新型コロナウィルスで想像以上に真面目に上演対策と公演中止に対応していたけど当事者としての言葉を期待してはいけない日本の芝居関係者
来年からは直接関係ない人たちにかみつくようなエントリーを書かないように、年の瀬を前に禊を済ませて、穏やかで成熟した大人に生まれ変わるためのまとめです。知らんけど。
前編に続いて後編の禊は、見えた範囲の演劇関係者の対応です。先に誤っておきますが、リンクが多すぎるので張り間違いをしているかもしれません。ご容赦を。
以下で区切ります。実際には一部重なる時期もありますが、読んでいる皆さんも大方同意してくれるでしょう。
(1)新型コロナウィルス第1波が問題になって公演が中止になるまで(1月下旬から4月上旬まで)
(2)公演中止期間(4月中旬から6月下旬まで)
(3)客席数半減での公演再開期間(7月上旬から9月中旬まで)
(4)客席数復活後の公演期間(9月下旬以降)
上演関係者だと、公演中止期間を緊急事態宣言が解除されて稽古再開した5月下旬から6月上旬ごろで分けたいかもしれませんが、観客視点でこの4つに分けます。第1期から第4期です。
第1期(1月下旬から4月上旬まで)
私は1月30日に「新型コロナウィルスが流行して公演中止は起こるか」を書いたので1月下旬を開始とします。そこからたった半月後の2月16日には「あらためて新型コロナウィルスが流行して公演中止は起こるか」を書くような状態で、すでに大手企業で在宅勤務を開始、外出警戒を指示することが始まりました。2月21日には東京都が主催イベントを延期するよう案内を出したものの、ほぼ大半の芝居は上演続行の気配でした。
ただし2月26日に総理大臣からのイベント中止、延期、規模縮小の要請(いわゆる自粛要請)が出たところから国公立劇場主催公演と自前劇場で上演する商業演劇を中心に中止が始まり、3月末ごろから4月1週目にかけて国公立劇場の臨時閉館が決まり、4月7日の緊急事態宣言と同日に本多劇場グループが全館休館を決めたところを第1期の区切りとします。感染症対策にはスピードが勝負というのはありますが、2か月半あっという間でした。
私が観た芝居だと2月10日の「燦々」は特に影響はありませんでしたが、2月21日に「東京ノート」を観たときにはすでに空席が目立ち始めており、警戒して観に行かない観客が出ていました。補足として、ダイヤモンドプリンセス号以降、いろいろ対策が語られていましたが、「三密」に類する場所が危ないと言われ始めたのは3月1日、言葉が使われたのは3月18日です(Wikipediaより)。
この第1期に上演についてどのような行動が取られたか。「新型コロナウィルスを受けて歌舞伎座はマスクで接客中」を書いた2月から、接客に気を付ける上演団体が増えました。自粛要請が出た段階で、国公立劇場は主催公演の中止を決めましたが、貸館上演は団体に任せる形でした。劇場によってアナウンス内容には差がありましたが「新型コロナウィルス騒動での劇場の対応」で2月時点で東京芸術劇場と神奈川芸術劇場が詳しめの対応とアナウンスをしています。
他に商業演劇は、これは記録が多すぎて整理できないので個別リンクは載せませんが、上演を期待して延期したのがまた延期と続いて、4月上旬の緊急事態宣言に及んであきらめた、という形です。個人的には、本多劇場のウーマンリブを商業演劇に入れるのも微妙ですが知名度的にはこちらに準ずるとして、宮藤官九郎が4月2日に初日を控えた3月31日に感染を発表したのが駄目押しでした。
小劇場では、2月のいわゆる自粛要請以降、上演するか中止延期するか上演団体に任されて揺れていた中、劇場として主催していた演劇祭を中止する判断を王子小劇場は下しました。小劇場として、国公立劇場や自前劇場の商業芝居と並ぶタイミングの判断です。この年末から見た後だしジャンケンで言えば、もう少し引張って上演はやろうと思えばできました。ただし同じく年末から見た後出しジャンケンの後述する7月クラスター発生案件の叩かれ方を知っていたら、止める判断を支持する人もいるでしょう。まだ新型コロナウィルスがよくわかっていない段階で、自分たちの商売の種をこの段階で止める判断をできる人はそうそういません。上演したがる若手劇団だらけの上演を止めたのは、大人の見識のひとつだったと私は考えます。1年近くが過ぎた今、この判断について演劇関係者の意見を聞きたいです。
そんな中で他の劇場で上演予定、かつ3月の上演続行を決めた劇団は、対応策の検討を劇場と一緒に検討し始めました。あの時期によくここまでまとめて対策したなという記録の代表が「新型コロナウィルスを受けた小劇場の対応の様子」「新型コロナウィルスで上演側の対策の話メモ」の鵺的と、「新型コロナウィルス騒動の主要な国公立劇場の対応再更新」の玉田企画になります。3月上旬にキャンセル対応や当日券事前予約限定を含む対応策を打出した鵺的と、3月中旬で入場券セルフもぎりやチラシセルフピックアップやアンケートを使った連絡先記録などを打出した玉田企画が、この時期の2大良対策団体です。時期が後になったのと、劇場が人員潤沢な東京芸術劇場だったのとで、玉田企画のほうが対策はよいのですが、まだ対策が確立されていないあの時期に観客を慮る形で対策を取った鵺的も調べていて好感触だったのを覚えています。他に通り一遍の対策で上演をしていた団体も多かったことを考えるとなおさらです。
この「新型コロナウィルスを受けた小劇場の対応の様子」の中に、公演中止を決めた劇団であるりらっくすの主催者の言葉を記録してありますが、何で自分たちイベント関係だけが中止を求められるんだという無念がにじんでいます。この時期のおおかたの演劇関係者を代弁するコメントでしょう。後で再度取上げます。それとは別に、チケット発売を延期した前田司郎と上演した江本純子の「新型コロナウィルスに際した小劇場の脚本家兼演出家兼役者である主催者のコメント2つ」のような、延期するにしても上演するにしてもへこたれないコメントもありました。なお前田司郎はこの後で自分が発熱して公演中止を決断しています。
最終的には、本多劇場グループが閉館を決める直前の「新型コロナウィルスを受けた小劇場の対応の様子続々編」で、その頃の本多劇場グループ30公演中、中止または延期が23公演、一部中止が4公演、アナウンスなしが3公演、という結果でした。はっきり無理と決まらない限りはなんとか上演しようとする団体がだいたい2割くらいいる、という記録です。
第2期(4月中旬から6月下旬まで)
5月には、イベントの再開に当たっては関係団体でガイドラインを作ってそれに自分たちで従え、という官邸指示に合せてガイドラインが作成された経緯は「劇場、音楽堂等における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドラインが出る」に書いた通りです。全然団結しない業界でも臨時ながら「緊急事態舞台芸術ネットワーク」を作っています。民間小劇場では「小劇場協議会が発足していた」もありました。その後「新型コロナウィルスに関する東京都のロードマップで劇場の位置づけが明確になる」で再開の可能性が示されました。
6月には「新国立劇場の『新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン』が出ていた」でより対策を追加した国公立劇場も出てきました。7月からの再開に向けて上演予定も出てきました。各公演で第1期よりもはっきりした対策の準備が進んでいた時期です。これは記録を忘れましたが、少人数演目への変更やリーディング形式など、上演内容も新型コロナウィルスを見込んだ方式はこのころから検討されて始めていたと思います。
第3期(7月上旬から9月中旬まで)
大手どころではPARCO劇場の三谷幸喜「大地」が、7月1日初日で先陣を切って、新型コロナウィルスに対応して役者同士の距離を取るよう脚本を直したと宣伝していました(観ていないので具体的なところは不明)。知名度の高い三谷幸喜から始まったのは、世間一般への宣伝もありよい巡り合わせでした。
その矢先にもっと小規模な公演で観客を巻き込んだクラスターが発生したのは「6日間の公演で新型コロナウィルスのクラスターが発生した公演の事実経緯報告書」にまとめた通りです。芸能プロダクションが有名芸能人を起用していたこともあり、週刊誌ネタのレベルで叩かれました。この件は、劇場側の対応はきちんと行なわれていたことから、観客との握手とは別に、そもそも稽古場でクラスターがあった、と発表を追いかけていた私は結論づけましたが、主催者からそれが明示的に示されることはなくフェードアウトしました。後で取上げます。この件の芝居関係者の反応は、何で芝居(イベント)ばかり叩かれるんだという反感と、観客まで感染を出して芝居の評判を落としやがってと、割合は不明ですが両方あったと記憶しています。
ちなみにその裏で「抗体検査に意味はないと思ったら歌舞伎までやっているし文化庁の補助金対象にもなっていた」なんてこともありました。この時期の新型コロナウィルスに対する関係者の認識は五十歩百歩です。こちらは文化庁が叩かれたことで、結果的に周知に一役かって、この後の検査はPCR検査に集約されていきます。
そして8月に入って小劇場で、出演者41人とスタッフなど計56人の検査を行った結果23人の陽性が確認されたというクラスターが発生しました。こちらは初日直前に発覚して公演中止に踏みきったたためすぐに沈静化しましたが、発生時期から稽古場クラスターなのは確定です。
他に第3期で中止中断になった公演は目についた範囲で「宝塚のコロナ受難メモ」「新型コロナウィルスに関する公演中止のパターンいろいろ」にまとめました。ただし上演数自体はこの時期から戻り始めます。この中で注目は宝塚で、公演期間中の保健所認定のクラスターです。結果、定期的なPCR検査と、出演者の減員が宝塚の対策に追加されました。関係者にとっては上演中でも感染しうるという、穏やかならぬ実例になりました。
一連の感染は感染として、「芝居の客席数の50%制限が9月19日から11月末まで暫定緩和される」と発表されるに及んで、商業演劇側が争ってチケットを売りはじめたのが「客席制限緩和で上演側の鼻息が荒すぎて緊急事態舞台芸術ネットワークの呼びかけの意味がわからなくなっている」です。ここで上演側の姿勢がおおむね、正規の制限には従うけどそれがなければ通常通りの公演を目指す、に決まりました。松竹や一部国公立劇場の例外はあるものの、民間営利業者としては正しい姿勢です。ただし私は今でも「緊急事態舞台芸術ネットワーク」とは何だったのかという疑問は消えません。
ちなみにその裏で「劇場の換気について劇場から説明が出る」という対応や「東京芸術劇場の新型コロナウィルス対応の舞台スタッフルール」の公開もあり、地味ながら大事な更新は継続して行なわれていたことは明記しておきます。
第4期(9月下旬以降)
上演数はだいぶ回復しましたが、新型コロナウィルスが収まりません。10月の「阿部サダヲが新型コロナウィルス検査で陽性」は稽古の早い段階で見つかったから初日に間に合いましたが、大阪公演の一部公演が、匿名の誰かが体調不良で中止になりました(結果は陰性)。直後に「ミュージカル劇団の稽古場で新型コロナウィルスのクラスター発生」で91人中62人という派出なクラスターが起きています。劇団四季は発熱した役者に加えて濃厚接触者29人のうち9人の合計10名が陽性でしたが「東京だとクラスター判定が追いつかない劇団四季の新型コロナウイルス2桁感染」という理由でクラスター認定はされていません。
11月には「神奈川芸術劇場の秋の新型コロナウィルス案件」「国立劇場の秋の新型コロナウィルス案件」「東宝の秋の新型コロナウィルス案件」が発生しています。小劇場でも「新型コロナウィルスに臨んで上演中止のテンプレートにしたくなる対応例の紹介」のような中止例もありました。12月には「すっぱり中止できないPARCO劇場の『チョコレートドーナツ』」で12月7日の初日が12月20日までずれる事態です。
上演側も、前売開始を2週間前に設定するシス・カンパニーや、劇場に抗菌作業を行なうシアタークリエなど、様々な対策は行なわれていますが、決定打にはなっていません。
そうこうしているうちに新型コロナウィルスが広がって、行政の対応が追いつかなくなって、「感染経路が追えないからクラスターではないと東京都が堂々のギブアップ宣言」が出てしまいました。
ここまでで第4期を終わりにします。
なんかもう、まとめるだけで疲れる1年です。ただこれをまとめていてわかったのは、第1期は嫌々だとしても、第3期と第4期はいろいろ正直に中止していると思いませんか。大問題になったのは観客も感染した7月の1件だけです。他は上演団体も劇場も、できる限りの対策と、体調不良から陽性反応者が出てしまった場合の正直な発表および中止を、心がけていました。11月の露と枕の件にいたっては、体調不良ではなかったにも関わらず、午後に保健所から連絡をもらって当日夜の公演を中止する手際です。
私は大規模な公演ではある程度正直な対応になると思っていました。費用面の体力で小規模公演より相対的に余裕があることに加えて、長期公演中に体調不良を隠して悪化したら結局公演日程に穴が開くし、感染させたらそちらから発覚するので、隠した分だけ印象が悪くなるからです。ただ、小規模な公演で、体調不良でも短期間の公演だから隠して強引に続行する団体がもっと多いのではないかと想像していました。もちろん内密にすることが成功したら気が付かないのですが、そういう話で人の口に戸は立てられません。本当にあったら噂くらいは目にすると思っていましたが、7月のクラスター以外、私の狭い観測範囲では見つかりませんでした。
今から振返ると、7月のクラスターが週刊誌事案になって世間の袋叩きにあったのは、他の演劇関係者の他山の石になったのではないでしょうか。隠して続行してばれたらこんな目にあうという実例として。この袋叩き公演でも、主催者は経過報告書を公開していますが、そんなものは一度火がついた炎上案件の前には無力ですし、広まった悪評だけが世間への印象として残ります。もちろん、感染力が強いから陽性者がいると関係者に感染しやすいとか、場合によっては動くのもつらいほどだるくなるとか、危ないときは一気に症状が進むといった、警戒せざるを得ない新型コロナウィルスの特性によるところも大きいです。
なので、検査はPCR、体調不良は一部公演中止しても様子見、その分の払戻しやむなし、陽性なら保健所に連絡、という興行上の慣習が定まった第3期中盤以降、大多数の関係者が内心はともかく真摯に取組んでいました。散々悪口を書いてきたこのブログとして、それは認めなくてはいけません。
ならばその関係者の対応は完璧だったかというと、泣き所があります。2021年の公演でも解消されないものと新たなものを、2021年のリスクとして挙げておきます。
解消されない泣き所は稽古場です。実際、第3期と第4期の上演中止のかなりの部分が稽古場クラスターです。「三密を回避する稽古場の最大人数と最低換気条件を試算してみた」で書きましたが、天井が十分高い空間で1人床面積5[m^2]、およそ3畳が必要です。しかも窓と入口が小さい場合、30分のうち24分は開けて換気する必要があります。それを避けるには劇場並みの換気能力のある稽古場でないといけませんが、劇場以外にそんな場所は珍しい。しかも劇場入りしてからも人が多すぎるとクラスターが発生しうる。換気設備の充実した稽古場を確保できない、劇場入り後のリスクもある、となれば、よほど出演者を絞った演目にするくらいしか対策がありません。
新たな泣き所は観客です。7月のクラスターで握手を求めてきたファンに感染した話が出てから、出演者に握手を求めるファン、それを許す出演者を含む関係者、さすがにどちらもいなくなったと思います。ただ8月の「赤鬼」と10月の「ヘンリー二世」で、マスクを外して話す客は見かけました。それだって1人ずつでしたし、そもそも知合い同士でなければ会話しないでしょう。小劇場で関係者同士の会話はしょっちゅう見かけますが、関係者ならさすがにこの時期はマスクをして話します。ところがファン同士の横のつながりというものがある。それを「愛が憎しみを生む新型コロナウィルス下の宝塚」で知りました。これは一般のファンが多く、ファン同士の連携が生まれるくら継続上演を続けている団体という特殊条件が揃ってのことなので、今のところ宝塚くらいしか思いつきません。ただ、油断した観客同士のクラスターなんて言われても上演側は困ります。上演前後や休憩時間のアナウンスと、ロビーでの貼紙による掲示を頑張って、実際に発生した時の言い訳を用意しておくのが精一杯の対応だと思います。仮に発生しても、1回発生すれば観客側の他山の石になるし、その後の上演側の対応もより強気に出られるでしょう。だとしても第1号を引きたくないものです。
さて、1年を振返って、新型コロナウィルス対応に真摯に取組んでいたのは認めます。ならば今の環境に対する意見はどうか。
芸術監督やフェスティバルディレクターを含む演出家、大規模プロダクションの社長たちの隙だらけの発言で大きく株を下げた芝居関係者ですが、第1期のころは情報も少なかったので狙い撃ちにされたと感じる関係者も多かったでしょう。それを代表するものとして、りらっくすの土井克馬が3月中旬に公演の無期限延期を発表した時のコメントを引きます。
エンターテイメントは辛い時にこそ、
明るい時間を提供するものでなくてはならないとこれまで作品を作って参りました。
このような決定をしなくてはならないことを大変悔しく思っております。
この決定を当然だと感じる方、どうしてだと感じる方、様々いらっしゃると思います。
感染の拡大を予防することに対しては、なんの異議はございません。
しかし、あまりにもエンターテイメントを提供する人間が
淘汰されているように感じてしまいます。
もちろん接客関係の業界等様々な場所に影響があることを知っております。
世界中でコロナウイルスについてニュースになっているご時世ですが、
東京では毎日満員電車が走り・渋谷や新宿には人々が溢れています。
人々の生活を止めることは出来ません。
しかし私にとっては、お芝居は人生であり、生業であり、生活必需品です。
お知らせの中に上記のような文言を書くか大変悩みましたが、
延期を決定している以上、感染の予防という観点においては
最大限協力しているためお許し下さい。
第1期のころならこのコメントもありえました。そこから年末になって、11月ごろには満員電車も復活していたと聞きます。GoToキャンペーンの効果もあって観光地はごった返し、11月の3連休の後に政府は勝負の3週間と言いましたが効果はなく、感染者数が1日1000人を突破する日も出てきて拡大傾向が続いています。そしてここまでまとめた通り、演劇関係者も一定数の陽性反応があります。
都内の小劇場が30くらいで週替わり、大劇場が15くらいで月替わりで上演するとして、都内では月間で130本前後の芝居が上演されています。その中で挙がったクラスターや公演中止は本数ベースで見れば2-3%でしょうか。デスク業務が中心の業界と比較して、あるいは近距離長時間会話が発生しやすい業種として、多いか少ないかを判断する情報を持合せていません。
それで芝居関係者が入院したという情報はほとんどありません。観客が感染したという情報も7月のクラスター以外はありません。ただし、ひとたび発生したら2桁人数が対象となります。最初に関係者が誰かが市中感染するところまでは一般にあり得ることだとして、そこから稽古を通じて関係者間で感染を広めるような行為になっています。被害者であり加害者です。両方ひっくるめてここでは当事者と呼びます。
たとえば今、各種消毒などが効果を上げた結果、飛沫感染が新型コロナウィルス拡大の主な原因とされています。新型コロナウィルスの感染症対策サイトを政府がまとめていますが、感染リスクが高まる5つの場面「飲酒を伴う懇親会等」「大人数や長時間におよぶ飲食」「マスクなしでの会話」「狭い空間での共同生活」「居場所の切り替わり」のうち、2つが飲食関係です。一般人は飲み会が、政治家は会食が、注意対象となっています。飲食業がやり玉に挙がっているのは、知合いと飲食してマスク外しているタイミングは黙っているのはほとんど無理だからです。結果感染を広めています。この状況にあって、例えば芝居関係者は飲食業関係者に、あるいはその利用者に、語れる言葉を持っているでしょうか。何か発言したとして、お前らこそマスクなしでの会話をしているじゃないか、自分たちでクラスターを出しているじゃないかと言い返されて、さらに語る言葉があるでしょうか。「あまりにも飲食を提供する人間が淘汰されているように感じてしまいます」と書かれて何か言えますか。飲食業が観光業でもなんでもいいです。
2月の時点で「演劇っぽくなってきた新型コロナウィルス騒動」に、
この分で行くと第三幕、第四幕もありそうで、クローズアップで見れば悲劇、ロングショットで見れば喜劇、を地で行く展開です。この展開を全力で喜劇にするなら三谷幸喜、諦観と裏表の笑いにするなら平田オリザ、騒動が一段落したらどちらかに書いてほしいです。
と書きました。でも、そう挙げた一方が悲劇喜劇の渦中の人になるとは想像できませんでした。そこから話は飛んで、たぶん、岸田國士もこんな状況だったのだろうなと思います。いろいろ社会を批判するような芝居も書いて、劇団も運営して、だけど大政翼賛会の文化部長就任を打診されて社会問題の当事者になったとき、自分で状況を打開するような言葉を持たなかった。
芝居関係者、特に制作でなく創作の側の人達は、ある現象を観察して問題点をはっきりさせたり、自分が過去に個人的に経験したことを昇華して創作に生かしたりすることは上手で、そのための言葉も持合せている。でも、自分がある現象の当事者となった渦中に、当事者として他の当事者たちに語る言葉は持合せていないのでしょう。誰にだって難しいことですが、それでもそのための言葉を探すならおそらく芸術の範囲でなく、政治や宗教や哲学の範囲から探したほうがいい。芸術は当事者としての悩みを振りきっています。少なくとも芝居関係者の芸術は。
芸術と呼んでも文化と呼んでもエンタメと呼んでもいいですが、それが観客にとって必要不可欠なよいものだとして、それはあくまで作品がよいものであり、その制作創作者の人格とは別物です。当事者の立場に置かれた場合の芝居関係者は、たまたま興行で生計を立てているだけで、一般人となんら変わりません。文化芸術を特別扱いする論に目をとられて、そこを私は誤解していました。"Don't take it personally."は観客の側にも求められるべき態度です。逆に、期待してはいけなかった。
なのに、芝居関係者に当事者としての素晴らしいコメントを勝手に期待して、そうでないコメントが出てきて裏切られた気分になり、その分恨みがましいエントリーを書きつらねたのが今年の私であり、このブログです。数えたら新型コロナウィルスのエントリーがほぼ100本です。コピペが多いとはいえこれだけ書くのは、メンヘラーの行動です。この長文をもって、禊とリハビリに代えます。
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