座・高円寺企画製作「ジョルジュ」座・高円寺1
<2021年12月26日(月)昼>
恋多き女として知られたフランスの女流作家ジョルジュ・サンド。恋人だった弁護士に連れられて聴いたショパンにほれてショパンとつき合い始め、にも関わらず2人を支える弁護士。病がちなショパンの看病と社会運動の盛上がりにやがて分かれるまでを、ジョルジュと弁護士との往復書簡で描く。
同じ斎藤憐脚本で往復書簡にピアノを加えた「ピアノと音楽」シリーズだけど、「アメリカン・ラプソディ」がガーシュイン中心に描いていたのに比べると、こちらはタイトル通りショパンではなくジョルジュの話。ただしショパンとつき合っていた時代のジョルジュを取りあげることで、音楽家のことも描く「ピアノと音楽」シリーズの形式に寄せている。
それはジョルジュが恋多き女というわかりやすい面に加えて、女性の自立とか社会の変革のために奔走した活動家の面があったから。「アメリカン・ラプソディ」でガーシュインが行なっていた活動の役回りを担っていたのが、今回だとジョルジュ。やっぱりそういう志向があったんだろうな脚本家、と勝手に裏読みする。
今回はさすがに芝居成分多め。簡単そうにやっているけど絶対簡単じゃない演技というか朗読をさらっと展開する竹下景子。何年もやっているからこその境地か。一方の植本純米はおどけたおおげさな演技に小ネタを加えることでドロドロさせずにおしゃれさを維持しつつ引いた線は壊さない芸達者。相手の読みにも細かいリアクションを入れておりそれが楽しめるのはこの規模の劇場の特権。関本昌平のピアノは曲によって細やかさと激しさを使い分けて自由自在。いまさら「あの曲もショパンだったんだ」という発見も多かった。
弾いていたのは「アメリカン・ラプソディ」と同じピアノだったけど、今回のショパンの曲は馴染んでいた。たぶん、ピアノ自体がこういう曲向けで、さらに軽く弾いても音の響きが強く出るように作られている。前回不思議な音と思ったのはピアノが理由だった。
何年か前から気になっていた演目を今年になって観ることができたのに満足だし、実際に楽しかったことにも満足。
あとは劇場メモ。劇場に入るところで検温と消毒、場内マスク着用依頼、くらいしか前回はしていなかった。今回行なわれていた工夫で「おっ」と思ったのは、場内入場口に台と固定したスマホを用意して、スマホのカメラで動画撮影しっぱなしにしておき、焦点距離の合った台にチケットを置いてから(客が)もぎりを行なっていたこと。券面に名前が書かれているから、その記録を省力化するためだと思われる。いろいろ応用できそう。
もうひとつ。盲人の客を見かけた。白杖の人を劇場の人が案内していたり、夫婦で片方が盲人で盲導犬と一緒に入場していたりした。音楽朗読劇なので相性がいいのだろうけど、こういうところで融通が利くのはほどほどの規模の公立劇場ならでは。劇場の客席は段差が多いから危ないのだけど、何年もやっている企画だから慣れているのか案内も無事だった。機会があれば芝居はいろんな人が観に来るものだと今さらながらに考えさせられた。
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