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2022年3月14日 (月)

小田尚稔の演劇「是でいいのだ」三鷹SCOOL

<2022年3月12日(土)夜>

東日本大震災が起きた日の新宿駅近く。就職活動をしていた女子学生は面接が中止になった挙句に電車が止まって家まで歩いてかえる羽目になる。喫茶店で離婚届の書類を書いていた女性は埼玉に帰れずに公園で休んでいたところを、寝過ごして地震に気がつかず中野からやってきた学生に声を掛けられてカラオケボックスで休む。スマートフォンの調子が悪い会社員は仕事で六本木に来ている最中に地震に遭う。新宿の本屋で働く女性は入社2年目にして仕事に疑問を抱く。その日の話と、だいぶ経ってからの日の話。

上演自体は今回で6回目(2016年初演で、2018年から毎年この時期)のはず。自分は2018年版2019年版を観ていた。過去2回と比べて、就職活動をしていた女子学生の話と、本屋で働く女性の話、スマートフォンの調子が悪い会社員の話はほとんど変わっていない。けど、今回は離婚届の女性と学生との話が妙に比重が多い印象。そのおかげで芝居全体にようやく納得がいった。

過去に観た回になかった演出として、YouTubeとサッカーだけが興味の学生を表現するのにサッカーをさせて、興味のないとき、あるいはどう振舞っていいかわからないときにユースという(内面の自分)役を登場させて相手そっちのけで(脳内)サッカーを始めてしまうという場面が何度も追加されていた。これが補助線として、観ているこちらが痛くなるほど有効に効いていた。ずうっと、相手よりコンテンツのほうに興味があったんだってのがよくわかった。

最後、ユースと髪型を整えるのと、女性に振られた帰り道にYouTubeでいつも観ていた大食いの芸能人と会って思わず声を掛けるところ。振られたとはいえ、コンテンツ内の登場人物から実在の他人へと興味が広がったこと。あの瞬間に「是でよかったのかも」が成立していた。

それと離婚届の女性。森ビルの屋上でこのあとどうするって訊いたときの雰囲気が素晴らしかった。震災の晩からフラットだったわけではなく、天秤の揺れるタイミングもあったんだというのがよくわかった。そこを経たから、謝る夫を許した(あるいはこれでも上等なほうだと認識した)展開に納得いった。こちらの夫も妻への気配りが今一つだったのを認めて謝って、復縁した2人に「是でいいのだ」が成立していた。

本屋で働く女性は退職して教員試験を受けることを選んだ選択を「是でよかったのかな」と悩む。けれど、選んだ選択肢を正解にするために努力しようとしているところに「是でいいのだ」が成立していた。

そして自己評価の低さに悩んでいた就職活動の女子学生は、一念発起した徒歩での帰宅にくじけそうになるところ、被災地の親と連絡がついて元気を取り戻す。このあと何とか帰宅したであろうと想像できる最後で終わって「是でいいのだ」が成立していた。

震災から翌年の年末まで、あるいは震災の年末、あるいは震災の晩、タイムスパンはそれぞれ違うけど、震災をきっかけに何かが動いて、それぞれがそれぞれなりの「是でいいのだ」と言えるところに落着く展開。いちゃもんをつけるなら、震災をダシにしたと言えなくもない。でも、よほどのことがないと人間そうそう変わることはできないところに震災というよほどの出来事があった、震災ですら変われない人が大勢いる中で変われたような登場人物を称えたい、というのが私個人の印象。そこはもう「是でいいのだ」と言うのがふさわしい。

過去に本作別作含めて出演経験のある役者が多かったおかげで、芝居全体の安定度は高かった。1人挙げるなら離婚届の女性役は鈴木睦海であっているかな、本作唯一、複数人(といっても2人だけど)と絡む役だからもともと目立つのだけど、そこをきっちり演じていた。あと客入れと音響と一部照明をしながらユース役をやったのは福島慎太かな。出ずっぱりなのも含めてずいぶん無茶な役どころをこなしたことに敬意を表したい。

理解があっているか間違っているかはどうでもよくて、自分としてもこの芝居にようやく納得がいったので、この芝居は「是でいいのだ」としたい。

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