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2023年8月26日 (土)

2023年9月10月のメモ

本数辛めに絞ったら9月に偏りました。

・劇団アンパサンド「地上の骨」2023/09/01-09/10@三鷹市芸術文化センター星のホール:何となくピックアップ

・梅田芸術劇場企画制作「アナスタシア」2023/09/12-10/07@東急シアターオーブ:前に上演されたときに評判のよかった記憶があるミュージカル

・劇団☆新感線「天號星」2023/09/14-10/21@THEATER MILANO-Za:新しい劇場目当て

・ヨーロッパ企画「切り裂かないけど攫いはするジャック」2023/09/20-10/08@本多劇場:25年も続いたら一度くらい観ておいたほうがいいかもしれない

・赤堀雅秋一人芝居「日本対俺」2023/09/25-10/01@ザ・スズナリ:日替わりゲストもあり

・タカハ劇団「ヒトラーを画家にする話」2023/09/28-10/01@シアターイースト:再演されるというよりは公演を全うしたくて上演されている印象

・排気口「時に想像しあった人たち」2023/09/29-10/09@三鷹市芸術文化センター星のホール:何となくピックアップその2

・ケムリ研究室「眠くなっちゃった」2023/10/01-10/15@世田谷パブリックシアター:緒川たまきがKERAと企画する第三弾

・御園座主催「東海道四谷怪談/神田祭」2023/10/07-10/24@御園座:名古屋ですけど仁左衛門玉三郎でこの演目はもうないんじゃないかと

・青年団「KOTATSU」2023/10/13-10/15@シアタートラム:フランス人の脚本演出で平田オリザは共同演出

・新国立劇場主催「尺には尺を」「終わりよければすべてよし」2023/10/18-11/19@新国立劇場中劇場:両方上演してくれるのは嬉しいけどきれいな交互になっていないので日程注意

他にNational Theater Liveで「ベスト・オブ・エネミーズ」とか「善き人」もあるのでそのあたりも横目に眺めながら。

2023年8月 6日 (日)

範宙遊泳「バナナの花は食べられる」神奈川芸術劇場中スタジオ

<2023年8月5日(土)夜>

独身、詐欺師、前科一犯、アルコール中毒で説教癖のある男性。出会い系のサイトで成りすましメールを送ってきた男性と会って、一緒に仕事を始める。その中で、出会い系を使って商売する人間を追ううちに出会った人物たちと巻き起こす騒動のあれこれ。

岸田國士戯曲賞作。粗筋の描きにくい話ですが、傑作でした。若干ネタバレで無理やり書くと、自己評価が低くて社会的に上手くいっていない人たちが、本名も知らずにあだ名で呼合いながら、それでも人を救いたい助けたいと思って行動するうちに自己評価が回復していく一連の話です。一人語りと役者同士の対話を行き来するので、生身の人間が演じることでもっとパワーアップされていました。

誤解を恐れずに言えばそこまで下品でない「フリーバッグ」の複数人バージョンです。観る順番が反対だったらもっと衝撃を受けたのにと嘆きました。「フリーバッグ」だと「芸人みたいに話さないで」と主人公が突き放される台詞がありましたが、この芝居だと「何とかしてよファンタジー」が登場人物の叫びでした。

起承転々結々くらいな展開だったり、こちらかと思わせて実はこちらでしたと思わせる演出だったり、いろいろあって最後はどちらに落とすかなと最後まで読ませないあたり、上手いです。その辺は観た人の楽しみということで、それ以外の感想をふたつ。

まず、一人語りと役者同士の対話を行き来する形式の芝居なのに、役者がみんな自然にこなしています。平田オリザの現代口語演劇、チェルフィッチュ岡田利規の「三月の5日間」に代表されるようなダダ語りを経由して、ここまで来たのかという印象です。いまどきの役者はこのくらいさらっとこなして当たり前なんでしょうか。

それとスタッフワークですが、中スタジオ、といってもそれなりに広くて高さもある場所を、正面のスクリーン脇以外は机やベッドといったセットで埋めてアクティングエリアを自在に動かす(全体を使うこともある)美術、カメラを含むこなれた映像の使い方、これらをサポートする照明、クリアで考えられた音響、適度に着替える衣装、などなどなどなどなどなどなど、公演規模の割りにすごく洗練されていました。私が最初に思いついた言い方だと、貧乏くさいところがひとつもありませんでした。

私の思い込みだと、演劇は身ひとつで何とかできる表現芸術の元祖で、その分だけ貧乏くさいところが付きまとって、それを払拭するのが商業演劇、みたいなところがありました。でも、出発点から志が新しいとここまですっきりした舞台が作れるんだというのは、発見でした。

神奈川芸術劇場ということで集客は苦戦気味だったみたいですが、スタジオを使えたという点では適した会場を使えたのだと思います。都内でもシアタートラムとか新国立劇場中劇場とか東京芸術劇場シアターイースト/ウエストとか、プロセニアムアーチがない劇場に向いた舞台ですね。

ゲキ×シネ「薔薇とサムライ2」

<2023年8月5日(土)昼>

もと女海賊のアンヌが女王となって治める国、コルドニア。近隣の国、ソルバニアノッソを治めるマリア・グランデが併合の野望を見せる中、なんとかそれを阻止しようとする。一方そのころ、遠方の島で麻薬効果のある塩のことを調べていた五右衛門は、塩と島民を攻め取ろうとしたコルドニア軍を追って、かつての旧友アンヌの治めるコルドニアにやってきた。

最近NTLiveを観ていたところ、劇団☆新感線の芝居の映像化がちょうど上映されていたのでこちらにも参戦。古田新太の五右衛門で始まったシリーズも、古田新太の身体をそこまで動かすことができず、天海祐希を事実上の主人公に持ってくるなどいろいろ工夫を重ねての上演。変装して化けた設定で早乙女友貴に殺陣を任せるというのは、

中身は安定の新感線ですが、映像で若干落着いて観ると、大量の登場人物に見どころを用意するので賑やかでわちゃわちゃしつつ、起承転結のしっかりしたよくできた脚本ですよね。もともとわかりやすい脚本を、さらに分かりやすく伝えるために説明台詞も多めに入れて、中島かずきの脚本はいまどきに合せてチューニングされた親切設計です。

役者で言えば天海祐希です。記憶喪失して怪盗として活躍する、という設定を挟むことで男役を復活させるとか、無理やりすぎて笑えますが、これも後につながるのだから脚本は上手。天海祐希の男役は初めて観ましたが、たしかに格好いい。その場面の相手役を務めたマリア・グランデこと高田聖子がウインクと投げキスを受けて「殺して、殺して~」と叫ぶところまで込みで笑ってしまいました。なるほど、あれが宝塚。

ちなみに天海祐希だけでなく他の役者も大活躍でしたが、私が一番よかったのは高田聖子です。やはり何をやらせても何か客の心を捕まえにくるところのある女優です。

で、映像化の話ですが、いい話で言うと、映画館のアップにも耐えられる今どきのメイクはすごいという発見がありました。あと、客席の笑い声を絞って一部にしか入れなかったのは、映像的な観やすさとしては良かったです。

悪い話で言うと、ちょっと新感線の舞台には難しいなというのがありました。というのも、もともと新感線は広い舞台を役者が動き回るアクション舞台です。なんでもない場面でも歩いたりします。これをアップ多めで追おうとすると、ややカメラが追いつかないし、なんとなくうるさくなるんですね。割と場所と動きは決まっていてもカメラアングルに制限のある以上、どうにかしないといけないんですけど、まだ処理しきれていない感がありました。殺陣は派手に見えると言えば見える、何をやっているのかわからないといえばわからない。

それと声ですね。ハウリング防止のためか、身に付けているマイクと、歌で使うマイクが違っていて、それでレンジが違って若干違和感がありました。で、身に付けているマイクもやや声が籠って聞こえる人がいて、まあ難しいです。

音と言えば休憩時間中、音なしで時間と役者紹介の映像を少しだけ流していましたけど、ちょっと静かになりすぎでした。NTLiveだと休憩時間中の客席の音と映像を流しっぱなしにしていましたけど、あれはあれで効果があったんだなというのは発見です。いまどきだと客席を撮影するのにも神経質になるところですが、何かいいやり方を見つけてほしいです。

National Theater Live「かもめ」

<2023年8月4日(金)夕>

電波すらろくに届かない、風光明媚であること以外何もとりえのない退屈な田舎の島。女優の母を持つが精神不安定で叔父に預けられている息子と、伯父の娘である従妹は、夏休みで戻ってきていた母たちを前に余興の実験的な芝居を見せるが、失敗する。本土の街に行きたいけど行けない、行きそびれた人間の様子を描く。

たしかオリジナルはロシアの田舎だったけど、それを現代風にリライト。電波も届かない湖のある島に設定を置換えての上演。だけどそれは格好が今風になる以上に効果があったとは良くも悪くも思えない。まあ「かもめ」です。それよりはリライトで細かい設定をいろいろ変えたところほうが効果が大きい。

演出で、オリジナルだと売れていて鼻持ちならない作家として描かれているところ、神経質で自分の成功にまったく懐疑的な作家として描かれました。これで芝居全体が、田舎にいる人たちが街に憧れるというより、田舎に引っ込んだり、田舎にいたまま街に出そびれた大人たちが、残された自分の人生に絶望するところがより強調されていました。撃たれたかもめの扱いが雑で、最後にニーナがコンスタンチンに対してまだ作家のトリゴーリンが好きだと言うあたりといい、椅子を動かすだけで場面を作っていくそっけない舞台美術と合せて、ものすごく地味、そして苦いところを突いてくる演出でした。

休憩時間中に息子が出ずっぱりで横たわる映像が流されていましたが、あれはオープニングの失敗した芝居をばっさり切った代わりの演出でしょう。最後、椅子をかもめの形に並べて見せたところと言い、古典の上演には海の向こうもいろいろ考えるんだなと思いました。

2023年8月 4日 (金)

National Theater Live「リア王」

<2023年8月3日(木)夕>

三人の娘のうち、末娘の婚約者選びが二人に絞られたとき。老いて王の責務から逃れたいために、王の立場以外は王国を分割して娘たちに与えようとする王。上の娘二人は王を称えて領地を得るが、末娘は父への愛情を正直な言葉を伝えたがために領地を得られず、それを聞かされた婚約者の一方からは逃げられたため、フランスへ嫁ぐことになる。王は上の娘二人に月替わりで世話になると言うが、一番愛していた末娘への心変わりを目の当たりにした二人は父への不信を覚える。

服装はいまどきっぽくて、短剣は出てきますけど兵士が普段持っている武器が銃なのは「ハムレット」と同じ。定番なのか費用その他制作上の都合なのか。それでも芝居になるからシェイクスピアはよくできていますよね。

話がどこまでオリジナルに近いのかわかっていないですが、今回はリア王は我がままで横柄で野蛮ではあるものの、追放された後になるほど同情の余地があるような役でした。そのあたりは役者の技量もあると思います。荒野の場面は本水でしたね。道化はあまり目立ちませんでした。

それで、王の忠臣の二人、ケント伯とグロスター伯ですが、ケント伯は女優が演じました(王を男装して追いかける)。この工夫のおかげか女優の技量のおかげかはわかりませんが、王に同情を集めるところに一役買っていました。今回の一押しです。グロスター伯は追放された王を探しにいくところからどんどん動き出して、両眼をえぐられたあと、追われた長男エドガーに連れられていく場面の演技はリア王に迫るものがありました。

こうやって年配組の役に同情が集まる理由のひとつに、若い悪人役をより悪く描いたためもあります。特に次女リーガン役は、リア王を追放するのも、グロスター伯の両眼をえぐるのも、グロスター伯の私生児エドモンドを誘惑するのも、露骨に悪く見せてきます。この次女とエドモンドを取りあう長女ゴネリルという構図で、どんどん同情が無くなる仕組みです。エドモンドは父への復讐というより、すべてを手に入れられる機会が巡ってきたから手に入れてやろうといった風情です。

だからリア王の狂気というよりは、リア王と上の二人の娘、そしてグロスター伯とエドモンド、父から奪う子供を強調した演出ですね。その分だけきつい場面の演出も派手につけて、迫力満点の仕上がりでした。

そして今回も日本で芝居で見るよりわかりやすかったのですが、理由のひとつに気がつきました。字幕で見ると情報量が落ちるから、特に人名のやりとりがすっきりするのですね。それは気付きでした。

asatte produce「ピエタ」本多劇場

<2023年7月30日(日)昼>

18世紀のベネツィアにある孤児院ピエタ。バイオリンと合唱が有名で、外の娘も含めて音楽教育とその演奏を売りにしている。そこでかつてヴィヴァルディが教えていた娘たちが、ヴィヴァルディの死後に織りなす人間模様。

粗筋書きにくいです。バイオリン演奏が上手な役にバイオリン奏者を、歌手役に歌手を起用する意欲的なキャスティングです。高級娼婦を演じた峯村リエがここまで来たかという演技で目いっぱい場を作って、ヴィヴァルディの妹を演じた伊勢志摩、有名歌手の姉を演じた広岡由里子で場を持たせた一方、本来主役のピエタ運営の小泉今日子と、かつてヴィヴァルディにバイオリンを習った貴族の未亡人の石田ひかりが撃沈。芝居の出来は音楽付きとはいえ芝居でこの値段でこの仕上がりではさすがに失敗作です。

直接の原因は孤児院やヴィヴァルディがいまいち感じられないうえに会話の弾まない脚本なのですが、いくらなんてもペヤンヌマキがここまでやらかすとは思えなかったので、勢いで原作本を買って読みました。

結果、そもそも一人語りが多くて芝居に向いていないうえに、原作ですでに孤児院の影は薄くてヴィヴァルディも設定のひとつとしか扱われていない、非常に芝居化の難しい原作に挑戦して玉砕したというのが私の結論です。

私が原作を読んだ理解では、楽譜を探すというのは、人物紹介のための理由と、最後の詩のための都合です。原作でもそこまで必死に楽譜は探していません。それよりは、一度は流行に乗ったものがやがて忘れ去られていくということと、ある程度年を重ねて子供のいない女性の立場とを重ね合わせた小説です。ヴィヴァルディは前者の代表、主要役者の演じた役は後者のバリエーションです。

ベネツィアと孤児院はこれを描くための設定で、東京と仕事に生きる現代女性でもいい。というか、東京と仕事に生きる現代女性で描くと生々しくなりすぎるからベネツィアと孤児院に置換えたのが原作と言ったほうがおそらく正しい。

木戸銭を払った客としての下世話な推測を言わせてもらえば、芸能界という水商売で酸いも甘いも味わった役者陣、特にアイドルという最前線で身体を張っていたプロデューサーの小泉今日子は原作に共感するところ大でしょう。「むすめたち、よりよく生きよ。」は後輩にも自分自身にも掛けたい言葉でしょう。

ただ、そういうのを全部すっ飛ばして芝居のことだけを考えるなら、もう少し翻案は考えられなかったかと思います。いくつか落とした個所はあっても、わりと原作小説に忠実な脚本にした結果、そのままやってもつまらない脚本になってしまいました。これで行くなら演出も担当したペヤンヌマキには小泉今日子と石田ひかりを峯村リエと同水準まで引張り上げてほしかったですが、でもこのとっかかりのない脚本ではそれも難しかったと思います。

そのあたり、原作者の条件、プロデューサーの希望、ペヤンヌマキの判断のそれぞれで、脚本化に当たって翻案の余地がどのくらいあったのかは、気になるところです。

<2023年8月9日(水)>

感想を投稿。原作を読んでいたら時間がかかりました。

National Theater Live「フリーバッグ」

<2023年7月29日(土)夕>

仕事の面接に来た女性が語り始める自分の話。セックスについての奔放な話、亡くなった友人の話とその友人と一緒に始めて経営している喫茶店の話、再婚してから仲が良くない父と羨ましい姉の話、あれやこれや。

NTLiveアンコール夏祭りの1本。随分と露骨なセックスの話が初めから終わりまでふんだんに出てきて、ノリだけなら日本の小劇場のような(といってそこまで露骨なのはなかなか見かけない)雰囲気の芝居でしたが、そこで描かれているのは半分病気のような主人公、あるいは上手くいかない人生を好転させるきっかけがつかめないで少しずつ少しずつ悪い方向に押し流されていく主人公です。

多少は録音した声も使う一人芝居ですけど、練られた脚本と、絶妙の間合いで進めていく演技。脚本と出演の両方をやったフィービー・ウォーラー=ブリッジはべらぼうに頭がいい人ですね。最後にきれいにつなげたかと思ったら落ちも用意して、これがイギリス流かという一本でした。

ただひとつ惜しいのは撮影された当日の客の反応で、なんか全体に笑いを待ち構えているようなところがありました。調べたら、これはもともと2013年のエジンバラ演劇祭で上演した10分の一人芝居が元になっていて、そこから2016年と2019年のBBCのテレビドラマがあって(この脚本と主演も同じ)、そのうえで2019年の今回の一人芝居になったようです。だからテレビドラマでお下品なノリを知っていた観客がそれを期待して、そらきた、と笑っていたみたいです。笑いだすのが早すぎるんですよね。

たしか柄本明だったと思いますが、売れてしまって何をやっても観客が笑うようになってしまったら終わりだ、と言っているのを読んだことがあります。それを読んだときはよくわかりませんでしたが、はからずも実例を見て、なるほど、これでは考えつくされた脚本と演技がもったいないというのがわかりました。

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