2019年3月15日 (金)

小田尚稔の演劇「是でいいのだ」三鷹SCOOL

<2019年3月9日(土)夜>

東日本大震災が起きた日の新宿駅近く。就職活動をしていた女子学生は面接が中止になった挙句に電車が止まって家まで歩いてかえる羽目になる。喫茶店で離婚届の書類を書いていた女性は埼玉に帰れずに公園で休んでいたところを、寝過ごして地震に気がつかず中野からやってきた学生に声を掛けられてカラオケボックスで休む。スマートフォンの調子が悪い会社員は仕事で六本木に来ている最中に地震に遭う。新宿の本屋で働く女性は入社2年目にして仕事に疑問を抱く。その日の話と、だいぶ経ってからの日の話。

1年前に観た前回から、脚本はおそらく同じで、一部キャスティングが代わり、その分良くも悪くも違う雰囲気に仕上がっていた。役者のレベルは今回のほうが上で、笑える場面も増えていた。ただし声も態度も強い感じの役者が増えて、小さい人間の弱いところを絶妙のバランスで描く感じはなくなっていた。観る人によるだろうけど、個人的には前回のほうが好み。こういうことがあるから演劇は難しい。

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青年団「思い出せない夢のいくつか」こまばアゴラ劇場(若干ネタばれあり)

<2019年3月6日(水)夜>

歌手とマネージャーと付人が、営業先に移動するために夜中の電車に乗っている。煙草を吸いに行った別の車両では、妙な乗客に話しかけられて辟易とする。車中のこととてたいしたことができるわけでもなく、取りとめもなく交わされる会話の数々。

あれと言えばこれと返せるくらい話が合う付合いの長い歌手とマネージャー。別の人間と結婚数ヶ月で破綻した歌手はマネージャーにひそかに好意を寄せているが、独身のマネージャーは歌手がいないときに「夫婦が似るって本当ですか」と聞く若い付人に懸想する。それを察していながら知らん振りして若い付人を遠くへやれないか考える歌手。三角関係の事情がわかるにつれて、何気ない会話が手に汗握る牽制に見えてくるのが見所。別の車両の乗客に銀河鉄道の夜の登場人物を引いて先行きの不安を醸しだしながら、見方のわからない星座盤でこれからの混乱を暗示する手際。

静かな演劇に見えて内面は全然穏やかではない脚本は、これが新作ならさすがベテランと書くところ、初演は1994年2月で25年前。その次が「東京ノート」という初期絶好調時代の1本。なおタイトルは俵万智の短歌から無意識に引用した(気がついて後日許可をもらった)と当日パンフの弁。

ポーカーフェイスのマネージャーを演じた大竹直、付人で歌もいい藤松祥子も好演だったけど、歌手を演じて久しぶりに出番の多かった兵藤久美がいわく言いがたいけど実に良い感じ。

今回の「平田オリザ展」は観たことのない芝居ばかり3本観たけど、どれも夫婦とは何ぞや、という芝居ばかりだったのは偶然か狙ったのか単に少人数芝居を選んだらそうなったのか。あとこの大量の芝居を交代で上演するために美術は共通化して簡単に入替えられるようにしているなと思っていたけど、今回の1本はいきなりごつい美術になっていて、壁や線路をどんなパーツで構成していたのかが気になる。あの狭い劇場でそんなに簡単に入替えられるのか。

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青年団「隣にいても一人」こまばアゴラ劇場(若干ネタばれあり)

<2019年3月6日(水)夕>

ある朝、目が覚めたら、なぜかわからないけど夫婦だという認識を2人とも持って同じアパートにいた男女。双方の兄と姉が夫婦なので以前から知りあいではあったが、昨日の晩はそれぞれ自宅にいたのに、なぜこうなったのかわからない。とりあえず兄と姉に相談してみるが、どちらにも言い分が伝わらなかったり誤解されたりする。

Aチーム。夫婦だという認識をもっている2人は日常の些細なところから食い違うのに、離婚したばかりの兄姉夫婦のほうが話が合うという対比。発端となる設定こそ突拍子もないけど、それ以外は青年団らしいウェルメイド(で言葉あっているかな)な会話劇。客席から和やかな笑いの絶えない芝居。夫婦はどうやって夫婦になるのか、を描いた小さな傑作。

一度手に取ったパンを皿に戻す戻さないという流儀ひとつでまだ互いに慣れていない状況や同じ環境で育った兄弟であることを表したり、実は兄姉夫婦が離婚していたことが少しずつわかったり、最後の場面で歯磨きとパジャマで今後を想像させつつやり方は違っても噛み合っているところを見せたり、それらを不自然に思わせないように別の展開に混ぜて紹介しておいたりする構成も見事。厳選された情報を適切な順番とタイミングで出す展開は、芝居はこうやって作るんだというお手本のようだった。

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パルコ製作「世界は一人」東京芸術劇場プレイハウス

<2019年3月2日(土)夜>

小中学校の同級生だった男女3人。ろくでもない経験をしながら大人になり、そのうち2人は結婚して子供をもうける。その子供が振返る両親の子供時代は幸福だったのか。

今回は筋を細部まで追えた自信がない。誤解混じりで書くと、子供のころの本当にささいな出来事と、子供にはどうにもできない周りの環境とが巡り巡って子供に伝わっていく話。観劇後の印象はチラシのイメージそのまま。暗い話題を扱いつつ笑い飛ばすハイバイの演出と違って、笑いを挟みつつも暗くて何が悪いと開き直ったような演出。むしろ大人計画っぽい。低音多めで不吉な音楽が多くて、そこに松尾スズキと瑛太が低めの声でなお一層暗くなる舞台を、松たか子の声で支える形になっている。この舞台の半分くらいが松たか子の声の不思議な明るさで成立している。

ただ、暗いのは構わないけど、全体にスピード感に欠けた。ハイバイがいつも難しいことをやっているように感じた秘密の一端は、とにかく速いのに速さを感じさせないところにあったと気付いたのは収穫。

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2019年2月23日 (土)

青年団「走りながら眠れ」こまばアゴラ劇場(ネタばれあり)

<2019年2月22日(金)昼>

アナキストとして名を上げていた大杉栄と、婦人解放運動や奔放な恋愛で有名だった伊藤野枝。四男を出産する直前から関東大震災直前までの数ヶ月に、その活動からはあまり想像できない、自宅で交わされる繊細な会話の数々。

夫婦のじゃれあう場面のそこはかとないエロに初期っぽさを感じると思ったら、初演が1992年という超初期の作品。日常の夫婦の会話がただただ続く2人芝居だけど、死にまつわる話や憲兵の尾行の様子などは、間もなく憲兵に殺される史実を知っている現代の観客向けのダミーというか背景を補強する話。それらの間に、少年時代に犬や猫を殺して、長じてアナキストにまでなった男が、子供の将来を気にするいい父親に「堕落」していく様子を、翻訳中のファーブル昆虫記のオサムシの話(メスがオスを共食いする)で代弁させて、当時すでに完成された脚本の腕前を見せてくれる。

青年団歴の長い能島瑞穂と古屋隆太による会話は、実在の人物を題材に取っていることもあってか、台詞以上の密度や年月を感じさせる。あとこの2人は声が聞いていて気持ちいい。今が観ごろの完成形で、たぶん台詞を2回トチっていたけどそれも台詞かもと思わせる安定感。いかにも青年団という芝居で、日程を曲げて観ておいてよかったと満足感で一杯の1本。

<2019年3月3日(日)追記>

感想を書いた後で思いついたけど、これ、結婚して子供が出来たら演劇を止めていく演劇人への当てつけで書いたんじゃないのか。

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2019年2月12日 (火)

松竹製作「二月大歌舞伎 夜の部」歌舞伎座

<2019年2月11日(月)夜>

息子の初陣を案じてあえて陣中に駆けつけ主人に様子を尋ねる妻だがそこには敵方の武将の母も現れて仇討ちを狙う「熊谷陣屋」、親の仇を討つために踊りを披露する名目で屋敷に入った兄弟が踊る「當年祝春駒」、派手好みで旦那もいれば情夫もいる芸者に入れ込んで貢いだ行商人だが袖にされ「名月八幡祭」。

幕見席の通しで観劇。熊谷陣屋は、チラシのあら筋は読んで臨んだけど、まったく不覚なことにしゃべっている台詞の1割も言葉として理解できなくて、あら筋の内容すら観て取れなかった。芝居観すぎて疲れていたのは確かだけど、あまりのわからなさにひょっとして病気かと自分でも驚いた。有名な古典だから筋も台詞も知っている人は多いだろうけど、純粋に日本語として聞き取れている人はどのくらいいたのか。

代わりに楽しんだのが名月八幡祭。わかりやすい筋立てに、歌舞伎には珍しく照明と効果音を使ったクライマックス。堅気の新助を演じる松緑の明晰な台詞と最後の笑い声、それをかばう歌六の大人振り、芸者の美代吉を演じる玉三郎の色っぽさ(相手に気を持たせるうちわの使い方が素晴らしい)、そして情夫という名のヒモ男が最高に似合う仁左衛門。見どころが多い。新歌舞伎っていいものだ。

當年祝春駒、難しいことを考えずに単に音と動きのきれいなことを追えばそれでもよいのかと思えたら、楽しめた。

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渡辺源四郎商店シェアハウス「過ぎたるは、なお」こまばアゴラ劇場(ネタばれあり)

<2019年2月11日(月)朝>

青森県の、とある施設。かつて2人の息子を育てた母が入居している。入居している人たちは、仲よく過ごす人もあり、部屋で引きこもる人たちもあり。そこに新しい入居者がやってくる。

実にあらすじの書きにくい話だけど、重い話を別の話で包んで、1時間半ないと思えない密度。さすが長年やっているだけのことはある仕上がり。

実は早くになくなった母の代わりに導入されたロボットで、プルトニウムを燃料に半永久的に動くはずだったのに、エネルギーに欠陥が見つかり処分されるところを施設に入り、という背景はそのまま原発事故の敷衍。それを、少しずつひっかかる情報を提示しながら引張り込む。そこに、他のロボットが待つ恋人の話とか、育てた息子達が思惑をもって面会にやってきてからのいきさつを混ぜて、人間とロボットの「人間らしさ」の話に一気に振る幅の広さ。さらに、災害の話とか、ロボットの扱われ方の話とか、ガリガリ君の歴史(笑)とか、情報をちら見せして世界の奥行きを広げる手腕。青森は処理場があるだけにより実感のある話題だろうけど、重い話への重い抗議も間接的に示して芝居らしさも失わないバランス感覚は、さすが長年やっているだけのことはある。

終演後の話だと、畑澤聖悟と工藤千夏が交互に書いて、相手が書いた部分も勝手に書き直して、という手法で書かれたとのこと。どこがどちらの書いたものなのか気になる。役者はひとりくらい青年団出身の人が混ざっていると思ったけど、全員地元の人らしい。大千秋楽だったとはいえ至近距離に耐える演技。凝っているようでいてシンプルな舞台を飽きさせずに使って、まったく文句なし。もっと早くから観ておけばよかった。

遠征の都合で連休のときにしか上演できないとはいえ、東京では追加含めて4日間6ステージしか上演しないのだから、贅沢な話。ただし次回はGWを使ってスズナリで6日間8ステージ。

<2019年2月13日(水)>

感想を清書。

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タカハ劇団「僕らの力で世界があと何回救えたか」下北沢小劇場B1(若干ネタばれあり)

<2019年2月10日(日)夜>

かつて漁業が主要産業だった海辺の町。誘致合戦に勝抜いて建設された素粒子研究所が稼働を始めるのを記念して、科学イベントが開催される。そこにトークイベントの参加兼この町を舞台にした小説の執筆を依頼されたでライトノベル作家がやってくる。取材先の学校では、科学らしい企画を頼まれた無線部OBやその先輩OGたちが企画に頭を悩ませていた。そこで何気なく電源を入れた無線に、ラジオのジングルが聞こえてくる。かつて無線部のメンバーが自主的に流していたもので、それを知っている人間は当時の無線部のメンバー以外にはありえない。そこで話は、唯一この場にいない、かつてのメンバーについての話となる。

劇団初見。いないメンバーは実は事故で亡くなっているはずで、それを防げなかった責任の一端は自分にあると苦にしている無線OBが市長の息子で、他のOBが働き始めたり大学院に通ったりしているなか、いろいろ学校に通っても中退して上手くいかない、というのがメインの話。この背景に、漁業が廃れた町の存亡をかけて誘致にこぎつけた市長と、素粒子研究所は危険だから今でも反対する人間がいる、という設定は原発そのもの。事実と異なる記憶を不特定多数の人が共有している「マンデラエフェクト」という現象を振っておいて、後半、亡くなっているはずのメンバーの声が聞こえるのは素粒子研究所の施設稼動に伴って、あったかもしれない複数の並行世界が混線しているからだ、という話がSFというかライトノベルっぽい。ここに、東日本大震災がなかったという登場人物も出してくるあたりが、10年経たずに何事もないように過ごそうとする日本社会への作者の主張だとは思う。

それはそれとして、東日本大震災のような単語をチラ見せするのではなくダイレクトに出してしまうとか(その後の鼻血が止まらない登場人物というのは東日本大震災を想定させる出来事の中でも悪手)、無線部OBとその先輩のOGの過去や現在の情報がほとんどないとか(市長からOGに協力を強要させる情報がそのとき初公開とか)、脚本の情報の出し方がまずかったのがひとつ。

あと、いない(亡くなった)メンバーへの思いの精算に話が集約されてしまっていたけど、それが弱くて終わってしまったのがもうひとつ。何と言うか、話の大きな筋は足し算ではなく掛け算で働くので、弱い小さい筋を掛けるととたんに全体が小さくなってしまうから注意が必要。かつ、原発や東日本大震災は(この芝居の通り)なかったことにしたい意識が働くテーマなので、よほどしっかりした筋をあの手この手で掛け算しないと成立しないのだけど、そこまで手が回っていなかった。

薄味だった仕上がりが、ライトノベル作家を登場させて、ライトノベルっぽい設定で、仕上がりもライトノベルっぽく、というところまで狙ったのかどうかは不明。ただ、昼に観た「るつぼ」が超重量級で、次の日に観た「過ぎたるは、なお」がまさに原子力の話題を扱いながら笑いも含めていろいろな設定を混ぜて気をそらさなかったのに比べると、不満。まして、原発(を想定させる設定)や東日本大震災を扱ってこの仕上がりか、と残念な気持ち。

役者は健闘。ただ、背景もその背景を想像させる台詞も多かった市長の松永玲子と、ライトノベル作家のもたい陽子を除くと、健闘にも限度がある。

この回はアフタートークがあって、脚本演出の高羽彩とゲストはミナモザの瀬戸山美咲。これはよほど原発寄りの話になるかと想像したらそこは避けたのか、脚本成立の話。いろいろあったけどメモが遅れたら大半を失念した。無線については相当勉強や取材をしたらしい。最後のQ&Aで、劇中の無線のコールサインはどのように決めたのかという質問に、コールサインは前半が地域を後半が個人を表す、地域は自分の出身地として静岡県という設定にした、個人は無線部の4人が同じ時期に試験を受けて合格したと想定して末尾1番違いで割振った、他に団体用のコールサインもあるがそれも団体用になるようにした、実在のコールサインと重ならないように気をつけた、これらには早稲田大学の無線部に取材してお世話になった、とのこと。

<2019年2月23日(土)追記>

感想を清書。

<2019年3月6日(水)追記>

国際リニアコライダー(ILC)の東北誘致」なんてことを実際にやっているのですね。それならなおのこと、原発と結びつけた話にするのはよくない。この施設が危険だと批判するならこれ単体の危険性を批判してほしい。

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新国立劇場演劇研修所「るつぼ」@新国立劇場小劇場

<2019年2月10日(日)昼>

1962年、アメリカの片田舎であるセイラム。娘や姪たちが夜の森で踊っているのを牧師が見つけたところ、娘が寝込む。姪がかつての勤め先の主人と不倫していたが振られて解雇されたのを恨んで、近所の少女たちを集めてその妻を呪い殺すための儀式を行なっていたのだが、驚いて寝込んだままの娘のことを魔女だという噂が広がる。姪はそれを隠すために、悪魔に取りつかれたと嘘の告白を行なうが、それを信じた村人たちの誤解を逆手にとって、何でもない村人たちを次々と魔女扱いで告発していく。

ロビーや当日チラシに書かれていたけど、魔女裁判の実話を扱った超重量級の脚本。「面白い脚本を面白く演じるのは難しい」のが舞台だけど、これを鑑賞に耐える水準を超えて脚本に対抗しうるところまで仕上げた力作。

立場も心情もばらばらな登場人物が絡んだりすれ違ったりするのを描くのは、場面ごとの役者の方針を合せつつ、最後まで役の方針も筋を通さないといけないけど、観た感じでは全員成立していた。全員は挙げないけど夫妻、2人の牧師、姪、家政婦などを演じた12期生や、夫妻の友人や副総督を演じたヘルプの修了生など、活躍している役者が多い。1幕最後の嘘の告白をする絶妙のタイミングや、2幕で引いた伏線をきっちり見せる3幕の裁判所の場面など、観ていて惹きつけられる。あと今回の上演は、場面転換時に賛美歌は歌っていたけど、効果音はあってもほとんどBGMはなかった。つまり演技で何とかしないといけないけど、それであそこまで仕上がったのは技量とエネルギーと両方あってのこと。

演出の宮田慶子が当日パンフに、この難しい脚本にするか迷ったけど一度は体験しておいてほしいから選んだと書いていた。でも、この脚本でもこのメンバーならいけるかもと思わせる何かがあったからこそ選んだのだと思う。舞台こそ簡素だけど衣装照明音響などスタッフ面の心配はなかったのも後押ししたかもしれない。そしてその賭けには勝った。長丁場のシリアスな芝居だったけど、タイムリーな要素を数多く含んでいたこともあって楽しめた。

願わくはこの修了生たちがより多くの機会をつかみ取れますように。

<2019年2月19日(火)追記>

感想を清書。

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劇団東京乾電池「授業」アトリエ乾電池

<2019年2月9日(土)夜>

博士号を取るために教授の自宅に個人授業を受けにきた女性。知性高いと思っていた女性に授業を始めたら、頓珍漢な答えが返ってくる。それを受けて教授は奮闘していくが。

不条理劇と言われているけど、笑えるところは笑いをふんだんにちりばめて、こうありたいと思わせる演出。腕章をつけるところまで見せたのは演出なのか脚本なのか、そこまでやるなら後からの自戒を込めた風刺劇なことは明確だけど、不条理劇のくくりに入ってしまうのか。

狭い空間いっぱいに満ち溢れる、映像で観たことがなければ怪優と評したくなる柄本明の怪演ぶり。でもこの怪しさが本職だろうと思わせる。所々にメタなアドリブも入って、あちこちで「学芸会でいい」と言っていたのがどういうものか、少しだけわかった。いい年だろうにあのテンション、と思ったら最後に息切れしたのはご愛嬌。

終演後のあいさつでも言っていたから知っていると思うけど、1時間強の芝居でも腰が痛くなった。座席のクッションはぜひ考えてほしい。あと下北沢で駅の工事が行なわれて、アトリエまでの地図画像が役に立たなかった。踏切がなくなったから、本多劇場側から元踏切を超えて一直線が親切かと。

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