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2022年6月30日 (木)

芸術監督蜷川幸雄の発掘仕事と胆力の話

ドライブイン カリフォルニア」で書き忘れたことがあったので追記です。公式サイトで松尾スズキがこんなことを書いています。

「ドライブイン カリフォルニア」三度目の公演である。
今まで再演されたわたしの作品は、
これをふくめて「愛の罰」「ゲームの達人」「ふくすけ」「マシーン日記」「悪霊」
「母を逃がす」「キレイ」「業音」「ニンゲン御破算」今年再演される「命、ギガ長ス」
と・・・・三〇年以上演劇を続けていると、
まあまあやっているなという感じになるわけであるが、
三度以上のものとなると、
「ふくすけ」「マシーン日記」「悪霊」「キレイ」と、四つほど。
ぐっと絞られたラインナップに「ドライブイン」は参入する、
ということは、自分の中でも「好き」
そして、それが許されるということは
「世間的評価がよろしい」ということになるのだろう。
現に、初演を見に来た蜷川幸雄さんのゴーサインをもって、
わたしはシアターコクーンという商業劇場に進出することになった。
いわば、わたしにとって初めての「外の世界に向かって開かれた」作品だといえる。
それに、わたしにしては「悪霊」とともに、
とても珍しい一幕もの(一部幻想的シーンははさまれるが)で、
良くも悪くも、めまぐるしい場面転換で知られる松尾作品の中では異彩を放つ、
わりと落ち着いた「芝居らしい芝居」であって、
松尾初心者の方にも、「あ、今、自分は何を見せられているのだろうか」という
時間のない入門編として、
いかがでしょうかとおすすめせずにはいられない一品となっております。
初演はみな、背伸びをして大人を演じておりましたが、
再再演ではむしろ大人になりすぎてはいまいかと
不安げな大人計画の面々を生暖かい目で見守ってください。
ゲストの皆さんとの邂逅も、松尾は楽しみでなりません。
では、その日まで、みなさん、お達者で。

松尾スズキ

この中の「初演を見に来た蜷川幸雄さんのゴーサインをもって、わたしはシアターコクーンという商業劇場に進出することになった」のくだりに注目です。

蜷川幸雄がシアターコクーンの芸術監督を務めた時期は1999年からです。シアターコクーンのサイトによると以下の通りです。

シアターコクーンでは、開館時から芸術監督を務めた串田和美氏の任期が96年で満了した後、99年より演出家の蜷川幸雄氏(~16年)が就任。2020年からは、作家・演出家・俳優の松尾スズキ氏が芸術監督に就任しました。

ちなみに1998年にはさいたま芸術劇場の芸術監督にも就任しています。この辺の経緯わからないのですが、串田和美が辞めて次の芸術監督を蜷川幸雄が打診された。さいたま芸術劇場の芸術監督もあるから時期はずらしてもらうとして、ラインナップが重ならないようにする必要がある。さいたま芸術劇場はシェイクスピアで話題を呼んで、シアターコクーンはそれ以外で話題を呼ぼうと、新鮮味を出せる若手を探したのでしょう。

もちろん蜷川幸雄がひとりで検討したわけはないでしょうが、面白いという話が挙がって自分で足を運んで観に行った。「ドライブイン カリフォルニア」初演は1996年12月、目いっぱい入れて定員294人のシアターサンモールです。同じ年の7月に岸田國士賞受賞の「ファンキー!」が本多劇場で上演されていますが、岸田國士賞の発表は年明けなのでまだ受賞は決まっていません。本多劇場はおそらく1994年の「愛の罰」とまだ2回だけです。大人計画の公式記録によればこのころは上演ペースが年に5-8本と狂っていますが1回あたりの公演日数は長くて2週間です。冒頭の通り松尾スズキにまだ商業劇場の経験はありません。

それでも自分の目で確かめて、3年半後の上演にゴーサインを出した。1996年当時だと61歳くらいでしょうか、並々ならぬ行動力と決断力です。ラインナップを決めるにあたって、そういう発掘作業を行なっていた。これぞ芸術監督という仕事です。その成果が2000年6月の「キレイ」です。私の松尾スズキ初見作でもあります。

芸術監督の似た仕事だと、新国立劇場は国内国外の既存脚本を使って、演出家を呼ぶ企画が多いです。演出家探しには熱心ですが、演劇研修所を持っているせいか役者を発掘している印象はありません。東京芸術劇場は、小劇場の劇団を探す芸劇eyesはよい企画だと思いますが、発掘しているというより機会を設けるという形のようです。昔より今のほうが東京芸術劇場は活発化していますが、発掘して推す印象はありません。三鷹市芸術文化センターはMITAKA "Next" Selectionがありますが、あれは発掘よりもSelection、今面白いものを選ぶという印象が強いですが、東京芸術劇場よりは推しています。ただしオファーから上演まで1年後とかそのくらいのスパンです。

そう考えていくと、その人の商業演劇の初の1本を任せるという決断、なかなかできるものではありません。

芸術監督の仕事の一端をのぞき見ることができた、という話でした。

<2022年7月2日(土)追記>

タイトルを更新し忘れていたので更新。

2022年6月29日 (水)

劇場によって全然違う芝居宣伝文

隔月で芝居情報を調べるのにチラシと劇場サイトを見るという古臭い手法を取っています。そのうちの劇場サイトの話です。

劇場がどこまで芝居の宣伝をするかはいろいろな条件に左右されます。貸公演だと書かないことのほうが多いですね。主催公演は真面目に宣伝文を書くことが多いようです。で、書くときの文章が劇場によって全然違います。実例を見てもらったほうが早いので4本集めてみました。見出しが太字なのはだいたい共通なので再現しましたが、フォントの色やサイズなどは無視しました。そのほうが文章の違いがわかります。

最初は世田谷パブリックシアターの「毛皮のヴィーナス」です。

新鋭の演出家・五戸真理枝がシアタートラムで初演出
人間が持つ根源的な欲望を描いたスリリングな二人芝居に、高岡早紀と溝端淳平が挑む

世田谷パブリックシアターでは8月~9月、シアタートラムにて二人芝居『毛皮のヴィーナス』を上演いたします。本作は、「トラム、二人芝居」と称し、新進の演出家を起用し、実力派キャストによる二人芝居を上演する企画のうちの一作です。

『毛皮のヴィーナス』は、“マゾヒズム” の語源にもなったオーストリアの小説家L・ザッヘル=マゾッホの小説から想を得て、米劇作家デヴィッド・アイヴズが舞台用に戯曲を執筆し、2010 年にオフ・ブロードウェイにて初演された作品です。その後ブロードウェイでも上演、さらに2013年にはロマン・ポランスキー監督により映画化もされました。オーディションを受けに来た女優と演出家、さらに戯曲の登場人物も交錯するという二重構造を駆使しつつ、人間が持つ根源的な性的欲望をスリリングに描き出していく、ライブ感あふれる舞台です。

本作『毛皮のヴィーナス』の演出を手掛けるのは文学座所属の五戸真理枝。上村聡史らのもとで演出助手として研鑽を積んだ後、2016年に文学座アトリエの会『かどで/舵』の『舵』で、初演出を果たしました。また、新国立劇場等の外部公演でもゴーリキーやチェーホフといった古典の名作を瑞々しい感性で演出し、脚光を浴びています。さらに、元々は劇作家志望だったということもあり、戯曲や小説からの脚色、童話の執筆にも積極的に取り組むなど、多彩な才能の持ち主です。そしていよいよ本作で世田谷パブリックシアター主催公演の演出デビューを飾ることになりました。

女優ヴァンダ役を演じるのは高岡早紀です。世田谷パブリックシアター主催公演へは3年連続の出演となります。三部構成の『愛するとき 死するとき』(21年、演出:小山ゆうな)では複数女性像を巧みに演じ分け、世田谷パブリックシアター×東京グローブ座『エレファント・マン』(20年、演出:森新太郎)ケンダル夫人役では知的な演技と優美な姿で観客を魅了しました。その確かな演技力と美貌で、謎多き女優・ヴァンダをいかに演じるか大きな期待がかかります。

ヴァンダに翻弄されながらも惹かれていく演出家・トーマス役は溝端淳平が演じます。シアタートラムへは、繊細な演技が好評を博した『管理人』(17年、森新太郎演出)以来の登場です。相手役の高岡とは舞台では3回目となる共演で、互いに信頼を寄せ合う「同志」のような二人のタッグが、本作の世界観をさらにパワーアップさせていくに間違いありません。

シアタートラムという限られた空間での、刺激的でライブ感あふれる二人芝居『毛皮のヴィーナス』、どうぞご期待下さい。

ストーリー
演出家のトーマスは、彼が脚色した戯曲『毛皮のヴィーナス』のヒロイン役のオーディションをするも、これぞ!という女優は見つからなかった。帰ろうとしたところに、オーディションに遅刻したという無名の女優ヴァンダが現れる。トーマスが求めるヒロイン像とは何もかもが違っていたが、強引なヴァンダに押し切られ、しぶしぶオーディションをすることになった。しかし相手役を務めるトーマスは、次第にヴァンダの演技に惹かれ出し、3ページで切り上げるはずだった読み合わせは、いつしか……。

次はBunkamura公演ですがシス・カンパニー製作の「ザ・ウェルキン」です。

12人の女性の手に委ねられた少女の命。
大胆かつスリリングに!残酷なほど正直に!
女性たちは自分自身と少女に向き合っていく。

英国の若手劇作家ルーシー・カークウッドの新作として、
コロナ禍直前の2020年1月末に英国ナショナルシアターにて開幕。
ロックダウンで中止になるまでの限られた上演でしたが、
サスペンスフルに展開する物語は大喝采を浴びました。
一人の殺人犯の少女と、陪審員となった市井の12人の女性たち。
猥雑で力強いエネルギーと笑いにも彩られながら、
男性支配社会に生きた18世紀半ばの女性たちの姿が浮き彫りに…。
気鋭の加藤拓也が初の翻訳戯曲演出に挑み、卓越した力を誇る俳優陣が激突!
演劇ならではの魅力に溢れた時間をお届けします!

あらすじ
1759年、英国の東部サフォークの田舎町。
人々が75年に一度天空に舞い戻ってくるという彗星を待ちわびる中、
一人の少女サリー(大原櫻子)が殺人罪で絞首刑を宣告される。
しかし、彼女は妊娠を主張。妊娠している罪人は死刑だけは免れることができるのだ。
その真偽を判定するため、妊娠経験のある12人の女性たちが陪審員として集められた。
これまで21人の出産を経験した者、流産ばかりで子供がいない者、早く結論を出して家事に戻りたい者、生死を決める審議への参加に戸惑う者など、その顔ぶれはさまざま。
その中に、なんとかサリーに公正な扱いを受けさせようと心を砕く助産婦エリザベス(吉田羊)の姿があった。
サリーは本当に妊娠しているのか? それとも死刑から逃れようと嘘をついているのか?
なぜエリザベスは、殺人犯サリーを助けようとしているのか…。
法廷の外では、血に飢えた暴徒が処刑を求める雄叫びを上げ、そして…。

同じBunkamuraでも特設サイトの「世界は笑う」です。

ケラリーノ・サンドロヴィッチが描く、
昭和30年代新宿、笑いに魅せられ、笑いに取り憑かれた人々の奇想天外な人間ドラマ。
5年ぶりのBunkamuraシアターコクーンで、
豪華キャストを迎え、新作書き下ろし!!

劇作家・演出家のケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)が、2017年『陥没』以来5年ぶりに、Bunkamura シアターコクーンで新作公演を行うことが決定しました。

舞台は、昭和30年代初頭の東京・新宿。敗戦から10年強の月日が流れ、巷に「もはや戦後ではない」というフレーズが飛び交い、“太陽族”と呼ばれる若者の出現など解放感に活気づく人々の一方で、戦争の傷跡から立ち上がれぬ人間がそこかしこに蠢く…。そんな殺伐と喧騒を背景にKERAが描くのは、笑いに取り憑かれた人々の決して喜劇とは言い切れない人間ドラマ。

戦前から舞台や映画で人気を博しながらも、時代の流れによる世相の変化と自身の衰え、そして若手の台頭に、内心不安を抱えるベテラン喜劇俳優たち。新しい笑いを求めながらもままならぬ若手コメディアンたちなど、混沌とした時代を生きる喜劇人と、彼らを取り巻く人々が、高度経済成長前夜の新宿という街で織りなす、哀しくて可笑しい群像劇。

出演には、KERAとの3度目のタッグとなる瀬戸康史、2度目となる松雪泰子をはじめ、KERA作品に初出演となる千葉雄大、勝地 涼、伊藤沙莉、ラサール石井、銀粉蝶など、勢いのある若手から存在感が際立つベテランまで多彩な実力派キャストが顔を揃えました。 2009年より昭和の東京をモチーフに発表してきた「昭和三部作」シリーズをはじめ、日頃から “昭和”という時代への深い愛着を公言するKERAが、“昭和の喜劇人”を作品の題材とするのは今回が初めて。その挑戦に期待が高まります。

最後にパルコの「VAMP SHOW」です。あらすじ紹介が過去作紹介と合体しているのですがそこは目をつぶって引用。

三谷幸喜 作、幻のホラー・コメディ!
新たな血を求めて、21年ぶりに復活!!
全国を旅して暮らす、陽気な五人の男たち。
みんな揃って歌好きで、何故だか全員、夜行性。趣味は襲撃、献血カー。
苦手なものは、十字架で、大好きなのは―チュウチュウチュウ!?

本作は、1992年、サードステージのプロデュース公演として初めて上演された伝説の舞台。2001年にはパルコ&サードステージ提携プロデュースとしてPARCO劇場にてキャストを一新し、池田成志の演出で上演された、三谷幸喜作、異色のホラー・コメディです。
楽しく旅する5人組の吸血鬼。うっそうとした森に囲まれたさびれた山間の駅にたどり着く。駅には駅長と、電車を待つ女性が一人・・・。
西村雅彦、古田新太、池田成志(1992年)、佐々木蔵之介、堺雅人、河原雅彦、橋本じゅん、伊藤俊人(2001年)と、当時の若手実力派俳優が出演し、上演してきた幻の作品がついにPARCO劇場へ帰ってきます!

2001年版で出演していた河原雅彦が演出のバトンを受け継ぎ、キャストにはドラマ『最愛』や『ミステリと言う勿れ』などに出演し癖のある役も難なくこなす高い演技力で評価されながら、現在放送中の「恋なんて、本気でやってどうするの?」で不器用ながらも主人公の親友にアプローチする不思議男子・克巳を演じ普段の役とのギャップでTwitterトレンド入りも果たした岡山天音、映画『今日から俺は!!』や連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』に出演し、『インビジブル』では主人公の刑事人生を大きく揺るがせた事件で殉職した安野慎吾を演じたことも記憶に新しい平埜生成、映画『銀魂』やドラマ『勇者ヨシヒコと導かれし七人』に出演し、2022年春放送の『ユーチューバーに娘はやらん!』ではユーチューバーの不安定だが冒険家なタックタックを演じるなど多くの作品で抜群のコメディーセンスを発揮している戸塚純貴。獣電戦隊キョウリュウジャーで注目を集め、バンド女王蜂のMV(『KING BITCH』)出演や現在放送中の連続ドラマ『探偵が早すぎる?春のトリック返し祭り?』では、主人公に熱心にアプローチする会社の同僚・大谷和馬を演じ話題を呼んだ塩野瑛久、NHK連続テレビ小説『ひよっこ』での頼もしい兄から、NHK連続テレビ小説『カーネーション』では不憫な次男、ドラマ『アンナチュラル』『シグナル』の連続殺人犯役と演技の幅が広く、どんな役柄でも自分のものにしてしまう個性派俳優尾上寛之と今後益々期待される若手演技派俳優たちが結集!
さらに、NHK連続テレビ小説『べっぴんさん』やドラマ『過保護のカホコ』『オー!マイ・ボス!恋は別冊で』など話題作への出演が続いており、7月にはドラマ『雪女と蟹を食う』の出演も控えている注目の若手俳優久保田紗友。また、数々の舞台に出演し、連続テレビ小説『エール』や、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』など映像作品でも活躍、2022年には映画『20歳のソウル』の公開も控えている菅原永二の2人が加わり、全キャストが決定いたしました。

2022年版、新たな「VAMP SHOW」にご期待ください!

これまでのVAMP SHOW

山間の寂れた駅で、5人の青年がある女性と出会うことで始まる物語。
明るく楽しい旅行者の青年たちは実は吸血鬼で・・・。

初演は1992年。俳優・池田成志の「怖くてびっくりするホラーな芝居がやりたい」、から始まった本企画。中心に流れる話は魅力的でないと成立しない、と脚本を三谷幸喜に依頼。
三谷幸喜作品らしい笑いはもちろん、ゾクっとするホラー要素が加わり、若手俳優たちの演技合戦も魅力的な、見どころ満載の傑作ホラー・コメディが誕生した。

2001年版では、それぞれ演劇界を中心に実績を重ね、映像にも活躍の場を広げ注目されていた、堺雅人、佐々木蔵之介、橋本じゅん、河原雅彦、伊藤俊人らが演じ、舞台俳優の魅力と演劇の面白さを存分に発揮した。

そして、2022年。様々な作品で欠かせない存在となっている実力俳優が集まり、新たな「VAMP SHOW」が誕生する。

どうでしょう。

「毛皮のヴィーナス」は好ましいですね。芝居のあらすじがわかって、関係者紹介文も芝居関係の経歴で紹介しているところがよいです。可能な限り自劇場に出演した時の経歴で紹介するところは、長くやっている劇場ならではです。

「ザ・ウェルキン」の宣伝文も好ましいです。あらすじはきっちりわかります。そのうえで、多すぎる出演者の紹介はあらすじに混ぜて控えめにしつつ、脚本の評判を推していくというスタイルです。

「世界は笑う」は、KERA新作なので脚本が出来上がっていないでしょうからあらすじ紹介がないのは割引きます。とはいえ、KERAであることが一推し、さらに紹介不要な有名出演者で推していく、という姿勢は見て取れます。

「VAMP SHOW」の異質さがひときわ際立ちます。ホラーコメディだからあまりネタバレしてはいけないのはわかるのですが、出演者の紹介をすべて映像で揃えているのが他3サイトと明らかに違います。

この「VAMP SHOW」の文章に違和感を感じすぎてこのエントリーを書いています。出演者の舞台経験が少ないからしょうがないと言われればその通りですが、もう少し書きようがないものか。

と考え出すと、そもそも劇場サイトは誰に向けて情報発信しているんだとなります。劇場サイトを見て観に行こうと考える客がどれだけいるか。

出演者目当ての人は、出演者の公式サイトを見て決めるでしょう。その場合、劇場サイトに望むことは日程やチケットの公演情報であり、宣伝文は読まないと思います。

私みたいな人間だと、劇場と脚本演出出演者で最初のフィルターが働きます。そのうえであらすじを見て判断します。あらすじ以外の宣伝文は補足です。読んでも観に行く行かないの判断には影響しません。

芝居見物の大ベテランだとチラシで判断していると思います。劇場サイトに望むことは日程やチケットの公演情報であり、宣伝文は読んでいないでしょう。

芝居初心者はどうかというと、そもそも劇場サイトを見ません。たまたまチラシを手に取って興味が湧くか、テレビその他で紹介されていて気になって、人によっては劇場サイトで調べるのが導線だと思います。でも、調べて満足するのが大半、観に行くつもりの人は公演情報を確認したいのが目的です。宣伝文で観に行くことを決める人はごくごく少数と推測します。

そうなると誰向けの情報なのか。おそらく「VAMP SHOW」は、芝居を知らないマスコミ関係者に記事を書いてもらうための宣伝資料なのではないでしょうか。

ならば一般観客向けに宣伝文は不要か。そう言い切れないのが難しいところです。劇場サイトを読んだ側に与える印象というものがあるからです。売りになるものがあるかないかとはちょっと違います。宣伝文のひとつも書けない芝居では、制作の本気度が疑われます。そのうえで、何を宣伝に選ぶかで制作の趣味を無意識に訴えかけています。観客側は、宣伝文を見て決めるというより、宣伝文を含めた劇場サイト全体の雰囲気で制作の趣味と信頼度と本気度を測っています。

野田地図の「Q」を載せた東京芸術劇場のサイトを追加引用します。

野田秀樹×QUEENの衝撃作品、世界ツアー決定!
松たか子、上川隆也、広瀬すず、志尊淳らが奇跡の再集結!

イギリスを誇る世界的ロックバンド、クイーンが1975年に発表した傑作『オペラ座の夜』の世界観と、シェイクスピアの名作『ロミオとジュリエット』の “その後の物語” =もしも2人が生きていたら…。という野田秀樹の着想が結び付き、2019年に東京で初演。舞台を14世紀のイタリアから12世紀末の日本に移し、両家の対立を源平合戦に見立てたこの奇想天外な構想は、初演時には7万人を超える観客を魅了し、第27回読売演劇大賞・最優秀作品賞を受賞した。

今回の再演では、松たか子、上川隆也、広瀬すず、志尊淳らの初演時のオリジナルキャスト全10名が奇跡の再集結。
このワールド・ツアーの企画は、初演の東京公演を来日観劇したクイーンの伝説的マネージャーのジム・ビーチ氏が絶賛しことを契機にクイーンのお膝元であるロンドン公演の計画が動き始めた。
東京・大阪公演に加え、ロンドン、台北を巡り、国内外4都市を巡るワールド・ツアーが実現。
日本の演劇史のみならず世界のエンタテインメント史に新たな1ページを刻む2022年版『Q』:A Night At The Kabuki。是非ともご期待ください!

ずいぶんと端的にまとまった宣伝文です。が、これでまとまるのは初演の実績、紹介無用の豪華出演陣、海外ツアーがあればこそで、例外中の例外中の例外です。東京芸術劇場は公演特設ページを作ったりしないので、サイトで読んだら同じ文章でもそっけないことこの上ありません。芸術監督の芝居をえこひいきにするわけにもいかないでしょうし、野田地図の本家サイトが本来の役目を果たすのかもしれませんが、それにしたってさすがにもうちょっと派手にしろよと言いたくなる劇場サイトです。普通の人はこんなそっけないサイトを見ても観に行く気にはなりません。

そう考えると、東京芸術劇場は最初から劇場サイトに求められる役割を公演情報提供と割りきったサイト、他の劇場は劇場サイトによる集客能力を信じているサイト、と言えなくもありません。どの程度意図されているかは別として。

書き終わって読み返したら我ながら何書いてるんだかと思いましたが、宣伝文ひとつとっても考え出したら悩ましい、という暇文でした。

2022年7月8月のメモ

規模の大小を問わず、客を満足させたいという意図が企画や出演者に反映されたバランスよい夏シーズンです。

・松竹製作「七月大歌舞伎」2022/07/04-07/29@歌舞伎座:第一部が猿之助で通しの「當世流小栗判官」、第三部が「風の谷のナウシカ 上の巻」だけど菊之助はクシャナで米吉がナウシカで下の巻の上演予定は不明

・ハイバイ「ワレワレのモロモロ2022」2022/07/07-07/10@シアタートラム:出演者の経験をもとに芝居を作るシリーズ

・マームとジプシー「cocoon」2022/07/09-07/17@東京芸術劇場プレイハウス:マームとジプシーは合わないのだけど出世作にして代表作なので観られるものなら観たい

・シス・カンパニー企画製作「ザ・ウェルキン」2022/07/07-07/31@Bunkamuraシアターコクーン:女性陪審員もの

・燐光群「ブレスレス」2022/07/15-07/31@ザ・スズナリ:岸田國士賞受賞作

・タカハ劇団「ヒトラーを画家にする話」2022/07/20-07/24@東京芸術劇場シアターイースト:タイトルがすでに宣伝になっている美大生タイムスリップもの

・野田地図「Q」2022/07/29-09/11@東京芸術劇場プレイハウス:オリジナルメンバーで再演

・東京芸術劇場企画制作「気づかいルーシー」2022/08/03プレビュー、2022/08/04-08/14@東京芸術劇場シアターイースト:いまの世相を考えるとこれを先取りした松尾スズキの慧眼にうなるけどそれよりなにより岸井ゆきのと栗原類を楽しむのが吉

・iaku「あつい胸さわぎ」2022/08/04-08/14@ザ・スズナリ:評判がよかった記憶がある

・制作委員会/公益財団法人としま未来文化財団主催「すぐ死ぬんだから」2022/08/04-08/14@あうるすぽっと:泉ピン子と村田雄浩による内館牧子本の朗読

・松竹製作「弥次喜多流離譚」2022/08/05-08/30@歌舞伎座:猿之助と幸四郎がデタラメをやる夏のシリーズ、であっているかな

・Bunkamura/キューブ企画製作「世界は笑う」2022/08/07-08/28@Bunkamuraシアターコクーン:ここまで集めるかってくらいの芸達者揃いで日本の喜劇人たちを描くKERA新作

・パルコ企画製作「VAMP SHOW」2022/08/08-08/28@PARCO劇場:三谷幸喜が演出なしで書下ろした芝居だから一度観ておきたいけど出演者がさっぱりわからないので迷う

・本多劇場プロデュース「志の輔らくご in 下北沢 恒例 牡丹灯籠」2022/08/09-08/14@下北沢本多劇場:おそらく観に行けないけどいいものです

・世田谷パブリックシアター企画制作「毛皮のヴィーナス」2022/08/20-09/04@シアタートラム:高岡早紀と溝端淳平によるオーディションを舞台にした2人芝居

・松竹/NTT/ドワンゴ製作「超歌舞伎2022」2022/08/21-09/03@新橋演舞場:獅童の初音ミク芝居、演目を絞った日もあるので注意

この時期のこの活発さは新型コロナウィルス以前とほぼ同じくらいですね。7月は夏休み前に公演期間の短い劇団ものが集中、8月は夏休みの遠征組も視野にいれて絶対客を集められる商業企画製作が集中、が昨今のスタイルです。

2022年6月26日 (日)

National Theatre Live 2021「リーマン・トリロジー」(2回目)

<2022年6月26日(日)昼>

おかわり

1日1回上映ということもあってか、土曜日は前売完売でした。この日も最前列端以外は埋まっていました。この映画館は2スクリーンしかないのに、4時間コースの上映を突っ込んでくれたわけですが、この週末の興行については報われたかと。

前回は字幕を追って台詞がほとんど耳に入っていなかったので、今回はなるべく英語の台詞を、調子だけでもと聴いてみました。やっぱり普通の英語じゃないですね。英語素人が聴いてもわかるくらい、口語でなく文章っぽい、それも凝った文章っぽい英語でした。つまり詩ですね。

そしてツイストからのラスト、2度目だけど前回よりも諸行無常を感じざるを得ない。こういう感覚は西洋にもあるんだなと今さら思いました。

見直せたので悔いはない。すっきりしました。

新劇交流プロジェクト「美しきものの伝説」俳優座劇場

<2022年6月25日(土)夜>

国として活発だった大正時代。西洋に刺激された政治活動、女性解放運動、小劇場運動で、それぞれ活躍していた当事者たちの活動と交流の日々を描く。

有名なので観たいと願っては見逃し続けて、ようやく初見。追加公演で◇の配役(モナリザ=安藤みどり、サロメ=畑田麻衣子、尾行=星野真広)の日程。ものすごくよくできた脚本を、この上なく丁寧に仕上げて、これが初見でよかったと言える1本です。そしてそれだけに、芝居ではなく当時の実在の登場人物たちの意見に物申したくなる1本でした。

先に芝居の感想です。最近では昭和大正の再現なんて困難なところ、その雰囲気が受継がれている新劇の劇団が公演することで、非常に統一された仕上がりでした。劇場にもポスターがあった通り初演は文学座だし、登場人物のうちの小劇場運動関係者はさかのぼれば今回上演した各劇団のルーツです。いい悪いを超えてこれが本家による公演だというある種の正解感がありました。

それを実現した役者陣は新劇系の役者が並んで、普段新劇の劇団をあまり観ない自分には新鮮でした。その印象は「探せば名手はいるものだけど、こんなに名手が大勢いるとは知らなかった」。堺俊彦役の能登剛が出版社内で相手を軽くいなしつつ何となく腹で別のことを考えていそうな調子とか、久保栄役の古谷陸が劇団活動を批判する台詞の圧を島村抱月役の鍛治直人が少ない相槌で受けるくだりとか、今どきの芝居ではなかなか観られない場面です。

やっぱりですね、小劇場活動の元がスタニスラフスキーだメイエルホリドだと言っても、長年のうちに独自の演技メソッドが育ったのが日本の新劇劇団だと思います。たとえて言うなら楷書の演技。真面目な台詞はもちろん軽い台詞にも、いい意味で重さがあります。今回の脚本にもあった通り新しい演劇を志向するところから始まって、やがて日本人による日本を描いた脚本を上演しつつ、シェイクスピアその他の海外名作の翻訳も並演した歴史。これを言い換えると、今どきの目線では不自然な台詞でも成立させられるよう意味を込めて発声できるようにと格闘した歴史の成果です。さらに脱線すると、現代の小劇場出身の役者は、これもいい意味でもっと軽く自然に台詞を言う技術が磨かれた人が多いです。そういう脚本が増えたのが主な理由とみます。

話は戻って、観ていて安心できたもうひとつの理由がビジュアル面です。特に衣装や大道具小道具などに抜かりがないのは、開演してまもなくわかりました。着物がもはや時代劇の衣装になっている昨今、きっちり仕上げてくれたのは新劇の歴史あってのことです。

これらをまとめた演出は鵜山仁。見る人が見れば演出の癖があったのかもしれませんけど、もともと脚本を丁寧に演出する人です。観た感想では変にいじらずにきっちり立ち上げました。それでいて、必ずしも登場人物を全面肯定した雰囲気に流れず、落着きも感じられました。1968年の初演から半世紀、ここで書かれた大正時代からだと1世紀。脚本に希望として描かれた内容がその後どうなったかの回答はある程度出ています。座組の中でこの脚本の内容に目を輝かせる人ばかりではないのでしょう。演出が目指したところは不明ですが、結果として過剰な時代賛歌にならず、登場人物とその持論を立ち上げるところにつながっていました。

新劇合同プロジェクトとして取上げられるのにふさわしい脚本であり、またそれに見合った仕上がりに満足しました。

とここまでが芝居の感想。ここから先が芝居に出ていた登場人物の持論について。

芝居の出来がよく、登場人物とその持論が立ち上がったからこそ、その持論の欠点も見えてきました。

たとえば政治活動。社会主義者の多い登場人物ですけど、人によって多少の違いはありながら共通しているのは反政府ということ、そして打倒した後のことについて無責任であることです。大杉栄が「政治はトーキングよりアクション」「無政府主義者は政府を打倒したら野に下れ」という台詞がありますけど、無責任の極みですよね。打倒したからには運営して責任を引受けろよ、倒すところだけ楽しんで食い逃げするなよ、と。台詞をもじるなら政治はトーキングでもアクションでもなくオペレーションです。十二国記を読んだことがある人なら「責難は成事にあらず」で通じるでしょう。

女性解放運動も色恋沙汰の話はちょっと皮肉の入った台詞があちこちにありますがそれは置いておいて、松井須磨子の自殺の話題。その理由のひとつに観客の目になぶられて(大意)というくだり。そもそも江戸時代から役者の不行跡は瓦版のネタなわけで、そういう興味の目で見られる職業に乗込んできたら、初の女優だから芸術だからといってもしょうがないわけです。芸だけを評価してもらってしかも食える道なんて、並大抵の人が到達できるものではありません。昨今でこそ、SNSの発達であまりに直接的な悪口雑言が増えすぎて控えましょうと言われていますが、大勢の賞賛だけを集めて興味や非難は止めてくれなんてそんな美味い話はありません。ふたつよいことさてないものよ、ですね。

で、小劇場運動。新しい演劇を広めたいという意気込みと表裏一体で、どうしても観客を啓蒙するという意識がついて回るのですね。大きなお世話です。観客のひとりひとりに生活があり、時間を割いて木戸銭を払って芝居を観に来る。そこにエンタメを求めて何が悪かろうというものです。これを両立させるために島村抱月は、少人数を相手のサロンでは芸術的な芝居を上演しつつ、大劇場では一般受けする興行で稼ぎ、それを芸術と興行の二元論と言っています。ひとつの方法です。感想に書いた場面では、島村抱月の活動を矛盾していると久保栄が批判していますが、半分あっていて半分間違っています。そもそも趣味に啓蒙すること自体が大きなお世話だからです。

政治と言わず演劇と言わず、あらゆる分野で新しいことを始めたいなら「俺の言うことは楽しい、君たちにはこんないいことがある、だから俺に任せろ」で誘うべきところです。それを、雑に左翼と書きますが、左翼思想が強ければ強いほど、「俺の言うことが正しい、お前らは無知で間違っているから俺を認めて従え、でも後のことは知らん」の3拍子になります。了見が間違っています。こういっちゃ何ですけど、この間違った3拍子の了見は今の左翼に全部残っていますね。

亀戸に引っ越した伊藤野枝の台詞に「下町に引っ越したらみなさん荒っぽいですけど気の置けない人たちですのよ」なんてのがありますけど、こんな人たちの唱える民衆とは何なのか。よく聴くと実に微妙な台詞がそこかしこに散りばめられています。散りばめられているというとちょっと違いますね。そのつもりで読んだら芝居の意味が反転するように、登場人物の典型的な主張を取上げて煮詰めた台詞で脚本を書いたというほうが正しい。演出次第でどちらにでも上演できる点で、おそろしく完成度の高い脚本です。

そんな中で一番直接的な表現が、ロマン・ローランの引用である「民衆が幸福なら、広場の中心に杭を立てて花を飾れば人が集まり祭りが始まる。このような幸福な民衆に芸術は不要である(大意)」です。感想に書いた久保栄が島村抱月の劇団活動を批判する時に出てきます。脚本では「だけどそのような幸福に民衆は永遠に到達できないので、芸術は常に必要である(大意)」とも続きます。私にはこの場面が「誰も民衆の幸福を実現できなかった」と聴こえました。

初演の1968年は第二次世界大戦後です。戦前の理想論も敗戦後には空論にみえたでしょう。だけど新劇の歴史は紡がれたし、敗戦してなお自分たちの生活もここにある。だからここに取上げたような活動が、そういう理想論を本気で信じて活動していた人達が美しく見える。なんならこのうちの何人かは処刑されたからこそ、より美しく見えた。初演の時点で美しく見える時代だった。それは関係者には語り継がれる伝説であり、内実は空論の伝説だった。「美しきものの伝説」はそういう両面を含めてつけられた題である。脚本家の意図は知りませんが、私はそのように受取りました。

ここまで感想の射程圏が広がったのは、一にも二にも芝居の出来がよかったからです。ものすごく考えさせられました。登場人物の当時の主張を批判することと、芝居の出来が良くて褒めることは両立します。美しく力強い仕上がりだったことは、あらためて記載しておきます。

<2022年6月27日(月)追記>

全面改訂。

日本総合悲劇協会「ドライブイン カリフォルニア」下北沢本多劇場(2回目)

<2022年6月25日(土)昼>

おかわり

もう一度観ておきたいなと願っていたら都合のいい日程で良席が確保でき、公演初日直後と東京千秋楽直前の1か月で何か変わるかも興味があって、珍しい二度見です。

ネタの場面に多少アレンジというかアドリブがあったみたいだけど、驚くことにほとんど変わっていなかった。この変わっていなかったというのは、初日直後で観た時点でほぼ完成したクオリティで提供されて、それが1か月後もダレていなかったことを指します。構成のしっかりした脚本だからやりやすいだろうし、プロならそれができて当たり前と言えなくもないけど、やっぱりすごいです。

麻生久美子が学生から現在まで声色を変えて幅広く演じているのにも今さら感心しましたけど、阿部サダヲがあのテンションをきちんと出し続けていたのはもっと感心しました。

他の役者も含めて、脂の乗りきった仕事ですね。いい時期にいい再々演が巡り合った公演でした。

2022年6月16日 (木)

緊急口コミプッシュ:National Theatre Live 2021「リーマン・トリロジー」追加上映決定

ステージナタリーより。

本日6月16日まで東京・大阪で特別上映されているNTLive「『リーマン・トリロジー』(原題:THE LEHMAN TRILOGY)」の、追加上映が決定した。

追加上映は、6月24日から7月7日まで東京のシネ・リーブル池袋で行われる。上映時間は、後日映画館の公式サイトで発表される。

感想はこちら。まさか舞台の映像化に口コミプッシュを出す日が来るとは思わなかった。

円盤を出す予定がないとか、日本語字幕付きの上映権が今年7月の下旬で切れるとか、本当かどうかわからないけど噂を見かけた。これが最後のチャンスと思って関東近辺の芝居好きの人は駆けつけてほしい。本当の本当にお勧めする。

2022年6月13日 (月)

National Theatre Live 2021「リーマン・トリロジー」

<2022年6月11日(土)夜>

19世紀半ば、ドイツからアメリカに移民してきたヘンリー・リーマンと、後を追ってやってきた2人の弟。南部に店を構えて、生地を扱う店から綿を農場から工場に売る卸に、さらにニューヨークに進出して綿取引を手がけたところから商売を広げて金融機関になり、21世紀に破綻するまでのリーマン一族とリーマン・ブラザーズの経営を描く。

舞台収録を映画館の鑑賞に堪えるように映像化したNational Theatre Live。知っていたけど観たのは初めて。2019年にロンドンで上演されたものだけど、芝居の面白さと映像化の上手さと、両方にびっくりした。

そもそも書籍が日本語翻訳されて、面白いらしいと評判を見かけたのが「リーマン・トリロジー」を知った最初。本屋で手に取ったら2段組みで辞書みたいな分厚さ、しかも全部3行ずつ書いてあって、トリロジーだからそういう形式なのか、さすがに無理だとその時は手を引いた。そのあとでNational Theatre Liveがあるのを知ったけど、観に行ける範囲の上映は終わったあと。さらに評判を見かけてうわーもったいないと思っていたら今回リバイバル上演ということでようやく観られた。「トニー賞ノミネート記念」らしい。

今回の特別上映は、ブロードウェイ版「リーマン・トリロジー」に出演したアダム・ゴドリー、サイモン・ラッセル・ビール、エイドリアン・レスターの3人が今年、それぞれにトニー賞の主演男優賞にノミネートされたことを記念して行われるもの。なおこのたび上映されるのはロンドンで上演されたオリジナル版となり、レスター役をベン・マイルズが演じている。

それで知ったのは、原作はイタリアのラジオドラマで9時間あったということ。そりゃ2段組みで辞書みたいな分厚さになる。そこから芝居用に再構築しても、1幕1時間強、2回休憩を挟んで3時間40分の超大作になるのはしょうがない。

で、舞台美術があって役者がいて、芝居っぽい場面も当然あるけど、どちらかというと動きながら詩を朗読していると表現したほうが近い。創業者である3人兄弟がアメリカに移民してきたところから始まる3世代を3幕で描く壮大な物語で、そういうところもトリロジーなんだろうけど、これをおっさん3人だけで演じるのがまたすごい。

ひとり複数役が特別に珍しいというわけでもないけど、とにかく常に誰かがしゃべっている。しかも一度台詞担当になると長い。なのに普通に見えて、こちらも普通に観ていられる。途中でようやく、これはハイレベルすぎて普通に見えるんだと気が付く始末。芝居っ気が混じっても朗読要素が多いので、よほど台詞をしっかり言えないとこの長時間は持たない。日本だと橋爪功クラス。それが3人。

これで描かれる話が、やっぱり面白い。生地から日用品に取扱いを増やす、火事になった農園を助ける代わりに収穫される綿で支払を求める、綿のまま取引するのが儲かるなら他の農園にも取引を広げる、と機を見るに敏な商売人の魂。なのに、というかだからこそ、耳元を冷たい風が吹いて自分の時代が終わったことを悟ってしまい次世代に席を譲る時。その代替わりを経て堅実な現物商売から金融取引に移行する過程。「我々にとっての小麦は金です」とかしびれる台詞。物語の強度に役者のレベルがつりあって、それを生かす最低限の美術と音楽。字幕も字数短く抑えて読みやすかったけど、英語がわかる人が観たらもっと楽しかったんだろうなと思うとちょっと悔しい。

映像化の違和感が全然ないところもすごかった。テレビで舞台映像を観るときにいつも残念なのが音声で、ホールの遠くから録音している感じが劇場とは違いすぎるところ。これが今回、劇場で生の役者を観ているのと同じくらい違和感がなかった。実際には劇場よりもクリアで、音声の録音がクリアなのは理由のひとつ。だけど、おそらく役者ごとに録音した音声を、場面ごとに役者のいる位置から聴こえるように音声の位置を合せていたんじゃないかな。テレビよりも映画館だから合せやすいだろうとは思うけど、そこまでやったらその分の手間は当然かかっているわけで、どうだったんだろう。少なくとも臨場感のある音声だった。ほとんど意識しないで聴ける音声はすごい。

上映時間が普通の映画の倍のせいか、入場券が3000円だったけど、惜しくない。やればここまでできるんだぜとハイレベルな仕事ぶりを見せられて堪能した1本。大満足。

<2022年6月14日(火)追記>

全面改訂。

鵺的「バロック」ザ・スズナリ

<2022年6月11日(土)昼>

娘が放火して屋敷が火事になり行方不明になった名家。ひとりだけ生き残った妹は屋敷を再建し家庭を持つも、怪しい雰囲気の消えない屋敷を敬遠した家族は結局別の家に暮らして屋敷は空き家となる。やがて病気になり余命いくばくもない妹は、屋敷の解体を了承し、子供たちと一晩を屋敷で過ごす計画を立てる。集まった夫も子供たちも不満や不安を抱えて一家団欒とは程遠く、悪天候で外出もままならない中で、屋敷の不思議な現象に巻きこまれる。

新型コロナウィルスの初期に上演された芝居の再演で、その前に上演された「悪魔を汚せ」に近いテイスト。その数十年後の続編に見えるけど、姉妹関係や屋敷の場所が違うみたいだから別設定で、これ単発で観ても楽しめる。

前回は「金田一耕助も警部も出てこない金田一耕助モノ」という酷い話だったけど、今回はホラー要素のある酷い話ベースにしつつ、救いのある描写に落着いた。そうは言っても酷い話なので勢いが重要なところ、テンションの高さで最初から最後まで押切ることに今回も成功して、楽しめた。ただ、脚本でラストがちょっと長くて間延びしたところも前回と同じで、あれはもったいなかった。

スズナリだから場面転換で美術を動かすなんてことはできなくて、屋敷のロビーだけで展開される。だけど場面数のやたら多い脚本。これを実現するのが、決して広いとは言えないスズナリに目いっぱい建込んで奥行きも出した2階建ての舞台と、それを生かしていろいろな場面を切りかえるための照明と音響。ホラーなんてうっかりするとギャグになるところ、今回成功した理由の半分くらいは劇場の限界まで挑戦したスタッフワークで、前回以上に感心しきり。

<2022年6月14日(火)追記>

全面改訂。

2022年6月 6日 (月)

松竹製作「六月大歌舞伎 第二部」歌舞伎座

<2022年6月4日(土)昼>

妻と母の不仲に悩まされるも戦の才と忠誠心あふれる家臣に恵まれた信康が織田信長の勘気を受けて謹慎を命じられる「信康」。山王祭の江戸で芸者や鳶たちが踊りや芸を披露する「勢獅子」。

時間の都合で第三部が観られず、ならばと第二部に挑戦。

「信康」は染五郎が歴代最年少の17歳で信康を演じるのが目玉だったけど、「役者は声」派の自分には残念な出来。どれだけ見た目に凛々しく大声が通っても正直な声が出ていないのは駄目。役作りをどれだけ頑張っても声で結果が出せないのは駄目。贔屓のアイドルの初舞台なら温かい目で見守っても高麗屋でこれは駄目。信康、信長双方の家臣役や徳姫など正直な声の出せる役者が揃っているので、この公演の最中に吸収してほしい。家康の白鸚の活舌が衰えすぎなのも厳しかった。去年の弁慶では体力はまだしも活舌が悪いとは思わなかったけど。晩年の家康ならしっくり来たけど、40歳になるかならないかくらいの時代なので、貫禄は十分でも活舌で年齢が狂うのは困る。

「勢獅子」はにぎやかな踊り多数。獅子舞が出ているから正月の演目かと思って調べたら山王祭が舞台でちょうどこの時期の話題。我ながら祭りの季節感に鈍い。

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