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2024年10月27日 (日)

今時は駄目出しと言わずにノートというらしい

そういえばこの前観てきた芝居で2回(「ピローマン」「Silent Sky」)アフタートークに当たりました。狙っていたわけではないのですがそういうことはままありますが、それはいいとして。

その中で「ノート」という言葉を使っていたから一瞬何のことかわかりませんでした。話の流れで「ああ、駄目出しのことだ」と気が付きました。同じ何でそんな言葉を使っているのかと考えましたが、おおよそこんな理由ではないでしょうか。

(1)駄目出しという言葉を文字通り取れば、駄目なところを正しく直す意味しか含まれない。こんなことはどうだろうかという提案や、演出側も考えてみたいからそのときの解釈を教えてくれという相談といった意味が含まれない。役者を指示待ちする怠け者にさせてしまう。

(2)駄目出しというと、駄目を出す側と出される側との上下関係を無意識のうちに作ってしまう。芝居に対する発言が演出家から役者への一方通行のみ許可されていると役者側を委縮させるだけでなく、演出家から役者へのパワハラの土壌となりかねない。

(3)脚本や役の解釈を深掘りして演出家と役者との共同作業で芝居を作り上げていきたいと考えるような演出家や役者ほど(1)(2)のような状況が迷惑と考える。

検索したら英語でNoteだそうです。井上芳雄の記事が引っかかりました。ここに書かれた記事を読んだら、おおよそ私の考えたことと間違っていなさそうです。実に結構なことです。

ただ、それに当たるような日本語は発明できないのかという話があります。駄目出しという単語が(1)や(2)を引起こすのはわかりますが、それでも耳で聴いて一発でわかる言葉だという点は見逃せません。

明治時代は何でも無理やり翻訳して何なら造語もした結果難解になった面もありましたが、近頃は反対にカタカナで直接置換えすぎじゃないかと考えることもあります。ここまでだとパワハラなんて言葉もそうですね。これは広く実態があったためにあっという間に人口に膾炙して短縮呼びされて市民権を獲得するに至りました。

ならば何かいい置換えの言葉を考え付くかというとそれは難しい。井上芳雄の記事では「いい出し」という言葉が紹介されていますが、それでは(2)は回避できても(1)には繋がらない。だからそのまま「ノート」と使うことになったのでしょう。

関係ない観客が心配する話でもありませんし、だからどうしたという話ですが、暇ネタでした。

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