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2021年11月23日 (火)

世田谷パブリックシアター企画制作「愛するとき 死するとき」シアタートラム

<2021年11月20日(土)昼>

東ドイツの学生の青春と終わりを描く第一部。東ドイツで反体制派だった父は逃げ伯父は捕まった母と子供たち兄弟、12年後、それゆえに大学に入学させてもらえないと屈折した青春を送る家族の前に釈放された伯父が戻ってくる第二部。妻子を持ち仕事で単身赴任する男が、赴任先で出会った女と恋愛関係になる第三部。

観て得るものはあったけど、もう一回見直してもまだわからないだろうなという超がつくほどの不親切芝居。時間を置いて書こうとしたら大まかな話の流れすら思い出すことがおぼつかない。

青春モノとか日常モノのとか、うっかりすると「劇的な」イベントがなく淡々と過ぎてしまう、ただでさえ舞台と相性の悪いジャンルで、本当に淡々とした脚本。そこに、ベルリンの壁が崩壊して30年以上経つ東ドイツが舞台という悪条件で、脚本にない情報を補足してほしいところ一切なし。かつ、覚えづらい名前の大勢の登場人物が第一部から第三部まで全員入替る上演なのに、第一部と第二部は登場人物を浦井健治や高岡早紀も含めた全員が複数役で演じるという混乱に輪をかける上演スタイル。

つらい世の中では子供から大人までまんべんなくしんどいよね、そんな世の中でも生きていくなかで恋愛は苦いことも多いけど必要だよねという脚本家の想いと、いまのつらい世の中は東ドイツ時代の閉塞感と似ているからそこを舞台にすることできっとむしろ現代らしく描けるはずだという脚本家の思いつきが合体したのがこの脚本のはず。それを、「チック」みたいな芝居他にもありませんかと2匹目のドジョウを狙った制作に、日本もつらいからぴったりです、学生とかつての学生の青春モノです、大勢の役が登場するけど「チック」みたいにひとり複数役でやります、とドイツ語の読めない制作を演出家が丸め込んで上演した。妄想レベルで考えると、そのくらい関係者のすっとぼけがないと上演された理由がわからない。

地味でわかりづらい脚本なのに、演出が何をやりたいのか見えなかったのがひとつ。それと交互に複数回出てくる役を、全員が複数役でやるというのがとにかく悪手で、複数役の演じ分けがほとんどわからないのがもうひとつ。「チック」は主役固定、かつロードムービー風なので一度出てきた役は後からほとんど出てこないという有利な面があったけど、これはそうではない。もう、観ていてわからないことによるストレスが大きすぎる。

で、わからなかったことへの文句を散々書いた後で得たところの話。ひとつは第二部の伯父。(たぶん)政治犯収容所のようなところで12年過ごして丸くなった伯父は、普通なら自殺していてもおかしくない。そこをしぶとく生きて、兄嫁(兄弟の母)に結婚を申しこんで一緒に暮らす。この伯父が、好きな女の子を兄に取られて落込む甥を酒場で「目立つな、英雄を気取るな、列に並んでみんなと一緒に行動しろ(公式サイトより)」と励ます場面。言葉をそのまま読んだら格好悪い台詞だけど、ここを浦井健治は、チャンスが巡ってくるまで何よりもまず生き延びろ、というニュアンスでやった。伯父役はぼそぼそと話す役作りだったけど、そこからさらに声を落としたこの場面が、実際に生き延びて甥の母と結婚した伯父の役や、他の場面で自殺する学生がいたことと合せて考えると、全編を通して鍵になる場面だったのかなと思い返す。

得たところのもうひとつは、役者としての浦井健治。観客の妄想では、出演者の中で唯一、おそらく演出家よりも、脚本を理解して演じようとして、また演じる技量があった。芝居を保たせていたのは間違いなくこの人の貢献。普段あれだけ華やかな芝居もできる役者なのにこの地味芝居に挑戦してしかも一定の成果を上げていたことは最大の発見。新国立劇場のシェイクスピアシリーズに出ていたのは伊達ではなかった。ちなみに高岡早紀は、もうわからんからいつも通りやりますとやって、しかもそれがいい線までいっていた印象。ただ第三部、独白というか地の文の語りというか、それが苦手でかなり損していた。ついでに書くと至近距離で観てあの美人ぶりは凄い。他のメンバーは、個々の場面を観れば悪くないけど、通して観たときには複数役の演じ分けの前に撃沈。おそらく脚本段階で混乱している。

察するに、小山ゆうなは綿密な演出プランで稽古に臨むよりは、役者にやってもらった内容を拾っていくスタイルなのではないか。欧米はそういう演出スタイルが主と読んだことがある。けど、それは稽古も含めて準備に年単位の時間が確保できる前提で、1か月前後の集中稽古で仕上げる日本なら脚本の整理や登場人物の関係構築も、ある程度は演出が主導する必要があるのではないか。

察したり妄想したり忙しい感想だけど、何がいいたいかというと、自腹で高い金額を払って、演出が悪いと一観客として判断したので、文句は演出家が引受けてくれということ。

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