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2019年8月 4日 (日)

「リアリティの処理」について

演劇関係者のインタビューを読んでいるとたまに見かけるのだけど、この言葉の定義がいまだにわからない。あれこれ考えた末に、たぶんこうではないか、とたどり着いた定義が以下になる。
・本来あり得ない設定(物語だったり、登場人物だったり、リアクションだったり)について
・そのままやったら白けたり失笑したりするところ
・演技力や前後の展開の組合せで観客に「これはアリだ」と受入れさせること

ゴーゴーボーイズ ゴーゴーヘブン」のときに松尾スズキが吹越満を評して「お笑い出身者のリアリティの処理には信頼が持てる」と言っていたのが根拠で、このときの吹越満の役が八木さんが生まれ変わった山羊だったのを観てのことだけど、それで合っているのかいまいち自信が持てない。ただ、お笑い出身の人は演技が上手な人が多いと言われる理由にもつながる。

まあ定義はそうだとして。では演技力でありえない設定にリアリティを持たせるためにはどうすればよいのか。それともリアリティという言葉が誤解を招いていて、説得力があればいいのか。そうだとしてそれはどうすればよいのか。

それが演技の秘伝と言えなくもないけど、何か参考になりそうな情報がないか探してなかなか見つからない。

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