2024年下半期決算
恒例の決算、下半期分です。
(1)坂本企画「天の光とすべての私」三鷹SCOOL
(2)新国立劇場主催「デカローグ7・8」新国立劇場小劇場
(3)東宝製作「ムーラン・ルージュ!」帝国劇場
(4)新国立劇場主催「デカローグ9・10」新国立劇場小劇場
(5)範宙遊泳「心の声など聞こえるか」東京芸術劇場シアターイースト
(6)Serialnumber「神話、夜の果ての」東京芸術劇場シアターウエスト
(7)ルックアップ企画製作「虹のかけら」有楽町よみうりホール
(8)松竹製作「八月納涼歌舞伎 第二部」歌舞伎座
(9)松竹製作「八月納涼歌舞伎 第三部 狐花」歌舞伎座
(10)KOKAMI@network「朝日のような夕日をつれて2024」紀伊国屋ホール
(11)イキウメ「奇ッ怪」東京芸術劇場シアターイースト
(12)俳優座劇場プロデュース「夜の来訪者」俳優座劇場
(13)ロデオ★座★ヘヴン「法王庁の避妊法」「劇」小劇場
(14)木ノ下歌舞伎「三人吉三廓初買」東京芸術劇場プレイハウス
(15)神奈川芸術劇場主催企画制作「リア王の悲劇」神奈川芸術劇場ホール内特設会場
(16)野田地図「正三角関係」SkyシアターMBS
(17)劇団青年座「諸国を遍歴する二人の騎士の物語」吉祥寺シアター
(18)ヨーロッパ企画「来てけつかるべき新世界」本多劇場
(19)新国立劇場主催「ピローマン」新国立劇場小劇場
(20)世田谷パブリックシアター企画制作「セツアンの善人」世田谷パブリックシアター
(21)狂言ござる乃座「70th Anniversary」国立能楽堂
(22)unrato「Silent Sky」俳優座劇場
(23)松竹製作「明治座 十一月花形歌舞伎 昼の部」明治座
(24)松竹製作「明治座 十一月花形歌舞伎 夜の部」明治座
(25)こまつ座「太鼓たたいて笛ふいて」紀伊國屋サザンシアター
(26)新国立劇場主催「眠れる森の美女」新国立劇場オペラパレス
(27)新国立劇場主催「テーバイ」新国立劇場小劇場
(28)世田谷パブリックシアター企画制作「ロボット」シアタートラム
(29)(30)松竹製作「朧の森に棲む鬼(松本幸四郎主演版)(尾上松也主演版)」新橋演舞場
(31)朝日新聞社/有楽町朝日ホール主催「イッセー尾形の右往沙翁劇場」有楽町朝日ホール
(32)新国立劇場主催制作「ロミオとジュリエット」新国立劇場小劇場
(33)座・高円寺企画製作「トロイメライ」座・高円寺1
(34)東宝製作「天保十二年のシェイクスピア」日生劇場
(35)シス・カンパニー企画製作「桜の園」世田谷パブリックシアター
(36)ハイバイ「て」本多劇場
(37)新国立劇場主催「くるみ割り人形」新国立劇場オペラハウス
以上37本、隠し観劇はなし、すべて公式ルートで購入した結果、
- チケット総額は 338200円
- 1本あたりの単価は 9140円
となりました。上半期の23本と合せると60本で
- チケット総額は 504800円
- 1本あたりの単価は 8413円
です。なお各種手数料は含まれていません。
また今シーズンは映画館での芝居映像を観ました。
(A)National Theater Live「ザ・モーティヴ&ザ・キュー」
以上1本、隠し観劇はなし、すべて公式ルートで購入した結果、
- チケット総額は 3000円
- 1本あたりの単価は 3000円
となりました。上半期は1本も観ていませんので通年でも同じです。なおこちらも各種手数料は含まれていません。いい映像芝居でした。他にも観たかったのですが、スケジュールが合いませんでした。
1年で総額が50万円を超えましたが、歌舞伎にミュージカルにバレエといかにも単価の高い芝居を観ただけでなく、半分小劇場半分商業芝居の演目も数多く観て、それはチケット代が1万円を超えているものも多かったですから、しょうがねえやと開き直るしかありません。昨今の物価高で有名人が何人も出るような芝居ならチケット代が上がるのは覚悟していました。だから通年の単価8413円も、よく9000円を超えなかったなと安心したくらいです。それは小劇場よりも新国立劇場の芝居が多かったことが理由のひとつだと思います。主催の芝居は同じ座組で同じ規模の公演を行なうならもっと高くなるであろうところを抑えてくれるのでありがたいです。地味に偏りがちなのが難ですが。
総額や単価よりも、まとめていてびっくりしたのは本数です。下半期は疲れて体調不良で芝居を見送ったことも何度かあって、ああもう芝居を観る体力もないのかと嘆いていたのですが、これだけ観ていればそれは疲れますよね。年50本くらいの感覚でいたので、まさか今年も60本に届いているとは思いませんでした。
本数が増えたのは、かなり意識して「1度は観ておきたい、あるいはあと1度は観ておきたい」芝居を観に行ったからです。下半期で挙げると一部重なっていますが、劇場由来のものが(3)(21)、役者由来のものが(7)(21)(31)、企画や劇団や座組由来のものが(9)(14)(15)(16)(17)(19)(22)(27)(29)(30)(32)(33)、演目由来のものが(8)(10)(11)(12)(13)(18)(19)(20)(23)(24)(25)(26)(33)(34)(35)(36)(37)となります。観られたことで気が済んだ演目もいくつかありますから、その分だけ今後観る本数を減らせるだろうという考えもあったので頑張ったのですが、終わってみたら頑張りすぎました。これでも見逃した芝居が何本かあります。
寸評ですが、シリーズ最後に大人の芝居を持ってきた(4)、圧巻の戸田恵子の(7)、勘九郎月間の(8)(9)、役者の生きの良さを楽しんだ(10)、再演でパワーアップしていた(11)、翻案の妙を楽しんだ(12)、何度も上演されるだけのことはある(13)、はっきりした口跡で蘇った(14)、ベテランの掛合いが生きた(17)、笑いっぱなしの(18)、やはり観てよかった(19)、筋のわかりやすさがよかった(27)、若いっていいなの(32)、役の内面の大きさの何たるかが理解できた(33)、やっぱりよくできている(34)、古典をさすがの演出の(35)、名作を楽しんだ(36)です。
ここから絞ると(11)(13)(18)(33)(34)(35)(36)になります。さらにひと絞りすると(18)(35)(36)になって、この3本はどれを選んでも構わないレベルですが、そこに無理やり順位を付けて、緊急口コミプッシュを出したくらいの出来でなおかつ芝居初心者からベテランまであらゆる人に勧められる、という理由で(18)を下半期の1本に選びたいと思います。このくらい笑った芝居があるか考えたのですが、思い出せたのは「君となら」くらいですね、匹敵するのは。通年でも(18)を今年の1本に選びます。上半期の1本は(36)と合せて上演されているところを観たい内容でした。裾野が広ければ山高しというか、このくらいの本数を見ると本当に高いレベルの芝居が複数本混じってきます。
高いレベルの芝居と書きましたが、ここ数年の芝居は猛烈な勢いでレベルが上がっています。ひと言でいえば、役者が上手くなっている。今年観た60本で下手な役者は数えるほどしかいませんでした。
ひとつには、学生上がりの小劇場だからこそ笑わせたり変な動きをしたりこの劇団の芝居だからこのキャラでと通じていたような人たちがベテランの域に入りました。辞める人はもう辞めて、生き残った人たちばかりですから、芸達者な役者ばかりです。代表して池谷のぶえと小松和重を挙げておきますが、この人が出るならそれなりの芝居だろうと思われる領域に入ってきました。
もちろん、高い単価の芝居ばかり観ていたら上手くないと困るのですが、下半期なら(36)みたいな芝居ばかりではなく(5)(12)のような芝居でも、当たり前にこの水準の芝居をやっているという役者ばかりです。私が芝居を観始めた昔なら、そのレベルの演技ができる人が何人もいれば昔なら人気劇団となるような役者が、今ではこれくらい出来て当たり前になっています。
これは何故かと考えるに、思いついた理由は2つあります。1つは欧米の演技メソッドの情報が入手しやすくなって、また全国ではどうかわかりませんが東京ではそれなりに(有償の)クラスが開かれていて、そこで勉強した人たちが実践しまた数が増えるだけの年数が経ったこと。もう1つは現代口語演劇が生まれて30年以上経つことで、大袈裟に言えば翻訳語とも言うべき硬い日本語をねじ伏せるような台詞術を要する芝居が減って、それよりは物語と役の流れに沿った感情表現のほうが重要になってきたからではないかと考えます。
その分だけ、古典とまでは行かなくとも古風な言葉遣いの芝居に当たると役者の上手下手が出やすいのですが、そこで聴かせてくれたのが(27)で、やっぱり台詞の技術も大事だなと再認識しました。新劇由来の劇団も何本か観ましたが、そちらはそちらで、よろしく役を得ると生き生きと演技する人も多いです。とは言え、芝居の傾向が変わるに従って、活躍の場も変わります。声に感情を乗せて台詞をはっきり早く話せる役者はいいでしょうが、存在感で勝負して活舌が悪かったりゆっくりしか話せない役者には辛い時代になったと思います。
あとは子役も相変わらず上手。ミュージカルだけかと考えていたら(37)は上手が子供がたくさん出てきて驚きました。バレエこそ子供のころから始める分野なので当たり前と言われればその通りですが、まあ上手なものです。
あとは歌。私は素人耳ですし、通年での話になりますが、あれ、やっぱり上手ですよね。井上ひさしは昔、日本人にはブロードウェイのように歌えないからもう少し素朴な歌の芝居にした(大意)と話したとどこかで読んだことがあります。ですが今のミュージカルの役者は難しい歌を音楽的にこなしたうえで、そこに役の表現を乗せられる人が多いです。ここは時代の違いというか、子供のころから聴いている音楽の違いみたいなものもあるのでしょう。裏でどのくらい苦労しているのかは知りませんが、とにかく上手です。何となく、この音楽の上達で、井上ひさしの脚本のいくつかは古い過去のものとして追いやられるのではないかと予感しますが、それは余談。
だから今、面白い芝居を見極める能力のある人には目移りして困るような時代です。なのですが、芝居は水物なのは変わりません。そんな中に「この役者なら」「この演出家なら」「この演目なら」と揃う芝居が何本かあって、これはもう、1万円を超えていようが猛烈なチケット争奪戦になります。歌舞伎の仁左衛門玉三郎の揃った芝居はそれで見逃しました。日程調整にぼやぼやしていたらあっという間に売切れていた。観た中では(10)(16)(35)あたりでしょうか。特に(16)はやらかしたので大阪まで観に行くことになりました。
この(16)のやらかしには良し悪しがあって、いい面は遠征名目で旅行するのもありではないかという考えが芽生えたことです。いろいろあって近頃ほとんど旅行をしていない(その分だけ金と時間を芝居に突っ込んだ)のですが、(16)はむしろ芝居より大阪観光のほうを楽しんだので、こういうのもありじゃないかと考え始めたところです。悪い面は、この観光の結果、体力の必要性を痛感する事態になりました。これで頑張りすぎて疲れて、その後でしばらく本数を減らす原因にもなりました。
疲れを考えないといけないのは本当に大事です。というのも、この下半期にやらかしたからです。遅刻して初めの1本を見逃した(23)は、理由は書きませんでしたけど言い訳が立つからまだ構いません。問題は、チケットを取ったのに見逃した芝居があったことです。これは我ながら本当に間抜けな話で、劇場の近くまで着いて、先に食事をしてそのまま時間を調整するかと余裕をかましていたら、実は開演時間を2時間間違えて、気が付いたときにはもうほぼ終わっていたということがありました。結局、観ないで帰りました。いつもなら出掛ける前日に開演時間を確かめておくのですが、この時は予約でチケットを買っていたのに疲れていたばかりにこの程度のことすら頭から抜け落ちていた。丸々損しましたが、この1本は決算に含めていません。
このやらかしの原因は、体力低下です。新型コロナウィルス以降の運動不足が祟って今年一気に衰えました。筋トレを習慣にするのが新年の目標というくらい、本当に酷かった。そして筋トレくらい即日やればいいものを新年に先送りするくらいだから結果は目に見えている。
ただし、体力が落ちたからわかったことがあります。1つは夜の公演で眠くなることが多い。だから芝居の日程が昼シフトになることや、開演時間が前倒しの前倒しになるのも体で理解しました。チケット代の高い芝居ほど、金を持って体力のない観客を一定数以上集めないといけないので、そこに合せるのは致し方がないと実感でわかりました。
そしてもう1つ。年末の疲れのピークに当たった(33)(34)で、役の裏に隠した大きさ、役者のオーラというものを目の当たりにできたことです。これは私が元気溌剌だったらおそらく気付かなかったことです。これを出すことを役者は目指していて、これを観たい客が推しになるのだなと、今更なことに気が付きました。歌舞伎などは役者を観に行く芝居と言われていますが、それはこういうことを言うのでしょう。
ところがその歌舞伎で、今の客は役者よりも筋を観に来ると話した人がいます。仁左衛門です。たまたま新聞に載っていたのを読んだのですが、昔の観客は筋を知っていたから役者を観に来たけど、今の観客は筋を知らないからなるべく筋が伝わるように演じることを心掛けないといけない(うろ覚えの大意)とありました。さすがです。私も長らく物語主体で芝居を観ていて、役者目当てで観るようになったのはそれこそ仁左衛門の「霊験亀山鉾」からではないかというくらいな人なので、売れっ子はそこまで見ているのだなと参考になりました。
それで今年の話題ですが、上半期のことはいいとして、下半期と言うか通年で気になった芝居の話題は「2024年の公演中止のいろいろ」と題して先に書きました。新型コロナウィルス以降、世の中だいぶ普通に回るようになったと考えたのもつかの間、少子高齢化に加えて円安に物価高がハイペース進行して、昔なら余裕がないと書いたところですが、今は余力がないと書かないといけないところです。心の余裕ではなく、財布や体力や人手に余力がない。それが芝居の世界の上演する側にも、公演中止という形で出てきたのではないかと推測します。
その物価高はチケット代の上昇という形でも表れています。個人的には、世の中の物価が上がるのだから、商業演劇のチケット代が上がるのはしょうがない、上演する側が苦に考えるなら届ける熱意を物価以上に上げる方向に振ってほしいと考えます。安い芝居を観たいなら小劇場で探すべきです。その小劇場の中でも、マニアックな芝居の多かったこまばアゴラ劇場が閉館して、数年先にどう影響がでるかは注目です。ただ、今ならMitaka Next Selectionがいい感じで続いているので、年に何本も観られないという人はそこで取上げられた団体を押さえておいて、何かの機会に観に行くのがいいと考えます。商業演劇のチケット代値上がりも、誰も観られなくなったらさすがに止まるでしょう。
もっとも、そこで値上がりが止まってしまうのが芝居業界の不運で、オーバーツーリズムと言われるくらい来日観光客が多いのに、日本語で上演される芝居は外国人に敷居が高いのが辛い。それに気が付いたのはバレエを観たからです。あれは旅行客ではなく在日外国人でしょうが、言葉は気にせずにダンスと音楽だけで済みますから、あの広い劇場にそれなりに外国人の観客がいました。それが日本語の芝居だと英語のブロードウェイのようにはいかない。他にも、前に国立劇場でやっていた文楽は旅行客向けに字幕と音声を用意していました。ただしあれは古典として固まった脚本があるからあらかじめ準備期間を設けられるからできることであって、日本の芝居一般にはなかなか難しいです。海外を客としての商売できないのはこのご時世では本当につらい。だから日程で料金に差をつけるのが精一杯です。
ちなみに商業演劇と集客の話は(34)で感じたところで、これ、少なくとも東京はチケットが売切れなくて、ほぼ全日、好きな日で買えました。理由として、5年前に観られた人は満足して見送った、5年前は2月だったが今回は12月だから復活した忘年会その他の年末行事を優先した、高橋一生が出なかったので高橋一生ファンがごっそり落ちた、観たい人の予算が切れた、のどれだろうと考えていたのですが、どれでしょう。海外ミュージカルに比べればまだチケット代は落着いていた部類に入ると思うのですが、全部当てはまると言えば当てはまりそうです。
不要不急の代表(と私は認識している)舞台の世界がどういう路線を目指すのか、映像の再利用だけではまだ十分な稼ぎを出せていない世界に何か転換はあるのか、芝居自体がなくなることはないにしても興行としてどうなるかは様子見です。
とにかく何とかしないといけないのが現代で、かく言う私もその現代の1人なのですが、それはそれとして、芝居とは付かず離れずの距離を探りたいと考えています。
引続き細く長くのお付合いをよろしくお願いします。