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2023年4月24日 (月)

株式会社パルコ企画製作「ラビット・ホール」PARCO劇場

<2023年4月23日(日)昼>

一人息子を車の事故で亡くして8か月、セラピーに通うのを止めた妻と通い続ける夫。家には子供の面影があちこちに残る。妻の妹は姉に気を使うも恋人の子供を妊娠し、妻の母は慰めようとして逆に積極的に息子の死を話題に持出す。妻と夫の関係がぎくしゃくしたある日、事故の車を運転していた青年から一度会いたいと手紙が届く。

機微に触れる話題が最初から最後まで続く脚本。どこかで気を抜くと全部が駄目になる脚本を、役者、スタッフ、演出家が同じ目標を目指して仕上げた1本。迷ったけど観てよかったと断言できます。

宮澤エマ演じる妻の、まだ立ち直れているようないないような心境を、周りがかき回してやっぱり立ち直れていないところが続くところ。成河演じる夫の、立ち直っているように見えて引きずりつつ夫の義務と妻への諦めの合間で悩むところ。シルビア・グラブ演じる母の、強引と母は強しの両立。土井ケイト演じる妹の、この芝居唯一の癒し系おとぼけポジションを維持しながら正面から言葉をぶつけるたくましさ(笑)。観た回では山﨑光が演じた青年の、悪気はないし反省もしているけど空気も読めない絶妙のライン。全員、脚本の求める理屈に魂を込めることに成功した役作りでした。

直線を多用した舞台、転換時の線のはっきりした照明、シンプルな音楽、柄の少ない衣装は、ソリッドという言葉を体現した一体感を持たせて、芝居の緊張感を保つのに一役買っていました。そういう面も含めて、演出の藤田俊太郎がよくぞ最後まで繊細さを実現して引っ張りきりました。

この脚本は意地悪なところがあって、妻の心境の変化は丁寧に追うけど夫の心境は観客の推測に任せているし、思い出のビデオを消してしまったのが妻の間違いなのかわざとなのかはわからないしで、演出と役者にゆだねられているところが多い。でも、ありそうやりそうわかるかも、の連続ですね。後半のわりと後半まで引っ張っての、ふっと抜けるところは絶妙です。けど、夫の職業がリスク管理会社のマネージャーだったか、あの傷に塩を塗るような設定は、聞いて内心泣かずにはいられなかった。

ひとつだけ難を挙げるなら、翻訳。たまたま前日と同じ小田島創志の翻訳だったけど、こっちのほうがなんというか、たまに印象がぶれるときがあった。特に序盤。自然な言葉を目指すために稽古場で役者が変更を提案して、翻訳者が片っ端から通したってどこかのインタビューで読んだけど、詰め切れていなかったと思う。多少ならまだしも、翻訳者が責任を持って統括して、役者がそこに魂を込めていくほうがいいのではないか。

新国立劇場主催「エンジェルス・イン・アメリカ(第一部、第二部)」新国立劇場小劇場

<2023年4月22日(土)昼、夜>

1980年代のアメリカ。ゲイ同士で同居しているプライアーとルイスだが、プライアーのエイズ感染がきっかけでルイスが家を出る。ゲイであることを隠して結婚しているジョーは師とも父とも仰ぐ辣腕弁護士ロイ・コーンから引っ越しを伴う栄転を持ちかけられるが、妻ハーパーの情緒不安定のために話を受けるか悩む。あくどい弁護も多数手掛けたロイ・コーンは追及をかわすためにジョーの栄転を後押しするが、エイズであると診断される。大勢が混乱する中、ルイスとジョーが出会い、プライアーは天使から自身が預言者と告げられる。

これでもかと要素が詰め込まれてあらすじを書くのに難儀する大作です。ざっくり順不同で、隠すことが今よりも当たり前とされていたゲイの社会的な認められなさ、当時は死に至る病と恐れられていたエイズであること、政治的に強い立場にいる人間のせまいコミュニティ内のつながりを利用した横暴、薬物を常用するような人間の増加、白人と黒人(とユダヤ人)の対立、個人にとっての宗教と信仰の位置づけ、危機に瀕する社会主義と対立がひどい民主主義、それら全部をひっくるめて融和せずに対立と分断が激しい保守派とリベラル派の争い、みたいな感じでしょうか。お腹いっぱいです。

多分この中で、いまどきのLGBTな話、新型コロナウィルスで広まった感染症による死の恐怖、貧富の拡大による社会の分断、あたりが今の日本でも想像されるものがあると考えて上演を決めたのでしょう。それはわかるのですが、当てはまるものもあれば当てはまらないものもあり、それはしょうがないです。が、仕上がりの良かったところと悪かったところがあり、結果は悪かった部分が目立って、終演後は消化不良という感想でした。

先に良かったところを挙げると、ベテラン役者陣はさすがでした。ロイ・コーンを演じた山西惇、ジョーの母親をメインにしつつそのほかのチョイ役の大半を担った那須佐代子、ゲイで黒人の看護師のベリーズを演じた浅野雅博の3人は文句なし。ハーパーの鈴木杏と天使役の水夏希も別々の方向で難しい役だったところを好演でした。

個人的には「チック」以来の七変化を見せてくれた那須佐代子がイチ押しで、真面目にできる役は真面目に、真面目にやると無理がでる役は説得力優先で、とにかく担当したすべての役を専任役以上の水準で見せてくれました。那須佐代子の出る場面に外れなしです。第二部冒頭の社会主義の演説、好きでした。

山西惇は辣腕弁護士として、堂々の差別発言と、法律的にも倫理的にも問題な横暴を通しつつ、ジョーをコミュニティの仲間として引張りこもうとする場面の説得など、縦にも横にも斜めにも問題大ありな役です。なのに、この人はこういう生き方を自覚的に貫いてきたんだなと、盗人にも三分の理のようなものを感じさせてくれました。

そして日本人には設定が多すぎてお腹いっぱいなベリーズを演じた浅野雅博は、全体にトーンを押さえて、それがむしろ説得力や注目につながっていました。第二部の、直球の差別発言を連発するロイ・コーンを相手に落ちついて的確に反論しつつ、看護婦としての職業倫理を全うする場面はすばらしいです。

鈴木杏は情緒不安定になるといろいろな場面に飛ぶ役ですが、さすがのキャリアで捌いていました。天使にしては片桐はいりがやるような役ではないかという無茶な面(笑)もある役を引受けた水夏希は、元宝塚トップの貫録でこなしつつ、そのほかのチョイ役が美しいのもさすがでした。

スタッフワークだと、このてんこ盛りお腹いっぱいな脚本を、てんこ盛りお腹いっぱいのレベルまで伝えてくれた翻訳を挙げます。硬軟入り混じったうえに長い脚本ですが、終わってから思い返すまで翻訳についてまったく気にしていませんでした。仕上がりのよい翻訳だと思います。

だから見どころのたくさんある芝居でした。ですが、それ以上に残念が目立ちました。

まずは役者。ベテラン陣に対して、プライアーの岩永達也、ルイスの長村航希、ジョーの坂本慶介が熱演なのはわかりますがいまいちでした。

坂本慶介はジョーの優しさを出そうとしすぎて役の輪郭がぼやけて脚本に負けていました。長村航希は結構問題発言の多い役のルイスですが、問題発言が不愉快に聞こえるのは駄目です。山西惇が問題発言連発でもむしろ引込まれるのと正反対でした。そして個人的に一番駄目だったのが岩永達也。恐怖でパニックになる場面のプライアーが絶望でなく泣き言に聞こえたのも駄目ですが、それよりも台詞全般にテンポが悪いのが駄目でした。独白でも掛け合いでも出だしが遅いのと、芝居のテンポに乗らない単調な台詞の速度でした。耳が芝居に参加していません。群像劇ですけど主役といえる出番の役者がこれではつらい。

この三人の感想、普通の芝居なら頑張ったけど力及ばずで済ませるのですが、今回は高いチケット代に加えてフルオーディションした芝居であることを表に出した企画です。1600人から選んでその仕上がりですかと文句を言わざるを得ません。もちろん、1600人の中にはベテラン陣が演じた役だって含まれるのですが、那須佐代子と浅野雅博なんてオーディションしないでも新国立劇場の主催なら真っ先に候補に挙がる役者でしょう。選んだ最終決定権が誰にあったかまでは把握していませんが、もう少し耳も使って選んでほしいです。

今回の出来を見た限り、私は新国立劇場にフルオーディション企画を行なう余裕はあってもを生かす能力はないと判断します。一観客の意見としては、フルではなく部分オーディションにして、時間と選択眼を限られた役に集中するべきだと考えました。少なくともオーディション慣れするまでは。

そしてスタッフワーク。新国立劇場でここまでスタッフワークでぐだぐだになるとは。

まず音響が、選曲がなんかちぐはぐでした。当時の音楽に寄せるでもなく、盛上げに全振りするわけでもなく、なんとなく手元にあった曲を流しているような雰囲気です。第一部のラストだけはわかりました。あの場面はあのくらい派手な曲で強引に締めないといけない。でもあとはいまいちでした。

あと舞台効果というか、天使や天界の扱い。安全もあるからワイヤー多めで降ろすのは理解できる。でも降りた天使のワイヤーの付け外しに堂々と舞台スタッフが出てきたり、舞台セットのベッドを堂々と避けたりするのは興ざめです。あと天界に上る梯子をスタッフが見える形で横に流したのも。上下を使いたいのはわかるのですが、あの辺は舞台奥なのだから隠す手段を検討してほしかった。ト書きがどうなっていたかはわからないけど、無理に天井から降ろさなくてもよかった。

キレイ」なんかはどうやっていたかなあ。カスミお嬢様がブランコに座って降りてきて、バンジーでワイヤー1本でぶら下がって、降ろして、自分で外したか執事の格好をしたスタッフが外したか。覚えていないけど、覚えていないくらいに素早く捌いていた。そういえば今回の座組みに四代目カスミお嬢様がいますね。ハーパー。

そういういろいろ、個人的には駄目だと思った部分が多いので、ひっくるめて演出家の上村聡史が脚本に負けたという判定です。演出ではもうひとつ。ロイ・コーンとジョーが父だ息子だと慕いあう場面があって肯定的に描かれているのですが、あれは「ホモソーシャルな社会」とか「オールド・ボーイズ・ネットワーク」という問題提起もあったんじゃないかなと思っています。なにしろ問題のない場面がほとんどない芝居ですから。

あと脚本について文句を言うのもなんですが、いろいろ時代が進んだ結果、LGBTや人種問題がポリコレとかキャンセルカルチャーに結びついて、アメリカではディズニーすら原作改変するような事態になっています。そのあたり、表現の自由とか原作尊重との兼合いはどうなんだとまで言いたくなるような昨今、それら問題に対して同情的な扱いの多い脚本は、時代とはいえ楽観的でしたねという冷めた感想も持ってしまいます。戦って権利を勝ち取るのがアメリカでは日常であることと、このころからすでに病んでいたんだというのは伝わりましたが。

で、片桐はいりとか「キレイ」とかを思い出しながら、この脚本は松尾スズキが演出したらよかったんじゃないかなとぼんやり思いました。なんか、観終わった直後はたくさんの重たいテーマの割に小劇場っぽかったと思ったんですよね。特に、日本では身近にないテーマも多かったので、もう少し小劇場っぽい手法で戯画化して納得や説得につなげるようなこともありだったんじゃないかなと。小劇場っぽい手法ってどんなだと言われても困りますけど、野田秀樹の言葉を借りれば「省略と誇張」です。

2023年4月18日 (火)

松竹主催「四月大歌舞伎 夜の部」歌舞伎座

<2023年4月14日(金)夜>

弟に遠慮して実家に近づかない大店の若旦那与三郎は、見物に来た木更津の浜辺で地元の顔役の妾となっているお富と互いに一目ぼれをして密会するも、顔役に知られることとなり与三郎は全身を切られて海に投げ込まれてお富は身投げをする、それから3年後「与話情浮名横櫛」。獅子は子を千尋の谷に突き落とすというアレ「連獅子」。

仁左衛門玉三郎の与話情浮名横櫛。話自体はどうってことはない。とにかく与三郎演じる仁左衛門が色っぽい。優男の前半は、お富と出会って互いに意識する場面から、遠ざかるお富を見送ってふらふらする場面までが最高です。その後でお富と密会するもお富のほうが積極的で覚悟を決めるまではやや腰が引けているあたりも実に優男。それが後半、破落戸風情で変わるところも見事。

颯爽と現れる冒頭に、一階席をぐるりと一周するサービス演出まで含めて、仁左衛門ったら仁左衛門の芝居。これは仁左衛門が休演したら代役を建てずに夜の部丸ごと休演するのもわかる。なまなかな役者では金返せになる。

ただ二月も思ったけど仁左衛門は声が少し落ちている。もう少し張った声が出せると後半の破落戸は良かった。お富役の玉三郎が海を背景にした仁左衛門に「ほんに、いい景色」という場面とか、密会している2人を襲う顔役役の片岡亀蔵がすごむ場面とか、助かったお富をかくまっていた和泉屋多左衛門役の河原崎権十郎がきっちり応対する場面とか、声でも魅せてくれる役者が多かったからなおさら気になった。あと後半のお富についていた女中も気になったんだけど、誰だったんだろう。

なおこの芝居で和泉屋多左衛門役を務める予定だった市川左團次は出られずに亡くなった。合掌。

連獅子。今回は尾上松緑と左近の親子による連獅子。お囃子がきっちりリズムを刻んでいたのもあるけど、左近の踊りがそのリズムに乗ってきっちり決まっていた。しっかり止まるキレのある動きと合せて、歌舞伎の舞踊としていいか悪いかはわからないけど、観ていて気持ちがいい若獅子。最後の毛振りこそ円にすこし足りなかったけど、客席の拍手は本物。時間の都合か観ずに帰ってしまった客もちらほらいたけど、もったいない。左近はちょっと気にしておきたい。

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