株式会社パルコ企画製作「ラビット・ホール」PARCO劇場
<2023年4月23日(日)昼>
一人息子を車の事故で亡くして8か月、セラピーに通うのを止めた妻と通い続ける夫。家には子供の面影があちこちに残る。妻の妹は姉に気を使うも恋人の子供を妊娠し、妻の母は慰めようとして逆に積極的に息子の死を話題に持出す。妻と夫の関係がぎくしゃくしたある日、事故の車を運転していた青年から一度会いたいと手紙が届く。
機微に触れる話題が最初から最後まで続く脚本。どこかで気を抜くと全部が駄目になる脚本を、役者、スタッフ、演出家が同じ目標を目指して仕上げた1本。迷ったけど観てよかったと断言できます。
宮澤エマ演じる妻の、まだ立ち直れているようないないような心境を、周りがかき回してやっぱり立ち直れていないところが続くところ。成河演じる夫の、立ち直っているように見えて引きずりつつ夫の義務と妻への諦めの合間で悩むところ。シルビア・グラブ演じる母の、強引と母は強しの両立。土井ケイト演じる妹の、この芝居唯一の癒し系おとぼけポジションを維持しながら正面から言葉をぶつけるたくましさ(笑)。観た回では山﨑光が演じた青年の、悪気はないし反省もしているけど空気も読めない絶妙のライン。全員、脚本の求める理屈に魂を込めることに成功した役作りでした。
直線を多用した舞台、転換時の線のはっきりした照明、シンプルな音楽、柄の少ない衣装は、ソリッドという言葉を体現した一体感を持たせて、芝居の緊張感を保つのに一役買っていました。そういう面も含めて、演出の藤田俊太郎がよくぞ最後まで繊細さを実現して引っ張りきりました。
この脚本は意地悪なところがあって、妻の心境の変化は丁寧に追うけど夫の心境は観客の推測に任せているし、思い出のビデオを消してしまったのが妻の間違いなのかわざとなのかはわからないしで、演出と役者にゆだねられているところが多い。でも、ありそうやりそうわかるかも、の連続ですね。後半のわりと後半まで引っ張っての、ふっと抜けるところは絶妙です。けど、夫の職業がリスク管理会社のマネージャーだったか、あの傷に塩を塗るような設定は、聞いて内心泣かずにはいられなかった。
ひとつだけ難を挙げるなら、翻訳。たまたま前日と同じ小田島創志の翻訳だったけど、こっちのほうがなんというか、たまに印象がぶれるときがあった。特に序盤。自然な言葉を目指すために稽古場で役者が変更を提案して、翻訳者が片っ端から通したってどこかのインタビューで読んだけど、詰め切れていなかったと思う。多少ならまだしも、翻訳者が責任を持って統括して、役者がそこに魂を込めていくほうがいいのではないか。
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