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2024年11月24日 (日)

新国立劇場主催「テーバイ」新国立劇場小劇場(ネタバレあり)

<2024年11月23日(土)昼>

古代ギリシャ、疫病の蔓延するテーバイの国を救うために悩んでいるオイディプス王は、先王を殺した犯人を追放するようにとの神託を得る。だがそれを調べるうちに他ならぬ自分がその犯人だと知ることになったオイディプスは、己の目を潰し、子供たちを妻の弟であるクレオンに託して自らに追放の命令を下す(「オイディプス王」)。その命令は叶えられずに幽閉されていたが、あるとき市民による追放の決定を受けて追放されることになる。従ったのは長女のアンティゴネただ一人。長年の放浪の末にやがてたどり着いたのはアテナイにある復讐の女神に呪われた森。若い日に受けた神託の場所だとオイディプスは死に場所をそこに定め、アテナイを収めるテセウスに後始末を頼む。そのころテーバイではクレオンから1年交代で王を務めるように託されていたオイディプスの息子のポリュネイケスとエテオクレスが王権を争っていた。オイディプスの身柄を得たものが勝つとの神託が出て、クレオンと長男ポリュネイケスと次女イスメネがオイディプスの元にやってくるが、オイディプスは全員を拒否する(「コロノスのオイディプス」)。やがてテーバイの戦は終わったが、ポリュネイケスとエテオクレスはともに亡くなる。自らも長男メノイケウスを亡くしたクレオンは再び王座に就き、テーバイの国をまとめるために他国の軍勢を率いてテーバイを攻めたポリュネイケスの埋葬を禁ずる。だがポリュネイケスと仲のよかったアンティゴネは放置された亡骸に砂と花を撒いて捕まる。クレオンたちの前に連れてこられたアンティゴネは亡くなった兄弟を悼むことの何がいけないのだと謝らない。国を治めるために一度はアンティゴネの幽閉を決めたクレオンだが、信頼する預言者テイレシアスに諭されて撤回するが、時すでに遅かった(「アンティゴネ」)。

テーバイを巡る3本のギリシャ悲劇をつなげて1つの物語にすることで、オイディプス王の悲劇と、クレオンとアンティゴネの悲劇が一層深まる脚本は見事で、それでいて一連の出来事の関連がよくわかるように整理されている。その点は、長年を掛けて戯曲に取組む新国立劇場のこつこつプロジェクトとしてはまず成功の部類と言ってもいいのでは。

ただし演出では好き嫌いが分かれるところ。服装や小道具の一部を現代風にしたところは今更気にならない。ただ、本筋としてクレオンに焦点を当てたのはいいけど、それがよく言えば現代の身近な造形、悪く言えば小さく描きすぎたうらみがある。やはりギリシャ悲劇の登場人物、それも国の運営に携わった人間として、神々の神託という形で示される運命に振回されるためには、もっと大きく構えたほうが個人的には好みだった。

クレオンを小さく描くなら、対にするべきは久保酎吉演ずるテセウスだったはずで、こちらは埋葬の問題にかこつけてテーバイを攻めるぞと後半パートで使者を出すやり手です。市民代表とかどうとかはおまけで、そこはクレオンの「市民が代表を選ぶ制度がいいのではなく、そこにテセウスがいたのだろう」という台詞が掘り甲斐のあるところだったはずですが、「コロノスのオイディプス」に出てきたテセウスは無茶苦茶話の分かるおじさんでした。そこはもう少し、強かな面を混ぜてほしかった。そうすると話が混乱するかもしれませんが、そこに解決の糸口を見つけるようなこともできるのがこつこつプロジェクトのはずであって。

全体に、初めて観た「コロノスのオイディプス」のパートが、役者の自由度が高いというか、熱量が一番込められているように見えたのが、いいのか悪いのかわからない。あのパートでクレオンがアンティゴネに詰られて「あのときはああするしかなかった!」と声を張る魂の叫び、オイディプスが息子のポリュネイケスに双方が殺しあって亡くなると呪いをかける声、あれはよかった。

なので主要3人の寸評ですが、散々書いたクレオンの植本純米は、実力はわかっていても演出と折合いを付けすぎでした。オイディプスの今井朋彦も実力派で好きな役者の一人ですが、一番初めのオイディプス王はさらに大きく演じてほしかった。アンティゴネの加藤理恵は脚本の被害者というか、「コロノスのオイディプス」でオイディプスに付添った苦労や舐めた辛酸の数々があってなお兄弟の埋葬に拘るアンティゴネを演じるためにはネックレス以上の大きさがほしかった。全体にほしかったのは大きさです。前に観て比べているのが蜷川幸雄演出野村萬斎主演の「オイディプス王」と栗山民也演出生瀬勝久蒼井優の「アンチゴーヌ」なので比べるなという話なんですが。

ただ、発声がいい感じで、あれは1音1音ごとにはっきり話すような台詞術を意識していたのでしょうか。非常に合っていました。古典芝居にはこの方が似合いますね。それに気が付いたのは高川裕也演ずるテイレシアスの台詞に妙な説得力を感じたからです。いい感じと思って調べたら無名塾出身で、納得でした。

あとは簡素な舞台美術や範囲を絞った照明、あまり明るくない音響にすっきりさせた衣装、すべて芝居の雰囲気に合っていて、スタッフワークは安心と信頼の新国立劇場芝居。ただ、近頃は音響で芝居を盛上げる演出が減っていて、なくて成立つものならない方がいいと考えるのはわからないでもないけど、音響含めてもう少し盛上げてもよかった。これは別の座組みと別の演出家でも観てみたい。

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