新国立劇場主催「尺には尺を」新国立劇場中劇場
<2023年10月21日(土)昼>
厳格な法律を定めているも運用が柔軟に行なわれているため法律が形骸化してきている中世ウィーン。これをどうするべきか悩んでいるウィーン公爵は、公用で旅に出ると称して融通がまったく利かない謹厳実直なアンジェロに後事を託し、自身は修道士に化けてウィーンに留まりアンジェロが法律を運用した成果を確かめようとする。アンジェロは法律を厳格に適用して逮捕者を増やすが、その中に婚約者と婚前交渉した男女がいた。制定されて以来一度も使われなかった婚前交渉を罰する姦淫罪を、アンジェロは周囲が止めるのも聞かずに適用して死刑にしようとする。それを止めようと逮捕された男の妹イザベラがアンジェロに兄の助命を願い出るが、妹の美しさに心捉われたアンジェロは自分に身を任せれば許すという。修道女の誓いを立てる寸前だったイザベラは、厳格なアンジェロがそのような取引を持掛けたなど誰も信じないぞと脅されて苦悩する。
2本立てのその1(もう1本はこちら)。日程の早いところで観たのでこれが本気だったかはわかりませんが、演出意図は良とするも出来はいまいちでした。
2本ともダークコメディと呼ばれているそうですが、上演の意図は本来コメディ仕立てのものを真面目に演じたら果たしてコメディになるのか、登場人物はそんなに幸せなのか、を追求してみた演出でした。もっと言えば主要な男性登場人物の身勝手がイザベラ一人に集中してひどいじゃないかという演出です。
修道女になるところをアンジェラに迫られ、牢獄で兄に相談したらそれで自分が助かるなら身を任せてくれ頼むと泣きつかれ、最後に修道士に言われた通りに告発したらぎりぎりまで追詰められてから助けられるも公爵に勝手に嫁にされて修道女になれない。イザベラの立場から見たら悲劇です。
ただ、芝居に統一感がありませんでした。アンジェラの岡本健一が現代的リアリズムで、兄の浦井健治が小劇場的コメディで、公爵の木下浩之は新劇的リアリズム(まったくのリアルではない)です。イザベラのソニンもその相手をする手前、芝居がいったりきたりです。で、肝心のシェイクスピアの脚本ががっちりとした古典的コメディ(無茶な展開は承知のうえだしあるていどわざとらしい演技を期待する役もある)なので、喧嘩が激しい。
そして今回の演出だと、公爵が無能者に見えてしまいます。実態に即さないと思うなら自分で法律を改めろ、百歩譲って運用の成果を確かめたいなら酷い運用に出くわしたならさっさと名乗り出て止めろ、なに最後に良いことしたつもりでいるんだ、って感じです。公爵を認められないと、法律を運用した成果を隠れて確かめるという芝居の構成自体に疑義が出て入り込めません。素直にシェイクスピアを上演するなら公爵は木下浩之の新劇的リアリズムが正解だったかなと思いますけど、演出はそれを拒否するところから始まっていますから、木下浩之が上手だった分だけ芝居が疑わしくなるという悩ましい関係です。
それと、元の脚本だと法律の運用を茶化すところがあったはずです。厳格に運用したら娼婦たちが取締まられて、婚約者同士の婚前交渉まで取締まられて、そんなの人間の必要悪に逆らいすぎじゃないかというところです。遊び人のイーシオや女衒がその辺りをまくしたてるのが楽しみのひとつで、ここは演出として上手に処理したいところだったと思いますけど、別話で終わってしまいました。一応、最後にイーシオが捕まってオチにはなっていますけど、二人とも出番の多さの割りにイザベラの本筋に上手に絡んでいるとは思えませんでした。イーシオの宮津侑生は怪我人の代役を半月で仕上げて格好いい動きは見とれましたが、この役にはもう少しうさん臭さがほしかった。後半でどうなったか、観たかったです。
それと芝居が小さい。1階後方の席だったんですけど、新国立劇場の小劇場ならちょうどいいよねという規模の芝居でした。一番サイズ感がしっくりこなかったのが岡本健一ですが、ほかにもちらほら。あれは日が悪かったのか、これまでこの劇場で何度もシェイクスピアを上演してきた人たちとは思えない出来でした。
スタッフで言うと、広い劇場を上手に処理して中央に集めた美術と照明、それにいつも通り楽しみな衣装はいいのですが、音響が中途半端。チェンバロかな? 当時の小品の音楽を小さめの音で流していたのですが、もっとがっつりと演出を後押しするような選曲で芝居の方向性を出してほしかったです。
あとは浦井健治の出番が少なすぎて無駄遣いでした。正しく役不足です。もう一本で激しくやるからこちらは控えた、というわけでもありません。格と出番で言えば公爵を演じてほしかったです。本当に根拠のない推測ですが、そうすると「公爵に勝手に嫁にされるのがいいのか」という演出に「この公爵の嫁ならいいんじゃないの」というコメントが出てきてしまうのを避けたのかもしれません。だとしてももったいない。そうさせないための役作りの負担が大きくなっても浦井健治ならいけたと思いますし、いけなくても観たかった。岡本健一はどちらも割と主要な役ですし、中嶋朋子のマリアナは出番が少ないけどもう1本と役どころを揃える上にそちらは主役みたいなものですからわかるのですが。
演出意図はわかりますけど、ちょっとあちこち目配りが届いていなかった。とりあえず上演するところまで持ってきたけど、ここから揃えていきたいところで初日が来た。そんな印象でした。後半もっと変わったのかは気になります。
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