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2021年5月30日 (日)

野田地図「フェイクスピア」東京芸術劇場プレイハウス

<2021年5月30日(日)昼>

恐山でイタコ見習いを続けて50年、明日の試験で見習いから卒業することを目指すイタコ見習のもとに、珍しく指名が入ったと思ったらダブルブッキング。しかも憑依してほしい死者が客に勝手に憑依する始末。よく見たら片方は高校の同級生。恐山に来た理由を尋ねるうちにもう一人の客が逃げてしまう。

国や自治体の要請と、出演者の体調不良と、両方による公演中止の可能性を考えていたのでスケジュール初期で観劇。休憩なしで2時間5分。言葉遊びで展開を飛ばしていく、いかにも野田秀樹な新作だった。何も考えないで芝居単体に集中すると最後にきれいに締まった芝居で、4回目のカーテンコールでスタンディングオベーション。ただ個人的には、開幕1週間でまだ仕上がっていないというか、熱量不足というか。加えてメタな話を想像すると、うーん、という感想。

先にスタッフワークに触れておくと、ど安定。コロスも含めて衣装が好き。ただ、舞台上を横切る幕を使って早替えするのだけど、間に合っていなくて舞台中央で幕がスローダウンする。あれは幕の長さを倍にしてでも同じ速度で横切ってほしい。幕がワイヤーを伝う音と姿は一定速度を保ってほしい。それと効果音が重なって川平慈英の台詞が聞こえないところはタイミングを打合せてほしい。

で、ネタバレしない範囲で分析。分析というのもおこがましいですね。妄想です。こじらせた客の感想なのであまり気にしないでください。

野田秀樹にしては珍しく、はっきりとしたメッセージを台詞で伝えていました。観れば誰でもわかるし、物語単体としては単純だけど最高の台詞です。ではそのメッセージは、劇中では橋爪功演じる役に向けられていたけど、芝居のメッセージとしては誰に向けられていたか。客ではない、世間でもない、同業者に向けたメッセージだと私は受取りました。不要不急と言われて委縮した同業者に対する、野田秀樹からのメッセージです。そのメッセージのために「あの話」を持ってきて、芝居としてつなげてしまうのが野田秀樹の才能です。

ただ、この1年間、散々「業界」批判をしてきた身としては、先に芝居ではなく素の言葉によるメッセージを野田秀樹に期待したかったです。それを飛ばして芝居によるメッセージを選んだんだ、というのがひとつ。

そしてキャスティング。メッセージを受ける役に橋爪功を置いたのですが、おそらく今回の出演者の中で一番ふてぶてしい、メッセージなんかなくてもどうってことはないという人だと想像します。白石加代子も、ふてぶてしいとはいいませんが、世間の風には追い風も向かい風もあらあなと知っている人だと想像します。

翻ってメッセージを伝える側の高橋一生。丁寧すぎて線が細くなってしまいました。とりあえずもっと声を張ってほしい。そしてメッセージを補強する立場に前田敦子を置いたのは、アイドルとして活躍した経験に加えて「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」と言ってのけた舞台度胸を買ってのことだと想像します。が、これがいまいち効いていませんでした。不慣れな野田芝居のさらに新作でポジションをまだ見つけられていないのか、私生活のごたごたが続いているのか、理由は不明です。

ただこの2名が頑張ったとして、それだけで良くなる感じがしません。全体に絵が共有されていない印象があって、その場合は仕上がり不足。あるいは、出演者たちがそもそもメッセージを信じられていないから弱く見えるのであれば、その場合は熱量不足。いつもだともう少し野田秀樹の出番が多くて、それで台詞のスピードや声量がノってくるのですけど、今回は最初の登場場面までが結構長くて、出番も限られています。それで全体の展開が遅くなったのも一因かと考えます。

こんなこと書きましたけど、よくできた芝居ですよ。繰返しますが、こじらせた客のこじらせた感想なので、あまり信用しないでください。白石加代子と村岡希美はとてもよかったです。

新型コロナウィルス対策メモ。驚くほど簡素。入場口は4列用意。手首検温だけ済ませたら、チケットを見せて自分でもぎり。アルコール消毒は入った後に置いてあるので自分で任意で行なう形。普段は閉めている、入って右側の屋外テラス部分を飲食場所として開放。来場者登録は入って右側にあるも任意。スタッフはマスクとフェイスガード。アナウンスに加えて会話しないでくださいのメッセージボードを持って注意喚起(ただそれでも客席はざわついていた)。最後はエリアを区切っての整列退場。

あと最後に、今回センターブロックは2階席最後方までS席という話を見かけたのですけど、A席がどこだかわかる人がいたら教えてください。観やすいし見切れもないだろうからS席と言われればそんなもんかとも思いますが、それにしたってねえ、ということで。

<2021年5月31日(月)追記>

2日前の公演で白石加代子の台詞がすっぽ抜けていたらしい(ネタバレありブログより)。そういえばカーテンコールではける時に川平慈英がエスコートしていました。今回もっと公演後半で観たほうがいいのかな。

2021年5月29日 (土)

とりあえず緊急事態宣言期間延長のメモ

4月23日分はメモしていたのですが、その後を忘れていました。今回は2021年5月28日に発表された、6月1日から6月20日までの対応です。

大元は内閣官房PDFにあります。

・催物・イベントは、人数上限5000人・収容率50%
・21時までの開催要請・大規模集客施設に対する20時までの時短要請

で、東京都が発表した分もあります。改行は適当です。

●規模要件等に沿った施設の使用を要請(人数上限5,000人かつ収容率50%以内)(法第24条第9項)

●営業時間短縮を要請(法第24条第9項)

○イベント開催の場合は、
   →5時から21時までの営業時間短縮を要請

○イベント開催以外の場合は、
  ・1,000平方メートル超の施設
   →5時から20時までの営業時間短縮を要請
  ・1,000平方メートル以下の施設
   →5時から20時までの営業時間短縮の協力依頼

○映画館については、
  ・1,000平方メートル超の施設
   →5時から21時までの営業時間短縮を要請
  ・1,000平方メートル以下の施設
   →5時から21時までの営業時間短縮の協力依頼

●入場整理等の実施を要請(法第45条第2項)

●施設での飲酒につながる酒類提供及びカラオケ設備使用の自粛要請(法第24条第9項)

●利用者による施設内への酒類の持込を認めないことを要請(法第24条第9項)

すっかり見落としていましたけど、5月12日から5月31日までの延長分もあって、そちらと同じです。大多数の劇場は、終演21時までで、客席半分で、酒類の販売や持込を禁止、の条件です。

ちなみに東京都は「【6月1日から6月20日まで】お問い合わせの多い施設一覧」というPDFを合せて用意していました。「うちの店(施設、イベント、などなど)はどうすればいいのか」と問合せがよっぽど多かったのでしょう。劇場はもともと法律に定義されているからその点は迷わないで済みます。書かれている内容は同じです。

4月に比べると、発表から中1日だったのが中3日、施行日が日曜日から平日になって、だいぶ優しくなりました。

2021年5月16日 (日)

Bunkamuraが再開発で長期休館

ステージナタリーより。

東京・東急百貨店本店の所在地である渋谷区道玄坂2丁目24番地の開発に伴い、東京・Bunkamuraが2023年4月から長期休館することがわかった。

この開発計画は、東急とL Catterton Real Estate、東急百貨店の3社がパートナーシップを結び、推進していくもの。東急百貨店とBunkamuraが一体化することにより、日本を代表するワールドクラスクオリティの施設を、渋谷エリアに創出することを目指す。東急百貨店本店の建物解体工事は2023年春以降に開始予定。また、Bunkamuraでも大規模改修工事が実施される。

Bunkamuraは、1989年に開館した複合文化施設。Bunkamuraは、Bunkamura オーチャードホール、Bunkamura シアターコクーン、Bunkamura ル・シネマ、Bunkamura ザ・ミュージアムをはじめとする複数の文化施設を併せ持っている。

百貨店が解体なのは確定として、Bunkamuraは改修で済むのでしょうか。昔は気が付きませんでしたけど、いくつも出来た新しい劇場と比べると、施設全体がゆったり作られていることに気が付きます。バブル時代の余裕がいい方向で発揮された例です。

オーチャードホールは一度行ったかどうかくらいでほとんどわかりませんが、シアターコクーンのロビーもゆったりしています。そこまで広いわけではありませんが、1階のロビーの形が幅広い長方形で取られていることは見逃せません。それにロビー内外の一体感もあるため、来場時には何となくそこまでロビー感があります。客席数に対して中二階への階段の幅が広いのもいいですね。

中二階(それとも二階でしたっけ)からも松濤側に出られることによる避難経路の多重化も地震の心配が開館当時よりも大きくなった今となっては見逃せません。場所効率を極限まで追求した新しい民間劇場が持てなかった余裕です。

男性用トイレは数が多いのでいつも並ばずに済みます。あれもすばらしい。足りないものは他の劇場と同じく行列ができる女性用トイレの数くらいでしょうか。

シアターコクーンの前の吹抜けなんて、雨の日には手すりを超えて入り込んでくるし、地下のカフェエリアは屋外席直撃です。雨が降ったらそういうものだ、くらいの思い込みが施主と設計者にないとあの設計はできません。通路の幅とか、吹抜けとか、まったく金にならないところに割いた余裕があの雰囲気です。

うっかりすると吹抜けや松濤側出入口を潰しての場所効率追求とかされてしまいそうです。できればあの余裕は生かして、設備改修で済んでほしいです。

2021年5月 9日 (日)

中途半端な海老蔵歌舞伎座公演

七月歌舞伎の演目が発表されました。三部制で、第二部に白鸚の「身替座禅」と、吉右衛門の「御存 鈴ヶ森」が組まれています。吉右衛門の復帰に合せて、できるうちに兄弟出演を組んでおこうとの意図だと思います。無事に上演できたらめでたいことです。

ところで第三部の海老蔵の「雷神不動北山櫻」です。第一部と第二部が7月4日から7月29日まで、通常通りの1か月公演のところ、7月16日までの半月公演になっています。せめて18日の日曜日まで組めばよいものを、なんとも中途半端です。

ありそうな話として、海老蔵がオリンピックの開幕に何か絡んでいるため、直前1週間の予定を空けているということです。ただ、中途半端です。それなら出演を前後の月にずらせばよいでしょうに、これみよがしに7月に組むのが解せません。

それに絡んで妄想です。海老蔵は休演日その他で松竹と喧嘩していたとどこかで読みました。週刊新潮の記事だったかな。それがあってかどうか、新型コロナウィルスで流れた襲名披露公演以降、ここまで一度も歌舞伎座に出ていません。梨園で受けが悪いというゴシップ記事も何度か出ています。襲名披露の演目や出演者もギリギリまで決まらなかったと記憶しています。ありていに言えば干されています。

そこで松竹が、七月だったら空いているけどオリンピックに出るから無理だよねー、と吹っ掛けて、途中まででいいのでお願いしますと海老蔵が頭を下げた。あるいは、オリンピックの開幕に起用する歌舞伎役者が歌舞伎座に出ていないのは格好がつかないと電通あたりが奔走して、七月だったら譲ったる、と松竹が渋々譲歩した。

妄想ですよ妄想。でも、今の歌舞伎座は座席半数の公演で、収支ぎりぎりのはずです。公演期間が長いほうが美術や衣装の費用もステージ単価を下げられるでしょうに、こんな中途半端な公演を組む余裕はないはずです。妄想しないとこんな中途半端な公演にした理由が思いつきません。

そこからさらに妄想です。オリンピックの開幕演出が、もともとMIKIKO演出だったのにいろいろあって、演出家交代になった騒動は記憶に新しいです。その時の演出案が「AKIRA」を元にした演出だったことはすでにばらされています。なので同じ案を手直しして使うわけにはいきません。

七月歌舞伎で上演予定の「雷神不動北山櫻」は、海老蔵が一人複数役をこなす演目のようです。なのでもし海老蔵がオリンピックの開幕で何かを務めるとしたら、早替わりで何かをこなす役割だと妄想します。

オリンピックが開催されないと答え合せはできませんが、妄想するだけならどこにも実害はありませんので、書くだけ書いておきます。

<2021年7月23日(金)追記>

海老蔵が出るのは当てましたけど、早替りではありませんでした。あれは「暫」の衣装だっけか。

2021年5月 5日 (水)

文化庁のホームページから文化の定義を考える

新型コロナウィルス以降、このブログでは文化や芸術を批判的に取上げてきました。何とかこの言葉を使わないで済むようにしたい。ところであらためて、文化や芸術とは何だろうかと考えたら、これは範囲が広くて手に負えるものではありません。Wikipediaの「文化」には以下のようにありました。

文化(ぶんか、ラテン語: cultura)にはいくつかの定義が存在するが、総じていうと人間が社会の構成員として獲得する多数の振る舞いの全体のことである。社会組織(年齢別グループ、地域社会、血縁組織などを含む)ごとに固有の文化があるとされ、組織の成員になるということは、その文化を身につける(身体化)ということでもある。人は同時に複数の組織に所属することが可能であり、異なる組織に共通する文化が存在することもある。もっとも文化は、次の意味で使われることも多い。

ハイカルチャーのように洗練された生活様式
ポップカルチャーのような大衆的な生活様式
伝統的な行為

なお、日本語の「文化」という語は坪内逍遥によるものとされている。

こんなところに坪内逍遥が出てくるとは思いませんでした。シェイクスピア以外にもいろいろ翻訳している。

それはさておき、もう少し具体的に定義されている情報が何かないかと考えて、文化庁のホームページを見てみました。それらしいページを探して「1.文化芸術振興の意義」を見つけました。

文化芸術は,最も広義の「文化」と捉えれば,人間の自然との関わりや風土の中で生まれ,育ち,身に付けていく立ち居振る舞いや,衣食住をはじめとする暮らし,生活様式,価値観など,およそ人間と人間の生活に関わる総体を意味する。他方で,「人間が理想を実現していくための精神活動及びその成果」という視点で捉えると,その意義については,次のように整理できる。
(略)

意義ではなく、このページで呼ぶところの文化芸術を定義してほしいのですが、なかなか上手くいきません。そこで思いついて、文化庁の組織図を見てみました。食文化や文化観光も文化庁の対象なんだ、という発見もありますが、寄道してはいけません。これによると今は9課4参事官で以下の構成です。カバーする分野に対して定員294人は少ないですね。3倍くらいいると思っていました。契約社員などもそれなりにいるのでしょう。

・政策課(会計室、文化政策調査研究室)
・企画調整課
・文化経済・国際課(国際文化交流室)
・国語課(地域日本語教育推進室)
・著作権課(国際著作権室、著作物流通推進室)
・文化資源活用課(文化遺産国際協力室)
・文化財第一課
・文化財第二課
・宗務課
・参事官(文化創造担当)
・参事官(芸術文化担当)
・参事官(食文化担当)
・参事官(文化観光担当)

今回の目的だと「参事官(芸術文化担当)」あたりが対象になりそうです。そこで芸術文化のページを調べると、このような記載が見つかりました。

 音楽,演劇,舞踊,映画,アニメーション,マンガ等の芸術文化は,人々に感動や生きる喜びをもたらして人生を豊かにするものであると同時に,社会全体を活性化する上で大きな力となるものであり,その果たす役割は極めて重要です。
 文化庁では,我が国の芸術文化を振興するため,音楽,映画,舞踊等の舞台芸術創造活動への支援,若手をはじめとする芸術家の育成,子供の文化芸術体験の充実,地域の芸術文化活動への支援,文化庁メディア芸術祭の開催をはじめとした映画やアニメーション,マンガ等のメディア芸術の振興等に取り組んでいます。

なるほど、と思いつつ、絵画や彫刻などはどこに含まれるのだろうと調べたら、文化財の紹介ページがあり、「有形文化財(建造物)」「有形文化財(美術工芸品)」「無形文化財」「民俗文化財記念物」「文化的景観」「伝統的建造物群保存地区」が挙げられていました。そこから有形文化財(美術工芸品)のページに飛ぶと、以下の記述があります。

 建造物,絵画,彫刻,工芸品,書跡,典籍,古文書,考古資料,歴史資料などの有形の文化的所産で,我が国にとって歴史上,芸術上,学術上価値の高いものを総称して有形文化財と呼んでいます。このうち,建造物以外のものを総称して「美術工芸品」と呼んでいます。

つまり、我々が何となく狭義に芸術と呼んでいる範囲から、有形文化財となる建造物と美術工芸品を除いたものが、芸術文化とみなされます。具体例は先に引用した通り「音楽,演劇,舞踊,映画,アニメーション,マンガ等の芸術文化」です。

ただ、これは具体例であって、定義と呼ぶには微妙です。もう一度引用します。

 音楽,演劇,舞踊,映画,アニメーション,マンガ等の芸術文化は,人々に感動や生きる喜びをもたらして人生を豊かにするものであると同時に,社会全体を活性化する上で大きな力となるものであり,その果たす役割は極めて重要です。

役割は書いてありますが、定義としては曖昧です。最初は美術工芸品を作品系、芸術文化を表現系と区分できるかと考えました。でも、美術工芸品で表現する作家もいれば、映画やアニメやマンガは作品と呼べます。ならは表現系に代わって上演系はどうかと思いましたが、記録されて購入や配信されるものを上演系も違和感があります。なによりマンガを含めにくい。実演系とメディア系で分けられないかとも思いましたが、音楽と映画が場合によってどちらの区分にも含まれうるので、それも難しいです。

なので、鑑賞時間という区分を考えてみました。「最初から最後まで鑑賞するのに、鑑賞側に一定の時間を要する作品分野」を文化庁流の芸術文化と呼ぶ、ですね。文化庁の記述で色付けするならこうです。

「鑑賞に一定の時間を要する分野の作品のうち、人々に感動や生きる喜びをもたらして人生を豊かにするものであると同時に、社会全体を活性化する上で大きな力となる価値の高いものを総称して、芸術文化と呼ぶ」

書いてみて、まだ違和感があります。「芸術文化」という大括りな言葉に対してです。なぜかと考えるに、美術工芸品なら「品」が対象なのに、こちらは「文化」が対象となっています。大きさが合いません。

これは芝居を考えると想像がつきます。上演されるまで仕上がりがわからないものを文化庁が支援するときに、「品」が対象では支援ができません。なので「文化」を支援するという建付けをそこはかとなく表した言葉になっているのでしょう。文化庁の組織では、大まかに「育成と振興」が目的の部署と、「保護と継承」が目的の部署とがあり、「育成と振興」が目的の部署なら、それはもう組織の都合なのでしょうがないですね

でもここでは定義を問題にしていますので「品」を付けましょう。ただ、メディアで定着するものと、上演したら一過性のものとがありますので、「作品」と呼ぶほうが良さそうです。あと、芸術という言葉は一般的には美術工芸品などを含みますから、使わないほうが無難です。

あと、作品と関係者や業界を混同しないように定義しておきたいです。単に文化と呼ぶと、俺が文化だとか言い出す人が出てきてややこしくなります。

それで直すとこうなります。やや強引ですがしょうがないです。

「鑑賞に一定の時間を要する分野の作品を総称して、鑑賞作品と呼ぶ。そのうち、人々に感動や生きる喜びをもたらして人生を豊かにするものであると同時に、社会全体を活性化する上で大きな力となる価値の高いものを総称して、文化作品と呼ぶ。鑑賞作品の製作から鑑賞可能な状態を提供するまでの一連の作業に携わる関係者の仕事を総称して、鑑賞業界と呼ぶ」

価値は誰が判断するんだって話ですが、何事も上中下があらあな、としかいえません。美術工芸品だって上中下があるので。私は、文化や芸術という言葉が濫用されることを制限したいので、ひとまずこの定義でよいと考えます。自分の中で整理がついたのですっきりしました。

補足です。文化庁のホームページを読んでいて、「芸術文化」の一区分にメディア芸術のページがあり、ゲームがここに含まれていました。将来、独立した扱いになると予想します。

そして文化庁のホームページを読んでいて見つからなかったのが小説です。今回の私の定義に従えば鑑賞作品に含まれます。「芸術文化」の具体例にマンガはあっても小説の記述がありません。「著作権課」があり、著作権のページがあるので書籍出版関係はそちらと縁が深いのかなと想像しますが、文化庁内の区分がどうなっているのか、気になります。

2021年5月 4日 (火)

昔も今もわからないものは面白くない

庵野秀明の言葉として「謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる」を見かけました。NHKの「プロフェッショナルの流儀」での発言らしいです。NHKもシン・エヴァンゲリオンも観ていませんが、気になったので検索したら、考察している人のTwitterがひっかかりました。リンクは一連のスレッドに張ります。

多英子
@0000taeko
庵野監督の「謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる」って言葉にめちゃくちゃ同意してしまった。
エヴァはそういうものとして定着してるから世界観の説明不足込みで歓迎されて受け入れられたけど、一般的にはもう「解らないもの=面白くないもの」として切り捨てられる時代が来てる。
午前8:37 ・ 2021年3月23日

*

twitterでは考察文化が健在だけど、普通の人は解らないものをいちいち考えたりしないし読み解こうとしないし寄り添おうとしない。
シン・エヴァ見て一番明確に違いを感じた部分がそこ。謎を謎のまま終わらせず開示する。特にキャラクターの内面が詳細に語られ、明確な回答を得られた。

*

シン・エヴァ、設定や展開は相変わらずぼんやり察するしかないんだけど、これまで語られなかった『キャラクター達が何を考えてどう動いていたか』って部分が(Qを含め)明確に言語化されてて… 今までより親切というか、視聴者に物語を伝える気がある映画だったし、ちゃんと商業作品だった。

*

鬼滅と比べると面白い。

TV版エヴァが社会現象になった時代と、鬼滅が社会現象になってる今では、視聴者の質や大衆が求めるものが違う。

「解らないのを読み解く」ことが魅力だったエヴァと、難解さが排除され丁寧に言語化されてるから何も考えなくても理解でき誤読ができない鬼滅。

*

少し前まで、最終話付近で唐突に世界観大きくして超スピードで振り落とすオリジナルアニメ作品って多かったけど、今はすごく減ってるというか、流行ってない。
『理解できない→理解できるまで考える→面白い!』って時代から、『理解できない=面白くない』って時代になっちゃった。

*

個人的に自分が「シン・エヴァすごいな」と思ったのは、宮崎さんや高畑さんみたいに「言わなくても伝わる」(と思い込んで)視聴者に丸投げするスタイルを通すんじゃなく、時代に寄せてある程度しっかり言語化し、理解までの筋道を引いて、視聴者と対話しようとしたこと。

*

庵野監督の世代やエヴァ古参勢と、今の若いオタク層(自分含む)では、難しい作品を読解しようとする熱量も、そもそもの知識量も全く違う。
「あんまり説明しすぎても…」じゃないんだよな。
伝えたいことがあるなら、伝わるように表現しないと、マジで伝わらない。

*

私自身は考察するにも見るのも好きだし、考えて楽しむタイプのアニメは好きだけど…
今の世の中、何も考えずに楽しめるエンタメが溢れてるから、「理解できない=面白くない」と思うのも仕方ない。

*

シン・エヴァは、なにを求めて見たかによって満足度が違いそう。

エヴァのことを知りたくて、解答や理解や結末を求めた人は楽しめるだろうけど、「エヴァらしいもの(わけが解らないのに魅力的なもの)」を求めた人は「こんなのエヴァじゃない!」って思うかもしれない。

*

若年層の貧困も関係あるのかな。
ずっと不景気で夢も希望も無く生きるのに必死だと、そもそも1作品にどっぷり浸る心の余裕は無い。
そういう人達がエンタメに求めるのは、手っ取り早く日常生活の鬱憤を晴らす、解りやすい「爽快感」や「癒し」だろうし。

*

エヴァが時代に合わないという話ではない。むしろエヴァはどんな時代でも絶対刺さる層がいる強い作品だと思う。
ただ、シン・エヴァのアプローチがこれまでと少し違ったのは確かで、25年の歴史を背負いながらも、現代のエンタメとして成立させようとしてたのが印象的だったという、個人の感想です。

元ネタを観ていなくてもわかる、明晰な考察です。だからこそコメントしたい。

「一般的にはもう『解らないもの=面白くないもの』として切り捨てられる時代が来てる」とありますが、昔も今も同じだと考えます。面白そうと思えばこそ、客は店まで足を運んで自腹で金を払います。客は面白いものを見つける嗅覚より先に、わからないものをスルーする能力を身に付けています。わからないけど面白そうなんて例外ですし、わからないけど面白かったなんて例外中の例外です。

だから、わからないと判断する人の数が、一時期増えていたけど旧に戻ったと理解したほうがおそらく正しいです。前提として、昔は暇な若者が多かったから絶対数があるていど多かったのが、少子化で人数が減って、分母が減ったのは抑えておく必要があります。

そしてその中で、多少の増減はあっても「わからなさそうだから手を出さない」人と「最後まで観たけどわからないし面白くなかった」人の割合は、そんなに変わらないのではないでしょうか。

それでもなお「謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる」としたら、それはなぜか。たぶん、この喜ぶ人は「謎を知ることに楽しみを覚える人」と「謎の解を知っていることに価値を見出す人」の2種類の人種が混ざっているのだと思います。

このうち、特に後者の人数は減ったのではないでしょうか。謎の解を知っていることの価値が暴落して、自慢にならなくなったからだと考えます。インターネットが発達したので、検索してすぐにわかる解は自慢になりません。

いやいや、やっぱり「謎を知ることに楽しみを覚える人」が人口減以上に減ったんだよと反論されたらどうするか。趣味が分散されたと私は仮定します。

謎を知る楽しみには時間が必要です。そこに時間を費やせる人は、昔も今も少数派ではないでしょうか。昔は万人に手が届く趣味として小説やアニメに比較的集中していたそれらの人が、趣味の多様化に伴って別の分野に移った。結果、娯楽として純粋に鑑賞する人が増えた。

誤解のないように書きますが、小説やアニメを娯楽として楽しむ人も、別の分野では知るスタイルで楽しんでいる人も多いでしょう。スポーツに打ちこんでトレーニング方法や道具や作戦について調べる人もいれば、旅行した先が気に入って名所や歴史を調べる人もいれば、食べ歩きが高じて自分で料理を研究する人もいるでしょう。

小説やアニメは不要不急です。なんならスポーツも旅行も食べ歩きも不要不急です。不要不急を娯楽として過ごすなんて王道中の王道の楽しみ方です。そこに謎は求めないのが普通です。

話は変わって。

エヴァンゲリオンは、初代のテレビ放送だけ、話題になっていたので再放送だかなんだかで観たことがあります。ほとんど覚えていませんが、最後に「僕はここにいていいんだ」と主人公が気が付いて終わるのを観て、演劇っぽいラストだな、と納得してそれっきりになってしまいました。それを見た後に、キャラ推しとは別に、あの場面は何それが引用元で、というのを見かけたときに、そんなこと気にするんだと思ったことを覚えています。

エヴァンゲリオンは、少なくとも初代テレビの範囲で、主人公の心情には一応の結末をつけていました。登場人物たちに(当時の感覚で)共感できる要素も散りばめられていたと記憶しています。なんだかんだいって、エヴァンゲリオンが流行った理由の一つはキャラ描写がよくできていたからだと私は考えます。謎しかなかったら、駄作扱いされていたはずです。謎を喜べるものには、謎ではない要素も用意されてバランスが取られているのが普通です。

以前「文芸性とエンタメ性とわかりやすさに心を砕くことについて」というエントリーで、こんなことを書きました。

で、何でも芝居にひきつけて書くこのブログとしては、芝居ってわかりづらさを売りにしているなと思いました。いや慣れてくるとある程度隠されている情報を自分でつなげることができて、そのときの感動は目の前で直接説明されることよりもっと大きい感動につながることは知っています。それは芝居でも小説でも変わりません。

でもそれは他にもっとわかりやすいものがたくさんある中に混ざってこそ輝くというか、わかりにくいものがメインになって間口が狭く敷居が高くなるのは業界にとって不幸だと思うのですよ。
(略)
もうひとつ、ここで困るのは、単なるバカ騒ぎを求めているのではないということです。そこを伝えられるような表現がないかというのはたまに考えるのですが、なかなか思いつきません。理想は、誰が観ても面白く、わかる人がみるとニヤニヤできるものです。

今回の話題に沿って「そこを伝えられるような表現」を思いつきました。求めているのは、謎ではなく、わかりづらさでもなく、奥深さです。そしてわかりやすさと奥深さとは両立し得るものです。両立のキーワードは情報の「選択」「密度」「順序」だと思いますが、それはまだ説明できないので省略します。

謎に包まれたものやわかりづらいものが売りになったのであれば、周りがわかりやすさを売りにしてくれていたおかげだと思います。周りに関係なく本当に売りになっていたのだとしたら、その時代のほうが特殊です。小説でもマンガでもアニメでも映画でも芝居でも、昔も今も、わかりやすさと奥深さの両立が求められるのだと考えます。芝居の役割だと、脚本と同じくらい、演出に力量が求められるようになってきたというか。

最後に。「伝えたいことがあるなら、伝わるように表現しないと、マジで伝わらない。」については、これはNHKの元番組やシン・エヴァンゲリオンを観ていないとわからない感覚がありそうです。ただ、「リアリティーより説得力」という本谷有希子の言葉を載せておきます。伝わるように表現することと伝えたことに説得力を持たせることとは別ですよね、というコメントです。

2021年5月 3日 (月)

新型コロナウィルスの感染者数を睨みながら芝居を観に行こうか迷う

実際に緊急事態宣言が出てみると、観たい芝居が絞られます。中止になったものもありますけど、とりあえず最初に挙げた芝居が半分以下になりました。

変異株は感染力が強いと言われてどうなるか。様子を見ていたらチケットの購入もできないし、さりとて購入ボタンを押す勇気もないし、困ったものです。

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