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2021年12月28日 (火)

2021年下半期決算

恒例の下半期決算です。

(1)Bunkamura・大人計画企画製作「パ・ラパパンパン」Bunkamuraシアターコクーン

(2)世田谷パブリックシアター企画制作「愛するとき 死するとき」シアタートラム

(3)Bunkamura企画製作「泥人魚」Bunkamuraシアターコクーン

(4)風姿花伝プロデュース「ダウト」シアター風姿花伝

(5)座・高円寺企画製作「アメリカン・ラプソディ」座・高円寺1

(6)座・高円寺企画製作「ジョルジュ」座・高円寺1

以上6本、隠し観劇はなし、すべて公式ルートで購入した結果、

  • チケット総額は43400円
  • 1本あたりの単価は7233円

となりました。上半期の9本と合せると

  • チケット総額は151100円
  • 1本あたりの単価は10073円

です。なお各種手数料は含まれていません。

下期は上期よりも少ない本数に1万円越えの芝居を2本も混ぜたせいで、年間単価1万円を切ることができませんでした。そしてチケット代が面白さの保証にならないことを思い知らされた年でもありました。

チケット代は関係者の有名度に左右されるものであり、逆に言うとどれだけ面白くても高いチケット代を正当化するためには有名人を呼ばないといけないのが一般です。もちろん、有名人が集客力を盾にぼっているかというとそんなこともなく、実力や華があるからこその有名人ですし、集客力です。その辺は芝居の世界はやはりシビアで、応援する側にだって限度がありますから、客も制作者も、時間と財布をどれだけつぎ込む価値があるか常に問い続けています。つかみどころのない、しかもわかる人にはわかる芸という成果を客は求め、はっきり数字で出てしまう集客力という成果を制作は求め、その両方が一致しないことも珍しくない。そんな両極端な評価に四六時中さらされることを考えると、芸能は並の神経ではつとまらない商売であるとあらためて思います。

そんな中で、芝居関係者以外には地味オブ地味な小規模芝居にもかかわらず高めのチケット代をつけて、しかも芝居ファンならずとも観た人全員満足させたであろう(4)を下期の1本、かつ通年の1本に挙げます。(5)(6)もその作曲家の音楽好きなら満足できる出来でしたが、芝居好きとしてはゴリゴリのストレートプレイに軍配を上げます。

劇場オーナーとしてもっと安いチケット代から始めたプロデュースを毎年続けてここまで育て、時期によってチケット代に差をつけて口コミを促すような集客の工夫も取入れて、人気が出る前から発掘した演出家を起用し、少人数でも面白そうな脚本を探し、でもやるからには自分も出演して存分に実力を見せつけてくれる、那須佐代子の気合の集大成のような公演でした。

そして今回の演出は何度目かの登板の小川絵梨子。観た芝居が少ない中で上期の1本の演出家と重なりました。やっぱりこの人の演出を見逃してはいけない、と思いつつ、最高においしそうだった「検察側の証人」は新型コロナウィルスの第5波で挑戦すら見送りました。もったいない。

出演者側では通年から選んで、「東姫」の仁左衛門に1票を入れます。玉三郎と組んでのあの色気は双方ともすごかったのですが、私は仁左衛門を贔屓します。こちらも、古典寄りの歌舞伎を、勉強ではなく楽しむための道しるべとして、出演機会はなるべく押さえたい。なのにせっかく玉孝コンビで上演された「東海道四谷怪談」は新型コロナウィルスの第5波で挑戦すら見送りました。もったいない。ただ、1幕立見のない昨今、歌舞伎は気軽に観ることもままならないので、そこは財布との相談となります。

財布と相談も必要ですがもうひとつ、総額だけでなく単価が上がりすぎなので、自分の芝居選びの眼が偏ってきているのではないかと心配しています。偏ったって誰に悪いこともないのですし、己に自分の趣味を厳密に問うて偏るなら結構なことですが、見極めるのを放棄して高いほうが品質安定だろと安易になるのはよろしくない。そしてチケット代が面白さの保証にならないのは先に書いた通りです。新型コロナウィルスのため気軽に観に行けない例外的な時期だとしても、それは意識しておかないといけません。あらゆる観た芝居に楽しさを見出す達人の領域には程遠いので、体力の続くうちは選択眼くらいは磨いておきたいという思考です。

自分で書いていて、趣味を楽しむために趣味に対して厳しくなるという、本末転倒な領域で迷子になっているなと思いました。早くこの領域を脱け出してもっとリラックスして楽しめる領域までたどり着きたいです。

その他の話題です。芝居っぽい話だと劇場建替えとか芸術監督交代とかさいたまゴールドシアター解散とか、時の流れを感じさせる話題が多くありました。そして今年は延期されたオリンピックが開催されたのに、開催されたのかというくらい記憶がない。一番記憶にあったのは小林賢太郎の解任話です。が、そこはもう触れません。

さらに、引続き新型コロナウィルスに振回された1年でした。芝居関係ではクラスターもあれば中止もあれば感染者もあり、とても全部をブログにできる分量ではありません。その中でも一番気になったのは芝居でなく音楽イベント開催を強行した話です。

開催にあたっていろいろ適当に申告していたことがわかり、強行した理由がお上に突っ張るでもなんでもなく単にイベントでいっちょ稼ぎたいという、素朴と言えば素朴な理由だったことが後でわかりました。が、それを評して「単純に"ちゃんとしてない人"だった」「ダサい」という輪をかけて素朴な感想のツイートを目にしたとき、私の中にあったいろいろな思い込みが洗い流されました。「格好いい」ものは存在せず、それを格好いいと思いこむ自分および周囲の価値観の表れが格好いいの正体である、「格好悪い」もまたしかり、どちらも人の思い込みによる相対的なものである。そう考えたらいろいろ楽になりました。

まだ考えがまとまっていないところで大げさに書きますが、別に「格好いい」に限らずこの思い込み、なんというのか、人間は自分の外に「いい」と「悪い」を作りたがる、作らないと生きるのがつらいんじゃないかとうっすら思いました。それの最たるものが宗教なわけですが、宗教に限らず、何か基準を外に求めたがるとでもいいますか。全部を自分で引受けることの困難さといいますか。

適当に書いたので気にしないでください。以下は来年に向けての話題になります。

一番は自民党が参議院の立候補に漫画家を立てての表現の自由に関する話題です。ことさらに取りあげるのは、表現の自由なんて芝居関係者には自明のことと考えるのは早計だからです。もともと左翼的イデオロギーの強い舞台関係者の中に自民党大嫌いという人達が一定数いて、表現の自由より自民党嫌いを優先させるひねくれものが一定数出てくる可能性があります。私自身もその傾向がありますが、大義のために気に入らない奴のことを我慢するくらいなら、大義なんて蹴っ飛ばして気に入らない奴をけなすほうがいい、と思うことは度々あります。それが行き過ぎて、自民党を応援することになるくらいなら表現の自由をあきらめてもいいと言い出す関係者が出てこないか、比べられないものを比べて蹴っ飛ばす人が出てきてしまわないか、今からドキドキしています。出てこないことを願います。

次に新型コロナウィルスの話。第6波が来そうな現状ですが、国内はオリンピック後の3か月はかなり上手に推移してきました。が、日本だけが落着いてもまだ駄目で、世界経済がつながっている現代では、海外も落着いてくれないと混乱が収まりません。来年には収まってほしいですが、収まる気配は遠く、特に欧米は一向におさまりません。ワクチンを疑うから打たない人たちの気持ちはまだわかるのですが、あれだけ人が死んでも、買えないとか物がないとかの理由もなくマスクをしないのは、あれが文化なのか死ぬのが怖くないのか、さっぱり気持ちがわかりません。自分が感染するのを防ぐためのマスクではなく、他人に感染させるのを防ぐためのマスクなのが難しいところで、着けたい気分をそそってくれないのでしょうか。

(6)で書き忘れたのが、ああ2年前に観たかったという感想です。パリで社会活動を頑張ったフランス人文学者、という登場人物を素直に格好いいと思えたのは2年前までです。新型コロナウィルスに関連したヨーロッパの記事、それは悪いからこそ記事になるという偏りがあるのは事実ですが、それにしてもヨーロッパは、上は自国を守るのが最優先だし、下はとりあえず何でも気に入らなかったらデモをやるのが、よくいえば伝統だと感じました。別に間違ってはいませんが、日本は武士道の勇気と忠義、中国なら儒教の倫理と道徳のように、その国にないものが出てくるんだな、それが欧米だと自由平等博愛なんだな、という歴史をかみしめました。なんだか上から目線ですが、でも、(6)で主人公が活動にのめり込む終盤に、ちょっと引いてしまったのは事実です。

最後は戦争の話題です。新型コロナウィルスという世界的危機でも、世界は団結できないという歴史の貴重な1コマを体験中です。芝居でも映画でもマンガでも、全世界の危機には各国が一致団結して立ち向かうものなのに。で、直接は、中国が戦争を始めるかどうかです。台湾を取られたら日本の海上物流が死ぬので、日本も参戦せざるを得なくなります。そうなったら芝居どころではありません。そして、西は西でウクライナ周辺でロシアとNATOのにらみ合いが続いています。両方いっぺんに戦争になったらどうにもなりません。今年は無事でしたが、北京冬季オリンピックの後がどうなるかと言われているので、何も起きないことを願います。

波乱含みの1年に何事もないように祈りながら、果たして何本の芝居が観られるのか想像もつきませんが、引続き細く長くのお付合いをよろしくお願いします。

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