青年団「東京ノート」吉祥寺シアター
<2020年2月21日(金)夜>
近未来。ヨーロッパで戦争が起きて、大量の美術品が日本に「疎開」されている。その疎開先のひとつである小ぶりな美術館には、有名な絵画が多数運び込まれ、その展覧会が開催されている。展覧会ついでに集まる親族、絵の寄贈先を探しに来た女性たちを案内する学芸員、展覧会見学で偶然出会った男女などが、一休みしたり積もる話をしたりする美術館ロビーでの一幕。
インターナショナルバージョンも観に行きたかったけどスケジュール調整にしくじって日本版のみ。以前こまばアゴラ劇場で上演されたときは背景の戦争がもっと前面に出ていたように記憶しているけど、今回はもっと人間関係に重点が置かれている気がした。人間関係、より、登場人物各人の寂しさ、と書いたほうが近い。戦争の可能性が身近になった世相を慮って演出が調整したか、観ているこちらの単なる思い出補正か。
仕上がりの評価は難しい。いつもはもっとギリギリと演技やタイミングを詰めているところ、今回は言葉にはしづらい細かい点がところどころギクシャクして、すんなり流れに乗れない。狙いがあってわざとなのか、単なる二日落ち(3日目だけど)か、インターナショナルバージョンその他の事情で稽古が足りなかったか。いつもだと同時会話の場面も意識すればその会話が聞こえるけど、今回は声が低くて聞こえない会話が何箇所かあったので、二日落ちだと推測。そんなにひどいわけではないけど、絶妙なバランスが売りの青年団だと目立つ。元家庭教師と教え子の場面はもう少し攻められたはず。
そんな中で登場人物の特徴を全開させて眼をひいたのが長女役の松田弘子。良い演技に惹かれた面もあるけど、どちらかというと自分がその役が気になる年齢になってきたのが眼をひいた理由か。重い空気になりがちな役が多いところにアクセントをつける学芸員の兵藤公美も好印象。
前回観たときに唐突過ぎて意味不明だった、別の学芸員が弁護士に突然絡む場面と「うちの館長はいい絵を手に入れるためなら金に糸目はつけないからね」という台詞。あれは、どちらも(早とちりはあっても)嘘をついていないのであれば、その美術館に昔からなじみがあった別の登場人物が1枚噛んでいるという裏設定かも、と今回思った。
翌日から3連休の夜公演のせいか、昨今の新型肺炎騒動のせいか、客入りがいまいちで左右2列ずつ当日パンフを含む配布物を置かずに空けている状態。これだけ当日券が余裕ならもう一度観たいけど、都合がついても控えがちになる昨今。あの劇場の広さと客席の規模で2時間以内なら大丈夫だろうと踏んでの見物だったけど、感想を書いている今も少し緊張している。なおこれで金曜日の夜かというくらい電車も空いていたのは、連休前なのか人口減なのか働き方改革なのか新型肺炎で旅行客が減ったのか新型肺炎で在宅勤務が流行っているのか、どれなのか。
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