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2022年9月23日 (金)

人格より前に能力と魅力が求められる業界の話

宮沢章夫が亡くなりました。ステージナタリーより。

宮沢章夫が、うっ血性心不全のため9月12日に東京都内の病院で死去した。65歳だった。
(中略)
宮沢は1956年生まれの劇作家・演出家・小説家。1980年代半ばに竹中直人、いとうせいこうらと共にラジカル・ガジベリビンバ・システムを立ち上げた。また、シティボーイズの作品を手がけたことでも知られている。1990年に遊園地再生事業団の活動をスタートさせ、1993年に「ヒネミ」で第37回岸田國士戯曲賞を受賞。主な著作に「東京大学『80年代地下文化論』講義 決定版」「時間のかかる読書」「ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット 第3集」「長くなるのでまたにする。」「NHK ニッポン戦後サブカルチャー史 深掘り進化論」などがある。

私が芝居を観始めた時期がその劇場活躍時期より遅かったので、脚本演出両方手がけたもので観たのは2018年の「14歳の国」1本だけです。遊園地再生事業団名義でおそらく最後の公演です。あとは覚えている範囲で「ひょっこりひょうたん島」が共同脚本でした。なのでほとんど接点はありません。

2018年はすでに早稲田大学の教授で、公演のあった早稲田どらま館の芸術監督の肩書もありましたが、翌年に稽古場で役者を殴って事実上のクビになりました。そのころのTwitterのいろいろはこちらでまとまっています。昔から暴れがちな人だったようです。岸田國士戯曲賞の選考委員も辞退して、あとはあまり表だった仕事はしていなかったはずです。

前提として、私は暴力沙汰は苦手です。仕事で殴られたら何はさておき辞めて逃げます。そのうえで。

「14歳の国」はよくできた芝居でした。1998年の初演から20年経っても成立する脚本だったし、あの公演自体もよくできたものでした。前述の引用に載っている通り、脚本に限らず本の執筆もたくさん手がけています。過去の演出でどの程度暴力沙汰を起こしていたのかはわかりませんが、芸能界や出版界で活躍できるだけの能力を持っていたといえるでしょう。

世の中にはいろいろな仕事がありまた業界がありますが、雑に分類すると「赤点を超えれば問題ない仕事や業界」と「満点を超えない成果には意味がない仕事や業界」の2種類に分かれます。芸能界全体でとらえれば後者です。格好いい演技でも上手い歌手でも面白いトークでも、なんなら有名という知名度でも、琴線に触れるだけのピークを出せているから客は金を払います。赤点をはるかに超えていたとしても満点に届かないものに客は金は払いません。少なくともそれが単体で成立するだけの金を引張れません。

また別の雑な分類では「継続的な安定供給が求められる仕事や業界」と「成果が繰返し提供できるので1回の大成功が求められる仕事や業界」があります。芸能界の中には両方あると思いますが、映像や本などコンテンツと呼ばれるようなもの、客が金を払うものはたいてい後者に当たります。客は面白そうと思えばこそ金を払います。

芸能ごと全般が、そういうものです。そして困ったことに、能力だけでは足りません。そこに一定以上の魅力がないと一銭にもなりません。魅力とは琴線に触れるだけのピークを出せる人や持っている人で、いわゆる「客が呼べる」というものです。そして客を呼べる人はつねに不足しています。

そういう業界だからこそ、客が呼べる立場の人が威張る余地があります。威張りすぎて嫌われて干す人もいれば、それが金になるならかばって働かせる人もいます。客を呼べるだけの魅力があればある程度のアウトローには目をつぶってもらえるという点で、そういう人達がより多く流れ込むサイクルになっているとも言えます。

昨今はインターネットが発達したことと世間全般にハラスメントという概念が膾炙したことで、不行跡が伝えられると魅力にダメージが入って謹慎に追込まれるようになりました。が、能力はまた別の話です。場合によっては歪んだ人格が能力や魅力を生みだす面もあります。が、経緯はどうあれ獲得された能力というものはあります。

俗に「作者と作品は別人格」といいますが、これは作品は独立して評価されるべきという話だけではありません。客を呼べるだけの成果を出せる人の人格がまともなわけがないだろうという話も含んでいます。周りにかける迷惑の度合いに濃淡があるだけです。

繰返しますが私は暴力反対です。だからと言ってつまらないものに金を出すつもりもありません。私に限らずたいていの人が同じでしょう。だから昔から世間では、芸能界や出版界は堅気じゃない、まともな人間のつく職業ではないと区別していました。今でもそう考える人は多いでしょう。それは差別と呼ばれるレベルの区別ですが、人格よりも能力や魅力が必要な業界ではそうならざるを得ないからです。

それが最近、堅気と業界との境が曖昧になってきました。またハラスメントのない創作および創作環境の追求を試みる活動も出てきました。宮沢章夫の暴力沙汰からの隠遁は、その過渡期の出来事と言えます。

その活動がどこに落ちつくのか、金を払いたくなるコンテンツが引続き提供されるのかは、芝居なり本なりに金を払ってきた客の一人として興味を持っています。

2022年9月18日 (日)

野田地図「Q」東京芸術劇場プレイハウス(ネタバレあり)

<2022年9月11日(日)昼>

源平両家が勢いを競う都で恋に落ちた、平の螂壬生と源の愁里愛。駆落ちが行き違いで心中になりかけたところ、未来の螂壬生と愁里愛が助けて一命を取りとめる。だが心中が美談となった都で2人は表立った活動を許されない。

初演も観て、なんか後半違うような気もするのですが思い出せません。相変わらず粗筋を書くのが難しい芝居という印象は共通です。ただ今回、初演のすっきりしなさの理由がなんとなくわかりました。ひたすらその言語化に務めます。

俊寛のオマージュとかクイーンの音楽とか、全部おまけと言って悪ければちょうどいいから選ばれた飾りです。名前が大事な時代だからこそ成立っていた「名前を捨ててやってきて」と願う有名なジュリエットのバルコニーの台詞、それが匿名が当たり前の時代になるとどうなるか。それを源平を舞台にしてロミオとジュリエットで前半、後日談で後半を描くのは、さすが野田秀樹の目の付け所です。

後日談のパートでは、匿名による相手への中傷と名を広めて相手を圧倒しようとする対立が源平の合戦に発展。偽名で戦に出陣したロミオが負けて捕虜になる。ここで一瞬だけジュリエットとすれ違うも、ロミオはスベリア(シベリア)送りになる。

過酷な環境で捕虜労働にこき使われ、無価値になった金による看守の買収も失敗する。耐えかねた仲間の一人がロミオの正体をばらして看守の買収を試みるも、すでにロミオの名前に価値がなかったため失敗。これで一命を取留めたものの、捕虜釈放のタイミングで偽名のロミオは名前がなかったため釈放にならず、最後には捕虜のまま亡くなる。

愛する人をロミオに殺されて復讐のために追っていたトモエゴゼ(巴御前)は、ロミオが亡くなったことを確認すると自分も力尽きる。

名を捨てたばかりに自分としての活動もできなくなり亡くなるロミオや、相手(の名前)への復讐が過ぎてその先につながらない巴御前。言葉遊びから引用から社会問題まで、いろいろな要素を取込んで匿名の行く末まで批判的につなげる一連の流れはまさしく野田秀樹調で、こういうのを観たいから野田地図を観るんだという会心の出来です。

ならば内容にも納得がいくかというと、そこが悩ましいところです。以下はこの芝居が現実社会への批判を込めているという前提に立って、批判対象の現実社会の理解が私の理解とずれている、という話です。

ひとつは名を捨てたに掛けた匿名の扱い。ロミオの最後は捕虜のまま野垂れ死にです。名前を捨てて活動した個人の哀れな末路、と見えます。そして源平の対立で匿名の中傷を流していたのは戦の情報戦、組織によるものです。

でも世の中の匿名の大半は、普段は日常生活を送りつつ、SNSなどではID、ハンドルネーム、芸名、何と呼んでもいいですが、日常生活を隠したペルソナで発信する人達です。ロミオの個人と戦の組織の中間に位置します。このボリュームゾーンへの言及が欠けていて、匿名の扱いが極端すぎるように、乱暴な表現をすれば雑と感じます。

そこに暴力性を見出すなら、匿名個人の誹謗中傷のほうが適切です。匿名個人が、茶の間のテレビに文句を言う感覚でSNSに書込む。そうやって発信された誹謗中傷を真に受けて、酷いときには対象者が自殺に至ったとして、でも誹謗中傷をSNSに書込むような人たちほどそんなことを気にしないし反省もしないでまた誰かについて同じような誹謗中傷を書くし、前に書いた内容と正反対の意見でも気にしない。考えが変わったのではなく、文句を書くことが目的になっているような状態ですね。それが大勢とは言いませんけど、それなりの数はいます。

その前提に立つと、死んだロミオを見つけて目標がなくなって倒れるトモエゴゼだけでは、役として一途すぎます。源平の対立時にはその時の支配者である平家に文句を書くけど、そのあとで都が源氏の支配になったら源氏の文句を書くような無責任なコロスがいると、もっと厚みが出たのになと思います。

もうひとつは戦争の扱い。初演では徴兵からシベリア送りまで、日本の太平洋戦争をあつかっていると思えたのですよね。今回も後半ぎりぎりまではそう考えながら観ていました。当時の日本の指導者層の無謀無策な開戦のツケを無名な兵士が払わされたと考えるなら、齟齬のない展開でした。

ただ、ラストの松たか子の長台詞、無名戦士として扱わないでください云々を聴いた瞬間に、現在進行形のロシアとウクライナに意識が向いてしまったんですよね。意見はいろいろあるでしょうが、ロシアが先に仕掛けて、ウクライナが急いで防戦した初期の展開には異論がないでしょう。そうすると、先に仕掛けたロシアはともかく、ウクライナ側は名を捨てるの拾うのと言っている場合ではない。正真正銘、生活と命を賭けて戦うことになる。そういう戦いが今まさに行なわれています。

そしてその一環で情報戦も必要になるし、それは公式(顕名)の発信だけでなく、匿名による発信も必要になる。それは自国を鼓舞し相手国を攪乱するだけでなく、周辺国を味方につけることの必要性も現代では大きいからです。

さしたる理由もなく軍隊が攻めてくることが現実にあるし、それは海を挟んだ隣国であるという現実は、戦争と言えば太平洋戦争だった多くの日本人の戦争観を変えたでしょう。少なくとも私は変えました。初演の2019年なら問題にならなかったのに、現実が3年前の想像を追越して、脚本の戦争観が古く見えてしまいました。

ここから先は独断と偏見です。野田秀樹は個人を、それも理由はどうあれ自分から動く個人を描くのが上手な人です。逆に社会問題を描くのは苦手な人です。社会問題を借景に持ちつつも最後は個人の物語に落ちるといいのですけど、最後に社会問題が全面に出てくると違和感が残ります。人種差別を扱いつつあの女の話でまとめた「赤鬼」や、原爆投下の責任問題を扱いながらミズヲとヒメ女で引張った「パンドラの鐘」は、上手くいったほうの例ですね。

ならば今回はどうか。会えない螂壬生と愁里愛がバラバラに動くので、主人公たちに向けるべき目が借景で収まってほしい戦争に向いてしまった。それは最後に抱き合うラストを引立てても、後半長く扱った戦争と捕虜の話を払拭するには至りませんでした。そこに匿名や戦争の扱い方の違和感が重なって、納得いかなかったのが今回の結論です。

繰返しますが、ロミオとジュリエットを源平の対立で置換えたことや、名を捨てたことの末路までつながる一連の流れは実によくできています。ただし、よくできていても自分の好みに合うかどうかは別の話というだけのことです。

最後に一般感想です。今回は女性陣が活躍して、広瀬すず、羽野晶紀、伊勢佳代が目を引く出来でした。松たか子も男性陣も文句はありませんが、ちょっと身体に鞭打って演技していたような印象を受けました。これだけ公演して、さらにこれから海外を含むツアーなので、一息入れて頑張ってほしいです。個別場面ではシベリアでロミオを売ろうとする小松和重の後ろ暗い感じが一等賞です。

初演では上手最前列で観たのを今回は1階センター後方で観られましたが、全体が見えたほうが美しいですね野田地図は。もともと私は全体を眺めるのが好きですけど、それを差し引いても。今回はフォーメーションに依存する演出ではありませんでしたが、白い舞台にひびのこずえの衣装が映えて、美しかったです。

なお今回はうっかり東京千秋楽が取れてしまったのですが、2回目のカーテンコールからスタンディングオベーション。5回目あたりで野田秀樹が一人で戻って収めようとしたのですが収まらず、7回目だったかな、そのくらいで野田秀樹がもう一度一人で出てきて、ようやくお開きになりました。贔屓の役者を間近で応援できるのはライブの醍醐味ですが、私は苦手ですね。もっと素直にスタンディングオベーションすればいいのに我ながら損な性分です。

2022年9月 1日 (木)

2022年9月10月のメモ

・松竹製作「九月大歌舞伎」2022/09/04-09/27@歌舞伎座:第三部の「仮名手本忠臣蔵」に仁左衛門復帰と思ったら海老蔵とセットで悩みどころ

・神奈川芸術劇場主催企画制作「夜の女たち」2022/09/09-09/19@神奈川芸術劇場ホール:新型コロナウィルスで初日延期になってこの日程です

・モチロンプロデュース「阿修羅のごとく」2022/09/09-10/02@シアタートラム:この座組なら気にならないわけがない向田邦子原作

・公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団/ホリプロ製作「ヘンリー八世」2022/09/16-09/25@さいたま芸術劇場大ホール:新型コロナウィルスで中止になった公演のリターンマッチ

・りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館企画制作「住所まちがい」2022/09/26-10/09@世田谷パブリックシアター:白井晃の翻訳劇で小難しそうだけど役者陣には惹かれるものがある

・独立行政法人日本芸術文化振興会、文化庁芸術祭執行委員会主催「義経千本桜」2022/10/01-10/26@国立劇場大劇場:菊之助で通してくれるけど3部構成で1日最大2部しか上演してくれないので注意

・松竹主催「唐茄子屋」2022/10/05-11/27@平成中村座:10月と11月で演目を入替えるけど午後の部にやる宮藤官九郎脚本の「唐茄子屋」だけは2か月連続上演

・M&Oplays主催「クランク・イン!」2022/10/07-10/30@下北沢本多劇場:岩松了っぽい粗筋です

・東宝製作「エリザベート」2022/10/09-11/27@帝国劇場:余力があればミュージカルも観てみたいのでピックアップ、キャスト組合せがいろいろあるので注意

・新国立劇場主催「レオポルトシュタット」2022/10/14-10/31@新国立劇場中劇場:小川絵梨子演出でトム・ストッパードなら注目

・まつもと市民芸術館企画制作「スカパン」2022/10/26-10/30@神奈川芸術劇場大スタジオ:串田和美のスカパンは一度観ておきたいのでここがラストチャンスのつもりで

他に野田地図が09/11まで。

劇場サイトを見ていますけど、本多劇場グループのサイトが見やすくなったのがうれしいですね。各劇場のトップに公演カード一覧が載っているので、ざっと一覧を把握するが楽です。

<2022年9月18日(日)追記>

1本追加。

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