新国立劇場主催「デカローグ1・3」新国立劇場小劇場
<2024年4月21日(日)昼>
大学の教授は別に仕事を持っている妻が長期赴任中のため息子と二人暮らしをしており、姉の助けを借りながら子育てをしている。世の中の大抵のことは計算できると早くにコンピューターを学んでいた教授は息子にも手ほどきをしており、息子も覚えが早い。そんな教授に信心深い姉は、新しく建つ近所の教会に息子を連れていくのはどうだと勧めるが、教授はあまり乗り気ではない(デカローグ1「ある運命に関する物語」)。クリスマスイブの晩、妻と子供にプレゼントを持って帰った男だが、女性が家を訪ねてくる。相手はかつての不倫相手で、夫が失踪したから一緒に探してほしいと頼む。男は妻を誤魔化して、自分の商売道具であるタクシーに女性を乗せて夜の街を人探しに走り回る(デカローグ3「あるクリスマス・イヴに関する物語」)。
ポーランド作られた、十戒に基づいた10本の連作テレビドラマを舞台化するシリーズ。元のテレビドラマは観たことがありませんが、同じ団地に暮らす人たちという設定になっていて、1本ずつは独立して観られるものの、それぞれの作品の間に薄いつながりがあるようになっているそうです。今回もそれを踏襲しています。
同時上演の「デカローグ2・4」も観たうえでの感想になりますが、役者の熱演は良とするも脚本演出スタッフワークでしくじった仕上がりでした。
まず自分は聖書にも十戒にも馴染みがありません。だからそこにぴんときません。それでも1本1本の芝居はまとまっていて、十戒を知らなくても楽しめます。1本1本それぞれに、ある状況に追込まれた人間が出てきて、その追込まれたところでいかに振舞うかが見所です。そもそも宗派によって細かい違いがあるみたいですが、Wikipediaに載っていたカトリック風の十戒をメモとして写しておきます。少なくともここまで1-4はその通りでした。
1.わたしのほかに神があってはならない。
2.あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
3.主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
4.あなたの父母を敬え。
5.殺してはならない。
6.姦淫してはならない。
7.盗んではならない。
8.隣人に関して偽証してはならない。
9.隣人の妻を欲してはならない。
10.隣人の財産を欲してはならない。
ただ、元が映像の芝居をおそらくほぼ同じ時間(50分から60分)で上演しようとしたのでしょうか。全体に間延びしました。元のテレビドラマはそこを映像で魅せていたのではないかと推察します。今回の舞台でもところどころで映像を使っていました。だけどテレビや映画では映像だけで主役を張って演出として魅せられますけど、舞台の映像はあくまでも芝居を助ける立場だと私は考えます。だから特に、それで時間を持たせようとした3だったり、鳥の飛び立つ映像で娘の先行きの不安を暗示した4などは映像の使い方が間延びに感じられました。
先にスタッフワークを書くと、美術と映像が喧嘩していました。まず美術自体、団地らしさを出すために2階建てにしていましたが、2階建てにしなくても全然いける話ばかりでした。しかも部屋の間取りを思いっきり無視した演出です。あれで通した役者の演技はさすがでしたが、いやもう平場の舞台を場面転換すればいいじゃないかといいたいです。そしてその2階建ての美術の手前に小さいスクリーンを設けるのはいいですが、奥にも映像を映します。これが2階建ての美術に邪魔されて映像の効果を半減させていました。音響照明が頑張っていた分だけ、もったいなかったです。
間延びの話に戻ると、これは脚本(上演台本)にも拠ります。10本の話をこの後も含めて5公演に分けての上演にまとめていますけど、それでも長い。私の感覚では「デカローグ1・3」を一本にまとめて前半、「デカローグ2・4」を一本にまとめて後半、休憩を20分を挟んでも3時間の1公演に押込むくらいでよかったです。
そうなると元のテレビドラマの設定を若干いじるところが出てしまうかもしれなくて、それは著作権の都合で無理かもしれませんし、昨今は原作を無視しすぎて映像化したところが叩かれたりしていますけれど、そこは何とかならなかったか。はっきり言えば10本通して1日上演できるくらいにしてほしかったです。「グリークス」という10本のギリシャ劇によるひとつの物語の前例があって、これはギリシャ悲劇ですから著作権はありませんけど、演出と予算は別にして脚本はそれができるくらいまで圧縮してほしかったです。
それと脚本はもうひとつ。元のテレビドラマでは10本の間に緩いつながりがあって、登場人物であったり話であったり、ちらっと別の話で触れるところが売りなようです。それは特に、登場人物のチラ見で今回は実現しています。ただ、本当にちらっとしか出てきません。同じ団地という、おそらく映像なら誰でもわかる設定があったらその世界への没入感につながったかもしれませんが、今回はいらなかったのではないでしょうか。話を圧縮するとこのあたりの緩いつながりが崩れて、反対にテレビドラマにはなかったつながりが生まれてしまいそうですが、それはそれとして挑戦してほしかった。
その緩いつながりのひとつに、10本全部に出てくる天使の男性があるらしくて、今回は亀田佳明が受持っていますけど、ここまでのところ1人多役以上のものが見えません。そこは脚本か演出でわかりやすくするところでした。
かれこれ考えると、企画の発案者とされている今回の演出家の小川絵梨子も、上演台本を書いた須貝英も、きっと原作のテレビドラマを好き過ぎたんでしょうね。「団地らしさを出すために二階建ての美術は外せない」「この展開にあの映像が挟まるのは再現したい」「あの1本のあの場面でこっちの1本のあの役が出てくるのは実現したい」とか盛上がったのではないかと妄想します。10本を1日で上演するために脚本演出を工夫せよと押付けてくる人がいなかった。私のここまでの不満はすべて企画の段階で撒かれた種のように思えます。妄想ですけど。
これだけ書きましたが、この後の「デカローグ5&6」「デカローグ7&8」「デカローグ9&10」の出来が役者以外にも素晴らしかったら手のひらを返す準備はしています。
で、ここまで吐きだしたので本編の感想は短めです。
デカローグ1。息子役の石井舜が熱演、高橋惠子が安定でしたが、芝居全体で見ればノゾエ征爾の父親役に負うところが大。役者ノゾエ征爾を初めて意識しました。
デカローグ3。小島聖の不倫相手役と、人探しに付合って熱心でマメな男役の千葉哲也、どちらも好演です。特に小島聖の役は、男と女とで見え方の違う役ではないでしょうか。怖いです。この1本には、クリスマスイブでご機嫌な警官と不機嫌な警官が出て来ますけど、なんか浮いているというか、都合で出したように見えるのが惜しいです。もう少し方々にクリスマスイブらしさを出す演出を足してもよかったのではないでしょうか。
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