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2020年4月11日 (土)

新型コロナウィルスに際して芸術監督からのメッセージ

いろいろ出ていたのに見落としていました。

一つ目は座・高円寺の佐藤信の「座・高円寺から皆さんへ~劇場本来の役割のために~」。

 新種コロナウィルス感染症の世界的な拡大の中で、日々の暮らしの足元から脅かされる不安な日々がつづいています。
 私たちが区民の皆さまからお預かりしている座・高円寺(杉並区立杉並芸術会館)も、3月9日から4月12日まで、貸し館受付など一部業務をのぞいて、区の方針にしたがい全館休館の状態にあります。
 演劇、舞踊をはじめ良質な舞台芸術をお届けする「座・高円寺1」、区民をはじめ多様な皆さまの集まりと催しに利用される「座・高円寺2」、地域イベントの練習場「阿波おどりホール」など、杉並区民の大切な財産である各施設が、明かりの消えた空き部屋になっている様子には言葉もありません。
 ことに、座・高円寺がもっとも力を入れて取り組んできた、子どもたちとともにある事業に参加する、彼らの元気な笑い声が聞こえないのはとても寂しいことです。
 私たちは事態の一日も早い収束を祈りながら、施設維持のための経常業務、そして施設、および事業の再開に備えた準備を、休館以後も、日々、休むことなくつづけています。今回の休館によって、多大なご迷惑をおかけした観客の皆さま、各創造団体の皆さま、そして幅広い利用者の皆さまに、座・高円寺スタッフ一同とともに、こころからのお詫びと言葉ではつくせない残念な思いをお伝えし、今後の状況にかかわらず、皆さまにとっての座・高円寺ほんらいの役割をはたしていくための努力をお約束いたします。

2020年3月28日
座・高円寺(杉並区立杉並芸術会館)
佐藤 信

地元の利用者に向けたアナウンスを中心に組立てた、大人のメッセージです。休館したからと言って職員全員を自宅待機にできるわけでもないのはどこも同じだなと思いつつ、感染しないことを願っています。

ふたつ目は神奈川芸術劇場の白井晃。「芸術監督 白井晃より メッセージ」と「芸術監督 白井晃より メッセージ(4/3発信)」と、2つあります。

新型コロナウィルス感染拡散・拡大を受けて、KAAT神奈川芸術劇場は、4月1日から24日まで、劇場の主催公演を中止いたします。つきましては「アーリントン」は24日まで中止。「メトロポリス」は公演を順延することになりました。これらの作品を楽しみにして頂いていた観客の皆さんに、心からお詫びいたします。

これは、作品に関わっていたキャスト・スタッフの気持ちも考えると、大変辛い、苦渋の判断でした。

 劇場は、神奈川県からの24日までの自粛要請を受けておりました。しかし、その中でも、劇場の安全性を確保して、なんとか上演ができないか、日々あらゆることを検討してきました。劇場の扉を全開にしての上演、空調の強化、観客の皆さんへの検温、マスク着用、アルコール消毒の協力を願うなど、できうる限りのことは考えておりました。

 しかしながら、ウィルス感染の勢いは収まらず、病気とともに人々の心を支配する不安が、日を追うごとに膨らみ拡大してきました。このまま上演することは、劇場に来ていただく観客の皆さん、そして、作品に関わっているキャスト・スタッフの不安をさらに煽ることになってしまうと考え、勇気を持って中止することにいたしました。他者のことを慮ること、他者の不安を考えることは、極めて純粋な精神です。この気持ちがある限り、再び演劇の力を発揮できるはずです。

 演劇・舞台芸術は、表現者がいて、それを観る観察者がいて初めて成立するものです。同じ場所で、同じ時間に集うことを奪われた今、私たちができることは何かを考え続けたいと思います。幸いにも、私たちはインターネットなど様々なツールを持っています。今、私たちが何を考え、どのように準備しているかを伝えることができます。KAATスタッフ、力を合わせてみなさんとつながる手段を考え、25日の再開まで、喜びを共有できるよう発信し続けていきます。 

2020年4月1日
KAAT神奈川芸術劇場
芸術監督 白井晃

 

本当に怖いのは、人々の心が煽られて、不安や恐れが増幅していくことです。

私は、劇場がその不安を煽る場所になって欲しくない。不安を煽る道具にされたくない。その想いでいっぱいです。

「三密」という言葉が生まれました。密閉、密着、密接。劇場は、この三つを併せ持っているという印象があると思います。しかし、本当は、換気機能に関しては強力です。舞台演出で、大量のスモークを使います。ですから、それを即座に排出する能力を持っています。そして、基本的に、観客の皆さんは、舞台に向かって前向きに座ります。だから、お互い顔を見合わせることもありません。そして、上演中大概の観客の皆さんは静かに観劇されています。

加えて、除菌の空気清浄機や、ドアの解放をすれば、本当に安全な場所なのです。人が生きていくために、水道や電気や食料や病院が必要であるように、劇場は精神を保つためにも必要なインフラのひとつだと思うのです。

このことを主張したいですが、今、私たちの煽られた不安は膨らんで、大きな波となって、この状況を超えて飲み込んでしまいそうです。

だとしたら、次に向かっての体力を蓄え、チャンスが来たらすぐに飛び出せるようにしたい、そう思います。

2020年4月3日
KAAT神奈川芸術劇場 芸術監督
白井 晃

いろいろ対策は打っていたのに、という無念が伝わるメッセージです。換気については、初期のころから触れていたのは東京芸術劇場と神奈川芸術劇場との2つで、2月21日にはすでに対応が掲載されていました。が、換気の排出先が外気なのかわからず、また出した分は入れないといけないのですがそれが外気なのか内気でロビーあたりから引張っているのかもわからず。循環させているなら換気とはいいづらい。本当に大丈夫ならもっと大々的にアピールしてよかった、何ならこの休館期間に動画で建物設備ツアーを作成したらいいのに、と思います。騒音防止や匂い防止などいろいろあるので、単純な換気ではないはずです。

あと、世の中の劇場すべてがそうなっているのか、というのは知りたいです。たとえば過去に観た狭い劇場の芝居で、ロビーに漏れるくらいのスモークが演出だったのか換気が間に合っていなかったのかは気になります。神奈川芸術劇場が安全と主張するのはわかりますが、世の中の劇場すべてがそうなっているわけでもなさそうなのは、小劇場出身の白井晃なら思いつきそうなものですが、単に「劇場」と言われてしまうと世の中全部のように読めてしまいます。

さらにさらに言えば、観客が大丈夫だとしても役者やスタッフ間で感染が広まったら困ります。無症状でも感染するというのがやっかいなところで、稽古場、楽屋、本番、受付業務と、感染の機会は多いです。ここまで公演中に症状が出たという事例は見ていませんが、芸能界でも感染者が増えてきている昨今、どれだけやっても100%と言える対策が存在しないのでは、一時的に極端な対応をとることもやむをえないと考えます。

最期にちょっと毛色が変わって、世田谷パブリックシアター芸術監督の野村萬斎。といっても劇場経由のメッセージではなく、Twitterで狂言の笑い方を自宅で試す「うちで笑おう」という動画を流しています。距離を取ってとか夜間は気をつけてとかいろいろ付いてしまうのですが、この人は文章のメッセージよりもこういうアクションのほうが向いています。

<2020年4月12日(日)追記>

静岡の「ふじのくに せかい演劇祭2020」も中止になってメッセージが出ていました。正しくは、「ふじのくに」と「せかい」の間は右向き左向きの矢印2本が入ります。関係ないですが、こういう文字化けする文字をタイトルに使うことはやめてほしいです。

本題に戻って、毎年SPACの芸術監督である宮城聰がディレクターを務めていたと記憶していますが、今年はそれに加えてストリートシアターフェス「ストレンジシード静岡2020」を同時期に開催する予定だったので、そちらのディレクターにウォーリー木下が入っています。両者からメッセージが出ているので両方記録しておきます。

最初は宮城聰の「宮城聰より演劇祭中止にあたって」より。

 わたしたちSPACは、わたしたちの周りに「演劇を必要としている」人たちがいることをひしひしと感じています。
 人生を豊かに生きるためには必要だ、という人がいて、また、それがないと水を失った植物のように精神がひからびてしまうという人もいます。
 そのような方々にとって、演劇は精神の栄養であり、魂の水です。
 わたしたちはつねに、演劇を必要としている方がひとりでもいるうちは演劇を届け続けなければならないと考えてきました。そして今回の危機が人々をいっそう孤立させるなか、その必要はますますふくらんでいると感じていたのです。

 しかし今、わたしたちSPACは、今年の演劇祭の中止を決断いたしました。すべての海外演目の渡航が不可能になってもSPACの作品だけは上演する、と考えてきましたが、その砦も放棄することに決めました。
 それは、今、俳優が集まって演劇の稽古をすることが、わたしたちの周りの人たちの身体的危険を増やす可能性がある、と判断したからです。

 演劇、舞台芸術のもっとも基本的な定義は「生身の人と人が向き合うこと」です。いま生きているヒトのからだが全身から発している膨大な情報を、なるべくたくさん交換し合うことです。
 だから演劇をつくっている者たちにとって、稽古場に集まることを断念するということは、自分の根を土から引き抜いてしまうことです。栄養も水も絶たれることです。

 しかし今、そうするしかないと判断を下しました。そして、観客の皆さんと、SPACのわたしたちが、ともに「演劇を必要としているのに、演劇を絶たれた」者となりました。わたしたちは皆さんに演劇を届けることができなくなりました。

 そこでこれからは、「演劇を絶たれた状態で、どうやって生き延びるか」を、皆さんとともに発明しようと思います。
 俳優はもはや稽古場ではなく、各自の部屋にいます。これほど物理的に切り離された状態で、わたしたちは何ができるでしょうか?でも何かできなければなりません。絶望に沈まず、せかいと繋がり続けるために。精神を枯らさないために。今をもちこたえるために。
 地球のあちこちで、やはり演劇を失ってなお耐えている、おおぜいの孤独な魂と連帯するために。

 いまのいま必要な、演劇みたいな何か、を、きっとみつけて、お届けします。

2020年4月3日
宮城 聰

次はウォーリー木下の「ストリートシアターフェス『ストレンジシード静岡2020』延期のお知らせ」より。

「一旦、止まる。」
主催者である静岡市と協議の上、5月2日~5日に実施予定だったストレンジシード静岡を、延期にすることにしました。
新型コロナウイルスの感染を抑止するためには、人の集まりを減らすことが肝要です。
ストレンジシード静岡の場合は、日本全国から人が集まります。
現時点で全国規模での終息には至っていない点、静岡市が主催する公的イベントであること、不特定多数が集まることなど、この時期での開催は、観客を含めた一般市民のみなさまの安全を考慮すると、実施困難であると判断しました。

しかし2020年度中には、叶うならばこの出演者の皆さんと一緒にストレンジシード静岡を行いたいと考えています。
しばらくは感染者数の推移を見ながら、なるべく早目にその時期を発表いたします。

また、この感染拡大期の中、緊急時における芸術文化への世間の目や関心(もしくは不寛容)はより可視化され、そもそもこの国において、なぜ芸術が必要なのか、という問いかけは今後ますます重要になっていくと痛切に感じました。

静岡市が提唱する「まちは劇場」というプロジェクトは、国内では例のないまちづくりのコンセプトであり、またストレンジシード静岡は舞台芸術の社会への必要性を投げかける大きな問いかけになるフェスティバルだと自負しています。
だからこそ、ここは、一旦止まり、より強固でより新しいフェスへの一歩を踏み出すエネルギーを溜めたいと思います。

アーティストの皆さんは、膨らんだ想像を萎ませずに心身ともに元気でいてください。
すでに聞いている構想やアイデアにわくわくしていました。必ず静岡で実現させたいです。
観客のみなさんは、静岡の街で行われる「パフォーミングアーツの遊び」を、より安全に楽しめる日が来るまでしばしお待ちください。

最後になりますが、新型コロナウイルス感染症に罹患されお亡くなりになられた方々、ご遺族の皆様には哀悼の意を表するとともに、いまだ症状に苦しまれている方々に心よりお見舞い申し上げます。

2020年4月3日
ストリートシアターフェス「ストレンジシード静岡」
フェスティバルディレクター ウォーリー木下

宮城聰は芸術を必要とする人に注目し、ウォーリー木下は芸術に不寛容な人に注目したのが興味深いです。ちょっと思いついたことがあるので別のエントリーにします。

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