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2019年12月24日 (火)

KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「常陸坊海尊」神奈川芸術劇場ホール

<2019年12月21日(土)昼>

戦争末期の昭和20年。家族と離れて東京から岩手に疎開してきた子供たちとそれを引率する教師。そのうちの子供2人が母親恋しさで逃げ出して迷った山奥で出会った縁で、おばばと雪乃の住む山小屋に通うようになる。おばばは源義経一行から逃げ出した常陸坊海尊の妻で750年生き、雪乃はその孫だという。小屋には常陸坊海尊のミイラが隠されており、これを拝む子供たちはなんだか不思議な気分になる。一方、噂でも酷い様子だった東京は、ようやく終戦しても疎開先に迎えに来る家族がいない子供たちも作り出した。

難しい、というのが第一印象。源義経一行から逃げ出した常陸坊海尊のミイラを守り続ける妻および末裔という話と、疎開先から引率の教師が逃げ出して置いてきぼりにされた子供という話を重ねながら、守り続けすぎて魔性の領域に入ってしまったおばばや雪乃と、それに魅入られてミイラ作りまで手伝わされて逮捕されたりどうにもならなくなったところから必死に逃げようとする男達との入れ子の関係を追加することで、逃げることを選ばざるを得なかった人たちの本気の後悔と苦悩に対する許しと悟りを描いた、くらいの要素が入っている。たぶん、戦後になって高度経済成長で戦争のことなんか忘れて観光客となっている(1964年初演当時の)現代人に当てつけつつ、非国民扱いされた子供たち、戦争中から外れ者扱いされていたおばばや雪乃、突然追われることになった山伏や遊女たちを通じて、ある日突然追立てる側の横暴と、追立てられる側の悲哀とを描くことで、逃げた側にも相応の逃げる理由があるのではないかと問いかける要素もある。

書いていて合っているのかどうかまったく自信がない。それくらい難しかった。ただ、初演当時は戦争の記憶は確実に意識していたはずで、観客にある程度の共通感覚を期待していたものと推測。それがほぼなくなった現在、この脚本を立上げるのは至難の業で、長塚圭史をもってしてもつかみきれていなかった印象。演じる側も、戦中と終戦後の一幕二幕を身体で納得して演じていたのは白石加代子と、あと疎開先の宿屋の主人の高木稟くらいだったのではないか。現代の三幕までくると元少年たちを演じた平埜生成と尾上寛之は良い感じ。

それにしても、芝居は演出家だけで創るものではないことは重々承知の上で、長塚圭史のような現代日本演出家の代表のひとりみたいな人でもつかみきれない脚本というのもすごい話。少し前だと現代西洋風理論的演劇の演出でトップクラスの小川絵梨子でも完敗した「マリアの首」とか。戦争の記憶が絡むような、戦後の気分が濃厚な脚本は、もはや演出できる人がいないのでは。

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