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2020年3月 9日 (月)

新型コロナウィルス騒動で改めて演劇の公共性に関する平田オリザのコメント

3月5日付で「社会における芸術の役割について」発表されています。長いですが、読みにくいということはありませんので読んだことがない人はご一読を。4パートのうち、3番目だけを引用します。

3.それでも必要なのか(芸術の公共性)

以上の1,2をふまえて、舞台芸術については、「でも、いま、やらなくてもいいんじゃないの?」というご意見は当然あるでしょう。
ここからは芸術(スポーツも同様ですが)の公共性の問題になります。

著作権がご専門の福井健策弁護士は「感染症とイベント中止の法的対処~払い戻し、解除、入場制限~」というコラムの中で、最後に以下のようにお書きになっています。

 国が指針で述べた「イベントの必要性」は、含蓄のある言葉だ。実際、我々はこの事態でイベントや、より広く人々が集まるという営みの、社会にとっての意味を問われているのかもしれない。無論、十分に省略可能・延期可能な集まりもあろう。だが文化・教育に限らず多くのイベント・会合は、互いに組み合わさることで社会にとって決定的な安全保障を提供し、また人々に生きる力を与える存在だ。

https://www.kottolaw.com/column/200227.html

 演劇は興業の部分を含みますので、ここでも受け止め方に混乱があることは仕方ないのですが、私たちアーティストサイドは、芸術を教育や医療、あるいはスポーツ(身体を動かすこと)と同等の公共性があると信じています。もちろん、そうは思っていない方もいらっしゃることも理解しています。

 たとえば、いま全国で休校措置がとられていますが、様々な工夫で休校にしなかったり、学童保育を延長している自治体も多くあります。午前中から開いている学習塾もあります。そこには子どもたちが集まってきますが、それを、多くの人は「身勝手」とは呼びません。教育の高い公共性をみなが認めているからです。
 繰り返しになりますが、「教育と芸術を同等に扱うな」というご意見があることは重々承知しています。しかし、同等に扱うという見方もあるのだというレベルではご理解をいただきたいと思います。
教育の公共性も医療の公共性も普遍的に認められてきたわけではありません。日本での公教育の歴史は150年、国民皆保険制度が完成して60年程度です。公共性の認知は時代とともに、あるいは国によって変化します。

 週に二、三度の散歩が健康維持に必要なように、週に一度程度、芸術に触れることは、人生にとって、とても大事なことだと私は思います。もちろん、「散歩なんかしなくても俺は健康だ」という人がいるのと同様に、「芸術なんて必要ない。好きな奴だけやっていればいい」という人もいらっしゃるでしょう。

 こういった議論は、阪神淡路大震災から東日本大震災に至る過程で、アートマネジメントの世界でも多く議論されてきました。いや、こういった大災害が起こるたびに、「芸術の社会における役割、公共性」は議論を深めてきたと言ってもいいでしょう。
 大災害が起こった場合、初期の救助から、避難所設置、炊き出しなどの衣食住の確保がおわったあとに、心身のケアが必要とされていることは広く認識されてきました。そこでは、多くの音楽家や美術家、演劇人が大きな役割を果たしてきました。
 阪神淡路大震災では「歌舞音曲どころではない」と慰問を断る避難所もあったようですが、東日本大震災ではそのような情景はほとんどありませんでした。芸術の果たす役割が、少しずつ認知されてきたのだと思います。私たちアーティストの側も、災害時に、避難所などで、どんな貢献ができるかという知見を深めてきました。
 今回はパンデミックという、特にパフォーミングアーツ系に影響の大きい、想定していなかった事態が到来しました。事態が収束したら、今回の件に関して、また深い議論が必要となるでしょう。

 実は演劇界では、ここ数年、出演者のインフルエンザの発症と、それに伴う公演中止が相次ぎ、制作者間では問題となっていました。物理的に上演ができない場合は仕方ないのですが、感染予防にどこまで責任を負わなければならないのか議論になっていたのです。
 舞台芸術に関わる者として、今回の事態を深く心にとめ、また学術の世界などとも連携をして、今後の方策を練っていく必要があるかと思います。

いつも通りといえばいつも通りの平田オリザ節ですが、こういう状況ではひとしお身にしみます。今の(主に小劇場方面の)精神的支柱が野田秀樹なら、理論武装は平田オリザです。

前回のエントリーで「ただ、芝居に限らず芸術関係者全般ですが、普段から芸術に対する扱いとして特別なポジションを得ている、得ようと努力しているようにも関わらず、中止に対する補償までも声高に訴えるのは、外野からはいささかバランスが悪く見えます。飲食店が来客減で補償してほしいと同じことを訴えているのより、聞き苦しく聞こえるのが、我ながら不思議です。」と酷な発言をしてしまいましたが、平田オリザのコメントを読んで何となくわかりました。

飲食店が補償してほしいと訴えるとき、そこには飲食店に限らず他の同規模の商売全体みんなが同じ目にあって苦しい、という視点が、おそらくある。これが芸術関係者の場合、自分たちの業界に閉じた視点であるように見える。それも芸術という大きな業種ではなく、演劇とか美術とか音楽とか、細かい業種に。少しずつ集約されて大きい視点になりつつあるようですが。表現を生業にする職業の人たちであっても、自分の日常を訴えるときは生の表現になってしまうというのは、今さらながら発見でした。平田オリザはその点さすが、慣れています。ウィルスの話は1番目2番目に書かれていますが、省略します。

肝心の新型コロナウィルスですが、インフルエンザより重症化する率が高そうであり、効果がありそうな薬の報告はあってもそれが確実に効くかは不透明で、陽性かどうかを調べる検診の精度もそこまで高くない、というのはしょうがないです。ただ、クラスター感染の理由がわかりません。飛沫感染や接触感染するから狭い空間で飲食したり運動したりすると感染率が上がるのはわかるとして、それならもう少し悪化する人が多くでてきそうなものなのに、です。もちろん、日本は街がおおむね清潔で、上水道が整備されていて、手洗いやマスク(感染するほうでなく感染させるほうを抑止)に抵抗がないという条件はあるにしても、そこの見通しがつくと、もう少し安心感が出て、活動しやすいのですけど。

世界の話だと、中国の数字の伸びが止まって報告が眉唾っぽいのですが、今の注目はイタリアで、中国ほどの数字ではないにしてもすごい勢いで死亡者数が増えていて、今のところ366人死亡とのこと。直接は新型コロナウィルスのせいなのですが、ここ数年医療費削減で病院が閉鎖していたため医療機関がパンクしつつあるという記事もありました。医療機関がパンクするとコロナウィルスの重症化した人だけでなく、一般の病人もあおりを受けるので、そうならないように必死に抑えるために各種自粛を「要請」しているのが今の日本の対応に見えます。

その対応はわかるにしても、いつまで続けるんだ、というのが気になるところです。当面の目安は花見越え、3月は我慢して4月から少しずつかと個人的には考えているのですが、芝居の作り手達も観客も、そこまで乗越えられるのか、昨今の騒動を見ていると危うい印象を受けます。赤旗の記事ですが、少なくとも助成事業の分は文化庁も支援体制であるようです。

文化庁の今里譲次長は、「助成事業が中止された場合でも、既にかかった経費は助成金を払う。来年度に延期された場合でも、助成金を支払えるよう、繰り越し手続きを行う」と述べました。

半年前にはあいちトリエンナーレで交付金停止なんてやっていたのに、ずいぶん物分りがいいじゃないですか。でも急場に際して皮肉は腹の足しにもならないので、ここではそれ以上は言いません。どんな手続が必要かはわかりませんが、まずは関係者は手続きして、生きのびられる人から生きのびてください。ここは皮肉抜きで、命あってのものだねです。

書き終わって見直した直後に、株価と為替がえらいこっちゃ、という記事を読みました。個人事業主ほどダイレクトとは言いませんが、こちらも仕事の影響をくらう見込みです。

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