新国立劇場主催「デカローグ9・10」新国立劇場小劇場
<2024年7月7日(日)昼>
有能な心臓外科医の夫は友人の医者の診断を受けて不能になったと告げられる。子供のいない夫婦でもあり、まだ若い妻には別れようと切り出すが、妻は夫を励ます。だが妻はもっと若い学生と浮気をしていた(デカローグ9「ある孤独に関する物語」)。父を亡くした兄弟が、父の暮らしていた部屋を訪れる。必要以上に警備装置が設けられていた部屋にあったのは、切手のコレクション。処分しようと父の友人を呼んだら、その道では国一番と知られた高額なコレクションだと告げられる。その前に息子に渡していた切手を取返そうとするが、すでに他人の手に渡ったところだった(デカローグ10「ある希望に関する物語」)。
デカローグ9は疑いと事実とすれ違いが重なりあう、芝居らしい展開。どこからどうみても妻が悪いはずの設定を、夫の不能という男性にとっては致命的な設定ひとつで夫側の力関係をへこませるのが実によくできた1本。クローゼットで泣く場面のあのいたたまれなさ、からの後半のもう一転は手に汗握るところですが、そうなるんだというラストが、デカローグのテーマなのかなと。後述します。
出だしがやや硬かった夫役の伊達暁と妻役の万里紗でしたが、途中からギアが入って観入りました。図々しい浮気相手の宮崎秋人はもっと図々しくてもよかったかも。スタッフワークはおおむね問題ありませんでしたけど、Ⅸの文字映像は舞台美術の枠にきっちり収めてほしかった。美術のセンターがずれていることが連絡されていなかったのか。センターブロックで観たので目立ちました。
デカローグ10も切手を巡って兄弟の関係がどんどん変わっていく芝居らしい展開。締めの1本らしい展開に、兄弟の役作りの明るさもあって割とさっぱり終わりました。こちらは落着くところに落着いたラストで、デカローグ9の反対みたいな話です。
兄役の石母田史朗と弟役の竪山隼太だけでなく、怪しい役の人たちも含めて、全員割と楽しんで演じていたように思えた1本でした。
で、プログラムA、プログラムB、プログラムC、プログラムD、そしてこのプログラムEと、10本全部観た感想です。
一応無理やり考えたこととしては、人は大いに間違えるというのがテーマだったのかなと。それが丸く収まることもあれば、自分にも相手にも致命傷になることもある。何なら本当に命を奪うこともあって、残された人はそれを抱えて生き続けることになる。間違いがどう転ぶかは本当に紙一重で、そこには人知を超えた何かが働いているとしか言い様のないことがある。10本の芝居はそれを描いていたのかなと。
その目で眺めると、ハッピーエンドかバッドエンドかはともかく、10本中8本は一応の結論が出ました。が、デカローグ7と9の2本は、このあとでこの人たちは新しい関係を構築していかないといけないのだな、紙一重はハッピーエンドかバッドエンドかの2択を許さないのだなと重い感想を投げかける話でした。
そこから推測して、人生が本当に紙一重なればこそ、自分はできる限り善く生きるべきで、相手の過ちはできる限り許すべきで、そのような寛容こそが世の中には求められていると訴えていたのだ、と考えました。
ならばよく出来た企画でした、となるかというと、なりません。役者はほぼ全公演で熱演でした。このプログラムEは、単発で観ても面白いかもしれません。ただ、プログラムA、B、Cの印象が悪すぎたのがひとつ。10本観てテーマを浮かび上がらせるような趣向なら1日での一挙上演まで含めて工夫するべきだったという考えが変わっていないのがもうひとつです。演出しきれないならもう一人演出家を呼んできてもよかった。
プログラムAの感想に書いた通り、私のここまでの不満はすべて企画の段階で撒かれた種のように思えます。手のひらを返す準備はしていましたが、私は返すには至りませんでした。もったいない企画だったなというのが観終わっての感想です。
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