出をやっているからできるのか、意思と経験のなせる技なのかは知りたい。アフタートークではそのときは演出家っぽいことを考えていると言ってはいたけれど。
そのアフタートークはほぼ日に縁があったということで糸井重里と河野通和。古典とはいえ何となく世界中が知っているシェイクスピアはむしろ古典ではないという串田和美のコメントと、魔法や小さいものたちの存在を今は日本のほうが信じているのではないかとピーター・ブルックから言われたという客席にいた松岡和子のコメントを記録しておく。糸井重里より松岡和子のほうがアフタートークに適任だったんじゃないのかという感想も残しておく。
総じて、何かいいものを観たという感触が残る芝居だった。観てよかった。
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