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2024年5月14日 (火)

こまばアゴラ劇場閉館

後がどうなるのかわかりませんけど、無くなるものとして。

青年団の本拠地として長らくやってきましたし、そこから生みだされた現代口語演劇はいまはかなり当たり前になりました。その影響は大きいです。

一方で劇場だけ見ると、ここから羽ばたいて日本でメジャーになった劇団がほとんどいない劇場です。ここでいうメジャーとは、もっと大きな劇場に活躍の場を広げて動員数を増やすことを指します。

いやいや、青年団を初めとして海外で上演するようになった団体がいくつもあるから、世界で活躍するならそれは活躍の場を広げることを指しているでしょうと言えなくもありません。ただ、日本人として本拠地の国である日本での活躍度合いが気になります。個人でいえば、青年団在席からメジャーに出ていった人で思いつくのは岩井秀人ですが、がっつりメジャーかというとまだそこまででもなさそうです。あとは役者だと志賀廣太郎は映像の出番が増えていた印象がありました。

どうも私は頭が古いので、国内動員数の多い劇団こそメジャーな劇団という感覚が抜けません。そのためには会場の規模を広げるか上演回数を増やしてロングランを目指すか、二択になるだろうと考えます。小さい劇場でも日本風ロングランの目安としてステージ数がひと月三十公演を超えてくると、頑張っているメジャーな劇団なのだなと見たりもします。

もちろん助成金を駆使して数日間数ステージの公演を成立たせたっていいわけですが、それがメジャーかと言われるとそんなことはないわけです。

こういうことを書くと古臭い小劇場すごろくを信じていやがると噛みつく人がいるのですが、別にそうでない公演があるのは構いません。それだって演劇の多様性のひとつでしょう。ただそれなら、メジャーな公演だって多様性のひとつとして認められるべきです。売れない人が金に魂を売りやがったと難じるのは簡単で、本当は売れてなお魂を持ち続けるほうが困難です。

別の言い方をするなら、こまばアゴラ劇場は芸術に関心のある劇団向けの劇場であり、芸能に関心のある劇団向けの劇場ではありませんでした。そもそも青年団が(内面はともかく)外見は静かな演劇を志向して、大きすぎる劇場の公演を拒否していました。たしか600人くらいまでは成立すると平田オリザがどこかで話していて、その同じ話の中で、その人数目一杯での上演は目指さないとも話していたのを読んだことがあります。

平田オリザの父親が建てた自宅兼劇場なので平田オリザがオーナー一家の代表として運営してきたわけですが、その時点でもう劇場の方向性が決まっていたとも言えます。芸術監督という言葉が今よりも珍しかった時代でも、オーナーの運営方針はそのまま芸術監督のような仕事を含んでいたでしょう(途中から芸術監督と名乗っていた)。

実際に、貸館を止めて演目すべてを自分たちで選んだプロデュース公演にするとか、支援会員制度の導入とかをしてきたわけです。fringeの「こまばアゴラ劇場、2003年度から全公演を劇場プロデュースとして劇場費無料に!」にその時のことが載っています。

上演する側には破格の条件でしたが、助成金の制度変更と、会員数の伸び悩みが原因で終わりました。これはやはり注目すべきところで、海外の事情はいざ知らず、日本では芸術よりも芸能です。やりたいことよりも観たいもの、考えさせるものよりも楽しませるもの、無名な芸達者ばかりでなく一人くらいは名前を知っている人が出ていること、チラシを読んでも中身の想像がつかない芝居でなくどのような芝居かある程度推測できるもの。俗な言い方をすれば客受けする芝居が求められます。

いまそれに近いことをやっているのは、三谷幸喜と宮藤官九郎ですよね。脚本演出両方できる人たちですが、脚本は必ず練った構成と笑いを入れつつ、本人たちがエッセイなり役者なりなんなりで世間の認知を上げつつ、気になる役者も呼んでくる。自分で自分を観客に売込んでいる。思えば蜷川幸雄もそうでした。平田オリザもこまめに売込んでいましたが、どうしてもここ一番で悪目立ちしてしまいました。それは運不運以上に、根が芸能ではなく芸術の人だからでしょう。

そういう平田オリザに率いられた青年団と青年団リンクはこまばアゴラ劇場を拠点に現代口語演劇をアップデートして完成の域まで育てましたが、そういう芝居の集まる、あるいは集めた劇場だったからこそ、知る人ぞ知るマイナー劇場止まりだったのかなと考えます。同じ井の頭線沿いで、本多劇場グループのある下北沢から多くがメジャーに育ち、PARCO劇場やBunkamuraがあった渋谷で上演して、それでも定期的に本多劇場でも上演していたのとは対照的です。渋谷区と世田谷区に挟まれた目黒区とでもいいましょうか。

メジャーとマイナーと、どちらが偉い偉くないということではありません。他に似たカラーの劇場も少なくとも都内では思いつかない、まったくカラーの違った劇場でした。

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