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2021年5月 4日 (火)

昔も今もわからないものは面白くない

庵野秀明の言葉として「謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる」を見かけました。NHKの「プロフェッショナルの流儀」での発言らしいです。NHKもシン・エヴァンゲリオンも観ていませんが、気になったので検索したら、考察している人のTwitterがひっかかりました。リンクは一連のスレッドに張ります。

多英子
@0000taeko
庵野監督の「謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる」って言葉にめちゃくちゃ同意してしまった。
エヴァはそういうものとして定着してるから世界観の説明不足込みで歓迎されて受け入れられたけど、一般的にはもう「解らないもの=面白くないもの」として切り捨てられる時代が来てる。
午前8:37 ・ 2021年3月23日

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twitterでは考察文化が健在だけど、普通の人は解らないものをいちいち考えたりしないし読み解こうとしないし寄り添おうとしない。
シン・エヴァ見て一番明確に違いを感じた部分がそこ。謎を謎のまま終わらせず開示する。特にキャラクターの内面が詳細に語られ、明確な回答を得られた。

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シン・エヴァ、設定や展開は相変わらずぼんやり察するしかないんだけど、これまで語られなかった『キャラクター達が何を考えてどう動いていたか』って部分が(Qを含め)明確に言語化されてて… 今までより親切というか、視聴者に物語を伝える気がある映画だったし、ちゃんと商業作品だった。

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鬼滅と比べると面白い。

TV版エヴァが社会現象になった時代と、鬼滅が社会現象になってる今では、視聴者の質や大衆が求めるものが違う。

「解らないのを読み解く」ことが魅力だったエヴァと、難解さが排除され丁寧に言語化されてるから何も考えなくても理解でき誤読ができない鬼滅。

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少し前まで、最終話付近で唐突に世界観大きくして超スピードで振り落とすオリジナルアニメ作品って多かったけど、今はすごく減ってるというか、流行ってない。
『理解できない→理解できるまで考える→面白い!』って時代から、『理解できない=面白くない』って時代になっちゃった。

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個人的に自分が「シン・エヴァすごいな」と思ったのは、宮崎さんや高畑さんみたいに「言わなくても伝わる」(と思い込んで)視聴者に丸投げするスタイルを通すんじゃなく、時代に寄せてある程度しっかり言語化し、理解までの筋道を引いて、視聴者と対話しようとしたこと。

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庵野監督の世代やエヴァ古参勢と、今の若いオタク層(自分含む)では、難しい作品を読解しようとする熱量も、そもそもの知識量も全く違う。
「あんまり説明しすぎても…」じゃないんだよな。
伝えたいことがあるなら、伝わるように表現しないと、マジで伝わらない。

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私自身は考察するにも見るのも好きだし、考えて楽しむタイプのアニメは好きだけど…
今の世の中、何も考えずに楽しめるエンタメが溢れてるから、「理解できない=面白くない」と思うのも仕方ない。

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シン・エヴァは、なにを求めて見たかによって満足度が違いそう。

エヴァのことを知りたくて、解答や理解や結末を求めた人は楽しめるだろうけど、「エヴァらしいもの(わけが解らないのに魅力的なもの)」を求めた人は「こんなのエヴァじゃない!」って思うかもしれない。

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若年層の貧困も関係あるのかな。
ずっと不景気で夢も希望も無く生きるのに必死だと、そもそも1作品にどっぷり浸る心の余裕は無い。
そういう人達がエンタメに求めるのは、手っ取り早く日常生活の鬱憤を晴らす、解りやすい「爽快感」や「癒し」だろうし。

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エヴァが時代に合わないという話ではない。むしろエヴァはどんな時代でも絶対刺さる層がいる強い作品だと思う。
ただ、シン・エヴァのアプローチがこれまでと少し違ったのは確かで、25年の歴史を背負いながらも、現代のエンタメとして成立させようとしてたのが印象的だったという、個人の感想です。

元ネタを観ていなくてもわかる、明晰な考察です。だからこそコメントしたい。

「一般的にはもう『解らないもの=面白くないもの』として切り捨てられる時代が来てる」とありますが、昔も今も同じだと考えます。面白そうと思えばこそ、客は店まで足を運んで自腹で金を払います。客は面白いものを見つける嗅覚より先に、わからないものをスルーする能力を身に付けています。わからないけど面白そうなんて例外ですし、わからないけど面白かったなんて例外中の例外です。

だから、わからないと判断する人の数が、一時期増えていたけど旧に戻ったと理解したほうがおそらく正しいです。前提として、昔は暇な若者が多かったから絶対数があるていど多かったのが、少子化で人数が減って、分母が減ったのは抑えておく必要があります。

そしてその中で、多少の増減はあっても「わからなさそうだから手を出さない」人と「最後まで観たけどわからないし面白くなかった」人の割合は、そんなに変わらないのではないでしょうか。

それでもなお「謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる」としたら、それはなぜか。たぶん、この喜ぶ人は「謎を知ることに楽しみを覚える人」と「謎の解を知っていることに価値を見出す人」の2種類の人種が混ざっているのだと思います。

このうち、特に後者の人数は減ったのではないでしょうか。謎の解を知っていることの価値が暴落して、自慢にならなくなったからだと考えます。インターネットが発達したので、検索してすぐにわかる解は自慢になりません。

いやいや、やっぱり「謎を知ることに楽しみを覚える人」が人口減以上に減ったんだよと反論されたらどうするか。趣味が分散されたと私は仮定します。

謎を知る楽しみには時間が必要です。そこに時間を費やせる人は、昔も今も少数派ではないでしょうか。昔は万人に手が届く趣味として小説やアニメに比較的集中していたそれらの人が、趣味の多様化に伴って別の分野に移った。結果、娯楽として純粋に鑑賞する人が増えた。

誤解のないように書きますが、小説やアニメを娯楽として楽しむ人も、別の分野では知るスタイルで楽しんでいる人も多いでしょう。スポーツに打ちこんでトレーニング方法や道具や作戦について調べる人もいれば、旅行した先が気に入って名所や歴史を調べる人もいれば、食べ歩きが高じて自分で料理を研究する人もいるでしょう。

小説やアニメは不要不急です。なんならスポーツも旅行も食べ歩きも不要不急です。不要不急を娯楽として過ごすなんて王道中の王道の楽しみ方です。そこに謎は求めないのが普通です。

話は変わって。

エヴァンゲリオンは、初代のテレビ放送だけ、話題になっていたので再放送だかなんだかで観たことがあります。ほとんど覚えていませんが、最後に「僕はここにいていいんだ」と主人公が気が付いて終わるのを観て、演劇っぽいラストだな、と納得してそれっきりになってしまいました。それを見た後に、キャラ推しとは別に、あの場面は何それが引用元で、というのを見かけたときに、そんなこと気にするんだと思ったことを覚えています。

エヴァンゲリオンは、少なくとも初代テレビの範囲で、主人公の心情には一応の結末をつけていました。登場人物たちに(当時の感覚で)共感できる要素も散りばめられていたと記憶しています。なんだかんだいって、エヴァンゲリオンが流行った理由の一つはキャラ描写がよくできていたからだと私は考えます。謎しかなかったら、駄作扱いされていたはずです。謎を喜べるものには、謎ではない要素も用意されてバランスが取られているのが普通です。

以前「文芸性とエンタメ性とわかりやすさに心を砕くことについて」というエントリーで、こんなことを書きました。

で、何でも芝居にひきつけて書くこのブログとしては、芝居ってわかりづらさを売りにしているなと思いました。いや慣れてくるとある程度隠されている情報を自分でつなげることができて、そのときの感動は目の前で直接説明されることよりもっと大きい感動につながることは知っています。それは芝居でも小説でも変わりません。

でもそれは他にもっとわかりやすいものがたくさんある中に混ざってこそ輝くというか、わかりにくいものがメインになって間口が狭く敷居が高くなるのは業界にとって不幸だと思うのですよ。
(略)
もうひとつ、ここで困るのは、単なるバカ騒ぎを求めているのではないということです。そこを伝えられるような表現がないかというのはたまに考えるのですが、なかなか思いつきません。理想は、誰が観ても面白く、わかる人がみるとニヤニヤできるものです。

今回の話題に沿って「そこを伝えられるような表現」を思いつきました。求めているのは、謎ではなく、わかりづらさでもなく、奥深さです。そしてわかりやすさと奥深さとは両立し得るものです。両立のキーワードは情報の「選択」「密度」「順序」だと思いますが、それはまだ説明できないので省略します。

謎に包まれたものやわかりづらいものが売りになったのであれば、周りがわかりやすさを売りにしてくれていたおかげだと思います。周りに関係なく本当に売りになっていたのだとしたら、その時代のほうが特殊です。小説でもマンガでもアニメでも映画でも芝居でも、昔も今も、わかりやすさと奥深さの両立が求められるのだと考えます。芝居の役割だと、脚本と同じくらい、演出に力量が求められるようになってきたというか。

最後に。「伝えたいことがあるなら、伝わるように表現しないと、マジで伝わらない。」については、これはNHKの元番組やシン・エヴァンゲリオンを観ていないとわからない感覚がありそうです。ただ、「リアリティーより説得力」という本谷有希子の言葉を載せておきます。伝わるように表現することと伝えたことに説得力を持たせることとは別ですよね、というコメントです。

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