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2021年2月20日 (土)

1年経つとさすがに厳しい

すでに新型コロナウィルスが騒がれ始めた時期とは言え、ぎりぎりコロナ前の雰囲気で見られたのが青年団の東京ノートで、2020年2月21日。そこから1年、その間に観た芝居は2本のみ、さすがに芝居を趣味と呼ぶのもはばかられるペースです。

が、それ以上に日常生活の彩りが減るのがつらい。自分ひとりで外食することはあってもふたり以上の外食はほぼ全滅、買物外出は日常用品のみですこし珍しいものは通販頼み、そのほかあれやこれや、厳しいものがあります。芝居が観られないからというより、芝居の予定と組合せて都心に出かけることが多かったなと今更ながら思います。

ワクチン接種がようやく始まりそうですが、自分の番が回ってくるのは当面先です。それまでこの生活で我慢できるのか、そろそろ怪しいと危機感が出てきました。自分は比較的引きこもりが大丈夫な性質だと思っていましたが、それでも1年経つとこうなるかという貴重な経験の最中です。ひょっとしたらワクチン接種という出口が見えてきたために我慢がしんどくなってきたのかもしれません。

全国的に感染者数が下がりましたけど、下げ止まっています。ここからもっと減ってほしいのに下がらないのは、一般的な社会活動以外に「日常生活の彩り」を優先している人が、上は政治家から下は一般人まで、一定数いるからでしょう。世の中のむやみやたらと外交的な性質の人たちは1週間くらいの我慢でこんな気分になっていたのだとすると、そりゃ新型コロナウィルスは広まるわけだと今更納得しています。

いや、実は一般的な社会活動の範囲だとここまでが下げ止まりの限界なのだ、という可能性もありますが、いまの気分では単なる可能性としてその説を受入れるのは難しいので、外交的な性質の人たちに責任をなすりつけます。

「日常生活の彩り」で感染したら自己責任ですが、かといって引きこもり気味の生活で精神がやられたら元も子もありません。それが芝居見物とは限りませんが、芝居見物も含めて、感染リスクと気鬱リスクとを天秤にかけた「日常生活の彩り」のための外出計画を考えないといけない時期に自分はなりました。わりと真面目に危ない、と自分で言えるうちになんとかしないといけません。

2021年2月15日 (月)

マンガの流行と芝居の上演頻度で社会の問題をどこまで追えるか

調べなくともたぶん大勢書いている人がいるだろうと思いつつ、適当なことを書きます。

芝居を観られないので本を読むことが増えて、巻数が多くて場所を取るからと避けていたマンガを久しぶりに読むかと、1月に「鬼滅の刃」を、2月に「約束のネバーランド」をそれぞれ一気読みしました。これぞ大人買いとは買った後で気が付きましたが、気持ちのいいものです。

期せずしてどちらもジャンプ系ですが、その王道をいくような内容で楽しめました。ただ、あまり間を空けずに読んだので気が付いたのですが、鬼と闘うのを別にしても、両者が実に似ています。ジャンプの王道なら展開が似ているのは別におかしくありませんが、敵役の描写がひと方ならないこと、実に今様です。

正義の主人公が悪の敵役をやっつけてめでたしめでたし、が勧善懲悪物語の基本です。昔話と言ってもいい。この場合、物語が始まる時点で敵役はすでに主人公たちに悪いことをやっていて、それに対抗するために主人公が立上がってやっつける、そこに難しい動機付けはありません。敵役の描写があっても、悪さを強調するだけです。主人公が一度負けたり仲間がやられたりしてもなお立ち向かう、くらいなら基本のバリエーションです。

その発展形として、主人公の悩みを描くことが増えました。こんなことをやっていいのか、逃げ出したい、そもそも何のために闘っているんだ、など。雑に書くと正義に対する主人公の懐疑が発展形の中心にあります。闘うことは闘っていても、なかなか主人公は満足できません。

その発展が行きついて、主人公が敵役と闘うこと自体、主人公側の悪役にはめられた大きな悪の一部という話があります。当初は味方と思っていた主人公側の悪役と闘うことまで視野に入れた物語になります。

そこからさらに、悪には悪の事情があることを描く物語が登場しました。私が今様と書いたのはここです。双方事情があるうえでなお闘って主人公が敵役を倒さざるを得ないのが今様の基本形、闘いながらもそこを避けて共生の道を探るのが今様の発展形です。ネタバレになりますが、前者が「鬼滅の刃」、後者が「約束のネバーランド」です。そうは言っても主人公に外さない線を持たせて、最後に悪を引受けて倒される「ラスボス」を用意するところが、王道でありヒットした所以です。

それに合せて、主人公も個人プレーまたはパーティーと言える数人の仲間の戦いから、団体や組織に所属しての闘いになりました。組織と呼ばれるのは悪の組織と昔は相場が決まっていましたが、最近は主人公側も組織があります。ここまで話が複雑になると個人レベルの主人公では追いつけません。これも今様の特徴です。ただし闘う場面ではパーティーと呼べるレベルまで人数を絞って、あるいは同じ規模の複数の闘いに分散させて、なるべく興味を絞らせるのが描写のコツのようです。

物語の変遷の理由は、世の中が複雑になったから、あるいは複雑なことがより広く一般にも見えるようになって、その影響が広範囲に及んできたからでしょう。これも根拠のない直感で書きますが、日本だと1995年の阪神淡路大震災とオウム真理教から始まって、2000年のITバブル崩壊後の就職氷河期時代で決定的になったと思います。世界だと2001年のアメリカの同時多発テロ以降です。その後インターネットが普及しましたが、それまでの先進国の中流階級の仕事を海外に流出させる経済的な影響も引き起こしています。その後、SNSが出てくることで、直近十数年で複雑になった世の中の情報が広く共有されるに至り、ジャンプ連載のマンガですらその複雑さを許容されるに至ったと見ます(読者年齢の高齢化もあるかもしれませんがデータがないのでここでは省きます、そもそも私の年齢が略)。

毎週隔週毎月の連載が主戦場のマンガは、その時々の世情を敏感に受けているはずなので、連載時期と連動させて調べたらいろいろ面白いでしょう。ここまではマンガは表向きの世情の影響を受けるという話です。

何でも芝居にひきつけるこのブログとしては、芝居でも同じようなことが調べられないか気になりました。ただ、芝居はそこまでタイムリーな上演にはなりません。世情を先取りするから炭鉱のカナリアと呼ぶ人たちもいますが、マンガほどはっきりと支持が出てこないので、どの芝居を取りあげるかは難しいです。ならばいっそ、上演頻度で調べられないか。

マンガは世情を敏感に受けると書きましたが、逆に言えば表向きすぎる。それに、発展が始まってからの歴史が数十年です。その点、ギリシャ劇以来、芝居は再演という形で継続的に取りあげられてきました。そういう再演頻度の高い芝居の上演時期を調べることで、世情とは別の、世の中の根底にある問題を調べることができないか。上演回数を調べること自体が難易度が高いのと、その時期の経済状況によって上演に金のかかる芝居は敬遠される傾向がありますが、長期で見れば何か得るところはあるはずです。

あと今様についても芝居にひきつける話題として、昨今の物語は素直な起承転結に収まってくれません。起承転転結とか起承転結再転結とかが多いです。これは確かハリウッドパターンと呼ばれてアメリカ発の映画脚本指南本に載っているという話を読んだ記憶があります。鈴木裕実がそういう脚本ワークショップを開催していたような記憶がありますが、いま検索しても見つかりません。指南本やトレーニングクラスを通じて自覚的な技術として創られているのか、映画鑑賞を通じて無意識に取りこまれて広まったのか、創る側の人たちの意見を探したいです。

最後にマンガの話にもどりますが、「鬼滅の刃」は全22巻、「約束のネバーランド」は全20巻、ジャンプコミックスのページ数で物語マンガを描いてまとめるのにちょうどよい長さです(30巻を超えたら長い)。これを全巻揃えても1万円ちょっとです。値段だけ見たら、これら人気マンガの全巻は高い芝居と大差ありません。ひょっとすると芝居のほうが高いですし、ばら売りで買えるから子供の小遣いでも懐のやりくりがしやすいです。交通費もかかりません。いらなくなったら古本屋なりオークションなりで処分すれば若干金額が戻ります。場所を取る代わりに何度も読めます。

そうでないところ、生身の人間が集まって上演するがゆえに一期一会かつ(上手な芝居では)説得力が大きいところに芝居の値打ちがあるわけですが、価格だけ見ても芝居は分が悪いです。さらに読者数、読者の居住地域まで考えると、人口に膾炙した文化としての影響はマンガのほうが圧倒的に大きい。

2021年2月 4日 (木)

新型コロナウィルスに感染して村井國夫が降板

ミュージカル「WAITRESS」を降板です。事務所より

ミュージカル「ウエイトレス」に出演予定の弊社所属の村井國夫は、稽古開始前に受けましたPCR検査にて新型コロナウイルス陽性反応が出ておりました。発熱もあり入院をして経過をみながら舞台の稽古へ復帰の調整をしておりましたが、入院中の体力低下による稽古への影響を鑑みて、復帰を断念する事となりました。

この度は舞台降板となる旨をご報告させていただきます。
村井の出演を楽しみにお待ちいただいていたお客様、並びにご観劇予定の皆さまには残念なお知らせとなってしまい誠に申し訳ございません。
心よりお詫び申し上げます。

現在村井は退院致しまして、体力回復に専念しております。
下記、村井本人よりのコメントを掲載いたします。

今回、ミュージカル「ウエイトレス」を降板する事となりました。急なこととなり、お詫び申し上げます。

この作品、とても素敵な作品で、出演出来るのを楽しみにしておりました。キャラクターの一人一人が個性的で魅力的で、私の演じるはずの、ジョーも素敵なお役で楽しみにしておりました。

降板は断腸の思いでありますが、心臓に既往症もあり、また76という高齢でもありますので、ここは治療に専念する事といたしました。
入院中は病院の先生方、リハビリの先生、看護師の皆さんには、朝から深夜まで、懇切丁寧な看護を受けまして感謝しております。

作品を楽しみにしておられた皆様、また主催並びに関係者各位には多大なるご迷惑をおかけして申し訳ありません。
この作品の素晴らしさは変わりませんので、どうぞミュージカル「ウエイトレス」を今後も宜しくお願い致します。

2021年2月4日村井國夫

心筋梗塞で公演途中で降板したのが2019年12月です。今回は3月9日東京初日で1か月、その後に福岡、大阪、愛知とツアーを組んで2か月公演なので、普通の病み上がりでも厳しいところ、大事を取るのは致し方ない判断です。すでに退院しているのが何よりなので、復活が待たれます。

新型コロナウィルス感染を公表するのかしないのか

なるほどと思ったのでメモです。NEWSポストセブン「石原さとみが非公表の理由 『コロナ感染発表』に関する芸能界ルール」より。

 これまで芸能人が感染した場合、名前が大々的に報じられてきた。しかし石原が感染したのは1月の中旬だというのに、公表はされていない(2月2日現在)。実は芸能界には、公表か非公表か、あるルールが存在している。

「感染によって、すでに公になっている出演番組を欠席したり、上演中の舞台を降板した場合などは、その理由を説明する必要が出てきます。そのために公表という形をとる。石原さんは、撮影が始まったドラマがまだ正式発表されておらず、撮影の欠席を関係者以外に説明する必要はありません。公になっている仕事を欠席することもなかったので、公表を控えたとみられています」(芸能関係者)

 逆に、情報解禁前のドラマだったから「制作サイドとしては公表してほしくないのが本音」と言うのは、別のテレビ局関係者だ。

「石原さんの感染を公にすると、『いまどんな仕事をしているのか?』『どの仕事に影響があるのか?』という部分も発表せざるを得ません。ドラマの情報解禁は、宣伝期間を決めて戦略的にやるものです。制作側は出演者の感染発表のついでにドラマの情報解禁、というのは避けたかったはず。共演者の中には、『世間に伝えなくていいの?』という声もあったようで、石原さんとしては苦渋の決断だったのかもしれません」(前出・別のテレビ局関係者)

 公表にはこんな“デメリット”もある。現在の芸能界では現場ごとにPCR検査を行っており、多忙な芸能人ほど検査の回数が増える傾向にある。

「たとえ前日のドラマの現場で陰性だったとしても、翌日に別の作品の撮影があれば改めてPCR検査を受けることになります。週に2~3回検査を受けているタレントもいて、これだけ受けていれば偽陽性の反応が出てしまうこともあるんです。ある俳優は陽性反応が出てすぐに公表したものの、翌日以降はずっと陰性。でも一度陽性と公表してしまった手前、2週間の隔離を強いられました」(前出・芸能関係者)

週2-3回検査とかすごい。そういうデメリットも含めた話は報道されているのかな。もっと共有されてもいいと思う。

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