1年経つとさすがに厳しい
すでに新型コロナウィルスが騒がれ始めた時期とは言え、ぎりぎりコロナ前の雰囲気で見られたのが青年団の東京ノートで、2020年2月21日。そこから1年、その間に観た芝居は2本のみ、さすがに芝居を趣味と呼ぶのもはばかられるペースです。
が、それ以上に日常生活の彩りが減るのがつらい。自分ひとりで外食することはあってもふたり以上の外食はほぼ全滅、買物外出は日常用品のみですこし珍しいものは通販頼み、そのほかあれやこれや、厳しいものがあります。芝居が観られないからというより、芝居の予定と組合せて都心に出かけることが多かったなと今更ながら思います。
ワクチン接種がようやく始まりそうですが、自分の番が回ってくるのは当面先です。それまでこの生活で我慢できるのか、そろそろ怪しいと危機感が出てきました。自分は比較的引きこもりが大丈夫な性質だと思っていましたが、それでも1年経つとこうなるかという貴重な経験の最中です。ひょっとしたらワクチン接種という出口が見えてきたために我慢がしんどくなってきたのかもしれません。
全国的に感染者数が下がりましたけど、下げ止まっています。ここからもっと減ってほしいのに下がらないのは、一般的な社会活動以外に「日常生活の彩り」を優先している人が、上は政治家から下は一般人まで、一定数いるからでしょう。世の中のむやみやたらと外交的な性質の人たちは1週間くらいの我慢でこんな気分になっていたのだとすると、そりゃ新型コロナウィルスは広まるわけだと今更納得しています。
いや、実は一般的な社会活動の範囲だとここまでが下げ止まりの限界なのだ、という可能性もありますが、いまの気分では単なる可能性としてその説を受入れるのは難しいので、外交的な性質の人たちに責任をなすりつけます。
「日常生活の彩り」で感染したら自己責任ですが、かといって引きこもり気味の生活で精神がやられたら元も子もありません。それが芝居見物とは限りませんが、芝居見物も含めて、感染リスクと気鬱リスクとを天秤にかけた「日常生活の彩り」のための外出計画を考えないといけない時期に自分はなりました。わりと真面目に危ない、と自分で言えるうちになんとかしないといけません。
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