2020年5月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

« 新型コロナウィルスに際して芸術監督からのメッセージ | トップページ | 芝居上演の対策が全部だめになるかもしれない新型コロナウィルスの新たにわかった特徴 »

2020年4月12日 (日)

芸術に絶対的な価値を認めすぎて一般人の気持ちから遠ざかってしまった芸術関係者という仮説

新型コロナウィルス騒動でいろいろな公演が中止になり、それにあわせて掲載される主宰者や芸術監督のメッセージをいくつか読んできました。すんなり読めるものもあれば反感を覚えるものもあって、途中からは何が違うのかを気にするようになりました。その仮説がタイトルになります。

そもそも騒動の初期は、公演中止で仕事がなくなった役者や、すでに費やし多分が無駄になる制作者が、自粛とはひどい、止めさせるなら正式要請にして代わりに補償を払うべき、と主張するのが主流でした。表現を生業とする人たちがなんと直截な表現で金銭を要求するのか、と最初は思いましたが、その後でさらに読んでいると、事務所が自転車操業なのではなく個人でも自転車操業で余裕がない人が、まずまずの有名人も含めて多数なのだとわかりました。表現が直裁なのは表現を工夫する余裕もなかったのだと気がついたので、そこは私が世間知らずでした。

ただ、自粛に留まっている理由は法律が許していない面もあるそうです。戦争中のあれこれを体験した人たちが二度とごめんだと法律を制定したのかと最初は思ったのですが、感染症については過去に「癩予防法」で失敗した経験から、人権の制限が最小限になるように法律が作られているそうです。廃止になったのが平成8年(1996年)なので、過去と言うには近すぎますが。

芝居関係者のコメントを目に付く範囲で読んだ感想は、公演を中止するから補償してくれ、でした。それはわかった。でも、そもそも芸術を初めとする文化は人生に必要なものであり、公演ができないこと自体に納得がいっていない文章も一定の割合で見かけました。3月の半ばまでなら、まだそれもわからないのではないですが、それ以降も納得していない文章を見かけます。前回のエントリーに取上げたウォーリー木下のメッセージを引用します。

また、この感染拡大期の中、緊急時における芸術文化への世間の目や関心(もしくは不寛容)はより可視化され、そもそもこの国において、なぜ芸術が必要なのか、という問いかけは今後ますます重要になっていくと痛切に感じました。

4月3日付のメッセージなので緊急事態宣言が出ると言われる前ですし(4月6日にニュースになって4月7日に発表になった)、引用より前段では安全を考慮するという話もあるのですが、このタイミングでなお「緊急時における芸術文化への世間の目や関心」を挙げるのは、いくらなんでも鈍いというのが最初の感想です。3月最後の週末の東京の自粛要請、その後の宮藤官九郎の陽性発表などを考えれば、もう業界側が頑張る時期は終わっていたのに。

それより早い段階で中止するよう圧力や嫌がらせを受けたための反発かと考えましたが、違う仮説を思いつきました。感染症拡大防止と上演を比較したときに、一部の人たちは、本当の本気で上演のほうが優先度が高いと考えているという仮設です。どういう人たちかというと、芸術のルールを絶対倫理として身につけてしまった芸術関係者たち。

「状況倫理」と「絶対倫理」については以前エントリーを書きました。日本人は状況倫理で動く人のほうが、昔と比べると減ったと思いますが、まだ多いです。今回の新型ウィルス騒動も、たぶん3月上旬までは上演優先の態度でもよかった。それが3月末になったら、状況倫理で動く人たちの大多数の認識が、さすがに感染症拡大防止を優先しないといけないだろうという状況に更新された。なので、絶対倫理で動く人、その中でも芸術絶対で動く人の立場からは、不寛容に見えているのではないか。合っているかはわかりませんが、そう考えると少し納得がいきます。

だれか信用のある芝居関係者が、この渦中のうちにアンケートを集めてほしいです。今回の新型コロナウィルス騒動について芝居関係者に「この状況でも上演は行なわれるべきか」を、そして「はいと回答した人は、どのような状況になったら上演を中止してもやむなしと考えるか」「いいえと回答した人は、いつからそのように考えるようになったか」をアンケートできれば、現状の新型コロナウィルスに対する認識のずれとは関係なく、どんなときでも上演すべきという回答が一定数集まるはずです。

でも、絶対倫理は芸術分野だけとは限りません。今回のもう一方の主役である医療分野も、それが西洋医学であるならなおのこと、医学や生物学や数学といった科学の絶対倫理に従う人たちです。ちょうど西浦教授の記事が出ていますが、「人との接触を8割減らすことが流行を収めるために必要」というのも根拠あっての計算ですし、いいか悪いかは別として「私も含めて、専門家はほぼみんな無報酬でこの仕事をしています。謝金を受け取れるのかもしれませんが、専門家として政府や国からの独立性を保つ意味もあります」とあるのは、自分の専門分野の絶対倫理に従うという意味です。

今回、欧米がものすごい勢いで外出禁止やロックダウンを行ないました。あれが民主主義を言っていた国のやることかよ、と眺めていましたが、たぶん欧米諸国にとっては民主主義は絶対ではない仮の体制です。ではなにが本当の体制かというと、キリスト教です。ローマ教皇が信者を看取るようにといって、神父が出回って新型コロナウィルスに感染したり広めたりして、看取らなくても大丈夫と宣言しなおす騒動がありました。あれが一般体制です。芸術の才能のことを、神からの贈り物ととらえて「Gift」と英語で呼びますが、欧米諸国のキリスト教社会で育った人にとっては至高とは神のことで、おそらく芸術も科学もその下に並列で並びます。だから芸術にも科学にも譲る余地があるのでしょう。

ちなみに外出禁止例として、ニューヨーク州の例を見つけたので取上げます。私も知りませんでしたが、スーパーやガソリンスタンドなど社会インフラと見なされる事業が「エッセンシャル」と呼ばれて決まっているそうです。芝居関係はエッセンシャルには含まれていません。

・3月7日に非常事態宣言
・3月16日から外食の店内営業禁止
・3月17日からショッピングセンターや遊園地などが営業禁止
・3月18日から非エッセンシャル業務の従事する従業員の50%は自宅勤務を義務化
・3月19日には非エッセンシャル業務の従事する従業員の75%は自宅勤務を義務化
・3月20日には非エッセンシャル業務の従事する従業員は全員自宅勤務を義務化(実質的な外出禁止令)
・3月22日午後8時から外出禁止令

芝居に関係しそうな記述として以下を引用しておきます。

 しかし人口密度が高く世界中から人が流入するニューヨーク市に新型ウイルスは瞬く間に広がり、1週間後にはニューヨーク州は非常事態を宣言、その頃にはハンドサニタイザー、ペーパータオル、トイレットペーパー、除菌クリーナーがオンラインや小売店から姿を消し始め、パニックが始まった。ブロードウェイ、マジソンスクエアガーデン、リンカーンセンターなど数千から数万人を収容する施設では、チケットを購入した人々が自発的にキャンセルして空席が目立ち始めた。この段階で総感染者数は400人未満だった。

野田秀樹がメッセージを出したのが日本時間3月1日付ですが、野田地図の「One Green Bottle」でニューヨーク公演を行なっていたのが、2月29日から3月8日です。その後特に話は出ていないので、無事に帰国して感染もしなかったのでしょう。でも「劇場閉鎖の悪しき前例をつくってはなりません」という宣言を出した直後から、公演しながら悪くなっていくニューヨークを経験していたことになります。公演があと2週間後ろにずれていたら、野田秀樹自身が劇場閉鎖による公演中止を体験していたところです。このメッセージを受けたからというわけでもないでしょうが、東京芸術劇場は劇場閉鎖を目一杯引伸ばして頑張っていた劇場のひとつでした。私は、主要な劇場が閉鎖になった(本多劇場グループ商業演劇劇場国公立劇場)状況に際して、野田秀樹はもう一度前回のメッセージを見直しつつ関係者を励ますようなメッセージを出すべきだと思います。酷な要求ですが、前回のメッセージが評判になって叩かれたりもしたればこそ、です。

八百万の神がいても身近すぎて一番でない社会で、何らかの価値観を絶対倫理として身につけたら、それが至高の価値になってしまうので、譲る余地がありません。譲る余地がなくなってしまったところまではしょうがないとしても、他の人が他の絶対倫理を持っているという想像力がなくなってしまったら、不貞腐れるだけならいいとして、ひどいいときには喧嘩、その先は、とエスカレーションしてしまいます。今回の新型コロナウィルス騒動では、芸術の絶対倫理を持つ人たちも、医学の絶対倫理を持つ人たちに譲ってほしいと考えています。

私個人の話では、4月に観たいと挙げていた芝居が全滅しました。4月に観に行きたいけど無理っぽい、でも桜と薔薇の花見はしたい、から、もう薔薇も諦めるから桜だけは観たい、と考えていたところ、桜も中止のアナウンスがありました。チケットがないから観られた可能性は限りなく低いですが、上演されていたら頭をかきむしって悔しがったと思います。関係者には申し訳ありませんが、中止になってむしろほっとしました。

その程度には芝居には愛着がありますが、当面は芝居の上演はないでしょう。以下3パターンくらい考えられます。

(1)緊急事態宣言が解かれて芝居が上演できても、また感染が広まって同じことになる
(2)緊急事態宣言が解かれても、芝居の上演は引続き制限される
(3)緊急事態宣言が終わる5月6日になったら世間が今よりもっとひどいことになっていて、宣言が継続される

私は(3)もありえると考えていますが、よくて(2)でしょう。5月6月の芝居上演は、ない。芝居で感染が広まった形跡はありませんが、宮藤官九郎のように上演側が感染した実績はあります。今回は初日前に確定しましたが、これを例に挙げて上演側が感染していたらどうすると言われて上演強行できる団体がいたらそれはよほど太い神経です。だから私は志村けんより衝撃を受けました。

高温多湿の梅雨時になったら新型コロナウィルスの活動が弱まるのではと期待されていますが、仮にそうだとしても人間が耐えられなくて熱中症になるので、エアコンを効かせた環境で新型コロナウィルスの活動が継続すると思います。そして根絶されるわけではないので、次の秋冬シーズンとともに再流行すると思います。結局ワクチンができるまで、そのワクチンも人間に試して大丈夫なことを確かめないといけないので、少なくとも1年はこんな状況が続くというのが個人的な見立てです。いい方向に外れてほしいです。

« 新型コロナウィルスに際して芸術監督からのメッセージ | トップページ | 芝居上演の対策が全部だめになるかもしれない新型コロナウィルスの新たにわかった特徴 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 新型コロナウィルスに際して芸術監督からのメッセージ | トップページ | 芝居上演の対策が全部だめになるかもしれない新型コロナウィルスの新たにわかった特徴 »