新国立劇場主催「リチャード二世」新国立劇場中劇場
<2020年10月3日(土)昼>
側近に恵まれないリチャード二世が統治下のイングランド。諸国との戦争が続きしかも負けが込んでおり、国庫は足りず民は重税にあえいでいる。そこに従弟のヘンリーが、2人の叔父にあたるグロスター公暗殺の主導者として反目する貴族のボリンブルックを告発する。王の説得もむなしく反目が解消できなかったため、決闘で勝負をつけることになったが、当日立会った王は決闘を中止させ、2人を国外追放する。この処置を苦にしたヘンリーの父ランカスター公が病を得て亡くなると、リチャード二世は戦費に充てるためその財産と所領を没収する。あまりの対応に怒ったヘンリーは、名誉と財産所領の回復を求めるため、兵を率いてイングランドを目指す。
「ヘンリー六世」「リチャード三世(見逃した)」「ヘンリー四世」「ヘンリー五世」と続いたシリーズの最後は押さえておきたくて観劇。ここで出てくるヘンリーが後のヘンリー四世で、リチャード二世からどうやって王位を受継いだのかが描かれる。満足度は高い、非常に高い芝居だったけど、その満足の理由に悩む不思議な仕上がりだった。以下、どこまでネタばれかわからない内容を含めて考えてみる。
誤解を恐れずに書くと、おそらくこの脚本はそこまで面白くない。ヘンリーが兵を率いて戻ってくるけど闘いを行なうわけでもなく、フォールスタッフのような道化役が出てくるわけでもない。普通に演出したら、昇り詰めるヘンリーが、わがままな王であるリチャード二世を引きずり下ろすよう演出されるはず。
ただし今回、ヘンリーは謙虚で、(タイトルロールだから当たり前だけど)リチャード二世の視点を強調した演出だった。それで観ると、リチャード二世の哀れなところがよくわかる。
・仲裁しても決闘を行なうことを止められないくらいに有力な臣下からは軽く見られていた
・フランスから王妃を迎えた結婚の時点で結婚式の費用を立替えてもらうほど国庫が不足していた
・耳に痛いことを忠告してくれる叔父たちは、自分に忠誠を尽くしてくれているわけではなく、亡くなった自分の父(叔父たちの兄)への畏怖と憧れから忠誠を誓っている
・それで頼った側近の政治能力がいまいちだった
・帰国が1日遅かったばかりに側近の傭兵隊が解散してしまった不運
・自分が招いた結果ではあるけど、ヘンリーが優勢と見るや次々と諸侯が鞍替えしていく様を目の当たりにする
・それでいて最後にもうひと謀反が企てられるくらいの臣下の忠誠は残っていたし、真っ先に処分された側近の中には死の直前まで忠誠を失わない者もいた
・王妃との仲は最後の最後までよかった
・ヘンリーを「民や使用人にまで挨拶して頭を下げている」と侮蔑していたが、最後に王や王妃に同情を寄せてくれたのは使用人だった
決して悪い面ばかりだったわけではなく、能力を備える前に王位について、能力をみがいて王位を固める前に戦争を重ねざるを得なかった男の悲劇として描かれていた。タイトルは「リチャード二世の悲劇」としたほうがしっくりくるくらいで、ひとことで言えば諸行無常。そこが自分の琴線に触れて満足度が上がった。それでいて庶民役の数名が舞台の外から騒動を眺める場面があって勝手にやってらあな感も出していた。
ここまで整理して考え直すと、岡本健一はリチャード二世の弱いところ、不安なところを強調して、諸行無常の演出に資していた。ただ、王妃と仲が良く、一部臣下の忠誠も残った魅力、おそらく優しさについて、王妃との別れの場面以外でももう少し前面に出せるとなおよかった(それは戦争能力の欠如にもつながるし、たぶん、神への祈りも欠かしたことはなかったんじゃないかという想像にもつながって、聖職者が最後の謀反を主導したことの裏付けにもなる)。演出で、冒頭の決闘と、病のランカスター公に対する場面とを工夫することである程度調整できたはず。
だからといって不満なわけではなく、休憩をはさんで3時間20分の大作を引っ張り続けた仕上がりは見事。役者はリチャード二世の岡本健一とヘンリーの浦井健治も含めて、台詞の量と評価が比例する状態で、脇まで含めてみんな上手という幸福な舞台。めったに味わえない大量のベテラン組の声と台詞回しを堪能するのが正解(配役表がないので役名と役者名が一致せず、さらに一晩たったら王族以外の役名も忘れて、誰がよかったのか具体的に言えない状態)。そういえば全然出てこないなと思った那須佐代子が終盤に笑いをさらったのはご愛敬。
スタッフワークも十分で、ラストの音楽は前にも聞いたような気がするけど演出に合っていて、曲名が知りたい。美術だけ、通常場面はいいけど、城の場面にあのハリボテが必要だったか、ハリボテ感を演出していたのだとしても疑問で、安く見えてもったいない。継続出演の役者、スタッフが多い中で数少ない理由あり交代だけど、予算が足りなかったか。
全体に、大河企画の締めにふさわしい1本だった。
以下新型コロナウィルスメモ。
・演出では、可能な場面では配慮したかもしれないけど、至近距離で言い合う場面もあり、わざわざ距離を確保したような雰囲気は感じられなかった。ごく素直に演出したように見える距離感。
・最初は1席飛ばしだったけど、途中から全席を売出したのは以前書いた通り。自分は狙っていたので全席売出しよりまえにチケットガイドで確保。
・入りは、センター前方が埋まって、左右前方が端は空いていたけど通路よりは埋まって、センター後方は前2-3列が埋まってそれより後ろは一部が隣あわせだけどおおよそ1席飛ばし、左右後方は前が1席飛ばしで後ろ数列は空席が目立った。2階席は不明。当日券でも1階良席が確保できる状態。距離が気になるなら後ろを選べる。ざっとした感覚で7割切るくらいの入り。
・来場者用紙に記載して入口前で渡す仕組み(充てられていたのはクロークスペースだったか)。他の人の鉛筆を使わないで済むよう、使った鉛筆は使用済みの箱に入れられるよう配慮。当日券限定か、チケットガイド経由で買った人は不要だったか、不明。とりあえず書いて出した。
・そのあとで、検温、アルコール消毒、チケット見せて自分でもぎり、チラシはほしい人が自分でピックアップ、だった。
・劇場全体が不要な個所を閉鎖していて、1階奥のテーブルスペース、2階の舞台衣装展示スペースに入れなかった(おそらく入場しないとトイレにたどり着けない)。入場後のロビーは、ペットボトルの飲物だけ売っているけど食事やコップ飲料の提供はなし。椅子とベンチが全部窓向きに配置、椅子は約1脚分スペースを空けて配置、ベンチは1人分のスペースが空くように張り紙。細かいところでは男子トイレの小便器もひとつ置きで、間隔が東京芸術劇場ほど広くないといっても本多劇場よりは広いし、それはさすがに念を入れすぎでは。
・過去には掲示されていて感動した王朝図などはQRコード掲示のみ。閲覧のための人混みができるのを嫌ったか。公式ページの関連資料からアクセスできるので、気になる人は事前に見ておくとよい。ただし、今回の芝居に限ればおそらく事前チラシ(掲載されているか不明)の中にある小さな家系図のほうが役に立つ。
・休憩時間中に場内消毒などはなし。見た目でわかった対策はドア開放のみ。
・場内アナウンスはうろ覚えで、「スマートフォンで接触確認アプリをご利用のお客様は音が出ない状態に、それ以外のお客様は電源からお切りください」だったか。ただそのせいかどうか、上演中にスマホを確認する客がいて集中をそがれた。こういう理由があるのに、アナウンスでそれを徹底するのは難しい。
・退場は順番にとアナウンスされていて、終演時はその通りだったけど、休憩時間のトイレやベンチの争奪には役に立っていなかった。休憩ありの芝居でどう運営するか難しいポイント。見かけた女性用のトイレ行列は三重の折返しになっていて、あれじゃ距離を空けても密になることは変わらなくて、並ばせ方も検討が必要。
・休憩時間中にマスクを外してしゃべる老紳士を発見。後半が始まるとマスクをしていたけど、意味が分からない。あれは頭の中にどういう新型コロナウィルス対応がインプットされているのだろう。
・大多数の観客はマスクつけっぱなし。客席では静かでロビーでは会話はそれなりにしていた。ロビーのざわめきは通常芝居を思い出させるものだった。センター前方の客席が埋まっていたためか、終演後の拍手も塊感が出ていた。
願わくはこの公演が最後まで完走できますように。
« 東京芸術劇場の新型コロナウィルス対応の舞台スタッフルール | トップページ | 阿部サダヲが新型コロナウィルス検査で陽性 »
« 東京芸術劇場の新型コロナウィルス対応の舞台スタッフルール | トップページ | 阿部サダヲが新型コロナウィルス検査で陽性 »
コメント