ほろびて「音埜淳の凄まじくボンヤリした人生」STスポット(ネタバレあり)
<2024年6月29日(土)昼>
いい年齢の音埜淳はアニメ関係専門店で働いている息子と2人暮らし。外出から戻ってきて息子に宇宙人と会ったと打明け、熱心にパソコンに記録を残す。そこに音埜淳の弟がやってくる。妻と離婚することになったからここに住ませてほしいという。こうして三人暮らしが始まる。
名作にして傑作でした。当日チラシには観終わってから参考文献を読んでくださいと書かれていましたが、そこまで書かないと粗筋すらこれで終わってしまいますし、もう千秋楽なのでネタバレで書きます。
やや物忘れのひどくなっていた音埜淳の認知症が進む中での、本人の認知と振回される家族とを描いた作品です。宇宙人の話から始めて芝居の路線が不明確なところから、弟が来ると約束したのも、自分が食べたパンも、財布を持っていくのも忘れた話が重なる1場、やがて妻が亡くなっているのに帰ってこないと言って外出して靴を無くして帰ってくるあたりから観客に様子が共有される序盤の流れが本当に絶妙です。そこからどんどん不穏になり、家族にも事態がわかってくる中で、たまに笑いが入るところも本当に上手です。
音埜淳が話す宇宙人がどのように会話するかについての考察、人間は少しずつ順番に話すことしかできないのに、宇宙人は時間の概念がなくて過去も未来も丸ごと話すという考察が、そのまま周りの人から見た認知症の特徴になっているところが構成の要です。これにあるときは周りが振り回され、あるときは誤解されつついい方向に収まり、そしてラストの台詞のえええええ(さすがにネタバレ自粛)に繋がる見事さ。これぞ芝居でもあり、認知症を理解する方便のひとつなのかなと期せずして勉強になりました。
そして個人的にはアニメネタの最後、エヴァンゲリオンで動く使徒を機体が止めるけれども腕だけ動く話がぐっときました。アニメを観ていなくてもわかりますけど、よりによって転勤で数少ない身内が遠くに行ってしまう場面でそんなネタにするかという気持ちと、そこまでやってこそ芝居だという気持ちと半々です。今なら相談先も増えたでしょうからもう少し楽かもしれませんが。
で、これを演じた4人の役者が本当に見事です。音埜淳を演じて初演から唯一続投の吉増裕士の、真面目な声と表情を殺した演技とが、普段の場面でも独白場面でも回想場面でもぜんぶしっくりきて、ナイロン100℃の人なのに新劇の役者そこのけでした。その息子役の亀島一徳は受ける側の役ですが、初めは父親に乱暴な口をきいていたのが後半に行くにつれて周りのみんなに飲み込む言葉が増えていく様子が丁寧です。弟役の上村聡はなんとも胡散臭い雰囲気を出して上等で、胡散臭いところから終わりまで。そして息子からは叔父のはずなのに兄ちゃんと呼ばれる亡くなった妻の弟役の八木光太郎も、見た目を目いっぱい生かした優しい役に振って、親しいながらも疎遠で息子が相談できない叔父、という立場を好演です。
それと忘れてはいけないのが会場選びで、狭い会場を変形で使って、観客の出入り口、ふだんなら上演の上手下手で使われるであろう出入口、スタッフ控室? らしき出入口、4か所を家の扉に割当てて出捌けに使うことで、家の中で観ているような、至近距離よりさらに近い感覚を作り出していました。
「9年前に再始動したほろびての、最初の作品を作り直します。ずっとやりたかったけど、なかなか実現きなかった」と書かれているのは伊達ではなくて、再演に値する芝居でしたし、いまでも傑作ですが大勢の人目に晒して叩かれるともっといい芝居に成長する予感があります。これは当日パンフに書かれていましたが、狭い場所でも全国あちこちで上演できるように作ったそうで、そのためのショーケースも兼ねて会場選びをしたのでしょう。個人的には紀伊国屋ホールでの上演に耐えうる仕上がりだと思いましたが、ここまで狭い会場で観る臨場感も貴重です。照明は多少工夫していましたけどおそらく蛍光灯でも問題なくて、音響は吉増裕士の劇中パソコン操作だけですよね。これ、全都道府県制覇のツアーを目指すべきだし、全国あちこち、呼ぶべきです。劇場やホールでなくとも、医療や介護の関係者が呼んでもいい。ちょっと広い会議室なら上演できます。
タイトルで気になって、再演と読んで気になって、どこかで「ほろびて」の名前を観たなと思って、今期の数少ない発掘芝居に行くならこれだと思い極めて観に行ったのですが、大正解でした。芝居選びの勘が当たった時の喜びは観客の特権です。