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2022年4月 6日 (水)

表現の自由は他人の自由を含むか

走り書きです。

去年の年末にこんなことを書きました。これはコンテンツ(あえて芸術とは言わない)を創る側の表現の自由についてです。

一番は自民党が参議院の立候補に漫画家を立てての表現の自由に関する話題です。ことさらに取りあげるのは、表現の自由なんて芝居関係者には自明のことと考えるのは早計だからです。もともと左翼的イデオロギーの強い舞台関係者の中に自民党大嫌いという人達が一定数いて、表現の自由より自民党嫌いを優先させるひねくれものが一定数出てくる可能性があります。私自身もその傾向がありますが、大義のために気に入らない奴のことを我慢するくらいなら、大義なんて蹴っ飛ばして気に入らない奴をけなすほうがいい、と思うことは度々あります。それが行き過ぎて、自民党を応援することになるくらいなら表現の自由をあきらめてもいいと言い出す関係者が出てこないか、比べられないものを比べて蹴っ飛ばす人が出てきてしまわないか、今からドキドキしています。出てこないことを願います。

ただ最近思ったのは、コンテンツに対する表現の自由は案外認められるのではないか、その代わりにコンテンツに対する評価を統一するような動きが出る可能性があるのではないか、です。この統一の対象とは、面白いつまらないの評価だけではなく、そのコンテンツの社会的立ち位置についての評価です。

例を挙げます。いまロシアをテーマにした新作芝居をつくるとして、ロシアを褒める内容の芝居だったとします。この上演は認められるとして、観客がロシアにも認めるべき点があると感想を書けるか。書いた瞬間に芝居と現実の区別がついていない間抜けという非難が飛んでこないか。

観客は芝居を観ての芝居についての感想であり、現実のロシアについては是々非々とわかっていたとしても、読者が多ければ非難は飛んでくるでしょう。むしろ芝居と現実の区別がついていないのは非難した側なのに。いわゆるクソレス、クソリプと呼ばれるものです。だからと言って感想への反応を止めるわけにはいきません。誤解する人間は一定数いるので、少なくとも読解力のある人間に誤解されないように書く努力を試みる必要があります。

一方で、コンテンツと呼ばれるものは鑑賞する側に影響を及ぼすことを志向するので、観客がロシアにも認めるべき点があると感想を書いたらガッツポーズですし、そこに非難の余地はありませんし、非難するべきでもありません。ただし、この時期にロシアをほめる内容の芝居を上演して穴だらけの設定だったら非難されるのは最初から覚悟しておくべきですし、木戸銭払った観客につまらないと感想を書かれたなら甘受すべきです。

表現の自由の定義は「やりたいことをやる」では片手落ちで、「自分にとって気に入らないことをやっていることを認める」まで含みます。もちろん程度問題であり、さすがに人殺しを認めろとまでは言いません。ただ表現の自由とは、自由という名前にも関わらず不自由も強います。

年末に偉そうなことを書きましたが、たまに沸騰して文句を書き散らす自分がどこまで表現の自由を尊重しているかと言われると、自信がありません。このブログでは、少なくとも芝居の感想は、自腹で木戸銭を払った人間として書いてきました。零細ブログと言えども、その線だけは守りたいです。

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