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2023年1月23日 (月)

風姿花伝プロデュース企画製作「おやすみ、お母さん」シアター風姿花伝(ネタばれあり)

<2023年1月21日(土)夜>

母と離婚して戻った娘が2人暮らしする家。母が娘に身の回りの世話を頼んでいるが、娘は亡くなった父の残した銃を探している。2時間後に自殺するために使いたいのだという。母は冗談だと思って取り合わないが、娘は自分が亡くなった後の身の回りの始末を進めていく。

今回の風姿花伝プロデュースは母と娘の2人芝居を、実の母娘である那須佐代子と那須凜が演じるという取り合わせ。しんどい会話劇は、客観的な感想だと脚本の読み違えがあったと言いたいけれど、個人的にはむしろそこに見応えがあったというややこしい感想です。2人ほぼ出ずっぱりの熱演なので観た人たちの感想が気になりますが、以下ネタばれで自分の感想を。

母が娘に家事をいいつけたり、自殺前に娘が家事のあれこれを片づけるところから、普段の生活で母がいろいろ娘に依存していることが伝えられます。この過程で、娘はてんかんの発作で子供のころからいろいろ上手くいかず、結婚して息子ももうけたものの夫とは離婚して息子は犯罪で逃亡中で人生になり、薬のおかげでここ1年ほど発作が収まったものの、それで頭が冴えた結果、人生に未練をなくして自殺に思い至ります。

脚本だけ追っていくと、よかれと思っていた母の振舞が娘から自信を奪うことになり、また母自身も自分の人生に我慢や諦めがあったことが明らかになります。ここを見ると、最近の言葉でいう毒親が、娘の行動からその事実を突きつけられて自覚する物語です。母役を演じた那須佐代子はおそらくこの線で役を作っていました。いい出来です。終盤にいろいろ気がついて食堂のテーブルで絶望した顔になる場面は絶品でした。

ただし今回、娘役を演じた那須凜が母役の引立て役に入らなかった。自分が亡くなった後の身の回りの始末をリスト化して積極的に進める様子だったり、ママのせいじゃないと伝える際の伝わらなさがわかっているニュアンスは、これだけきちんとした人でも、むしろきちんとした人だからこそ自殺を選んでもおかしくない世の中なのだと想像させてくれました。初演は1983年らしいですけど、この役作りの線が2023年にしっくり合っていました。

人によって意見はあれど、私は昔より今のほうが余裕のない世知辛い世の中になっていると思っています。特に先進国と呼ばれていた国は。世界が発展して国力が相対的に落込んでいるとか、社会が整う過程で無駄が省かれたとか、理由はいろいろあります。昔のほうがセクハラパワハラ上等でその点では今のほうが進歩しているでしょうし、やりたいことがあってそのパスを探せる人には最高の時代です。ただ、世間に求められるスキルが高くなり、それがこなせない人の就ける仕事や居場所はどんどん減っています。それが長く続いても耐えられる人と耐えられない人がいます。

母の説得に「それはここにいる理由にはならないの」と返すくだりの台詞回しは非常に胸に沁みました。理由なんてなくなってから人生本番なんだとおっさんになった今なら言えます。劇中の母も似たような台詞を言います。それでも自分は世の中に必要ないと考えるその真面目さは、今様の繊細な造形でした。

この線がもう少し掘れればよかったのですけど、残念だったことが2つあります。ひとつは那須凜が生き生きしすぎていて、人生への執着のなさが表現しきれていなかったこと。もうひとつは那須佐代子の役との調整不足で、脚本が求める以上にお互いのやり取りがチグハグに見えたこと。あと一歩で初演から40年後の日本にふさわしいところまで行けそうな手ごたえなのですけど、あと一歩が足りなかった。けど、見応え十分でした。

翻訳と演出は小川絵梨子ですけど、どういう方針で演出を進めていたのかは気になります。ちなみに翻訳だと、娘が母を普段はママと呼ぶところ、タイトルの台詞のところだけお母さんと呼ぶのが、娘の律儀さを最後まで表現していてよかったです。

最後にスタッフです。音響は効果音以外なしです。それで上演時間1時間45分を持たせた役者も凄いですけど、効果音以外要らないと決断できる音響も凄いです。衣装は母が身体にあった服装に対して娘には今どきのだぼっとした服装を当てて、年齢差以上に世代差を強調していました。あと美術は、この風姿花伝プロデュースでは毎回狭い空間に工夫しつつ安いわりに豪華に見える工夫がされています。今回だと家具を多く使って舞台の設営は奥の壁と台所だけ、屋根裏部屋は上手の劇場階段を奥に見せて利用、と毎度のことながら工夫された美術でした。

全部感想という名の妄想ですけど、妄想を誘ってくれるだけの熱演でした。

2023年1月 9日 (月)

National Theater Live「レオポルトシュタット」

<2023年1月9日(月)昼>

オーストリアに住むユダヤ人の家族。迫害から逃れて暮らすウィーンで長男がキリスト教に改宗してまで努力して成功者になったメルツ家と、父母は田舎に暮らすが子供たちがウィーンに出てきてメルツ家の長女と縁戚関係になったヤコホヴィッツ家。交流の多い両家が、メルツ家でクリスマスを祝う1899年から、1900年、1924年、1938年、1955年を通じて、一族の歴史を辿る。

舞台収録を映画館の鑑賞に堪えるように映像化したNational Theatre Live。日本公演を先に観ていたのが予習になって、展開を追う以上の余裕を持って観られました。場面ごとに子供の役者が大人の役者に交代することは、外国人の顔をそこまで細かく見分けられないと割りきって最初から見た目で追うのを諦めたら話に入れました。

で、やっぱり当事者としてユダヤ人の歴史に関係している本場は強かったです。超がつくオーソドックスなストレートプレイで何なら日本公演とほとんど変わらない演出でしたけど、声に迷いがありません。特に序盤の言い争いが力強い。座組全体で脚本の理解と演出の方向決めが揃った仕上がりでした。がっちり仕上がりすぎて観終わった後に少し気分が悪くなりました。

海外贔屓でためにするということではなく、ユダヤ人問題はやっぱり日本人には縁が遠いという話です。

今回観て気がついたことをいくつか。

現地演出だと場面転換で当時の写真をスクリーンに大量に映すのですけど、現実にもこういう出来事があったんだと伝えるのと同時に、あれだけ大量の写真を入手できるあたりが舞台となった本場だなということ。

最後に家系図を伝えるところが、1幕最初のエミリアのアルバムの写真に写る人物の名前を忘れてしまうという話とつながっていること。これは日本公演でも気がつくべきでした。ちなみに家系図も何回かスクリーンに映す演出です。

あとヘルマンは時間が経つごとにはっきりと態度を変える演技で、これが日本公演と一番印象の違う役でした。最初の立派な押出しから、妻の浮気相手を前にして怯んでウィーン社会に幻滅してしまうところ、そして最後に息子をアーリア人にするためにかつての妻の浮気相手に大金を払って一筆もぎ取っておいたことを自慢気に言うところ。おそらくこの一筆もぎ取っておくあたりが、良くも悪くもユダヤ人はしたたかだというのが現地の理解で、でもそう振舞うところに押しやったのは浮気相手の将校で、みたいな連想を誘う演技でした。

逆に日本公演で良かったのは、ナチスの将校がアルバムを踏みつける場面ですね。あれはあの場の力関係以上のユダヤ人の立場を表す象徴的な演出でした。現地だとそこまでやるとくどくなるのかもしれませんが、日本人の自分にはわかりやすかった。

笑える場面はほとんどないのでこれから観に行く人は体調万全で臨んでください。休憩なしなのでその点も注意。

パルコ企画製作「志の輔らくご in PARCO」PARCO劇場

<2023年1月7日(土)昼>

子供が習っているそろばん教室の先生の息子が結婚したと先生にお祝いを言いに来たのはいいが余計な一言が多い「まさか」。新作を盗作されて身投げするところを助けた狂言師のために長屋の連中が面白い話を教えようとする「狂言長屋」。堅物で通るが実は芸者遊び好きな大店の番頭が内緒で芸者を連れて向島の花見に繰りだしたらうっかり店の旦那と鉢合わせ「百年目」。

吉例企画。この劇場でやるからにはと噺以外の趣向も用意しているのでそこは観に行ってからのお楽しみ。おなじみのオープニング一言からマクラも工夫しての前半戦は素直に楽しむ。3本目だけ、もうちょっと縮めたほうが自分には好みだけど、人情噺なのでたっぷりのほうが好きな人が多そうで悩ましい。

面倒なことは考えずに素直に笑える、年の初めの1本に適した演目が選べて満足です。

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