2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

« 2024年4月 | トップページ | 2024年6月 »

2024年5月27日 (月)

劇団青年座「ケエツブロウよ」紀伊国屋ホール(若干ネタバレあり)

<2024年5月26日(日)昼>

婦人解放運動の先駆け、無政府主義者、奔放な恋愛で全国に名をとどろかせた伊藤野枝。女学校を卒業して初めの夫と結婚したものの、数日で家を飛び出して英語教師の家に身を寄せたが、そのままでは済まないため福岡県は今宿村にある生家に親から呼寄せられた。その実家に里帰りした伊藤野枝と、振回される周りの親族たちを描く四幕。

マキノノゾミ脚本で宮田慶子演出なら鉄板だろうと考えて観に行きましたけど、期待通りの面白さで存分に楽しみました。大半が九州弁ですけど、だいたい雰囲気でわかりますから心配無用です。

伊藤野枝というと芝居では「美しきものの伝説」や「走りながら眠れ」で観ていましたけど、それらとはがらりと変わったのは実家を舞台にしたから。猪突猛進(劇中では「有言実行」)な柄でありながら、家族だって言い分はあるから遠慮なくその我儘を責めてくる。そこに東京が舞台では出来なかったような対等な言い合いが生まれます。

今回は那須凜が騒ぎの真ん中で存在感を示して、いつの間にかタイトルロールを張れる女優になっていたのに驚きましたけど、周りの鉄板ベテラン勢がまだまだとばかりに貫禄で迫ってくるのがたまりません。回りくどい思わせぶりなど一切抜きで大喧嘩する一幕で魅せた祖母役の土屋美穂子のあの説教ぶりは痺れます。舞台の真ん中に陣取って決して怒鳴らず周りを抑える叔父役の横堀悦夫の存在感、ちょっとだけ強さを見せる母親役の松熊つる松、父親役の綱島郷太郎と世話役の小豆畑雅一のすっとぼけぶりとか、いいですよね。

あとは新劇の流れを汲む劇団として、着物が全員板に付いているのがいいです。それを最後に(身内では)大杉栄と二人だけ洋服にしたところは「人形の家」を思い出しました。あれも新しい時代の女性を描いた芝居です。そしてこの芝居では伊藤野枝の我儘を我儘として描きながら、「我儘を通して、周りにいっぱい迷惑をかけて、でも姉はそれでよかったんです(大意)」と言える線を狙ってその通りに仕上がっていました。そこがこれまでの伊藤野枝の描き方と異なって、さすがマキノノゾミ、さすが宮田慶子の仕上がりでした。

だから安心して観ていたら、最後にあの曲はちょっと合っていないかな。直接描かないだけで史実ではそんな幸せな最後じゃなかったぞと言いたいのはわかりますが、この芝居ならもう少しからっと賑やかに締めてもよかったと思います。でもそれくらいですね。後ろの席は空いていたみたいなので、行けば観られると思います。何かこの期間に適当な一本を探している人はぜひ。

2024年5月26日 (日)

新国立劇場主催「デカローグ5・6」新国立劇場小劇場(ネタバレあり)

<2024年5月25日(土)昼>

タクシーの運転手を殺して金を奪った青年。弁護人は研修の間に死刑の廃止を願うようになってから雇われた新人弁護士だった「デカローグ5」。友人の母の家に寄宿して郵便局で働く青年は、毎晩向かいの部屋に暮らす女性を覗くのが趣味だったが、それが高じてやりすぎてしまい「デカローグ6」。

デカローグ5は投げっぱなしの印象。一応、初めと終わりを妄想も駆使してつなげることで、青年がどうしてタクシー運転手を殺そうと思うようになったのかは想像が付きますけれど、だからといって青年に同情が湧きません。

これはタクシー運転手を演じた寺十吾が非常に上手に演じたのに理由のひとつがあります。これ、ネット情報だと違いますが、チラシだと「傲慢で好色な中年の運転手」と書かれています。ただ、客を選ぶのはその通りですが、客の方もせかすというか行儀が悪いというか、乗車拒否したくなる理由があって、そこに殺されてもしょうがないなという理由は見えませんでした。むしろよくいるおっさんです。

それに対して、青年役の福崎那由他がただの挙動不審以上の演技が出せなかった。終盤の面会で客を掴んで一理あると思わせないといけないのに成功していません。

それと新米弁護士の渋谷謙人も、死刑廃止を願う台詞がいかにも弱い。ここは面接官の斉藤直樹や裁判長の名越志保も相手役として助けていたのですが、乗りきれなかった。最後の死刑の瞬間に皆が顔をそむける演出があったから、別に死刑廃止を願う意見に距離を置いた演出を目指したとも思えないのですが。

結局、タクシー運転手が一番まともそうな客を選んだら一番まともじゃない客に当たって殺されてしまう不運に当たった、犯人を捕まえてみたらこれまでの人生に不運はあったにしてもいきずりのタクシー運転手を殺してもしょうがないとはとても言えない動機だった、それを弁護した弁護士は若いなりの理想は持っていたかもしれないけれどいきずりの強盗殺人を弁護できるだけの理屈は持合わせていなかった、という仕上がりです。十戒の「殺してはならない」を犯した人間を死刑で殺すのは是か非か、みたいなところを狙いたかったのかもしれませんが、あるいは人が人を殺すようになるまでには1つの失敗からどんどん取返しのつかないところに転がっていってしまうのだと示したかったのかもしれませんが、役者が追いついておらず投げっぱなしで終わってしまいました。

デカローグ6は団地の向こうの部屋を覗くという、ようやく団地らしい美術の必然が出てきた1本。そこから転がって転がって転がる展開は芝居らしい進みです。

ただ、設定にいかにも古さを感じてしまったのがつらい。現代日本はストーカーに刺すか刺されるかの時代なので、覗いた相手に覗かれた側が興味を持つという展開にはできません。そのあたりが、もちろん芝居だから作り話なのですが、ファンタジーに思えてしまったのがつらいです。そのファンタジー感を、天使役の亀田佳明が真っ白い服装でさらに進めることになっていました(あとでひっくり返りますけど)。

それでも、大勢を相手にすることに疲れて変わった青年に興味を持つ女性に、自分の子供が家に寄りつかなくてその友人が暮らすことで安堵を覚える婦人が、独り暮らしはつらいと話すあたりは今様というか、普遍的です。だからやりようによってはもっと上手くできた。

それがいまいちになったのは、一に脚本。もう少し登場人物の情報整理をすっきりさせてほしかった。覗かれる女性が画家であるとは代理人が出てきて早めにわかるけれど、絵を描く、つまり働いている感じは皆無。青年の仕事ぶりと比べて情報量が落ちすぎです。青年も、友人の母の家に寄宿する青年という関係がわかるのは少し後になってからだし、外国語の勉強に熱心な青年という情報もかなり後に唐突に出てくる。

その不十分な脚本を元に役作りするのが、青年役の田中亨も、覗かれる画家役の仙名彩世も追いついていなかった。不十分なりに何とか持ってきてくれとも思いますが、あの脚本でさてどうするかと聞かれると迷うところです。小劇場出身役者ならもっと何とかしたかもしれませんが、他の4人がチョイ役含めていい出来だったのがまた、もったいないというかなんというか。

この5と6は、脚本の不親切さを演出と役者でどうにもしきれなかった、という感想です。映像だともう少し情報が多かったのかもしれませんが、舞台にするならもう少し工夫してほしいです。

2024年5月14日 (火)

こまばアゴラ劇場閉館

後がどうなるのかわかりませんけど、無くなるものとして。

青年団の本拠地として長らくやってきましたし、そこから生みだされた現代口語演劇はいまはかなり当たり前になりました。その影響は大きいです。

一方で劇場だけ見ると、ここから羽ばたいて日本でメジャーになった劇団がほとんどいない劇場です。ここでいうメジャーとは、もっと大きな劇場に活躍の場を広げて動員数を増やすことを指します。

いやいや、青年団を初めとして海外で上演するようになった団体がいくつもあるから、世界で活躍するならそれは活躍の場を広げることを指しているでしょうと言えなくもありません。ただ、日本人として本拠地の国である日本での活躍度合いが気になります。個人でいえば、青年団在席からメジャーに出ていった人で思いつくのは岩井秀人ですが、がっつりメジャーかというとまだそこまででもなさそうです。あとは役者だと志賀廣太郎は映像の出番が増えていた印象がありました。

どうも私は頭が古いので、国内動員数の多い劇団こそメジャーな劇団という感覚が抜けません。そのためには会場の規模を広げるか上演回数を増やしてロングランを目指すか、二択になるだろうと考えます。小さい劇場でも日本風ロングランの目安としてステージ数がひと月三十公演を超えてくると、頑張っているメジャーな劇団なのだなと見たりもします。

もちろん助成金を駆使して数日間数ステージの公演を成立たせたっていいわけですが、それがメジャーかと言われるとそんなことはないわけです。

こういうことを書くと古臭い小劇場すごろくを信じていやがると噛みつく人がいるのですが、別にそうでない公演があるのは構いません。それだって演劇の多様性のひとつでしょう。ただそれなら、メジャーな公演だって多様性のひとつとして認められるべきです。売れない人が金に魂を売りやがったと難じるのは簡単で、本当は売れてなお魂を持ち続けるほうが困難です。

別の言い方をするなら、こまばアゴラ劇場は芸術に関心のある劇団向けの劇場であり、芸能に関心のある劇団向けの劇場ではありませんでした。そもそも青年団が(内面はともかく)外見は静かな演劇を志向して、大きすぎる劇場の公演を拒否していました。たしか600人くらいまでは成立すると平田オリザがどこかで話していて、その同じ話の中で、その人数目一杯での上演は目指さないとも話していたのを読んだことがあります。

平田オリザの父親が建てた自宅兼劇場なので平田オリザがオーナー一家の代表として運営してきたわけですが、その時点でもう劇場の方向性が決まっていたとも言えます。芸術監督という言葉が今よりも珍しかった時代でも、オーナーの運営方針はそのまま芸術監督のような仕事を含んでいたでしょう(途中から芸術監督と名乗っていた)。

実際に、貸館を止めて演目すべてを自分たちで選んだプロデュース公演にするとか、支援会員制度の導入とかをしてきたわけです。fringeの「こまばアゴラ劇場、2003年度から全公演を劇場プロデュースとして劇場費無料に!」にその時のことが載っています。

上演する側には破格の条件でしたが、助成金の制度変更と、会員数の伸び悩みが原因で終わりました。これはやはり注目すべきところで、海外の事情はいざ知らず、日本では芸術よりも芸能です。やりたいことよりも観たいもの、考えさせるものよりも楽しませるもの、無名な芸達者ばかりでなく一人くらいは名前を知っている人が出ていること、チラシを読んでも中身の想像がつかない芝居でなくどのような芝居かある程度推測できるもの。俗な言い方をすれば客受けする芝居が求められます。

いまそれに近いことをやっているのは、三谷幸喜と宮藤官九郎ですよね。脚本演出両方できる人たちですが、脚本は必ず練った構成と笑いを入れつつ、本人たちがエッセイなり役者なりなんなりで世間の認知を上げつつ、気になる役者も呼んでくる。自分で自分を観客に売込んでいる。思えば蜷川幸雄もそうでした。平田オリザもこまめに売込んでいましたが、どうしてもここ一番で悪目立ちしてしまいました。それは運不運以上に、根が芸能ではなく芸術の人だからでしょう。

そういう平田オリザに率いられた青年団と青年団リンクはこまばアゴラ劇場を拠点に現代口語演劇をアップデートして完成の域まで育てましたが、そういう芝居の集まる、あるいは集めた劇場だったからこそ、知る人ぞ知るマイナー劇場止まりだったのかなと考えます。同じ井の頭線沿いで、本多劇場グループのある下北沢から多くがメジャーに育ち、PARCO劇場やBunkamuraがあった渋谷で上演して、それでも定期的に本多劇場でも上演していたのとは対照的です。渋谷区と世田谷区に挟まれた目黒区とでもいいましょうか。

メジャーとマイナーと、どちらが偉い偉くないということではありません。他に似たカラーの劇場も少なくとも都内では思いつかない、まったくカラーの違った劇場でした。

2024年5月12日 (日)

青年団「思い出せない夢のいくつか」こまばアゴラ劇場

<2024年5月11日(土)夜>

歌手とマネージャーと付人が、営業先に移動するために夜中の電車に乗っている。煙草を吸いに行った別の車両では、妙な乗客に話しかけられて辟易とする。車中のこととてたいしたことができるわけでもなく、取りとめもなく交わされる会話の数々。

マネージャー役の大竹直と歌手役の兵頭公美は2019年版と同じ、付人が南風盛もえで今回は変わりました。元は緑魔子主演の外部プロデュースのために書かれた、銀河鉄道の夜をモチーフに作られた一本ですけど、当日パンフには「阿房列車」をセルフカバーする形で作られたとありました。冒頭にほとんど同じ会話を出してきたので、両方観るとそこは同じような台詞でも変わるものだなと。

あれと言えばこれと返せるくらい話が合う付合いの長い歌手とマネージャーで、別の人間と結婚数ヶ月で破綻した歌手はマネージャーにひそかに好意を寄せている、というところまでは2019年版と同じです。ただ2019年版は、「夫婦が似るって本当ですか」と聞く若い付人に懸想するマネージャーと、それを察していながら知らん振りして若い付人を遠くへやれないか考える歌手、という関係に見えました。そこが今回は、すでにマネージャーと付人は付合っていて、付人は歌手を尊敬していて、歌手は二人を応援する、という関係に見えました。はっきりとした応援の台詞や笑いの終わりに泣いたように見せる演技が前回はあったか、思い出せません。

前回観たときもいいなあと思いましたが、この芝居にはマネージャー役の大竹直と歌手役の兵頭公美の組合せが似合っています。青年団で平田オリザの演出に応えつつ、普段の青年団らしくない雰囲気も出せますよね。南風盛もえも好演でした。

S高原から」「銀河鉄道の夜」と来て、「阿房列車」に続けてこの「思い出せない夢のいくつか」を観て、こまばアゴラ劇場の閉館前の観劇を締められたのはよかったです。「思い出せない夢のいくつか」を最後の1本にしたかったので、それは上手くいったし、最後の1本にふさわしい仕上がりでした。

青年団「阿房列車」こまばアゴラ劇場

<2024年5月11日(土)夕>

娘夫婦を訪ねるために電車に乗っている夫婦。何となく気のない会話しているところに若い女性がやって来て向かい座る。夫は何かと話しかけるが若い女性には迷惑そうである。

「旅行ですか」と話しかけるところから始まる三人の会話は、平田オリザの本に書かれていたかな。オチのない会話が続く中、三人の誰がいるかいないかを使って描かれる夫婦の関係です。

何かと夫に気を使うのに夫から気に掛けているようで雑に扱われる妻、妻には気のない会話をするのに若い女性には何かと話しかけたい夫、夫に話しかけられても迷惑そうにするのに夫のいないところでは妻に自分から話しかける若い女性、実に上手です。三人とも好演でしたが、役どころもあってかたむらみずほがやや目立ちます。

若い女性が社内販売の売り子を務めるのが二役ではなく別人であると劇中では示しながら進むところは、一見笑いを取りに行ったように見えます。だけど娘に会いに行くことを話す中で「もうすぐですね」と話したり、偽卵のことを話したりするあたり、どことなく孫のことを予感させます。

初演は平田オリザ初の外部への描き下ろしだそうですが、平田オリザのお手本のような芝居でした。

唐十郎亡くなる

ステージナタリー「唐十郎が急性硬膜下血腫により84歳で死去、アングラ演劇で人気博す」より。

劇作家・演出家・俳優・小説家の唐十郎が、昨日5月4日21:01に急性硬膜下血腫により死去した。84歳だった。
(中略)
唐は1940年、東京都生まれ。1958年に明治大学文学部演劇科に入学し、学生劇団・実験劇場で俳優として活動する。1963年に劇団・シチュエーションの会を旗揚げ(翌1964年に状況劇場へ改名)。1967年に東京・新宿の花園神社境内にて初の紅テント公演を行う。アンダーグラウンドカルチャーの旗手として人気を博し、演劇論「特権的肉体論」は後続に大きな影響を与えた。1989年に劇団唐組を旗揚げし、横浜国立大学、近畿大学で教授・客員教授を務めた。1970年に「少女仮面」で岸田國士戯曲賞、1983年に「佐川君 からの手紙」で芥川賞に輝く。また2003年に「泥人魚」で紀伊国屋演劇賞、読売演劇大賞演出家優秀賞、鶴屋南北戯曲賞、読売文学賞を受賞した。

蜷川幸雄が亡くなったのが2016年ですから、長生きしたほうでしょう。唐組も、本人の役者も、本人の演出も観ていません。観た脚本で思いついた限りだと「ジャガーの眼2008」「秘密の花園」「少女仮面」「泥人魚」を観ました。出来についてはその時々です。

ただ、それよりはやはり、この世代の芝居を観て影響を受けて育った人たちの芝居、切り拓いた道で違う花を咲かせた人たちですね。野田秀樹を初めとして、自分が観てよかったと思えた芝居なり役者なりを辿ったときに、影響を与えていただろうなと思うことはあります。

猥雑さがあって物語が飛ぶ脚本なので、まともなだけの役者には向きません。ただし詩的な台詞に溢れているので、やりたがる人はこれからも細々と出てくるでしょう。

合掌。

2024年5月 4日 (土)

2024年5月6月のメモ

何となく気になったものの何となく載せなかったものも含めて、種々雑多な2か月です。

・青年団「阿房列車」「思い出せない夢のいくつか」2024/05/08-05/15@こまばアゴラ劇場:このあと少し公演が残っているけれど青年団のこまばアゴラ劇場公演はこれが最後

・ちょっこりひょうきん島「法王庁の避妊法」2024/05/08-05/12@OFF・OFFシアター:自転車キンクリートの芝居を観たことがない、はず、なので有名どころは観たい

・パルコ企画製作「ハムレットQ1」2024/05/11-06/02@PARCO劇場:埼玉でほとんど同じ時期にハムレットをやっているけどこちらのほうが短いらしい

・新国立劇場主催「デカローグ5・6」2024/05/18-06/02@新国立劇場小劇場:頼みます

・劇団あはひ「ピテカントロプス・エレクトス」2024/05/24-06/02@東京芸術劇場シアターイースト:何となくピックアップ

・KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「ライカムで待っとく」2024/05/24-06/02@神奈川芸術劇場中スタジオ:再演ものでいかにも苦い芝居

・劇団青年座「ケエツブロウよ」2024/05/24-06/02@紀伊国屋ホール:マキノノゾミ脚本宮田慶子演出で伊藤野枝を取上げた新作

・一般社団法人シアター&アーツうえだ「初級革命講座飛龍伝」2024/05/28-06/02@OFF・OFFシアター:つかこうへいをマキノノゾミが演出

・松竹製作「妹背山婦女庭訓」2024/06/01-06/24@歌舞伎座:午前の部の最後に仁左衛門が出るので

・東京喜劇熱海五郎一座「スマイル フォーエバー」2024/06/02-06/27@新橋演舞場:伊東四朗が出るので

・フライングシアター自由劇場「あの夏至の晩 生き残りのホモサピエンスは終わらない夢を見た」2024/06/06-06/12@新宿村LIVE:串田和美が「夏の夜の夢」を脚色して演出

・劇団チョコレートケーキ「白き山」2024/06/06-06/16@駅前劇場:あまり相性がよくない劇団ですけど村井國夫が主演と聞いて気になったので体調不良につき村井國夫降板で代役は緒方晋

・パルコ企画製作「ウーマン・イン・ブラック」2024/06/09-06/30@PARCO劇場:いまさら怖がることもありませんけれど好きな芝居で、今回は向井理と勝村政信

・東宝製作「ムーラン・ルージュ!」2024/06/20-08/07@帝国劇場:チケットが手に入るかどうかはともかく帝国劇場建替え前にもう一度行ってみるなら豪華と話題になっていたこれとか

・ラッパ屋「七人の墓友」2024/06/22-06/30@紀伊國屋ホール:ラッパ屋をもう一度くらい

・KUNIO「ゴドーを待ちながら」2024/06/22-06/30@神奈川芸術劇場中スタジオ:ゴドーを待ちながらがいまいちよくわかっていないのでもう一度観られるなら観たい主催の体調不良につき公演中止

・ほろびて「音埜淳の凄まじくボンヤリした人生」2024/06/21-06/30@STスポット:初期作の再演を企画するということでピックアップ

・新国立劇場主催「デカローグ7-10」2024/06/22-07/15@新国立劇場小劇場:頼みます

・ナイロン100℃「江戸時代の思い出」2024/06/22-07/21@本多劇場:白塗りチラシから何となく渋い仕上がりを予想

・文学座「オセロー」2024/06/29-07/07@紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA:鵜山仁演出だからここで観ておくのはあり

他に劇団四季の通常公演以外に「オペラ座の怪人」と新作で「ゴースト&レディ」が始まっています。

なんだか近ごろは小劇場に足を運ぶのが億劫になってきています。狭い劇場かどうかより、椅子やトイレが快適かどうかのほうが気になって、体力が落ちたなと嫌になります。

<2024年5月12日(日)追記>

2本追加、1本修正。

<2024年5月14日(火)追記>

1本追加。

<2024年6月2日(日)追記>

1本修正。

2024年5月 2日 (木)

AI脚本の朗読劇が中止になった話のメモ

少し前の話で、そんな公演が予定されていたのは中止になってから知ったのですが、もったいないなと思ったのでメモだけ残しておきます。

といっても遅れたのでいまいち話が分かっていません。AIに脚本を書かせて、それを声優に読ませる朗読劇だったようです。公式サイトより。

この度、弊社が企画いたしました「~AI朗読劇~AIラブコメ」についてAIで生成された脚本、デザインについてご説明いたします

日本俳優連盟様が、文化庁に提出されました【AIと著作権に関する考え方について(素案)】の中に書かれている「AIは、人間のクリエイターに取って代わるものではなく、人間のクリエイターに力を与え、補強するために使われるツール」という点において、弊社としても同じ考えをしており、今回の企画についても、その考えに基づいて制作をしております。
脚本、デザイン共に生成AIアプリを使用はしておりますが、一部利用しているにすぎず、クリエイタースタッフがハンドリングして制作しております。
具体的には、生成AIアプリに複数のキーワードを入力し、導き出した成果物に、クリエイターが手を加えて仕上げております。

生成される成果物は様々なキーワードの組合せによって無限に変化致しますので、何度もキーワードの組合せや言い回しを変えながら繰り返すことで、希望イメージに近い成果物が出るように、クリエイターが努力をしています。そのキーワードのセレクトはクリエイタースタッフが知恵や経験を活かして一般的なパブリックなワードを捻出しております。
※特定のクリエイターや個人のお名前、及び、作品名、キャラ名など著作権を有する名称をキーワードに用いることは一切行っておりません
以上のように、本作の制作の過程において生成AIアプリは、あくまでクリエイターが創作する一助に過ぎないことをご報告させていただきます。

本企画は、AIというデジタルを使って、人間が紡ぎ出す作品に、固定概念にとらわれない要素が入る、新しいクリエイティブへの挑戦であり、今までにない世界を楽しめる作品を目指して企画いたしました。
実際に、作られた脚本もデザインもクリエイタースタッフがまったく予想していなかった点が多々ありますので、ご来場いただいたお客様にはお楽しみいただけると思っております。

「~AI朗読劇~AIラブコメ」主催
株式会社Lol

元はシアターサンモールで2024年3月13日(水)-3月20日(水)に11公演を行なう予定で、ステージナタリーで見かけた出演者表だと1公演4人の声優が交代で演じる予定だったようです(クレジットが3人の公演が1回だけありますが)。

ところがこれが3月9日に中止になります。公式より。

この度、弊社企画で上演予定でした「~AI朗読劇~AIラブコメ」につきまして、公演を中止することとなりました。

応援いただいていた皆様及び、関係者の皆様には多大なるご迷惑をお掛けしましたことを深くお詫び申し上げます。

この企画は、進化するデジタル技術とエンターテイメントとの融合を、皆様に楽しんでいただく新たなる試みとして企画いたしました。
本企画の発表の後、皆様より様々なご意見を頂くことは予想しておりましたが、一部の方々には、意図せず不信感・不安感を与えてしまう結果となり、関係者の皆様、出演者の皆様、事務所の皆様に多大なるご迷惑がかかる危険があるとの理由から、断腸の思いではございますが、中止という判断をさせていただきました。

チケットの払い戻しにつきましては、ご購入いただきました各プレイガイドにて対応させていただきます。払い戻し方法が決まり次第、改めてご報告させていただきます。

また、応援してくださった皆様、あたたかいメッセージをいただきました皆様には、心より感謝を申し上げますとともに、このような結果になってしまいましたことを、深くお詫び申し上げます。

これだけだとよくわからないので検索したら読売の記事が見つかりました。「『AI脚本』を人気声優が朗読…銘打ったイベントは中止、『盗作』と批判相次ぎ 」より。

 同社によると、脚本は、業務委託したクリエイターが、有料で契約したチャットGPTなどの生成AIにアイデア出しを指示し、生成AIが作り出したものをたたき台にして、作成したという。既存の著作物と類似していないか複数で確認したとしている。

 劇場では、脚本の内容や話の流れに不自然な点があっても声優がそのまま読み上げて、終了後のトークセッションで、どの部分がAIで作られたものか種明かしする予定だったという。

 生成AIは、インターネット上の膨大な情報を機械的に学習し、精度を上げている。著作権法30条の4は、著作権者の利益を不当に害する場合を除き、AIが脚本などの著作物を無断学習することを認めているが、権利者団体などからは「ただ乗りだ」などと批判の声が出ている。

 同社が3月4日以降、SNSで「AIが書いた脚本を声優が演じる!」などとイベントの概要を発表すると批判が殺到。「無断学習がまかり通っている今、盗作脚本と変わらないのではないか」といった声や、生成AIを利用したイベントに声優が参加することで「声優さんの声を(AIに)学習されても何も文句言えなくなる」などの声が多く上がった。

 同社に対しても、「出演する声優は応援しない」「中止にすべきだ」といった批判的な意見が500件ほど届き、イベントが始まる4日前の同月9日に中止を発表した。

 同月6日から販売していたチケットは全額返金予定だといい、中止による損失額は1000万円に上るという。同社は取材に対し「エンタメの新しい可能性の一つとして生成AIを使ったが、説明不足な点があった。出演者の声優に迷惑がかかる危険があり、断腸の思いで中止の判断をした」としている。

なお公式に載っていた粗筋は以下の3本です。声優が演じることの前提か受け狙いかはわかりませんが、漫画やアニメやラノベに寄せた設定ですね。はっきりしませんが一度に3本上演する予定だったと思われます。

第1話『エイプリルフールの恋人』

登場人物
佐藤美咲:高校1年生の十五歳。ごく普通の女子高生。本が好き。
犬飼太陽:小学3年生の男子。美咲に好意を持っている。ちょっと生意気。10年間、二十歳になるまで毎年美咲に告白をする。

あらすじ
4月1日。高校の入学式の日。
美咲はいつも通る桜の木の下で突然告白をされる。しかし、その相手の背中には明らかにランドセルが・・・
10歳だという太陽の真剣な告白に心を動かされた美咲は「二十歳になったら付き合ってあげる」と約束をする。
年の離れた二人は徐々に心を通わせ、太陽は中学生になった。
だが、美咲と連絡が取れなくなってしまい・・・

第2話『声響剣士、幻想世界でアイドル譚』

登場人物
青山海斗:アイドルグループ『エンシャントドリーム(Enchanted Dream)のメンバー。
ルックスもダンスもファンサービスも完璧なのに、歌がど下手。
しかし、その声は異世界で桁外れの攻撃力となる。
リリア・ホーリーブルーム:異世界の見習い神官。ドジでおっちょこちょいだが〝声〟の攻撃力を目視する能力を持っている。その反面、修行不足のため自分の心の声がダダもれてしまう欠点がある。

あらすじ
海斗は人気アイドルグループのメンバー。
だが、歌が壊滅的に下手なことが原因でメンバーとぎくしゃくしてしまう。
そんなある日、ひょんなことから異世界に飛ばされるのだった。
見知らぬ世界で海斗を見つけたのは、リリアという新米神官。
海斗の甘いマスクも異世界では全く通用せず、ルックスには自信があった海斗は落ち込むが、逆にコンプレックスだった歌声が、魔物を倒す武器になるとわかり・・・

第3話『御曹司の花婿』

登場人物
桜井大樹:桜井財閥の御曹司。大手化粧品メーカーの若手社長。 俺様気質でクール。正妻の子ではないため冷遇されている。
一条かおる:蚕業を営む一条家の当主。内緒でラノベ作家をしている。滅多に外出しないので肌だけはキレイ
柏木真央:大樹の秘書。秘かに大樹に想いをよせる
一条ひかる:かおるの姉でワガママなお譲様

あらすじ
若くして大手化粧品メーカーの社長に就任した桜井大樹。
幼い頃から誰かと政略結婚させられることは決まっていたので、結婚に関して興味はなかった。 父親が持って来たのは、よりにもよって性格が最悪な一条家の長女ひかるとの縁談。
しかし、見合いの場で大樹は、ひかるの付き添いで来ていた弟のかおると結婚したいと言い出す。
もちろん無理だと断るかおるだったが、意外にも大樹の父は乗り気になった。
かくして、男性同士の偽装結婚生活が始まり・・・・

私はこれ、試しに一度上演してみればよかったんじゃないかと思うんですよね。「劇場では、脚本の内容や話の流れに不自然な点があっても声優がそのまま読み上げて、終了後のトークセッションで、どの部分がAIで作られたものか種明かしする予定だったという」というから、むしろ今時のAIでどのくらいオリジナルな脚本が作れるのか実験としてちょうどよかったんじゃないかと思います。

だから抗議をした人たちの背景は知りませんが、本気で盗作脚本を疑う人が抗議するなら「あとで盗作を検証するために映像とトークセッションを残して公開するところまでやるべきだ」と言うべきだったと考えます。そもそも私たちは本や映像や舞台や音楽を吸収して育って、その人たちがオリジナルを書いたりパクリを書いたりするわけです。脚本家が知らずに書いた場面が他の作品に似ていたとして、それはオリジナルかパクリかというのは興味深い議論です。著作権上は先取権の利が優先されますが、昔の大家でもパクリじゃないのかという作品は見かけるところですから。

なお「声優さんの声を(AIに)学習されても何も文句言えなくなる」なんて抗議は論外で、別の話です。本職の声優同士や声優組合(あるのかわかりませんが)が言うべきことで、将来の話はさておき、これで実際に声優の仕事をひとつ潰したわけですから、贔屓の引倒しです。ついでに言えば、声優の声だけではなく生身の演者としての価値が高まる可能性は信じなかったのかなとも思います。

で、盗作云々の話にもどりますが、私はAIに限らず非常に難しいと思うんですよね。というのも、一度だけ事例を調べてみたことがあるので。もしこのAI脚本に盗作を指摘できるような箇所があるならそれを挙げてもらって、むしろどこまでが盗作でどこまでが一般論か、グレーゾーンを潰すことはできないにしても狭めるような議論ができればよかったと思います。

初めての試みでそこまで要求するのは酷な話ですし、興行側が発表以上にどこまで深く考えていたかは知る由もありませんが、軽く検索した限りは中止にしたのはもったいなかったというのが私の今の感想です。

東京芸術劇場の芸術監督は野田秀樹から岡田利規に

公式サイト「東京芸術劇場新芸術監督の就任について」より。

令和6年4月25日
生活文化スポーツ局
東京都歴史文化財団

 東京芸術劇場では、令和8年(2026年)3月31日をもちまして、野田秀樹芸術監督が退任し、令和8年(2026年)4月1日付で新芸術監督として岡田利規氏(舞台芸術部門)と山田和樹氏(音楽部門)が就任することとなりました。

 野田秀樹芸術監督は、平成21年(2009年)、初代芸術監督として着任以来、東京芸術劇場を東京の舞台芸術(演劇・音楽・舞踊等)分野の中心的施設として育てられたほか、世界の劇場と積極的に連携し、多くの良質の海外舞台作品の招聘や、日本の数々の舞台作品を海外に送り出すなど国際交流を推進されました。また、池袋西口を中心とした賑わいの創出、質の高い創造発信、若手育成の活動等にも多大な貢献をいただきました。

 今後は、そのクリエイションが世界から注目を集める岡田氏を舞台芸術部門の芸術監督に迎え、新たな文化の創造・発信を行う場として館のプレゼンスの向上と、世界の劇場と伍する発信力を発揮できる劇場を目指してまいります。また新たに音楽分野の芸術監督として日本を代表するマエストロである山田氏を迎えることで、1999席の座席数を有する日本有数のシンフォニーホールの特性を活かし、音楽公演のクオリティや国内外への発信力をより一層高めてまいります。
(中略)
※なお、岡田氏におかれましては、令和7年(2025年)度からの東京芸術祭アーティスティックディレクターにも就任することが決定しています。
(後略)

すでに結構な歳だとしても個人的には野田秀樹は蜷川幸雄のように身体が動く限り芸術監督を務めるものだと思いこんでいました。野田秀樹が芝居に専念したいから退任を申し出たのか、そろそろ次をと東京芸術劇場側が考えたのかはいまのところわかりません。後任を芝居と音楽とで分けるのも納得です。ただ、個人的には岡田利規というのは意表を突かれました。

理由を考えるに、これまでも東京芸術劇場はいろいろないわゆる芝居の上演と、演劇祭で外国の演目を呼ぶことと、2通りの系統がありました。野田秀樹も野田地図で海外公演が増えていますし、そもそもクラシック音楽自体が欧米のものです。だからもともと海外志向というか、国際的にありたいと考える東京都の中の人が多かったのでしょう。それが本物の国際志向なのかか鹿鳴館根性なのかは別として。そうなると、おそらく選考条件に外国でも活躍している演出家であることが含まれていて、そこから優先度が上がったのだと想像します。

ただまあ、岡田利規はあまり大衆感のない演出家という印象があります。それと、東京から熊本に引越していたはずですが、東京は安全だと信じられるようになったのなら目出度いことです。昔よりもいまのほうが東京の地震の恐れは増えていますから、そうなったら踏ん張ってくださいというのが願いです。

いまのところはアナウンスだけで会見は未定なので詳しいところはわかりませんが、3年もすれば劇場の性格もだいぶ変わるんじゃないかと予想します。

それともうひとつ。野田秀樹がいなくなるなら盟友の高萩宏はどうなるのかと気になりましたが、調べてみたらすでに2021年7月から世田谷パブリックシアターの館長に移っていました。最後に見ていたのが2020年の情報だったので見落としていました。古巣に戻るという意味ではあり得る話です。

ただこれ、ひょっとして白井晃の後任で野田秀樹がそちらの芸術監督に移る布石だったりしますかね。野田地図くらい大勢客が来ると安定して確保できる大劇場があるとありがたいだろうし、「パンドラの鐘」を初演した世田谷パブリックシアターは東京芸術劇場のプレイハウス代わりにちょうどいいだろうなとは思いますが、どうでしょう。ちょっと先が読めなくなってきました。

青年団「銀河鉄道の夜」こまばアゴラ劇場

<2024年4月25日(木)昼>

学校でいじめられっ子のジョバンニが、町の夏祭の夜に、唯一の親友カムパネルラと銀河鉄道に乗って銀河を旅する。

前に一度観ていて、今回が二度目。ダブルキャストの初日でチーム白鳥座。相変わらず本家の宮沢賢治は読んだことがないのですけど、オープニングの暗転の中で騒ぐところの他にも細かい工夫が増えて演出には磨きがかかった印象。

初日だったせいか、青年団の芝居には珍しく精緻さよりも勢いで押しているように見える場面が散見した。やっている人たちは好きな演目なのだろうかと感じさせる場面が多く、その分もう少し、仕事に徹してほしいという印象を覚える仕上がり。どれだけやっても宮沢賢治のフォーマットから外れない脚本だけど、といってそのまま好きにやればいいってものでもないのだなと勉強になった。

新国立劇場主催「デカローグ2・4」新国立劇場小劇場

<2024年4月22日(月)昼>

夫が瀕死の病に倒れて入院している妻は、同じ団地に住む主治医を訪ねて夫の余命を知りたいと詰寄るが、主治医は医者として教えられないと断る。何としても知りたいと詰寄る妻は、不倫相手の子供を宿している、自分の歳ではこれが最後の出産の機会だが夫が治るなら堕ろさなくてはいけない、だから教えてほしいと詰寄る(デカローグ2「ある選択に関する物語」)。父は出張の多い働き盛り、娘は演劇学校の学生の父娘二人。出張前に請求書の支払を忘れていた父は娘に支払を頼むが、請求書と同じ引出しには自分の死後に開封するようにと書かれた封筒が入っていた。この封筒を自分の鞄に入れて持ち歩いていた娘は中身を読もうかどうか迷う(デカローグ4「ある父と娘に関する物語」)。

大きな感想は「デカローグ1・3」に書いたので手短に。

デカローグ2。産むか堕ろすか迷う役の前田亜季、伝えてはいけないのだが家族の過去という葛藤を抱えて迷う医者役の益岡徹。どちらもいいのですが、不倫相手役の近藤隼の微妙な軽さが残りました。ここだけ種類の違うリアリティを追おうとしたというか。

デカローグ4。父親役の近藤芳正と娘役の夏子の熱演が見ものの1本です。真面目な近藤芳正もいいものです。途中に出てくる演劇学校の場面で先生役の近藤隼がなんか笑わせてくれるというか、目を引きます。

新国立劇場主催「デカローグ1・3」新国立劇場小劇場

<2024年4月21日(日)昼>

大学の教授は別に仕事を持っている妻が長期赴任中のため息子と二人暮らしをしており、姉の助けを借りながら子育てをしている。世の中の大抵のことは計算できると早くにコンピューターを学んでいた教授は息子にも手ほどきをしており、息子も覚えが早い。そんな教授に信心深い姉は、新しく建つ近所の教会に息子を連れていくのはどうだと勧めるが、教授はあまり乗り気ではない(デカローグ1「ある運命に関する物語」)。クリスマスイブの晩、妻と子供にプレゼントを持って帰った男だが、女性が家を訪ねてくる。相手はかつての不倫相手で、夫が失踪したから一緒に探してほしいと頼む。男は妻を誤魔化して、自分の商売道具であるタクシーに女性を乗せて夜の街を人探しに走り回る(デカローグ3「あるクリスマス・イヴに関する物語」)。

ポーランド作られた、十戒に基づいた10本の連作テレビドラマを舞台化するシリーズ。元のテレビドラマは観たことがありませんが、同じ団地に暮らす人たちという設定になっていて、1本ずつは独立して観られるものの、それぞれの作品の間に薄いつながりがあるようになっているそうです。今回もそれを踏襲しています。

同時上演の「デカローグ2・4」も観たうえでの感想になりますが、役者の熱演は良とするも脚本演出スタッフワークでしくじった仕上がりでした。

まず自分は聖書にも十戒にも馴染みがありません。だからそこにぴんときません。それでも1本1本の芝居はまとまっていて、十戒を知らなくても楽しめます。1本1本それぞれに、ある状況に追込まれた人間が出てきて、その追込まれたところでいかに振舞うかが見所です。そもそも宗派によって細かい違いがあるみたいですが、Wikipediaに載っていたカトリック風の十戒をメモとして写しておきます。少なくともここまで1-4はその通りでした。

1.わたしのほかに神があってはならない。
2.あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
3.主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
4.あなたの父母を敬え。
5.殺してはならない。
6.姦淫してはならない。
7.盗んではならない。
8.隣人に関して偽証してはならない。
9.隣人の妻を欲してはならない。
10.隣人の財産を欲してはならない。

ただ、元が映像の芝居をおそらくほぼ同じ時間(50分から60分)で上演しようとしたのでしょうか。全体に間延びしました。元のテレビドラマはそこを映像で魅せていたのではないかと推察します。今回の舞台でもところどころで映像を使っていました。だけどテレビや映画では映像だけで主役を張って演出として魅せられますけど、舞台の映像はあくまでも芝居を助ける立場だと私は考えます。だから特に、それで時間を持たせようとした3だったり、鳥の飛び立つ映像で娘の先行きの不安を暗示した4などは映像の使い方が間延びに感じられました。

先にスタッフワークを書くと、美術と映像が喧嘩していました。まず美術自体、団地らしさを出すために2階建てにしていましたが、2階建てにしなくても全然いける話ばかりでした。しかも部屋の間取りを思いっきり無視した演出です。あれで通した役者の演技はさすがでしたが、いやもう平場の舞台を場面転換すればいいじゃないかといいたいです。そしてその2階建ての美術の手前に小さいスクリーンを設けるのはいいですが、奥にも映像を映します。これが2階建ての美術に邪魔されて映像の効果を半減させていました。音響照明が頑張っていた分だけ、もったいなかったです。

間延びの話に戻ると、これは脚本(上演台本)にも拠ります。10本の話をこの後も含めて5公演に分けての上演にまとめていますけど、それでも長い。私の感覚では「デカローグ1・3」を一本にまとめて前半、「デカローグ2・4」を一本にまとめて後半、休憩を20分を挟んでも3時間の1公演に押込むくらいでよかったです。

そうなると元のテレビドラマの設定を若干いじるところが出てしまうかもしれなくて、それは著作権の都合で無理かもしれませんし、昨今は原作を無視しすぎて映像化したところが叩かれたりしていますけれど、そこは何とかならなかったか。はっきり言えば10本通して1日上演できるくらいにしてほしかったです。「グリークス」という10本のギリシャ劇によるひとつの物語の前例があって、これはギリシャ悲劇ですから著作権はありませんけど、演出と予算は別にして脚本はそれができるくらいまで圧縮してほしかったです。

それと脚本はもうひとつ。元のテレビドラマでは10本の間に緩いつながりがあって、登場人物であったり話であったり、ちらっと別の話で触れるところが売りなようです。それは特に、登場人物のチラ見で今回は実現しています。ただ、本当にちらっとしか出てきません。同じ団地という、おそらく映像なら誰でもわかる設定があったらその世界への没入感につながったかもしれませんが、今回はいらなかったのではないでしょうか。話を圧縮するとこのあたりの緩いつながりが崩れて、反対にテレビドラマにはなかったつながりが生まれてしまいそうですが、それはそれとして挑戦してほしかった。

その緩いつながりのひとつに、10本全部に出てくる天使の男性があるらしくて、今回は亀田佳明が受持っていますけど、ここまでのところ1人多役以上のものが見えません。そこは脚本か演出でわかりやすくするところでした。

かれこれ考えると、企画の発案者とされている今回の演出家の小川絵梨子も、上演台本を書いた須貝英も、きっと原作のテレビドラマを好き過ぎたんでしょうね。「団地らしさを出すために二階建ての美術は外せない」「この展開にあの映像が挟まるのは再現したい」「あの1本のあの場面でこっちの1本のあの役が出てくるのは実現したい」とか盛上がったのではないかと妄想します。10本を1日で上演するために脚本演出を工夫せよと押付けてくる人がいなかった。私のここまでの不満はすべて企画の段階で撒かれた種のように思えます。妄想ですけど。

これだけ書きましたが、この後の「デカローグ5&6」「デカローグ7&8」「デカローグ9&10」の出来が役者以外にも素晴らしかったら手のひらを返す準備はしています。

で、ここまで吐きだしたので本編の感想は短めです。

デカローグ1。息子役の石井舜が熱演、高橋惠子が安定でしたが、芝居全体で見ればノゾエ征爾の父親役に負うところが大。役者ノゾエ征爾を初めて意識しました。

デカローグ3。小島聖の不倫相手役と、人探しに付合って熱心でマメな男役の千葉哲也、どちらも好演です。特に小島聖の役は、男と女とで見え方の違う役ではないでしょうか。怖いです。この1本には、クリスマスイブでご機嫌な警官と不機嫌な警官が出て来ますけど、なんか浮いているというか、都合で出したように見えるのが惜しいです。もう少し方々にクリスマスイブらしさを出す演出を足してもよかったのではないでしょうか。

« 2024年4月 | トップページ | 2024年6月 »