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2020年5月17日 (日)

不要不急で無駄だからこそ芝居は文化たりうる

演劇業界の著名人が発言するたびにいろいろ言われて、私もいろいろ書いていますけど、芝居は文化で必要だからという言い回しにずっと引っかかっています。いろいろ考えていますがうまくまとまりませんのでとりあえず書いてみます。

音楽を聴いたことがない人はいないでしょうが、芝居なんて学校鑑賞以外で観たことがない人は大勢いるでしょう。それを非文化的とは言えませんし考えもしません。

芝居を考えるとき、もし芝居が必要不可欠だったら、つまらないものになっていたとは思います。人生で必要なものは、時に嫌になったりしばらく遠ざけたくなったりするものです。人生から無駄を省いて効率的に生きるべきという意見もあるでしょうが、効率にも限度があります。そこまで効率を追求されたら、まずお前の存在が一番無駄だろうと言い返さないといけません。

必要と必要の間に、不要不急や無駄があってこその人生です。その不要不急や無駄に彩りを添えてくれるからこそ、音楽や芝居は文化たりえます。義務化された不要不急は必要に化けて、文化から生活に変身します。お前は年に2本芝居を観るのが義務だと言われたらいずれ嫌になります。

こうやって考えると、不要不急であることを認められない芝居は、文化たりえるのか、と禅問答のようになってきます。不要不急で無駄だからこそ、非常事態にはいったん引かざるを得ない立場ですけど、人生を彩る文化でもあると、言えるのではないでしょうか。

その、鑑賞側にとっての不要不急や無駄を、提供側は生業として生活しているから必要という立場の違い。ここが出発点ですね。

それともうひとつ。鑑賞側がその業界の不要不急を欲しているとして、それがその人とは限らない、という事実もあります。別の言い方をすれば、その人が必要だと思うことが他の人にとっても同じように必要ではない、ということです。我々は別々の個人であり、私の常識はその人の非常識で、その人の常識は私の非常識とも言い換えられます。

私はサラリーマンをやっていて、補償される見込みのない業界で働いています。お客様から見れば勤め先の提供しているものはある意味不要不急で、でも私からすればそれで給料をもらって生活しているので必要です。お客様がいるから需要はあるのでしょう。でも、お客様からしたら、私の勤め先が駄目なら他を当たればよいわけです。

別に私の仕事が文化的だと主張するわけではありません。ただ、たいていの人が、似たようなものではありませんか。世の中、突詰めたら必要不可欠なものはそこまで多くなくて、大半は不要不急に満ちています。

やはり、自分の仕事、自分たちの団体、自分たちの業界が、必要不可欠であり、救済されるべきと主張する意見は、それがどの業界でもバランスが悪く聞こえます。それを全員が言い出したら、「お前には必要だけど俺には不要、だから却下」の応酬になってきりがないし、助かるはずの人も助からなくなります。

世の中、不要不急で無駄ばかりだから、そこに優位性を主張するのではなく、お互い似たようなものだから大勢が助かる方法を考えましょう、と進められるとよいのではないでしょうか。

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