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2019年6月29日 (土)

2019年上半期決算

恒例の上半期決算です。

(1)東京芸術劇場制作「」東京芸術劇場シアターイースト

(2)劇団東京乾電池「授業」アトリエ乾電池

(3)新国立劇場演劇研修所「るつぼ」新国立劇場小劇場

(4)タカハ劇団「僕らの力で世界があと何回救えたか」下北沢小劇場B1

(5)渡辺源四郎商店シェアハウス「過ぎたるは、なお」こまばアゴラ劇場

(6)松竹製作「二月大歌舞伎 夜の部」歌舞伎座

(7)青年団「走りながら眠れ」こまばアゴラ劇場

(8)パルコ製作「世界は一人」東京芸術劇場プレイハウス

(9)青年団「隣にいても一人」こまばアゴラ劇場

(10)青年団「思い出せない夢のいくつか」こまばアゴラ劇場

(11)小田尚稔の演劇「是でいいのだ」三鷹SCOOL

(12)加藤健一事務所「喝采」下北沢本多劇場

(13)名取事務所「ベッドに縛られて / ミスターマン」小劇場B1

(14)パラドックス定数「Das Orchester」シアター風姿花伝

(15)燐光群「あい子の東京日記 / 生きのこった森の石松」ザ・スズナリ

(16)KUNIO「水の駅」森下スタジオ

(17)松竹製作「御存 鈴ヶ森」歌舞伎座

(18)シス・カンパニー企画製作「LIFE LIFE LIFE」Bunkamuraシアターコクーン

(19)松竹製作「実盛物語」歌舞伎座

(20)演劇ユニットnoyR「ニーナ会議」若葉町ウォーフ

(21)オフィスコットーネプロデュース「埒もなく汚れなく」シアター711

(22)イキウメ「獣の柱」シアタートラム

(23)オフィスコットーネプロデュース「山の声」GEKI地下リバティ

(24)まつもと市民芸術館企画制作「K.テンペスト2019」東京芸術劇場シアターイースト

(25)ジエン社「ボードゲームと種の起源・拡張版」こまばアゴラ劇場

(26)松竹製作「六月大歌舞伎 昼の部」歌舞伎座

(27)劇団青年座「横濱短篇ホテル」亀戸文化センターカメリアホール

(28)KERA・MAP「キネマと恋人」世田谷パブリックシアター

(29)serial number「機械と音楽」吉祥寺シアター

(30)ラッパ屋「2.8次元」紀伊国屋ホール

(31)松竹製作「月光露針路日本」歌舞伎座

(32)FUKAIPRODUCE羽衣「ピロートーキングブルース」下北沢本多劇場

(33)神奈川芸術劇場プロデュース「ゴドーを待ちながら(昭和・平成ver.)」神奈川芸術劇場大スタジオ

以上33本、隠し観劇はなし、すべて公式ルートで購入した結果、

  • チケット総額は156820円
  • 1本当たりの単価は4752円

となりました。高い芝居を観ながらも、青年団の短編や歌舞伎の幕間チケットのおかげで、近年まれに見る単価5000円以下になりました。ただ33本は観すぎで、金額もさることながら体力がきついです。渥美清は昼夜の芝居を観てさらに映画を観るのがつらくなったと言っていたらしいですが、わかります。というかここに映画を足したら倒れます。観たい芝居と、この機会に観ておかないといけない芝居に、ここで試しておきたい芝居まで混ぜたせいでこの数になりました。ここで観たり試したりすることで、将来の候補を絞って楽になることを期待しての挑戦です。ついでに書くと、当日券で蹴られた芝居も数本あり、振返れば蹴られて良かったという数です。

結果、33本も試さなくてもよかったなというか、ありていに言えば外れもそれなりに多かったです。外れにも発見のある外れと純粋に外れとがあり、当たりにも大満足と一部不満はあってもそれを上回る満足で帳消しにするものとがあるので、総合的に満足できたかどうかでの判断となります。観たかった芝居では(7)(9)(10)(14)(18)(22)(24)、この機会に観ておかないといけないと思った芝居では(2)(3)(19)(21)(26)(27)(33)、ここで試しておきたい芝居では(1)(5)(15)(20)(30)、計19本が当たり判定です。この本数を観て6割弱ならまだ高いほうだと思います。

そこから絞ると、初期から面白かったことを再確認した青年団の(7)(9)(10)、ほぼ1人芝居で緊急口コミプッシュも出した(15)、不思議な雰囲気の(24)、ベテランが喜劇をつくるとこうなるんだという見本の(27)(28)(30)、古典を現代的に上演した(33)、歌舞伎もいいもんだと思わせてくれた(26)です。さらに上半期の1本まで絞ると、初見にして大いに笑わせてくれた(30)になります。(15)は緊急口コミプッシュも出しましたが、気に入ったのが2本立ての1本だったので、こちらを選ばせてもらいました。

あと、思い出深い1本として(22)を挙げておきます。初演が好きすぎて、思い入れが妄想の域まで達していたので、今回の再演を観て長文の感想を書いて、ようやく落着くことができました。ただ不思議なのは感想を書くときに出てきた文体です。芝居の感想と世間の出来事を混ぜて長文を書くのは初めてだったので内容の出来不出来はさておき、あの新聞の出来損ないのような文体はいったいどこから出てきたのかがわかりません。あるいは、長文の感想執筆に耐えうる文体の蓄積がなかったばかりにああなったのか。時間がなくてほとんど推敲しませんでしたが、次回長文を書く機会に推敲してどこまで読みやすくなるか試してみたいと思います。

上半期の話題は、明るいものでは長塚圭史の神奈川芸術劇場芸術監督就任予定発表です。今の白井晃から大幅に若返っての就任で、今後のラインナップに期待です。暗いものではキャラメルボックスの活動停止で、何気なく観ている芝居も相応のリスクや苦労があること、いつでも観られるわけではないことを改めて思い知らされました。そしてどちらも、時代が流れていることを感じさせる出来事です。

あとは上でも少し書きましたが、当日券で蹴られることが多かったです。単なる勘で理由を推測すると、芝居好きなら気になるという座組みに人気者を一人混ぜておくことで集客がぐっと変わるということに制作側が気がついたのか、背に腹は変えられないのか、規模を問わず起用するようになったのがひとつ。あと最近は役者の側、特に若手が、舞台に出ることを実力名誉修行箔付経験のように考えている気配があり、人気があって舞台出演に耐える実力の役者が、この規模の劇場でというか、小さい規模ほどありがたがって積極的に出演を望んでいる模様なのがひとつ。両方の思惑が合わさったように思います。さらに勘を続けると、小劇場出身者が映像に進出して活躍が目に付くようになった10年前くらいからが転機で、それが最近になって目立つようになった模様です。芸能事務所としても、ネット全盛で映像の力が相対的に弱くなって適当に舞台の仕事を入れたほうが長期的には得と判断しているのでしょう。ただ関係者一同いろいろ気をつけているなと思うのは、だいたい、演出家は限られるようです。

下半期はさすがに数を減らしたいのですが、観られるときに観ておけという気分もあり、どうなるかは不明です。

引続き細く長くのお付合いをよろしくお願いします。

2019年6月24日 (月)

神奈川芸術劇場プロデュース「ゴドーを待ちながら(昭和・平成ver.)」神奈川芸術劇場大スタジオ

<2019年6月23日(日)昼>

街の外れにある、1本だけ木のある人通りの少ない広場。友人同士であるウラジミールとエストラゴンは、ゴドーを待つためにやってきたが、待っている間に主人と従者の2人が通りかかり、従者をこき使った様を見せて去っていく。そこに、ゴドーの使いという少年がゴドーは今日は来ない、明日は同じ場所で待ち合わせようという伝言を告げる。翌日に来た2人だが、昨日の2人がまた通りかかる。ゴドーは相変わらず来ない。

千秋楽で昭和平成バージョンを観劇。ネタはネタとして、初見ではどこまでアドリブなのか判別しづらい絶妙のノリで退屈を演じるメインの2人。そこにマッカーサーの格好をした主人と昭和天皇に顔を似せた従者を登場させて、日米国旗の付いたマイクを使って、ラストに君が代を流して、昭和はそういう時代だっただろうという直球の演出。

にもかかわらず、これが初見だから確かなことはいえないけど、ゴドーを待ちながらの脚本自体はきっちり上演されていた印象を受けた。退屈したり不安になったりわからなくなったり互いの仲に疑問を持ったりする脚本自身が、しっかりした強度を持っていたのがひとつ。あとメインの2人の、遊びに走りたがる小宮孝泰とそれに付き合ったりほどほどで止めようとしたりする大高洋夫との関係が役にも反映されていて、実にいい雰囲気だった。他の3人も上手だったけど、メインの2人の自由自在な感じはなかなか観られない貴重な仕上がり。

それを後押ししたのがスタッフワーク。青山円形劇場を思わせる囲み舞台を作って古い新聞を散らした美術が一押しで、会場に入った瞬間に、あ、これがこのスタジオの正しい使い方だ、と思わせるものがあった。それにつりあわせた衣装も見事。

定番なのに長年観られなかった芝居だけど、今回ようやく観られてすっきりした。欲を言えば、最初は単なるキャスト違いだろと思っていたけど、たぶん演出を変えていたはずなので、令和バージョンも観てみたかった。

FUKAIPRODUCE羽衣「ピロートーキングブルース」下北沢本多劇場

<2019年6月22日(土)夜>

ファミレスの店長は人妻と不倫し、その夫は毎回同じ風俗嬢を指名して入れあげ、その風俗嬢は街でナンパされたひもじい若者を自宅に囲う。この人物たちを中心に、中心でない人物も交えて進む、セックスと愛に関する話。

タイトルに「ブルース」と付くだけあって、そこはかとない哀しさの割合が大きい話。粗筋に書いた話と絡まない話も多く、長編1本というよりオムニバスのほうが実態に近い。単発でネタに走る場面が力不足で、それでいて本筋の微妙な話は笑い飛ばすための勢いがなくて笑っていいのか迷う場面も多数。ミュージカルなら場面や筋の紹介だったり、あとは登場人物や芝居が盛上がる場面で歌うけど、こちらは突然元気一杯長々と歌ったりする「妙ージカル」で、歌いだすタイミングがいまいちつかめない。ミュージカル「仕立て」なら先日ラッパ屋でよく出来た芝居を観たばかりなので、そちらに軍配が上がる。役者は頑張っていたので今作は脚本演出の不発という感想。

当日パンフは役者を紹介したいという主宰からの愛溢れるコメントが載っていたけど、紹介したいなら主宰との縁よりもエピソードよりもなによりも、まず役名と役者名とのマッピングを載せるべきではないかと思うが如何。初見のメンバーだらけで、今回どの役が誰だか、主宰とその相手役以外は誰が誰だかわからず。役名でネタばれして困る芝居でもなし、困るなら代表的な役名だけ載せればいい事。有料パンフを売りたくて当日パンフを配らないのはよくあるけど、当日パンフを配って役者名は載せて役名を教えないのは不親切。制作で誰か事前チェックできなかったのか。

2019年6月19日 (水)

松竹製作「月光露針路日本」歌舞伎座

<2019年6月16日(日)夜>

江戸時代、米を運ぶ商船が難破する。船頭を務める雇い主の息子、光太夫の判断で沈没は免れ、積んでいる米で食事は取れるものの、力尽きて亡くなるものもある。8ヶ月の漂流の末に流れ着いたのはロシア領の小島。次々と乗組員が亡くなるなか、光太夫は生き残る乗組員を励まして何とか帰国を目指すが、逆にロシアの奥地へ奥地へと進むことになってしまう。

「決闘! 高田馬場」が2006年なので13年ぶりの三谷歌舞伎。スーツ姿の松也の解説で湧かせつつ前知識を教え込む工夫で始まるも、1幕が難破から、2幕最初の小島生活で、なんとも重苦しい出だし。その後、小島を出てロシア本土に着いたあたりから少しずつはずみがつき、2幕最後の犬で大盛上がり、3幕はその勢いで終幕までまとまった、という印象。

難破の場面は船上なので動きが少ないし、開幕したばかりで登場人物紹介の面もあるけど、多すぎる役者にそこそこの台詞を割振った上に歌舞伎のテンポで話すので、正直遅い。これを書いている時点ですでに序盤の内容をほとんど忘れていて、検索しながら書いている。乗組員が減るほどにテンポが良くなっていって、3幕は主要な登場人物が限られるので話もわかりやすいけど、今回唯一の歌舞伎以外役者の八嶋智人が大げさかつスピーディーな台詞回しを披露。これが本来の三谷芝居のスピードだよなと認識。二部制の月は休憩を2回挟んで3幕4時間は持たせないといけない歌舞伎座のルールとはいえ、特に前半は間延びしたうらみがある。後半は面白かったけど、「決闘! 高田馬場」の勢いを思い出すに、全体であと30分は短くしてほしかった。

一番盛上がったのは犬だったけど、あの毛並みと動きは拍手喝采したくなるのももっともな出来で、単純に楽しめる。染五郎が初見でどんなものかと思ったけど、さすがにまだまだで、ただし気になる声質がどことなく将来を期待させる印象を持った。

2019年6月17日 (月)

ラッパ屋「2.8次元」紀伊国屋ホール

<2019年6月15日(土)夜>

老舗の新劇劇団。学校巡回公演の失注と会員数減で経営危機に見舞われて次回の公演も危ぶまれている。そこに、かつて劇団で働きやがて独立した制作者が、2.5次元ミュージカルの企画を持ってくる。主役陣以外をベテラン俳優で固めてほしい原作者の意向だが、まとまったベテラン俳優がいないためだという。相談の結果、演出家と主役陣を客演で招いた劇団公演とすることが決まったが、いざ稽古が始まると、ノリと身体の切れが違う客演陣との軋轢が絶えない。

ラッパ屋初見。役者にスタッフに制作に演出家振付家まで役を作って、生演奏に支えられた、誰が観ても笑えるであろう小劇場の王道のような喜劇を堪能。ラッパ屋の劇団員は平均年齢高めだけど安心して観ていられる。そこに混ざる客演役兼本物の客演で目を引くゲストの豊原江理佳は歌も身体の切れも良くて、正統派(?)の役者は今時は若くてもあのくらいできないと駄目なのかという驚き。そこに一生懸命が行き過ぎてたまに失礼になる役を当てた脚本家はさすが。ただ、正統派のゲスト役者が混ざることで、むしろ正統派ではない役者の味のよさも引立って相乗効果。

格好よく書けば悲劇と喜劇は同じとなるけど、ひとつひとつの笑えるディテールが、落着いて考えるといかにもありそうな話で生々しい。当日パンフに、よく知っていることだからこそ書きづらかったとあったのもうなずける。やや定型的な登場人物や展開も、むしろ生々しい現実はこのくらい定型化しないと笑いに持っていけないのだという理解。惜しまれるのは人数多めで役の濃淡ができてしまっていたことだけど、2時間切るためにはしょうがない。最近は平気で2時間3時間越える芝居を観る機会が多いので、この展開の早さでこれだけ笑わせてもらって1時間55分ということにありがたみを感じる。この面白さなら1ヶ月公演やってもいけたと思う。ドメスティック感満載のこんな芝居こそブロードウェイに行ってほしい。

ついこの前にベテランの劇団が実際に倒産したので、経営危機も他人事ではないだろうけど、ラッパ屋自体は今年で35周年とのこと。これだけ長く続くことが奇跡だと再認識。今回実に素直に楽しめたので、とりあえず40周年を目指してほしい。

serial number「機械と音楽」吉祥寺シアター

<2019年6月15日(土)昼>

ロシア革命期に少年時代を過ごし、革命後に絵の勉強を志望して国立学校に入学を認められ、やがて建築に針路を定めたたイヴァン・レオニドフ。共産主義に基づいた構成主義建築で脚光を浴びるも建築にはなかなかつながらない。やがてレーニンが亡くなりスターリンの時代に入り、構成主義建築自体が国家の主張に沿わなくなっていく中で構成主義建築のデザインを描きつづけていくが・・・。

風琴工房時代から数えておそらく再々演の演目。実務に芸術の要素を多分に含む建築と政治との関係、伝統的な日常の生活と遊離する構成主義の建築、理想と現実、などなど。実在の人物と時代を使って描かれる様々な要素は、骨太という形容がふさわしい脚本。

ただ演出が行き届いていない。役者のレベルにばらつきはあったものの、自分で書いた脚本を再々演で演出してここまで揺れるものなのか。それとも新しい演出を試みて失敗したか。女性陣の対主人公の関係はもう少し機能させてほしい。賛成していた革命で仲の良かった幼馴染を亡くしたことへの想いが未処理なのはあんまりだし、「へらず口同盟」が埋もれて見えたのはもったいないし、妻との関係が妻からの一方通行気味だったのは物足りない。脚本がよかっただけに他の演出家でも観てみたい。

良かったところでは、役者では主人公の友人の田中穂先と先輩教授の浅野雅博、イヴァンのデザインを模したらしく線で配置した球と2階のギャラリーまでつないだ美術、理解を促すのに確実に一役買った映像や字幕。

あと芝居とは関係ないけど、ユニット名は単語頭が大文字なのか小文字なのか、単語の間は空けるのかつなげるのか、どれが正しいのか不明。公式サイトやTwitterを調べても表記がばらついてどれが正解かわからないので、一番表記の多そうな小文字で空ける表記をこのエントリーでは採用した。

2019年6月10日 (月)

KERA・MAP「キネマと恋人」世田谷パブリックシアター

<2019年6月8日(土)夜>

昭和初期。勤め先の工場が倒産して失業し酒とギャンブルと浮気におぼれて暴力を振るう夫を持つ女は勤め先に内職を掛け持ちして家計を支える。そんな女の唯一の趣味は映画鑑賞。東京から遠く離れた離島の町に1件しかない映画館では東京から6ヶ月遅れの映画が上映されるが、それも毎日観に来る。ある日、上演中の時代劇を観ていると、映像の中から登場人物に話しかけられる。やがて映像から飛び出してきて映画館が混乱すると、その隙に登場人物は女を連れて脱走する。折りしも、その時代劇の続編を撮影するために、役者陣がその島にロケに来ている。

初演の感想のずれを探るべく初日観劇。覚えている限りでは脚本はほとんど変わっていない。映像も同じ。日時を特定するような台詞はあったっけというのと、教会の場面で少し足されていたかもしれないのと、ウクレレは屋外でなく屋内で弾いていたかな、くらい。あと戻ってこない登場人物を待つ場面の一部が映像から演技に変わっていたけど、見切れを気にしたか。

主役のハル子を演じる緒川たまきが不幸からの多幸感全開できらきらのキレッキレ。妹役のともさかりえが行動力の高い役で絶好調。飛出す登場人物とそれを演じていた役者で二役の妻夫木聡は登場人物側でもうちょっと派手なほうがいいと思うけど、劇中映画では脇役だし、この芝居はハル子が主役なのでそこを食ってもいけなくて、バランスが難しい。どの役者もいいけど、声で役者を選んだ模様。スタッフだといつもながらプロジェクションマッピングも凄いけど、振付も頑張っていた。それを、複数役とダンサーと場転スタッフを兼ねたメンバーの負荷が相当高そうなのに余裕でこなしていたのに気がついたのは今回の発見。

初演より今回のほうが絶対楽しかったのは間違いない。主役の多幸感がある水準を超えられるかがたぶんこの芝居の鍵で、初演をいまいちと感じたのはそこに不足を感じたのだと思う。不足の原因は、主要メンバーがインフルエンザ明けだったからかな。評論家は初日に近い日程で観るはずなので、だとすれば感想のずれも説明がつく。ラストが今回納得できたのは、初演のときはやっぱりこちらが疲れていたからだ。不景気の話が出てくるところだけ、最近の不穏な世情に近くてつらい。

ただ、いくら楽しくても3時間25分が長い。ないほうがいい場面はないけど、だからこそ長く感じる密度の高さ。前半が終わった時点で1本観終わった感があった。初日のためか関係者大勢で、ロビーでも客席でもどうもどうもの会話の合間に「オレステイアよりは短いですからね」って言葉が聞こえたけど、あれは公式4時間20分なので比較対象が間違っている(ちなみに昼にオレステイアに挑戦しようと思ったけど調べたらこちらの初日変則開演時間に間に合わないので諦めた)。たぶん再々演はないから都合がついたらもう1回観てみようかなという気持ちが少しは芽生えたけど、それをためらわせる密度がある。

映像幕を下手寄りに配置する関係か2階下手は最初から売り止めだった模様だけど、1階前方下手端席にも見切れが見つかって別座席への振替が行なわれているので、前売で買った人は世田谷パブリックシアターの公式サイトで確認を。

2019年6月 9日 (日)

劇団青年座「横濱短篇ホテル」亀戸文化センターカメリアホール

<2019年6月7日(金)夜>

横浜の老舗のホテルの部屋と喫茶店で、40年以上に渡って展開する2人の女性の物語を7本の短編で描く。

気がつくのが遅れたけど2日しか上演していないので慌てて観劇。短編一本ずつでも完結して面白いし、つなげればなお楽しい、絵に描いたような笑って泣いてでさすがマキノノゾミという娯楽作。ただし笑いにまぎれて「いつもあんたの反対を選べばたいてい上手くいったもん」という毒のある台詞も出てくる。

大勢の登場人物が出てくるので色んな役者が観られる点でも劇団向けの一本。主人公の大人を演じた椿真由美と津田真澄は初見かな、はっきり対照的な役を作ってよい感じ。那須凜は「砂塵のニケ」よりも出番は少ないけど今回のほうが絶対よい。

演出はゆったり、というほどでもないけど、ホテルの雰囲気優先という印象。同じ笑いでも、KERAとか平田オリザとか、ここで笑わせるというところを絶対外さないために最初から最後までテンポも間もコントロールする演出をしているのだなと気がつかされた。

松竹製作「六月大歌舞伎 昼の部」歌舞伎座

<2019年6月7日(金)昼>

ダイナミックで賑やかな踊り「寿式三番叟」、名作の場面を女性に置換えて踊りで見せる「女車引」、鶴ヶ岡八幡宮に参詣中の大庭三郎俣野五郎兄弟と梶原平三景時の前にのっぴきならない事情で刀を買取ってほしいと現れた翁と孫娘、刀の目利きをした景時は太鼓判を押すも試し切りをしないと買わないという兄弟、だが重ね切りを試したいも罪人はひとりしかおらず「梶原平三誉石切」、遊女・梅川に惚れあった亀屋忠兵衛は身請けの手付金を払うも後が続かない、そこへ同業の丹波屋八右衛門が梅川を身請けすると割込んできて「恋飛脚大和往来 封印切」。

朝一番からノリのいい鳴物の合せて激しく踊る「寿式三番叟」は、観ているこちらも身体が揺れて踊りたくなる一本で、終わって三番叟は誰だと確認したら幸四郎と松也。幸四郎ってあんなに踊れるのか。それを落着かせる「女車引」。「梶原平三誉石切」は吉右衛門の景時もいいけど、それは翁の歌六と孫娘の米吉の迫力のためでこの2人の出来が素晴らしい。「恋飛脚大和往来」は「近松心中物語」の原作の一本で、仁左衛門のチャラい忠兵衛なんぞにほれるものかというところ、愛之助の八右衛門が低い声で嫌味を言っていいバランス。

4本観てこれだけ当たりだらけの歌舞伎はひょっとしたら初めての経験。歌舞伎勉強にもいい感じなので、安い席でもいいからたまには歌舞伎も如何。

2019年6月 3日 (月)

ジエン社「ボードゲームと種の起源・拡張版」こまばアゴラ劇場

<2019年6月1日(土)夜>

女が頑張りすぎて体調を崩したため東京から地方に引越してきたカップル。男は働かないでボードゲームに熱中していた経験を生かしてボードゲームカフェを開こうとする。この町に住む、東京時代から知合いだったボードゲーム愛好家たちが集まってくれるが、東京の倉庫から送ったはずのボードゲームが届かない。東京で何かあったようだ。ボードゲームがなく開店できない店に、ネットで調べたという女がやってくる。

初見。ボードゲームカフェと東京の話に関わる生活物語と、登場人物同士の実際に話したのか空想の世界なのかわからないダイアローグと、カードを使った独自ゲーム(「人狼系」って言っていた)を活用した信頼と不信に関する世界とが、時系列をごちゃ混ぜにして展開する。なかなか難しい。出だしから平田オリザと野田秀樹が混ざったような同時多発会話(ある組の会話が他の組の台詞に対応する)を、それもひとつの役が複数の組をまたいでこなす場面から始まって面食らう。

先に書いておくと、役者は粒が揃っている。役を把握しつつ、面倒な展開を消化して、きっかけだらけと思われる芝居をそんなそぶりもなしにこなしている。さすがこまばアゴラ劇場に出る劇団には一定の水準がある。あとこの劇場を横に使って、上手下手中央に加えて上までアクティングエリアにして、複雑な展開を場所の違いでサポートしていた(青年団が「東京ノート」で使って以来2回目の形)。お金がないのにたかがお金と言ってしまう思いやりのつもりが無神経でそれでいて一片の真実がなくはない台詞とか、沈黙だけで1分以上持たせたりとか、場面場面に見どころも多い。

ただ、3つの世界とも、相手への信頼と配慮の欠如や、一方通行で伝わらないことへの諦念など、メタな視点での共通点がほとんどで、演じられている内容自体がなかなかシンクロしてくれない。最後に強引につなげる手腕は嫌いではないけどそこまでが長い。85分だったけど情報量が多いので体感時間はもっと長い。あと、東京の出来事は最後までぼかされているけど、これだけ役者間で共通理解がなさそうだった。あるいは、脚本演出に共通理解を見せるつもりがなかったか。それと横長の劇場の使い方が災いして、複数個所での出来事が一望できず視線がさまよう場面もあった。トータルでは、個々の場面や同時多発会話のつなぎ方に気合が入りすぎて、全部を通してみたら流れをつかむのに一苦労する仕上がり、という感想。もう少しばっさりと整理してほしかった。

なお、開場直後から青年団よろしくゼロ場として劇中のボードゲームをやっているので、早めに入場してそれを眺めてルールを把握しておくと本編を見るのが少し楽になるのでお勧め。当日パンフにもルールの記載があるけど、見たほうが早い。

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