範宙遊泳「バナナの花は食べられる」神奈川芸術劇場中スタジオ
<2023年8月5日(土)夜>
独身、詐欺師、前科一犯、アルコール中毒で説教癖のある男性。出会い系のサイトで成りすましメールを送ってきた男性と会って、一緒に仕事を始める。その中で、出会い系を使って商売する人間を追ううちに出会った人物たちと巻き起こす騒動のあれこれ。
岸田國士戯曲賞作。粗筋の描きにくい話ですが、傑作でした。若干ネタバレで無理やり書くと、自己評価が低くて社会的に上手くいっていない人たちが、本名も知らずにあだ名で呼合いながら、それでも人を救いたい助けたいと思って行動するうちに自己評価が回復していく一連の話です。一人語りと役者同士の対話を行き来するので、生身の人間が演じることでもっとパワーアップされていました。
誤解を恐れずに言えばそこまで下品でない「フリーバッグ」の複数人バージョンです。観る順番が反対だったらもっと衝撃を受けたのにと嘆きました。「フリーバッグ」だと「芸人みたいに話さないで」と主人公が突き放される台詞がありましたが、この芝居だと「何とかしてよファンタジー」が登場人物の叫びでした。
起承転々結々くらいな展開だったり、こちらかと思わせて実はこちらでしたと思わせる演出だったり、いろいろあって最後はどちらに落とすかなと最後まで読ませないあたり、上手いです。その辺は観た人の楽しみということで、それ以外の感想をふたつ。
まず、一人語りと役者同士の対話を行き来する形式の芝居なのに、役者がみんな自然にこなしています。平田オリザの現代口語演劇、チェルフィッチュ岡田利規の「三月の5日間」に代表されるようなダダ語りを経由して、ここまで来たのかという印象です。いまどきの役者はこのくらいさらっとこなして当たり前なんでしょうか。
それとスタッフワークですが、中スタジオ、といってもそれなりに広くて高さもある場所を、正面のスクリーン脇以外は机やベッドといったセットで埋めてアクティングエリアを自在に動かす(全体を使うこともある)美術、カメラを含むこなれた映像の使い方、これらをサポートする照明、クリアで考えられた音響、適度に着替える衣装、などなどなどなどなどなどなど、公演規模の割りにすごく洗練されていました。私が最初に思いついた言い方だと、貧乏くさいところがひとつもありませんでした。
私の思い込みだと、演劇は身ひとつで何とかできる表現芸術の元祖で、その分だけ貧乏くさいところが付きまとって、それを払拭するのが商業演劇、みたいなところがありました。でも、出発点から志が新しいとここまですっきりした舞台が作れるんだというのは、発見でした。
神奈川芸術劇場ということで集客は苦戦気味だったみたいですが、スタジオを使えたという点では適した会場を使えたのだと思います。都内でもシアタートラムとか新国立劇場中劇場とか東京芸術劇場シアターイースト/ウエストとか、プロセニアムアーチがない劇場に向いた舞台ですね。
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