神奈川芸術劇場プロデュース「ゴドーを待ちながら(昭和・平成ver.)」神奈川芸術劇場大スタジオ
<2019年6月23日(日)昼>
街の外れにある、1本だけ木のある人通りの少ない広場。友人同士であるウラジミールとエストラゴンは、ゴドーを待つためにやってきたが、待っている間に主人と従者の2人が通りかかり、従者をこき使った様を見せて去っていく。そこに、ゴドーの使いという少年がゴドーは今日は来ない、明日は同じ場所で待ち合わせようという伝言を告げる。翌日に来た2人だが、昨日の2人がまた通りかかる。ゴドーは相変わらず来ない。
千秋楽で昭和平成バージョンを観劇。ネタはネタとして、初見ではどこまでアドリブなのか判別しづらい絶妙のノリで退屈を演じるメインの2人。そこにマッカーサーの格好をした主人と昭和天皇に顔を似せた従者を登場させて、日米国旗の付いたマイクを使って、ラストに君が代を流して、昭和はそういう時代だっただろうという直球の演出。
にもかかわらず、これが初見だから確かなことはいえないけど、ゴドーを待ちながらの脚本自体はきっちり上演されていた印象を受けた。退屈したり不安になったりわからなくなったり互いの仲に疑問を持ったりする脚本自身が、しっかりした強度を持っていたのがひとつ。あとメインの2人の、遊びに走りたがる小宮孝泰とそれに付き合ったりほどほどで止めようとしたりする大高洋夫との関係が役にも反映されていて、実にいい雰囲気だった。他の3人も上手だったけど、メインの2人の自由自在な感じはなかなか観られない貴重な仕上がり。
それを後押ししたのがスタッフワーク。青山円形劇場を思わせる囲み舞台を作って古い新聞を散らした美術が一押しで、会場に入った瞬間に、あ、これがこのスタジオの正しい使い方だ、と思わせるものがあった。それにつりあわせた衣装も見事。
定番なのに長年観られなかった芝居だけど、今回ようやく観られてすっきりした。欲を言えば、最初は単なるキャスト違いだろと思っていたけど、たぶん演出を変えていたはずなので、令和バージョンも観てみたかった。
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