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2021年2月15日 (月)

マンガの流行と芝居の上演頻度で社会の問題をどこまで追えるか

調べなくともたぶん大勢書いている人がいるだろうと思いつつ、適当なことを書きます。

芝居を観られないので本を読むことが増えて、巻数が多くて場所を取るからと避けていたマンガを久しぶりに読むかと、1月に「鬼滅の刃」を、2月に「約束のネバーランド」をそれぞれ一気読みしました。これぞ大人買いとは買った後で気が付きましたが、気持ちのいいものです。

期せずしてどちらもジャンプ系ですが、その王道をいくような内容で楽しめました。ただ、あまり間を空けずに読んだので気が付いたのですが、鬼と闘うのを別にしても、両者が実に似ています。ジャンプの王道なら展開が似ているのは別におかしくありませんが、敵役の描写がひと方ならないこと、実に今様です。

正義の主人公が悪の敵役をやっつけてめでたしめでたし、が勧善懲悪物語の基本です。昔話と言ってもいい。この場合、物語が始まる時点で敵役はすでに主人公たちに悪いことをやっていて、それに対抗するために主人公が立上がってやっつける、そこに難しい動機付けはありません。敵役の描写があっても、悪さを強調するだけです。主人公が一度負けたり仲間がやられたりしてもなお立ち向かう、くらいなら基本のバリエーションです。

その発展形として、主人公の悩みを描くことが増えました。こんなことをやっていいのか、逃げ出したい、そもそも何のために闘っているんだ、など。雑に書くと正義に対する主人公の懐疑が発展形の中心にあります。闘うことは闘っていても、なかなか主人公は満足できません。

その発展が行きついて、主人公が敵役と闘うこと自体、主人公側の悪役にはめられた大きな悪の一部という話があります。当初は味方と思っていた主人公側の悪役と闘うことまで視野に入れた物語になります。

そこからさらに、悪には悪の事情があることを描く物語が登場しました。私が今様と書いたのはここです。双方事情があるうえでなお闘って主人公が敵役を倒さざるを得ないのが今様の基本形、闘いながらもそこを避けて共生の道を探るのが今様の発展形です。ネタバレになりますが、前者が「鬼滅の刃」、後者が「約束のネバーランド」です。そうは言っても主人公に外さない線を持たせて、最後に悪を引受けて倒される「ラスボス」を用意するところが、王道でありヒットした所以です。

それに合せて、主人公も個人プレーまたはパーティーと言える数人の仲間の戦いから、団体や組織に所属しての闘いになりました。組織と呼ばれるのは悪の組織と昔は相場が決まっていましたが、最近は主人公側も組織があります。ここまで話が複雑になると個人レベルの主人公では追いつけません。これも今様の特徴です。ただし闘う場面ではパーティーと呼べるレベルまで人数を絞って、あるいは同じ規模の複数の闘いに分散させて、なるべく興味を絞らせるのが描写のコツのようです。

物語の変遷の理由は、世の中が複雑になったから、あるいは複雑なことがより広く一般にも見えるようになって、その影響が広範囲に及んできたからでしょう。これも根拠のない直感で書きますが、日本だと1995年の阪神淡路大震災とオウム真理教から始まって、2000年のITバブル崩壊後の就職氷河期時代で決定的になったと思います。世界だと2001年のアメリカの同時多発テロ以降です。その後インターネットが普及しましたが、それまでの先進国の中流階級の仕事を海外に流出させる経済的な影響も引き起こしています。その後、SNSが出てくることで、直近十数年で複雑になった世の中の情報が広く共有されるに至り、ジャンプ連載のマンガですらその複雑さを許容されるに至ったと見ます(読者年齢の高齢化もあるかもしれませんがデータがないのでここでは省きます、そもそも私の年齢が略)。

毎週隔週毎月の連載が主戦場のマンガは、その時々の世情を敏感に受けているはずなので、連載時期と連動させて調べたらいろいろ面白いでしょう。ここまではマンガは表向きの世情の影響を受けるという話です。

何でも芝居にひきつけるこのブログとしては、芝居でも同じようなことが調べられないか気になりました。ただ、芝居はそこまでタイムリーな上演にはなりません。世情を先取りするから炭鉱のカナリアと呼ぶ人たちもいますが、マンガほどはっきりと支持が出てこないので、どの芝居を取りあげるかは難しいです。ならばいっそ、上演頻度で調べられないか。

マンガは世情を敏感に受けると書きましたが、逆に言えば表向きすぎる。それに、発展が始まってからの歴史が数十年です。その点、ギリシャ劇以来、芝居は再演という形で継続的に取りあげられてきました。そういう再演頻度の高い芝居の上演時期を調べることで、世情とは別の、世の中の根底にある問題を調べることができないか。上演回数を調べること自体が難易度が高いのと、その時期の経済状況によって上演に金のかかる芝居は敬遠される傾向がありますが、長期で見れば何か得るところはあるはずです。

あと今様についても芝居にひきつける話題として、昨今の物語は素直な起承転結に収まってくれません。起承転転結とか起承転結再転結とかが多いです。これは確かハリウッドパターンと呼ばれてアメリカ発の映画脚本指南本に載っているという話を読んだ記憶があります。鈴木裕実がそういう脚本ワークショップを開催していたような記憶がありますが、いま検索しても見つかりません。指南本やトレーニングクラスを通じて自覚的な技術として創られているのか、映画鑑賞を通じて無意識に取りこまれて広まったのか、創る側の人たちの意見を探したいです。

最後にマンガの話にもどりますが、「鬼滅の刃」は全22巻、「約束のネバーランド」は全20巻、ジャンプコミックスのページ数で物語マンガを描いてまとめるのにちょうどよい長さです(30巻を超えたら長い)。これを全巻揃えても1万円ちょっとです。値段だけ見たら、これら人気マンガの全巻は高い芝居と大差ありません。ひょっとすると芝居のほうが高いですし、ばら売りで買えるから子供の小遣いでも懐のやりくりがしやすいです。交通費もかかりません。いらなくなったら古本屋なりオークションなりで処分すれば若干金額が戻ります。場所を取る代わりに何度も読めます。

そうでないところ、生身の人間が集まって上演するがゆえに一期一会かつ(上手な芝居では)説得力が大きいところに芝居の値打ちがあるわけですが、価格だけ見ても芝居は分が悪いです。さらに読者数、読者の居住地域まで考えると、人口に膾炙した文化としての影響はマンガのほうが圧倒的に大きい。

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