2020年1月
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2019年12月29日 (日)

2019年下半期決算

恒例の年末決算です。

(1)新国立劇場主催「骨と十字架」新国立劇場小劇場

(2)青年団国際演劇交流プロジェクト「その森の奥」こまばアゴラ劇場

(3)世田谷パブリックシアター企画制作「チック」シアタートラム

(4)東京成人演劇部「命ギガ長ス」ザ・スズナリ

(5)M&Oplaysプロデュース「二度目の夏」下北沢本多劇場

(6)五反田団「偉大なる生活の冒険」アトリエヘリコプター

(7)東京芸術劇場主催「お気に召すまま」東京芸術劇場プレイハウス

(8)DULL-COLORED POP「1986年:メビウスの輪」東京芸術劇場シアターイースト

(9)DULL-COLORED POP「第三部:2011年 語られたがる言葉たち」東京芸術劇場シアターイースト

(10)ワタナベエンターテインメント企画製作「絢爛とか爛漫とか」DDD青山クロスシアター

(11)松竹製作「秀山祭九月大歌舞伎 夜の部」歌舞伎座

(12)犬飼勝哉「ノーマル」三鷹市芸術文化センター星のホール

(13)ホリプロ/フジテレビジョン主催「愛と哀しみのシャーロック・ホームズ」世田谷パブリックシアター

(14)シス・カンパニー企画製作「死と乙女」シアタートラム

(15)鵺的「悪魔を汚せ」サンモールスタジオ

(16)こまつ座「日の浦姫物語」紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA

(17)風姿花伝プロデュース「終夜」シアター風姿花伝

(18)野田地図「Q」@東京芸術劇場プレイハウス

(19)世田谷パブリックシアター/エッチビイ企画制作「終わりのない」世田谷パブリックシアター

(20)KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「ドクター・ホフマンのサナトリウム」神奈川芸術劇場ホール

(21)松竹製作「連獅子/市松小僧の女」歌舞伎座

(22)□字ック「掬う」シアタートラム

(23)鳥公園「終わりにする、一人と一人が丘」東京芸術劇場シアターイースト

(24)KAAT神奈川芸術劇場/KUNIO共同製作「グリークス」神奈川芸術劇場大スタジオ

(25)Bunkamura/大人計画企画製作「キレイ」Bunkamuraシアターコクーン

(26)テレビ朝日/産経新聞社/パソナグループ製作「月の獣」紀伊国屋ホール

(27)新国立劇場主催「タージマハルの衛兵」新国立劇場小劇場

(28)KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「常陸坊海尊」神奈川芸術劇場ホール

(29)TAAC「だから、せめてもの、愛。」「劇」小劇場

(30)世田谷シルク「青い鳥」シアタートラム

以上30本、隠し観劇はなし、チケットはすべて公式ルートで購入した結果

  • チケット総額は211580円
  • 1本当たりの単価は7053円

となりました。上半期の33本とあわせると

  • チケット総額は368400円
  • 1本当たりの単価は5582円

です。3年連続50本越えどころか60本越え、しかも上半期下半期両方で30本達成という本数です。下半期の30本は本当は別の芝居で達成予定だったところ、当日券で蹴られてむきになって観に行ったのが(29)(30)です。せっかく上半期で抑えたチケット代が跳ね上がった理由は、仁左衛門弁慶を近くで観たいと思った(11)が筆頭、他に小劇場で宮沢りえが出演した(14)、ついにこの値段になった人気脚本演出家の(18)(20)(25)、1日上演で値段も高かった(24)、と大作続きだったのが理由です。

そして当たり芝居を分類するのが非常に難しいのですが、独断と偏見で分類してみます。日本社会の問題を時に深刻に時に笑いを交えて描いた(4)(6)(8)(12)(29)、国際的な問題が落とす、落としうる影を直接間接に背景に持たせた(2)(14)(24)(26)(27)、個人の生き方に問いかける(3)(17)(23)(30)、巨匠たちの大作すぎて無理やりにしても分類が難しいけど人間賛歌と名づけてみる(5)(18)(20)(25)、エンタメに徹した芝居が少ない中でも気を吐いていた(13)(15)、あたりでしょうか。観られてよかったという点では(10)(11)(28)も含まれますが、仕上がりと価格のバランスを考えるとここに挙げるのはつらいということで外しました。そうすると、30本中20本で打率6割後半。上半期よりも打率は上がりますが、チケット単価の差を考えたらこのくらいの打率で喜んでいられないところです。

そこから絞ると翻訳モノで(3)(17)(24)(27)日本モノで(4)(6)(12)、さらに絞ると(4)(24)(27)、もうここから先はサイコロを振って選ぶレベルですが、日本でこれからより深刻になる問題を笑いにくるめてたった2人+声で演じた(4)を下半期の1本とします。通年でもこれを推します。

そのほか、勝手に一部部門賞です。

まずは役者部門。主演男優は(18)で若き日のロミオを演じた志尊淳と、(27)の2人芝居から迷って亀田佳明の2人を挙げます。前者には華をなくさず今後も活躍してほしいという期待を、後者にはこれからどこに出ても水準以上の演技が見込めるという期待を、それぞれかけて選出します。主演女優は「あい子の東京日記」がすばらしかった中山マリ、(4)(24)で大活躍だった安藤玉恵と(17)でひりひりした演技を見せてくれた栗田桃子を選出します。中山マリは母を通じた半自伝を抑えた調子で演じて素晴らしく、安藤玉恵は「痴人の愛」がよかったときから気になっていましたが今年の2本は文句なし、栗田桃子はこまつ座の常連くらいのイメージだったのが一気に変わりました。3人も選ぶのかよと言われるところですが、ベテランの集大成、脂の乗っている絶好調期、確実に次のレベルに上った1本、と3人ともここで選ばないでいつ選ぶという出来でした。他にいい人もいたかもしれませんが、だとしてもこの3人の出来に疑う余地はありません。

助演男優は(15)で総務部長役が渋かった池田ヒトシを挙げます。似た人間が集まりがちな小劇場で世界を広げた点が助演という呼名にふさわしいと考えます。助演女優は「2.8次元」で自分は華を出しつつ他の役者も輝かせた豊原江理佳、「LIFE LIFE LIFE」の妻役と「キネマと恋人」の妹役とどちらもKERA演出で活躍したともさかりえ、(3)の複数役と(17)の弟の妻役とでなぜか目が行く那須佐代子の3人を挙げます。少人数の芝居が多いのでその場合に主演か助演か選びにくいのですが、感覚で分けさせてください。年頭の青年団の旧作短編集もそれぞれよかったのですが、あれは少人数が多すぎて選出に迷ってかえって外れてしまいました。

脚本演出部門では、どこまで演出をひとりで行なったのかは不明ですが、(12)がすばらしかった犬飼勝哉。世界の広がりを感じさせるあのクオリティが、さらにさらにさらに伸びていくことを期待します。

スタッフ部門では、(24)で現代的洋装だったり和洋折衷だったずばり和装だったりでギリシャ悲劇に拮抗したプランがみごとだった衣装の藤谷香子。(30)で暗い場面から目が覚めるような場面まで幅を持った照明で幻想の国を美しく作った阿部将之。この2人を挙げます。

あと美術もかかわりますが、囲み舞台部門です。劇場で囲み舞台を使いこなしつつ全方位の客席向けにも頑張ってしかも観て満足した企画として、東京芸術劇場シアターイーストの「K.テンペスト2019」、神奈川芸術劇場大スタジオの「ゴドーを待ちながら(昭和・平成ver.)」、シアタートラムの(30)の3本を挙げます。囲み舞台で稽古場の演出家席が見えると途端にけなしだす自分ですが、囲み舞台の形式は好きです。ちょうど違う劇場が揃っているのもタイミングがよく、こんな使い方もできると知られると嬉しい、このように使いこなしてくれる芝居が増えてほしい、と願って取上げます。それぞれ美術は串田和美、乘峯雅寛、杉山至です。

部門賞まで終わって、通年の感想です。

まずは今年芸術監督就任が発表された長塚圭史松尾スズキ。ここまできれいに就任先が決まるのかと天邪鬼な感想も持ちましたが、就任したからにはよい芝居を並べてくれるだろうと期待しています。慣れてきたころ、3年後のラインナップを楽しみにしています。

次に、少人数の芝居が多いこと。少人数が何人かは意見が分かれるところですが、考えがあって4人まで、とします。声だけの出演は数えず、複数本同時上演はばらばらに数えると、1人芝居が2本、2人芝居が5本、3人芝居が3本、4人芝居が5本です。数え間違っているかもしれませんが、15本は多い。芝居は大勢が登場するものだという先入観を持っていましたが、2割以上となるとそうとも言えません。あまり予算をかけられないという制作上の都合と、人数が少ないほうが深く濃く描けることもあるという創作上の都合と、両方あるのでしょう。人数が少なくてもいい芝居が創れることは(4)(27)が証明してくれましし、大勢ならではの芝居も上半期の1本「2.8次元」や(24)などがあります。役者の多寡で描ける内容に違いはあっても、質とは別物であることが証明された1年でした。

あと上半期に引続いて当日券で蹴られることが多かったこと。事前の売行きを見て避けた芝居もあったのですが、人気者の登場は見逃さない役者のファンとは別に、面白そうと思ったものを観に行く人がひところよりも増えている気配があります。次に景気が悪くなったらどうなるかわかりませんが、少なくとも都内では、モノよりコトに消費する人の選択肢として芝居が挙がっているのかなと推測します。

業界向けな話題では、2回の台風騒動をまとめたエントリー2本(9月10月)は、去年の台風騒動のまとめと合せて、台風に限らず雪その他の「事前に想定できる公演中止時の対応」の確立に役立ていただければ幸いです。また、カルチベートチケットの話から発展する成河の演劇論のエントリー「演劇は一生懸命見られると実はうまくいかないことの方が多い」は、ほとんど引用ですが読んでほしい、できれば元記事も読んでほしいエントリーです。

そして全体の感想。去年の感想でこんなことを書きました。

いい上演企画には大まかに2種類あります。仮に「現代の風潮を問う芝居」と「徹底的にエンターテイメントの芝居」と名づけます。昔だともう少し文学っぽい芝居も成りたったと思いますが、今は2種類の少なくともどちらかの要素を混ぜないと魅かれません。何故かといえば日本の生活も社会もここ10年で大変になったからです。観客側から見れば余裕はどんどんなくなっています。単によくできただけの芝居に大枚はたくような余裕はなく、ましてや外れ芝居を見守るような余裕もないので、観るからにはその芝居を観てよかったと実感できるような芝居が求められています。大変になった人たちの悩みをすくい取って励ますか、大変になった人たちを楽しませて明日への活力を与えられるか。大げさに言えば、2種類のどちらの要素も含まれない芝居は自己満足と言われても仕方がない世相になっています。

観に行く芝居を選ぶ基準は昔からそんなに変わっているつもりはなく、脚本演出出演に人が揃って興味をそそられるか、有名な脚本なので観ておきたいか、チラシなり他人の口コミなりに引かれて試してみるか、だいたい3つのどれかです。そのはずなのに、選んだ芝居にどうしても「現代の風潮を問う」要素が混じってくるし、観終わったらそこを評価してしまう。中身に社会的な要素が含まれる芝居が最近は非常に多いです。そこをもって「日本社会の問題」「国際的な問題が落とす、落としうる影を直接間接に背景に持たせる」「個人の生き方に問いかける」「人間賛歌」「エンタメに徹した芝居」と先に分類しました。

たとえば、今年最初の1本が痴呆の父の介護である「」から始まり、通年の1本である(4)は8050問題に介護も絡み、寝たきりの母の介護が重要な要素となる(29)から、入院した老人の介護にアレンジした(30)が続いて終わるというすごい偶然は、高齢化社会が身近にあることのあかしで、しかも日本社会だけでなく(今までの)先進国に共通の問題でもあります。だからこそフランスで「父」が執筆されたわけです。

あるいは、ギリシャ悲劇なのに国際的な問題に分類した(24)は、国同士の抗争、神を信じられない世界の有様は、2000年以上を越えて、分断の時代と言われる現代に通じるものを感じたのでそのように分類しました。

他に、表向きは少年の成長というロードムービーな展開である(3)も、人種(国籍)差別やLGBTといった要素を含んでいて、個人の生き方に問いかける面があり、一筋縄ではいきません。これから公演する芝居ですが、「ヘアスプレー」は脚本家のメッセージが直球です。日本でこの手の問題が今以上に議論されるか、隠れるかは微妙なところですが、そもそもこの手の問題が日本でここまで盛上がるほうが今まででは考えられませんでした。

分類には出しませんでしたが、「個人の生き方に問いかける」をもう少し身近に、介護や差別の問題にこだわらず家族の話を直接間接に取上げた芝居まで拡げるともっと多くなります。独断で数えると上半期は「父」「過ぎたるは、なお」「世界は一人」「隣にいても一人」「ベッドに縛られて / ミスターマン」「埒もなく汚れなく」「キネマと恋人」、下半期は(3)(4)(5)(15)(17)(19)(22)(26)(29)と16本です。家族とは何か、家族は無条件で肯定できるものなのかという古くて新しい問題含んだ芝居がこれだけ上演されているのは、家族というだけで当たり前と思っていたいろいろなことは当たり前ではないと考える人が増えている証拠でしょう。

そういう「当たり前と思っていたいろいろなことは当たり前ではないと考える人が増えている」理由として、SNSを通じたやりとり、似た考えを持った人たちの「横のつながり」が、国を越えて発展していることが大きいです。ただし、そうでない人たちの「横のつながり」も発展していること、同じ考えの人たちが集まることでどちらの人たちも考えが凝り固まって排他的になっていくこと、が進むことで、分断が促進されてしまうのではないか、に私は興味があります。それが端的に現れたのが下半期最大のトピックスと考えるあいちトリエンナーレの上演中止騒動です(「あいちトリエンナーレ『表現の不自由展、その後』のメモと芸術監督の仕事について」、「芸術の鑑賞ルールなんて教わったことがない」)。本件について、私はここまで炎上させた芸術監督に批判的ですが、それとは別に、(本人にその気があるかどうかは別として)炎上に加担した人たちの背景も想像したりします。

おそらくそこも2種類あって、ひとつは不満の捌け口とした人たち、もうひとつは攻撃されたと感じて攻撃しかえした人たちがいると思います。一番の問題として経済問題が大きく絡むはずですが、さらにその背景には、日常がたいへんでストレスにさらされている人たち、たとえば介護問題などで日常が精一杯の人たちだったり、仕事でそれこそそういう攻撃を受けてくたびれるような人たちだったり。そういう心境に置かれた人たちも、直接自分と関係ある出来事であれば是々非々の判断が働くでしょう。けど、自分と直接関係ない出来事でしかも国としての対応は終わっているのにいつまでも嫌味を言ってやがると相手国に反感ムードが仕上がっていたところ、その当の相手の国民から逆なでするような展示が出てきたら、反射神経で反感を持つのはある意味自然な反応です。

家族関係のような身近なものだって当たり前と思っていることが当たり前とは限りませんけど、常に全方位でそうやって是々非々を判断しながら生きるには経済的にも文化的にも余裕が必要です。世界でいまそれを兼ね備えている国はありません。そういう時代です。個人でもそう多くないでしょう。

ここで話はループして、生活が大変になった日本(に限らない今の先進国の)社会、芝居で描かれている社会問題、当たり前のことが当たり前でないかもしれないという不安、それぞれの価値観が相手「陣営」にとってストレスとなることがSNSで促進されてしまうこと、それらの衝突の結果が大炎上、と同時代の問題がいろいろな場所にそれぞれの形で出てきています。おそらく2020年はもっと出てくるはずで、芝居にも今以上に社会問題が取上げられると予想します。

そんな時勢で芝居に何を期待するか。これは2013年の決算で私が書いた文章です。

1年前の決算で「世の中の変化はもっと激しいはずで、あるいはその変化を早めて、あるいはその変化の影響を緩和して、あるいはその変化に立向かうための希望をみせるような、そんな動きを芸術が担えるのかどうかはやっぱり興味がある。」と書いた。これを改めて、人によって複数あるだろう芸術の定義の定義のひとつを「それを体験した人に、人生に立向かうための勇気を与える表現」としてみたい。

芝居にはやはり、個人から見た視点、個人を描く視点、個人を慈しむ視点がほしい。「Das Orchester」の中に、「演劇は言葉を扱う芸術だからか、簡単に扱えましたよ」というゲッペルスの台詞がありました。そちらに流されることなく、個人の側に立ってほしい。

私は、経済問題を含む厳しい社会情勢の中で、さらに当たり前と考えていたことが当たり前でないかもしれないと不安にさらされた時代を生きていくためには、横のつながりだけでなく個人の成長と確立が必要で、また個人の成長が全体の社会情勢の厳しさを緩和することにもつながると考えています。そのために、以前の引用を更新して、「厳しい社会問題や日常を可視化するところに留まらず、そこで個人がいかに人生に立ち向かうかまでを描いた」芝居、「物事の見方を変えて、排他的になっていた心をほぐし、人生はそんなに悪くないと思わせてくれる」芝居、あるいは「純粋に大笑いできて厳しい日常でつかの間のリフレッシュをさせて、明日もがんばるかと活力を与えてくれる」芝居、そういう芝居を希望します。

最後に余談です。これだけ偉そうなことを書いている私ですが、今年最後の仕事で「お前の考え方は当たり前ではない」とダメ出しされて年越しやり直しとなりました。これだけ芝居を観ても、自分のコンテキストを自覚する力や他人のコンテキストを想像する力に乏しいのはいかんともし難く、苦笑いするしかありません。ただ、当たり前と思っていることが当たり前とは限らないこと、当たり前と思っていることが当たり前とは限らないと考えている人はそう多くないことを、それぞれ意識することで、少しでも肩の力を抜いて暮らしていけることを目指します。

2020年は元号が変わって最初の正月、そして干支が回って子年。観劇本数が増えるか減るかわかりませんが、引続き細く長くのお付合いをよろしくお願いします。

2019年12月28日 (土)

2020年1月2月のメモ

去年に続いて1月よりも2月に集中気味。正月や成人式で連休が多いと人の移動が多くて芝居の優先度が落ちるから2月のほうがいい、と創る側が考えるようになってきたのでしょうか。

・松竹製作「素襖落」「河内山」2020/01/02-01/26@歌舞伎座:昼の部に吉右衛門の狂言と、以前吉右衛門で観た「河内山」が白鸚で

・松竹製作「連獅子」2020/01/02-01/26@歌舞伎座:こちらは夜の部で11月に続いて猿之助と團子で

・宮﨑企画「つかの間の道」2020/01/08-01/13@こまばアゴラ劇場:チラシとあらすじが気になったのでピックアップ

・劇団晴天「共演者」2020/01/09-01/15@小劇場楽園:これもチラシとあらすじ気になったのでピックアップ

・KERA CROSS「グッドバイ」2020/01/11-01/13@かめありリリオホール、2020/02/04-02/16@シアタークリエ:KERA脚本を他人演出するシリーズ第二弾は初演が小池栄子を筆頭に充実していた1本を生瀬勝久演出で

・劇団青年座「からゆきさん」2020/01/16-01/19@下北沢本多劇場:今年は宮本研が多く上演されるらしいので観たいけど1日1公演が4日だけとか

・ONEOR8「誕生の日」2020/01/18-02/02@日暮里d-倉庫:久しぶりの新作公演に意味深なチラシでピックアップ

・別冊「根本宗子」「Whose playing that "ballerina"?」「超、Maria」2020/01/22-02/02@大スタジオ:前半が再演モノの英語バージョン、後半が新作2人芝居で本人も出演

・渡辺源四郎商店「だけど涙が出ちゃう」「どんとゆけ」2020/01/23-01/26@こまばアゴラ劇場:3日目の昼まで工藤千夏の「だけど涙が出ちゃう」、3日目の夜と4日目が再演で畑澤聖悟の「どんとゆけ」

・トライストーン・エンタテイメント/トライストーン・パブリッシング主催「少女仮面」2020/01/24-02/09@シアタートラム:唐十郎の有名らしい脚本を杉原邦生演出で

・PARCOプロデュース「志の輔らくご」2020/01/24-02/20@PARCO劇場:こけら落としです

・松竹製作「菅原伝授手習鑑」2020/02/02-02/26@歌舞伎座:午前の部を全部使って仁左衛門の菅丞相で、なお文楽でも同時期上演

・松竹製作「羽衣」「人情噺文七元結」2020/02/02-02/26@歌舞伎座:夜の部に玉三郎と勘九郎という不思議な組合せと、菊五郎の文七元結

・カオルノグチ現代演技「セイムタイム・ネクストイヤー」2020/02/05-02/10@下北沢駅前劇場:第一弾が面白くて2回観た野口かおる企画の第二弾は意表をつく翻訳モノに意表をつく明星真由美演出起用で

・青年団「東京ノート・インターナショナルバージョン」「東京ノート」2020/02/06-03/01@吉祥寺シアター:前半が7ヶ国語上演のインターナショナルバージョン、後半が日本バージョン

・国立劇場主催「菅原伝授手習鑑」2020/02/08-02/24@国立劇場小劇場:歌舞伎座に仕掛けて同時期上演

・東宝主催「天保十二年のシェイクスピア」2020/02/08-02/29@日生劇場:パワフルだけど長くてめったに上演されない井上ひさしの初期モノを演出でどこまで持っていけるか

・庭劇団ペニノ「蛸入道 忘却ノ儀」2020/02/15-02/23@シアタートラム:以前見逃したので載せるけど観られるか東京公演は中止になりました

・劇団☆新感線「偽義経冥界歌」2020/02/15-03/24@赤坂ACTシアター:いのうえ歌舞伎は39周年でサンキュー公演だそうです

・新国立劇場主催「社会の柱」2020/02/21-02/26@新国立劇場小劇場:研修所の卒業公演で、前回おもしろかったイプセン脚本宮田慶子演出の組合せ

・劇団た組。「誰にも知られず死ぬ朝」2020/02/22-03/01@さいたま芸術劇場小ホール:謎の豪華キャスト

・世田谷パブリックシアター企画制作「お勢、断行」2020/02/28-03/11@世田谷パブリックシアター:役者は魅力的だけど倉持裕との相性が悪くて前回がいまいちだった記憶があるので迷う

これは観たい、というのが何本かありますけど、落着いて臨みます。雪で公演中止、なんてなりませんように。

<2020年1月6日(月)追記>

2本追加。

<2020年1月16日(木)追記>

庭劇団ペニノが公演中止になったので修正

サブテキストとかコンテクストの例に使えそうな書き殴り

少し前にバズっていた「'89 牧瀬里穂のJR東海クリスマスエクスプレスのCMが良すぎて書き殴ってしまった」。推理小説を読まされているような勢いで、長いですが長さを感じさせません。まずは読んでみてください。

これは実際に出来上がった映像を見ながら、なぜヒロインがそういう行動を取ったのか、を解読していく経緯を書いた文章です。CMの台本がどこまで細かく書かれているかは知りませんが、カレンダー(らしきもの)は単に見栄えがいいからと選ばれただけかもしれませんし、撮影していたら場所が名古屋駅なのは自明でしょう。

でも「なぜギリギリだったのか」の理由まではさすがに脚本には書かれていないと思います。そんな脚本を撮影前の立場で渡されて、書かれた通りに演じるとの、ここまで背景を想像して演じるのとでは、おそらく仕上がりに差が出る。映像よりも舞台のほうがより差が出るはず。この想像がサブテキスト。

「なぜ柱の陰に隠れたのか」「このバンダナが牧瀬里穂のことをほとんど探していないという点」に対して「待ち合わせではなかった」「30年前のこの時代は、スマホどころか、携帯電話すらも一般的には使用されていない。ほとんどの待ち合わせが固定電話などで事前に行われていた。つまり、5分の遅れは致命傷だった」という背景を合意するのがコンテクスト。

なお新幹線、ひいてはこのCMを

ここで重要なのは、JR東海の広告戦略が「新幹線を人と人との物語」に狙いを絞った点であろう。やろうと思えば、その速さを売りにすることもできたし、ビジネス的な利点を前面に出すこともできた。しかし、そこで「遠距離恋愛のシンデレラ」に絞った点が興味深い。

これはこのCMを手掛けた電通の三浦武彦氏の著書『クリスマス・エクスプレスの頃』にもこう記述がある。

「新幹線は(人と人が出会う、町と町を結ぶ)コミュニケーションメディアである」

単なる移動手段ではなく、コミュニケーション手段として意識した意義は大きい。

とコミュニケーションに狙いを絞るところは脚本家や演出家の着眼点。

そしてこの文章を牧瀬里穂の誕生日に合せて公開するのが制作者のサービス精神。

だと思うんですけど、あっていますかね。

宝塚も上演できるBrillia HALLを主導した池袋区長のインタビュー

2回に分けてインタビューが載っています(前編後編)。最初に劇場(Brillia HALL)の計画を聞いたときに「このご時勢に箱物行政とかさすが東京23区」とうっかり考えていたのですが、そんな余裕もないところから盛返して、劇場も前から計画していたことがわかります。後編の劇場関係のところだけ引用しておきますが、経営者と呼ばれる区長の取組がいろいろ面白いので気になる方はご一読を。

高野:当初、劇場は4トントラック2台分の楽屋口で設計していました。これだけでも、通常以上に余裕を持たせた設計です。

 しかしタカラヅカの舞台はご存じの通り、豪華絢爛さが売り物です。例えば舞台装置を搬入するには、11トントラックが2台入る楽屋口が必要になります。同時に大勢の出演者が使える楽屋、その出演者たちが衣装を着けた状態で行き来できる広い廊下なども求められました。宝塚歌劇団とのお話し合いの中で、先方からの要求事項を数えてみたら、実に75項目にも上りました。

- かぐや姫も真っ青ですね。

高野:東京建物Brillia HALLは新時代の劇場として、客席は「見切り席」(舞台の一部が見えない席)ナシで行くことを最初に決めていましたので、要求事項を一つかなえるたびに図面を引き直してと、調整は大変でした。それでも私が決断して、宝塚歌劇団からのご要望はすべて実現しました。

- おお。

高野:その都度、設計図を描き換えていくのは、現場にとっても大変な作業でしたが、タカラヅカの舞台に対応するハードにすることで、歌舞伎、バレエ、ミュージカルと、すべてのパフォーミングアーツに、高いクオリティーで対応できるホールになります。そのことで、ライバルとなる他の劇場への優位性ができます。ホールは今、3年先まで予約が埋まっています。

- 一昔前は行政が手がけるホールは、ハコを造って中身が埋まらないものの典型だったのに。担当者の数が足りない、お金が足りないということは起こらなかったんですか。

高野:いや、起こりましたよ。

- それで、どうされたんですか。

高野:議会でもがんがん質問されましたけど、職員には「3人でやるところを1人でできるようなプロになれ」と言いました。要するに、自分たちでどこまでやり切るかが大事なんです。おかげでホールの担当技術者は、どこへ行ってもホールを造れるようになった。それぐらい勉強しました。

- ホールの内覧会に行ったとき、職員の皆さんがずらっと並んで、お辞儀をしながら来場者をお見送りしていた様子も印象的でした。ここは老舗旅館か、と思わされるくらいで。

高野:ですから人材育成にしても、ホールの稼働にしても、いろいろな意味で採算性はちゃんと成立しているんです。このホールはおかげさまで「東京建物」の企業協賛もいただき、池袋東口の新しい顔となりました。

75項目はどこかに載っているんでしょうか。大劇場建築の参考になるので残しておいてもらえるときっと嬉しい人たちがいる。

世田谷シルク「青い鳥」シアタートラム

<2019年12月27日(金)夜>

クリスマスの夜の病院。入院して車椅子生活の年老いたチルチルとそのつきそいのミチル。そこにやってきた魔女が青い鳥を探せという。魔女からもらったダイヤのついた帽子をかぶったチルチルは立上がり、ミチルと、むかし会ったものたちと一緒に、青い鳥を探す旅に出かける。

ご存知メーテルリンクの青い鳥、と言いたいところだけど、探していた青い鳥が実は、というオチだけ知っていて原作未見。本来は少年少女のはずだけど、介護が必要な男性と介護する女性に置換えた、と当日パンフで断っていた。

大勢によるダンスパフォーマンス的な動きをした演技を大量に配しているのはもともとダンス畑の堀川炎ならでは。大勢登場するけど、それ以上に役が多くて、当日パンフの役名が役固定の一部役者以外はすごいことになっている。それをダンス的に動かして、全然混乱する気配がない。あれだけ動いても乱れずしかも音も出ないのは出演者みんなダンサー出身なのか。かといって台詞の大事なところもしっかり入れているので、ダンスがわからくても観られる。若干、原作読んでるだろと飛ばした気配が感じられる場面もあったけど、それでわからなくなるものでもない。

とにかく、青い鳥の原作が演出家にきちんと消化されて出来上がった舞台という感触がとても伝わる。観終わって、不思議だけどいいもの観た、という感想。「K.テンペスト」を観たときの感触に近い。観客参加型といわれてポンチョを着せられて、なんだこれはと思ったら最後の種明かしで「おお」とさせる芸の細かさ、私は気に入った。これは再演を計画してはどうかと世田谷パブリックシアターに勧めたい。

舞台は久しぶりにフラットなシアタートラム。この使い方を見たのは自分は野田秀樹「赤鬼」以来か。普段の上手下手(と一部正面)に客席を配置した挟み舞台(コの字舞台)で、細かい舞台装置はキャスター付きで都度出し入れさせて、センターに配置された上下できるカーテンで場面によって舞台を区切ったり、カーテンの開け具合で場面を変えたり、影を映したり。これらの工夫で役者が存分に動き回れるスペースを確保。オープニングでどの席もひとしく観づらい場面があると断っていたけど、かなり全方位にがんばっていたと思う。ついでに触れておくと美術の出し入れや一部演出を手伝う舞台スタッフ陣も、振付けの対象だったのか、なかなか良い感じだった。

そしてその美術を仕上げるのが照明で、客席も壁も天井も区別せず照らすことによる不思議な空間の中にいるような演出。線を出したり全体に照らしたり、スモークの炊き方も結構調整したのでは。普段の芝居ではあまり出番のない照らしかただけど、不思議な国を巡る話であり、またダンス的に演出された場面が多いから、とてもはまっていた。あれはよかった。

実はこの芝居、もともとこの日に芝居を観るつもりはなかったけど予定を変更して観る気になって、最初は他の芝居が候補だったけどそちらのチケットが厳しそうだからと変更して流れた、一番優先度の低い芝居だった。なのに観終わったらすごい満足感で、「観たいものから観る方針」なんて書いたばかりなのに大穴をひろってしまった。やっぱり芝居はふたを開けてみるまでわからない。年末を締めるのにふさわしい一本だった。

2019年12月27日 (金)

TAAC「だから、せめてもの、愛。」「劇」小劇場

<2019年12月26日(木)夜>

癌で余命半年と医者に伝えられた男。妻と息子2人を集めて告げるが、今しかないとその場で長男が養子であることを明かしてしまう。その後3年経ち、男は回復に向かうが、妻が寝たきりになる。夜勤の長男と、次男の恋人とが介護するが、回復した男は介護を2人に任せてギャンブルや飲酒にのめりこんでしまう。

この設定からねじれた関係の行方を描く。三上市朗を筆頭によくぞ揃えた役者陣は主力には物語を脇役にはおいしい場面を用意。美津乃あわの出番が少ないのがややもったいないくらいか。牛乳の飲み方や仏の話のような小技も効かせつつ、深刻な話にネタを適度におりまぜて、全方位に見ごたえ十分。そこまで言わないほうがいい台詞が5、6個あったけど、そもそもオープニングでそこまで設定してから後を描くところがよい。「劇」小劇場という規模には贅沢な良作。

2019年12月24日 (火)

KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「常陸坊海尊」神奈川芸術劇場ホール

<2019年12月21日(土)昼>

戦争末期の昭和20年。家族と離れて東京から岩手に疎開してきた子供たちとそれを引率する教師。そのうちの子供2人が母親恋しさで逃げ出して迷った山奥で出会った縁で、おばばと雪乃の住む山小屋に通うようになる。おばばは源義経一行から逃げ出した常陸坊海尊の妻で750年生き、雪乃はその孫だという。小屋には常陸坊海尊のミイラが隠されており、これを拝む子供たちはなんだか不思議な気分になる。一方、噂でも酷い様子だった東京は、ようやく終戦しても疎開先に迎えに来る家族がいない子供たちも作り出した。

難しい、というのが第一印象。源義経一行から逃げ出した常陸坊海尊のミイラを守り続ける妻および末裔という話と、疎開先から引率の教師が逃げ出して置いてきぼりにされた子供という話を重ねながら、守り続けすぎて魔性の領域に入ってしまったおばばや雪乃と、それに魅入られてミイラ作りまで手伝わされて逮捕されたりどうにもならなくなったところから必死に逃げようとする男達との入れ子の関係を追加することで、逃げることを選ばざるを得なかった人たちの本気の後悔と苦悩に対する許しと悟りを描いた、くらいの要素が入っている。たぶん、戦後になって高度経済成長で戦争のことなんか忘れて観光客となっている(1964年初演当時の)現代人に当てつけつつ、非国民扱いされた子供たち、戦争中から外れ者扱いされていたおばばや雪乃、突然追われることになった山伏や遊女たちを通じて、ある日突然追立てる側の横暴と、追立てられる側の悲哀とを描くことで、逃げた側にも相応の逃げる理由があるのではないかと問いかける要素もある。

書いていて合っているのかどうかまったく自信がない。それくらい難しかった。ただ、初演当時は戦争の記憶は確実に意識していたはずで、観客にある程度の共通感覚を期待していたものと推測。それがほぼなくなった現在、この脚本を立上げるのは至難の業で、長塚圭史をもってしてもつかみきれていなかった印象。演じる側も、戦中と終戦後の一幕二幕を身体で納得して演じていたのは白石加代子と、あと疎開先の宿屋の主人の高木稟くらいだったのではないか。現代の三幕までくると元少年たちを演じた平埜生成と尾上寛之は良い感じ。

それにしても、芝居は演出家だけで創るものではないことは重々承知の上で、長塚圭史のような現代日本演出家の代表のひとりみたいな人でもつかみきれない脚本というのもすごい話。少し前だと現代西洋風理論的演劇の演出でトップクラスの小川絵梨子でも完敗した「マリアの首」とか。戦争の記憶が絡むような、戦後の気分が濃厚な脚本は、もはや演出できる人がいないのでは。

2019年12月16日 (月)

新国立劇場主催「タージマハルの衛兵」新国立劇場小劇場

<2019年12月14日(土)夜>

タージマハルの建設中、建設が終わるまで誰も見てはならないという皇帝の命令で、囲いの壁の前で夜中の警備を担当する2人の兵士。方や父親が将軍で真面目な性格、方や庶民の出だが空想癖がありおしゃべりが止まらない性格、正反対の2人だが子供時代からの親友である。建設が終わって明日が公開の晩、建設家が皇帝に頼みごとをして逆鱗に触れたという噂を話し合う。

どんな芝居かわからないけどこの座組みで変なことにはならないだろうと観に行ったらとんでもない。笑える場面もありつつ、現代的かつ普遍的な広い分野のテーマを複数扱って、「スポケーンの左手」もびっくりの舞台効果を駆使して、どうしてこうなったと言いたくなる展開から、美しいラスト。「ことぜん(個と全)」のシリーズにふさわしい内容と、1時間40分の2人芝居でここまでできるのかという仕上がりだった。成河も亀田佳明も言うことなし。

スタッフワークだってレベル高いのに、すべてが役者と展開に集中して、観終わるまで気にならないのが素晴らしい。翻訳もこなれて、公式サイト(こことかここ)によれば役者の意見も聞きながら仕上げたとの事。最近だとKERAが翻訳芝居を上演するときに潤筆として言葉の調整をするのが見事だけど、今回も見事。というか、最近は翻訳のレベルが全体に高い。狙ったわけでもないけどいかにも翻訳、という芝居がない。

話は戻って、脚本の出来が素晴らしい前提で、この色々のどこに演出が関わっているのか、観ただけではさっぱりわからない。わからないけど、やっぱり演出の妙があってこその仕上がりなんだろう。小川絵梨子はやっぱりすごい。

平たい舞台であまり端も使わず、見切れもほとんどないので、時間があるならZ席でいいから観てほしい。

テレビ朝日/産経新聞社/パソナグループ製作「月の獣」紀伊国屋ホール

<2019年12月14日(土)昼>

第一次世界大戦が終結した後のアメリカ。オスマン帝国から亡命したアルメニア人の男が、結婚相手として孤児院からひとりのアルメニア人少女を呼寄せる。厳格な家父長制の家族で育った男は同じような家庭を求めるが、おおらかな家庭で育った乗除とはなかなか馴染めない。男は子供を求めるがなかなか望みがかなわない中で、ふたりの生活はすれ違い始める。

翻訳ではトルコと言っていたようだけど、公式サイトや年代を調べるとオスマン帝国のほうが正しいか。オスマン帝国によるアルメニア人虐殺という重い話題を中心に、アメリカに亡命した男と、その男が写真だけで呼寄せた少女を通して、苦悩が克服されうるのかを描いた芝居。地味で重いけど緊張感の続く良作。

すれ違う夫婦の展開を描いた眞島秀和と岸井ゆきのはすばらしい。ただ映画的というか、前半の1幕がいきなりすごい分、その後が丁寧ながらもややゆったり目。後半幕開けに近所の孤児が登場してからがぐっと目の覚める展開に。語りの久保酎吉もよかったけど、孤児役の升水柚希が一番舞台らしいエネルギーを放射して、それに合せて周りも乗っていた。続けるならこのまま中途半端にまとまらず無事に伸びてほしい。スタッフでは照明が美しかったけど、場面転換でも会話中でも音楽を、しかも同じ音楽を使いすぎ。音楽減らしてもいける出来だったのに。

あとあんまりだったのがチケット管理。このテーマと価格で満席にならないのはしょうがないから、後ろが空席になるならまだしも、中途半端にセンター後方席に2列空席列を作って(1列が丸ごと空席、その後ろが両端に1-2人しか座っていない状態)、その後ろに2列くらい客が続く無様な客入れ。製作のどこかが招待用に押さえさせたのに集客努力もせずに放置した感。昔一度だけ、新国立劇場の小劇場で1列が空というのを見たことがあるけど(たしか「アジアの女」だったか)、今の日本で土曜日昼間という一番のゴールデンタイムでこんなもったいない客席を作るな、それなら後ろの客席から2列ずつ前に動かせ。

2019年12月11日 (水)

観たいものから観る方針

ナウシカの歌舞伎化なんて攻めすぎ、と思っていたら菊之助が怪我して12/8の夜の回が休演になりました。午前の部の終盤で花道から落ちてひじの骨にひびが入ったと。吉右衛門に続いて娘婿まで不運かと思いきや、次の日から復帰していました。日刊スポーツより。

新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」(25日まで、東京・新橋演舞場)の8日昼の部で左ひじの一部を亀裂骨折し、同日夜の部を休演した尾上菊之助(42)は9日、舞台復帰した。

主人公ナウシカを演じる菊之助は、トリウマという2足歩行の大型鳥類のキャラクターから転落し負傷したが、9日は昼夜とも予定通り出演した。昼の部の登場場面では、菊之助は観客の大きな拍手に迎えられた。立ち回りや宙乗りをなくすなど、一部演出を変更したが、菊之助からのコメントやせりふ変更は特になかった。

構想5年の新作歌舞伎で代役も難しかろうし、3日で流せないと根性の出演続行です。

それと並行して、公演期間中に降板になってしまったのが村井國夫です。公式が後で消えそうなのでステージナタリーより。

村井國夫が劇団桟敷童子「獣唄」を降板することが発表された。

これは、村井が軽度の心筋梗塞と診断されたことによるもの。12月3日から東京・すみだパークスタジオ倉にて上演中の劇団桟敷童子「獣唄」は、8日から10日の3ステージを休演し、11日からは配役を変更して上演を再開する。村井の代役は、原口健太郎が担当。公演は12月15日まで。

筆頭クレジットだったので演技に気合が入りすぎたのかもしれませんが、心臓はよくない。年齢も75歳と恒例なのでこれは大事をとるのもしょうがない。養生して復活してほしい。

かと思ったら同じ演出家が演出する来月公演の芝居で三田和代の降板が発表された。これもステージナタリーより。

こまつ座「イヌの仇討」に出演予定だった三田和代が体調不良のため降板し、代役を西山水木が務めることが発表された。

チケットの払い戻しについては、こまつ座の公式サイトで確認を。本作は、井上ひさしが独自の視点で「忠臣蔵」を見つめ直した“忠臣蔵異聞”。2017年に同作を演出した劇団桟敷童子・東憲司により、今回再び上演される。出演者には西山のほか、2017年版にも出演した大谷亮介、彩吹真央、植本純米、石原由宇、大手忍、尾身美詞らが名を連ねている。公演は1月17日から19日まで神奈川・横浜市泉区民文化センター テアトルフォンテ ホールにて。

あまり書くのも失礼だけど御歳77歳で村井國夫より年上。こちらは症状が書かれていないだけ心配度が高い。こちらも養生して復活してほしい。

別に舞台に限らないけど、生ものなだけにどうしてもこういう心配が起きる。しかも台風とか自然現象でも公演中止が起こりうる。何なら自分が体調不良で家で寝ている破目になる。

だから芝居が2本あって、片方がとても観たい場合。とても観たいほうを来週で調整すれば両方観られるような場合でも、とても観たいほうから観て、もう片方は見送るなんてこともある。当日券メインのスタイル、かつ本数をある程度観るようになったが故の悩みと言ってはなんだけど、やっぱり全部は観られない。

なんてことを考えさせられた直後にこんな記事が出るわけです。ステージナタリーより。

「『勝手に演劇大賞2019』第10回記念スペシャルトークイベント」が本日12月8日に東京都内で行われ、中井美穂と徳永京子、そしてゲストのいのうえひでのりと早霧せいなが登壇した。
(中略)
「今年は60から80本観劇できた」と言ういのうえ
(中略)
早霧は、今年観た約10本の中から
(中略)
11月末の時点で300演目を観たと明かし、会場をどよめかせた徳永
(中略)
中井は今年は200本程度の観劇に収まったと言い

中井美穂はたまに芝居のアフタートークで司会をやっていて、どういう縁で呼ばれているのだろうと思っていたけど、何のことはない、見物ジャンキーでした。「収まった」と言っているのでもっと多い年もあるのでしょう。

300本越えはもう評論家とか、言葉通り「観るのが仕事」の人たちの世界ですけど、世の中にはこんな伝説がある。観客発信メディアWL「【鼎談】ハードコア・シアターゴアーの世界」より。2017年3月の記事なので「去年」が2016年を表します。

WL:今日来て頂いた3人の年間観劇数は合計すると1000本を超えています。1000本というのは、千本ノックとか千人針とか『千夜一夜物語』とか、普通は象徴的な数字で「たくさん」の記号的表現なのですね。それがこの3人の1000本は象徴ではなく、実数で1000本です。今回の鼎談を通して、年間300本を超える観劇をしている観客だからこそ見える演劇の風景を語って頂きたいと思います。まず1年間の観劇本数をお聞きしたいのですが?

じべ:去年が360本、2015年が408、14年が379本。2012年には604本見ました。これはちょっとどうかしてましたね(笑)。

WL:年間で604本ですか! これは観劇の金字塔と言える数字ですね。

りいちろ:私はかわいいものですよ、確か去年は326本だったかな。

うめ:私は1日1本超えの366本ということでWLで公表しています。ホントはもうちょっと多いかも。

WL:なるほど3人で1000本、確かに超えていますね。

じべ:ちなみにこれはのべ本数で、同じ作品を3回見た時は3回とカウントしています。

うめ:細かいことなのですが、どう数えるかというのもちょっと問題なんですよね。

じべ:私の数え方は、例えば2つの劇団が2つの演目を一緒にやる、でも公演としては2本立てで3000円だよ、というのなら、1本としています。

WL:つまり劇場の入口に入って、出てくるまでで1本という考えかたですね。そのなかで何本の作品が上演されようと。

じべ:かつてニフティサーブに小劇場好きが集まるフォーラムがありまして、そこで出た説で年間観劇数が200本を超えるとダメ人間というのがありました。

WL:なぜ200本なのですか?

じべ:200本の根拠は、平日に1本も芝居を見なくても、土日祝日にマチ・ソワ(1)で観劇すれば200本ぐらいは見られるわけですね。あるいは逆に、土日祝日は芝居を見なくても、平日の夜、会社帰りに1本見て帰ると年間200本ぐらいは見られる。となると年間200本を超えるようになるともうダメ人間だね、というのがゴアー(2)のあいだでほぼ定説になっていたんですよ。

WL:なるほど、それは説得力がありますね。年間200本だったら芝居から離れて真人間に戻る日が確保できるわけですね。

じべ:そうそう別の趣味が入り込む余地があるわけですよ。

りいちろ:(ここで割り込んで)昔はそうだったんですよね、昔は。(一同・爆笑)

WL:なんですか、昔はというのは?(笑)

りいちろ:だってほら、今は平日多少見なくても、土日の3本回しというのがけっこう可能じゃないですか。作る方もだんだん考えてくれてきていて、朝昼晩というのができるようになっているんですよ。11時、3時、6時とか。そうすると200本ダメ人間というのは昔の話で、今は別に?。

じべ:待って、待って。一日3本見るというのがそもそも変なの(笑)。その時点でもうダメ人間だよ。(一同・爆笑)

WL:真人間との臨界点である年間200本を超えたシアターゴアーは都内でどれくらいいるのでしょうか?

りいちろ:週に複数回劇場で会ってしまうみたいな感じで、確実に200本は超えていると思われる人が10人はいます。

じべ:よく見かけるけれど話はしたことはない人を含めるともっと多いですね。10人どころではないですね。

うめ:演劇をなりわいにしていない方で200本以上見られるかたは、おそらく30人ぐらいはいらっしゃると思います。

りいちろ:でもそれはあくまで私たちが見ている範囲での話ですから。小劇場ではなく、大きな劇場ばかりで見られている方もいるはずですし。ミュージカルや歌舞伎を年間200本とか。あるいはダンスばかりを集中的に見られている方とか。

じべ:われわれ3人の見ているのは小劇場が中心ですが、それでも重ならない部分がありますし。

りいちろ:3人で年間1000本超えといっても、われわれは東京の演劇シーンのごく一部をカバーしているに過ぎません。

604本とかもはや都市伝説の領域なので、50本越えてみたかったとか言っている自分の小ささを思い知らされる。こういう世界があるのを知ると、観る順番とか全部は観られないとか考えること自体が馬鹿馬鹿しくなる。

趣味ではあるけど義務ではなし、やっぱり観たい順番に観ればいい。

2019年12月 8日 (日)

Bunkamura/大人計画企画製作「キレイ」Bunkamuraシアターコクーン

<2019年12月7日(土)夜>

日本が3つの勢力に分かれて内戦を続けている時代。死体集めを生業にする一家に、長年誘拐されていたため記憶も知識も欠けている謎の浮浪少女ケガレが保護される。仕事を覚えて色々な人たちと関わるうちに、忘れていた過去をケガレが少しずつ思い出していく。

再々々演ということで初演以来欠かさず観てきて4度目の観劇(再々演)。最初に書いておくとスタッフワークは今回が過去最高。ビジュアル面は予算をかけたのが伝わる衣装美術照明映像に加えてプロジェクションマッピングも若干追加、音楽はオケを入れた以上に音響抜群だったのは劇場設備か音響スタッフの努力か。全方面で質が高く洗練されている。昔はチープなスタッフワークのほうがいいと思っていたこともあったけど、ここまで質が上がるとこっちのほうが絶対いい。

それもあって演出の絵作りが格段に映える。美術の構成はほぼこれまでと同じなのに、その同じ構成で同じ場面をやってこんなにキレイに見えるのかと驚いた。脚本は大筋は変わらないけどやや親切に、歌も追加されていて、役名含めて全体には整える方向で手直しされていた。初演では公演中に長期誘拐の事件が発覚して騒ぎになったけど、昨今の不穏な世情から、今回はむしろ内戦や死体集め稼業などの背景設定のほうがひょっとしてあり得る未来かもと想像させられて、脚本の深さにうならされる。

なのに感想は、役者の違和感も過去最高。ただし下手ではない。断じて下手ではない。だから観終わってからずっと理由を考えていた。以下、とりあえず思いついた仮説。

この脚本は、設定にも展開にも登場人物にも台詞にも小劇場の雰囲気が色濃く反映されている。どれだけ整えても、どれだけ世情とシンクロしても、それは消えないし、消したら別物の脚本になる。だから演出でも演技でも、小劇場の雰囲気が要求される。上手く説明できないけど、物語は物語として遊べるところではネタを仕掛けてくるある種のおふざけ精神だったり、多少強引な展開でも納得させる勢いだったり、ネタはできても真面目な演技は苦手だから頑張るような必死さだったり、そういういろいろが重なってかもし出す怪しさだったり。別な言い方をすると、演出で調整して仕上げないといけない。

だから大人計画のメンバーははまっていたけど(同じ役を経験した役者が多いこともある)、客演陣は脚本どおりのふざけた役をきっちり真面目に作り上げることで脚本と喧嘩した。出ている割合は客演陣の方が高いので、違和感の多い舞台になった。というのが仮説。自分の感想では、客演陣で健闘していたのはカスミお嬢様の鈴木杏で、脚本に真面目すぎたのは青年ハリコナの小池徹平と以外やジュッテンの岩井秀人。あとマジシャンは阿部サダヲだったけど、テンションは高くても健康的な雰囲気で、大人計画のメンバーで唯一違和感があった(もっとも、宮藤官九郎が演じたときでも違和感のあった難しい役ではある)。生田絵梨花/麻生久美子のケガレは健闘していたけど、お互いの同一人物感は前回のほうが上。

公演後半になるともう少しこなれてくるかもしれないけど、4日目6ステージ目の感想はこの通り。あと、今回は公式3時間40分、実測3時間45分で、前より延びているはず。見ていて間延びする場面はないけど、終演時間が気になる人はご注意を。

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