日テレNEWS24「菅首相『言語道断だ』 小林賢太郎さん解任」より。
東京オリンピックの開会式の演出の調整役だった元お笑いタレントの小林賢太郎さんが過去にユダヤ人大量虐殺をネタにしていたことがわかり、組織委員会の橋本会長が小林さんの解任を発表し謝罪しました。
これを受けて菅首相が22日午後、記者団の取材に応じ、「言語道断だ」などと述べました。
記者団とのやりとりは以下の通りです。
Q.解任の受け止め。
菅首相
「ご指摘の件については言語道断。全く受け入れることは出来ない」
Q.総理としてどの部分を問題にして組織委員会にどう対応したのか。
菅首相
「このことはあってはならないことですから、そこについては秘書官を通じてこれは受け入れられないということで対応した」
Q.開会式は予定通り行うべきか
菅首相
「そこは予定通り行うべきだと思う」
Q関係者の辞任相次ぐ。大会成功への自信は。
菅首相
「組織委員会においては重く受け止めていると思う。それと同時に、これから準備すべき点はしっかり準備する中で、やはり今まで準備してきたことについて、だめなものは事実のなかでしっかりやってほしいと思っている」
小林賢太郎はコメントを残して解任を受入れました。ハフィントンポスト「小林賢太郎さん解任。コメント全文『自分の愚かな言葉選びが間違いだった』」より。
小林賢太郎と申します。私は元コメディアンで、引退後の今はエンターテイメントに裏方として携わっております。
かつて私が書いたコントのセリフの中に、不適切な表現があったというご指摘をいただきました。
確かにご指摘の通り、1998年に発売された若手芸人を紹介するビデオソフトの中で、私が書いたコントのセリフに極めて不謹慎な表現が含まれていました。
ご指摘を受け、当時のことを思い返しました。思うように人を笑わせられなくて、浅はかに人の気を引こうとしていた頃だと思います。その後自分でも良くないと思い、考えを改め、人を傷つけない笑いを目指すようになっていきました。
人を楽しませる仕事の自分が、人に不快な思いをさせることはあってはならないことです。当時の自分の愚かな言葉選びが間違いだったということを理解し、反省しています。
不快に思われた方々にお詫びを申し上げます。申し訳ありませんでした。
先ほど、組織委員会からショーディレクター解任のご連絡をいただきました。
ここまで、この式典に携わらせていただいたことに感謝いたします。
小林賢太郎
合せて片桐仁もコメントを発表しています。所属事務所「報道に関する片桐仁からのコメント」より。
この度は、23年前のラーメンズのコント内での極めて不適切なセリフにより、多くの方々に不快な思いをさせてしまい、深くお詫び申し上げます。
当時、差別的な表現や不謹慎な言い回しに対する意識が低く、それによって不快な思いをする相手の方がいることを、想像出来ていませんでした。
若気の至りとは言えない、非常識な人間だったと思います。
皆様のご指摘により、そのことに改めて気付かされ、事の重大さに気付かず、自分自身が演じてしまったことを反省しております。
今後、二度とこのようなことがないように、表現をする際には、一度立ち止まって考えることを心がけたいと思います。
大変、申し訳ありませんでした。
片桐仁
非難の対象となったコントは(いつまで残っているのかわかりませんけど)ニコニコ動画のこれです。「できるかな」のノッポさんとゴン太くんを元ネタに、2人が好きあっているという構成です。対象となったのは、唐突に出てきたネタとはいえ、1か所だけです。ネタというより台詞に近い。直後にフォロー台詞も入っています。これが最近のネタだったら言語道断と言われてもしょうがないなと思いましたけど、23年前です。仮に最近のネタだったとしても、それで小林賢太郎や片桐仁が嫌いになったとは思いません。
でも小山田圭吾やのぶみが責められて辞任や辞退したのは当然だと思っています。ここの違いが上手く説明できません。
ひとつには、過去の歴史をネタで扱ったということと、実際に本人が行なった犯罪相当の行為なり絵本なりというのがあります。ただ、これで線引きするのも違うと思います。
小林賢太郎と片桐仁は実際に舞台で観たことがあり、小山田圭吾やのぶみは本人を観たことも、それと意識して創作物を観たこともありません。小山田圭吾の音楽は知らない間に耳にしていたことはあるかもしれませんが、のぶみの絵本の内容は今回初めて知りました。だからといって、それで左右されるものでもないと思います。まして、創作物のよしあしと創作者の人格のよしあしは比例しませんから。
ただ、小山田圭吾の過去が問題になったときに「過去にまったく間違いがない人間がどのくらいいるのか」という擁護のコメントが上がったのには、不快感を覚えました。他人にウンコを食わせたような人間が、昔も今も世の中に何人いるんだよ、という点です。小林賢太郎の今回の件に対して適用されるべき擁護が、小山田圭吾の件で使われたことで、この擁護自体の説得力を失わせてしまいました。
それでも何とか説明を試みようとすると、まったく曖昧な物言いしかできないのですが、小山田圭吾の過去の犯罪相当の行為が発覚してから、辞任まで揉めた件と、そのあとでのぶみの起用がきまるまでの一連の流れに、嫌なものを感じたのですね。
現場の担当者が、いま辞任されて曲が差替えになると開会式に間に合わないことを恐れたのはあったと思います、というか、思っていました。自分のしがない仕事ですら締切に追いこまれると間に合わるためにあれこれごまかそうとするのだから、ましてオリンピックの担当者のプレッシャーはいかばかりか。小山田圭吾はクビになるべきという自分の思いとは別に、言いたいことはわかるけど間に合わないから勘弁してくれと締切間近の現場が抵抗するのはしょうがないだろうと考えていました。
でもそのあとにのぶみの起用が出てきて、それで絵本の内容を見たら、どうも違うっぽい。時間がない中でまともな人は誰も引受けなかったとは思いますが、だとしても小山田圭吾の後にこういう人間を起用する話が出てくる時点でおかしい。
推測ですが、関係者、特に起用解任の人事関係者は、小山田圭吾と同じ価値観を持っている。なおかつ、世の中の他の価値観は自分たちの価値観より下だと思っている、ひょっとすると他の価値観が存在しているという認識も持っていないかもしれない。そしてその価値観で捉えている範囲が、ものすごく狭い。いわゆる仲間内だけにとどまっていて、それを疑っていない。
それを小林賢太郎のコントのネタと一緒にするのはどうかと思います。国際的なイベントで、会長がドイツ人だから、たとえコントの中の1か所の台詞だったとしても機微に触れる問題となって、解任はしかたがないかもしれません。でも変な話ですが、トラブル続きの後とはいえ今回あっさり解任されたことで、本人が仲間内の価値観に含まれていない可能性を示して見せたとも言えます。同じ解任でも、同列に並べてはいけない。
上手く説明できませんが、少なくとも今回の件だけでは、自分は小林賢太郎や片桐仁を嫌うことにはなりません。「過去にまったく間違いがない人間がどのくらいいるのか」という話を、他人への説得ではなく、自分の感情に適用します。
<2021年7月23日(金)追記>
オリンピックの開会式、全部観たわけではありませんが、各競技のピクトグラムをパントマイムで表現するあたりが小林賢太郎っぽかったですね。どのパートが誰の演出とか情報は知りませんが、あそこは自分でやってたんじゃないでしょうか。
<2021年7月24日(土)追記>
小山田圭吾を起用したのは小林賢太郎という朝日新聞の記事が出ました。また、今回の件で日本の在各国大使館がユダヤ人団体に謝罪したそうです。背景には、ミュンヘン大会でイスラエル人の選手やコーチが犠牲になったという事件があり、今回の開会式でそれを追悼する個所があったそうです(自分は該当箇所は未見)。
いろいろ自分の理解できる範囲を超えているので、この件についてはこれ以上書かないようにします。