文芸性とエンタメ性とわかりやすさに心を砕くことについて
今年は芝居が観られない分、小説を読むことが多かったのですけど、最近文庫で出たばっかりの『か「」く「」し「」ご「」と「』という小説を読みました。本屋で平積みになっていた表紙の絵と、横に見える新潮社の背表紙の違和感で手に取ってめくって、一応読めるだろうという予感で買いました。読んでびっくり、文章も展開も、えらいさらさらした小説でした。
それが気になったので検索したら、出版社の公式サイトに作者の対談が載っていました。興味のある人は全文読んでもらうとして、以下の個所が気になったので引用します。
住野 あと、文芸性とエンタメ性、どちらもあるのがすごいです。僕はデビュー前から勝手に、エンタメ路線の作家さんと、文芸路線の作家さんとは、完全に二分されていると思っていて……作品の中身が違うというよりは、目指しているものが違うのではと思っていたんです。でも、彩瀬さんの作品は、その両方がある。僕の考えるエンタメ性は、端的に言うと、普段本を読まない子達が楽しめるかどうか、ということなんですけど、あの作品にはすごくそれを感じましたし、それでいて本好きというか、普段から文芸に触れている方たちもねじ伏せるパワーがある。すごい作品だと思いました。
彩瀬 自分ではそう思ったことはないので、ちょっと不思議なのですが、まさに今、そうした普段あまり本を手にとらない方に対して最も発信力がある住野さんにそう言ってもらえると、将来に希望が持てそうな気がします。そういう方たちに作品を届けるために、大事にされていることってあるんですか。
住野 僕なりにいくつか思っていることがあるんですが、一つは、多くの人が想像しやすいテーマであることですかね。
彩瀬 ははあ。なるほど!
住野 あとは、あくまで個人的な考えですけど、決め台詞というか、決定的な力を持つ一文があるかどうかが、面白さにつながる気がします。彩瀬さんの御本は、読んでいてぐっとくる一文がちりばめられていますよね。昨夜、新刊(『眠れない夜は体を脱いで』)を読ませていただいたんですが、「あざが薄れるころ」という短編の「わたしを変な子のままでいさせてくれてありがとう」という一文で号泣しそうになって、一旦本を閉じて部屋の中を一人でウロウロしました(笑)。
彩瀬 ありがとうございます。私はこれまで結構、自分が書きたいものに振り回されて書いてきたので、そこまで気を配れている自覚はなくて。だから、ちゃんと届くと言っていただけて嬉しいです。住野さんの作品は、今回の『か「」く「」し「」ご「」と「』もそうですが、わかりやすさにすごく心を砕かれていますよね。書くときに、他の作家さんが見てないものを見ているんじゃないかと思って、その仕組みがすごく気になります。
住野 うーん、仕組み……。いや、なんでしょう。前提として、本は娯楽以外の何物でもないと思っています。別に読みたくなければ読まなくてもいいし、娯楽作品なんだから、競争相手はスマホやゲームや漫画だと思っています。
だからかどうか、書くときに、テーマが出発点だったことが僕はたぶんないです。こういうキャラがいたら面白いなとか、こういう設定だったら面白いかな、とか……。『君の膵臓をたべたい』は、タイトルからです。すごいドヤ顔な感じで、「みんな、絶対ビビるだろう」と思って(笑)。もし何かあるとしたら、そういう部分かもしれないです。
彩瀬 書くことへの冷静さがありますよね。私は逆に、テーマから作ることが多いです。そうすると、それに合う形で人物を配置していくことになる。ただ、その配置の仕方を誤ると、はじめに設定した結論を是とするためだけに書いたような、すごく怪しげな小説になってしまうんです。だから、テーマを決めたら、作品の中でそのテーマや問題提起を戦わせていくようにしています。『やがて~』だったら、真奈と遠野くんという、全く違う思想のふたりを設定して、あとは作中で意見を交わさせていく。そうすることで、なるべく私がはじめに想定したものではない結論までいってほしいと思っています。それで最終的に良い結果が出ることももちろんあるんですけど、書いている間はなかなか制御ができなくて、独りよがりになっていないか、あまり目配りがきかない。住野さんはおそらく、テーマから出発されていないから、安定して目配りができているんですね。
住野 「わかりやすさ」という点では、デビュー担当さんの影響も大きいと思います。僕のデビュー担当さんは普段、漫画とラノベの担当をしている方で、いわゆる文芸の単行本は僕しか担当していないんです。だからエンタメに対するハードルが高くて、読みやすさとか、いかに人に届けるかという部分は、すごく言われます。原稿をお渡ししたときに、「ここがわかりにくい」とか。
彩瀬 この部分の感情がうまく伝わらない、みたいなご指摘ですか?
住野 どちらかというと全体の指摘ですね。例えば『よるのばけもの』は当初、明かさないで終わる部分がもっと多かったんです。そうしたら「住野さんに今ついてくれている、初めて自分で本を買ったと言ってくれているような読者さんたちに、これではたぶん伝わらない」と言われて、直しました。そういう読者の方にいかに届けるかを、もっと考えたほうがいいんじゃないかって。
彩瀬 『よるのばけもの』の情報の開示の仕方はすごく適切なように感じたんですけど、もっと伏された状態だと、たしかに今までの作品との段差を感じるかもしれないですね。
そもそも想像しやすいテーマ選びから始まって、「初めて自分で本を買ったと言ってくれているような読者」を想定して、競争相手はスマホやゲームや漫画だと思っていると、あのくらいさらさらした内容になるのかと目から鱗でした。読んで確かにライトノベルよりはずっと一般小説に近いし、章別に出した情報(異なる5人の主要人物で章ごとに視点が変わる)をつなげて考える要素も多数あるし、登場人物の心情説明を適宜間引いて興覚めを減らす工夫もされているし、いろいろ気を回しすぎるような人にとっては深刻なテーマを扱っているのですが、それは気にせずとも読めるし最後まで読めばそれはそれでゴールできる。お堅いと思っていた新潮社の文芸の範疇であれが出てくるとなると、今まで文芸と思っていた線を引きなおさないといけません。よく考えたらそもそも「新潮」ですから、本来は先取の風があるはずですね。
で、何でも芝居にひきつけて書くこのブログとしては、芝居ってわかりづらさを売りにしているなと思いました。いや慣れてくるとある程度隠されている情報を自分でつなげることができて、そのときの感動は目の前で直接説明されることよりもっと大きい感動につながることは知っています。それは芝居でも小説でも変わりません。
でもそれは他にもっとわかりやすいものがたくさんある中に混ざってこそ輝くというか、わかりにくいものがメインになって間口が狭く敷居が高くなるのは業界にとって不幸だと思うのですよ。本当なら三谷幸喜5いのうえひでのり3に野田秀樹1平田オリザ1くらいが健全だと思うのですが、今は野田秀樹1平田オリザ5岩松了3に三谷幸喜1いのうえひでのり1くらいなので、そりゃ三谷幸喜が売れるよねと思ってしまうわけです。
もうひとつ、ここで困るのは、単なるバカ騒ぎを求めているのではないということです。そこを伝えられるような表現がないかというのはたまに考えるのですが、なかなか思いつきません。理想は、誰が観ても面白く、わかる人がみるとニヤニヤできるものです。さすがにそういう芝居を量産するのは難しいとはわかっていますが、目指す人が増えてほしい。
以前「小劇場のポスターを見てもまったく訳分からん人の意見」を書きました。けどそれでは不十分で、この小説家くらい気を配らないと小劇場の観劇人口は増えないのかと、おもわず小説から考えてしまいました。
最後に小説の感想ですけど、さらさらだけでは終わらせない工夫が真ん中の3章で、対談にもありました。
彩瀬 でも、私はパラちゃんの章が読んでいて一番グッと来ましたよ。パーソナリティというか、個々人の見ている世界がこれだけ違うということが作品の一つのテーマだと思うんですけど、だからこそ持っていけた視点人物だなと思います。
この章が他の4章と比べて一番面倒くさい。だけど面白い。この面倒くさい面白さが他の章の読みやすさとバランスして全体が成立しているなと思います。私もこの章が一番グッと来ました。
<2020年12月20日(日)追記>
誤字を直すついでに読み返しましたが、相手の「私はこれまで結構、自分が書きたいものに振り回されて書いてきたので、そこまで気を配れている自覚はなくて」という個所も注目ですね。書いたものでできているかどうかはともかく、こういう問いや疑問を発せられる人の将来は今後も大丈夫に決まっている。
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