風姿花伝プロデュース「ダウト」シアター風姿花伝
<2021年12月12日(日)夜>
ケネディ暗殺の翌年、という時代のアメリカ。教会は司祭と神父によって、教会に併設されるロースクールは校長を筆頭に修道女たちによって、運営されている。校長を務めるシスター・アロイシスは厳格で恐れられている。人はいいが生徒に甘いとみる教師シスター・ジェームスを叱咤し、子供たちに人気のフリン神父を警戒する校長。やがて、シスター・ジェームスが、担任する少年の様子がおかしかったことを校長に報告してくる。その報告にフリン神父への疑惑を確信に変えた校長は神父を問い詰めるが、神父は疑惑を否定する。
このほかに少年の母親役を含めて、4人だけの登場人物が時に励ましあい、時に激しく口論を交わす。これこれ、こういうのが観たかった、というごりごりのストレートプレイ。いいお値段だけど芝居好きなら観ておけよ損はさせないから、の一本。たまらん。シアタートラムや新国立劇場小劇場くらいならこのまま持っていける芝居をこの規模の劇場でやる濃密さ。
こなれた翻訳で交わされる激論が、よくよく聴いていると言質を取らせないとても上手な言い回し。教会関係者だから基本は神に誓って嘘は言わないはずとか、いやいや教会の大規模な不祥事とその隠蔽は海外で大きなニュースになっていたよねとか、たまたま私は知っているけど知らなくても楽しめる。そういう現実や材料を背景に、何があったのかを追求するのが縦糸。その追求の焦点となる少年にとって、この問題に対して周囲がどのように振舞うのが本人の幸せになるか、この少年の幸せを願ったとしてそれがより広い共同体にとって益になるのか害になるのか、が横糸。
この話をタイトル通り、神父だけでなく校長の過去も明かさず、疑いのまま進めるのがポイント。そうすることで観ている側に、お前ならどうする、と問いかける。「テロ」では投票で二択を観客に迫ったけど、この芝居は問いかける選択肢がもっと広い。
4人しかいない中でも中心人物の校長を演じる那須佐代子が実力全開の切れ味。人が良さそうでも校長と全力で議論する亀田佳明。その間で悩むシスターの伊勢佳代。校長との会話でまったく違う視点から真っ向ぶつかってくる津田真澄。4人のバラバラな方向が、どこか一方に傾かないように調整したというより、拮抗するように引出した演出はさすがの一言。
スタッフワークは、狭い劇場を狭いと感じさせない美術と照明を挙げておく。美術は広さに加えて、見切れを減らして座席を増やしたことも今回の功績に挙げたい。どちらも客として本当にありがたい。あと誰にも通じそうにないマニアな話として、適切な暗転の使い方を久しぶりに観た気がする。たぶん脚本で指定されている通りだと思うけど、今どきの芝居は、暗転なしで場面転換できて当たり前、みたいなところがあるので新鮮だった。
新型コロナウイルスが一時期よりは落着いてきたとはいえ、次はオミクロン株か第六波かと言われている中、この規模の劇場に来るのは迷った。迷ったけど、来てよかったし観てよかった。大満足。
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