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2025年3月 9日 (日)

松竹制作「仮名手本忠臣蔵 夜の部(Bプロ)」歌舞伎座

<2025年3月8日(土)夜>

おかるの実家に身を寄せた早野勘平は猟師で身を立てているが、ある雨の夕暮れに山道でかつての塩冶家の同輩と出会う。仇討とそのための金策の打明けられたので住まいを教えるが、さりとてそのような金はない。二人が別れた後でおかるの父の与市兵衛が通りかかる。勘平のためにと勘平に内緒でおかるが祇園に身売りしたので、その半金五十両を持って家路を急いでいた。それをかつての家老の息子で身を持崩して山賊を行なっている斧定九郎が斬捨てて大金を懐にする。ところがそこに通った猪を狙って勘平が撃った鉄砲が斧定九郎を倒す。すでに夜のこと、勘平は誤って人を撃ったことには気付いたが相手のことはわからず、薬がないかと探った懐の財布に気付き、申し訳ないと思いつつも仇討に加わりたいため持帰ってしまう(五段目)。あくる日、まだ与市兵衛が戻らないと心配するうちに、祇園の女将たちがおかるを身請けにやって来る。そこに勘平が戻ってきて事情を聞かされ、おかるは連れて行かれる。その後で猟師仲間が見つかった与市兵衛の亡骸を運び込んだので、怪しい財布を持っていた勘平をおかるの母のおかやが問詰める。そこにかつての塩冶家の同輩2人がやって来る。勘平は家に戻る前に五十両の中身を預けていたが、駆落ちした勘平からの金は受取れないと返す。話を聞いたおかるは勘平を責め、勘平も2人の前で腹を切って金を手に入れたいきさつを話す。だが鉄砲で撃ったと話す勘平なのに与市兵衛の亡骸は刀傷のため、誤解がわかる。すでに瀕死の勘平におかるは詫び、同輩2人は勘平の腹を切った血で連判状に勘平の名を連ねる(六段目)。しばらく後の祇園。大星由良之助は茶屋に泊まり込んでうつつを決込む様子で、手の者が説教に来てもあしらって返す。そこにおかるの兄の寺岡平右衛門がやって来て仇討に加えてほしいと頼み込むがそれも断る。かつての家老で今は高師直の手先となっている斧九太夫は由良之助の様子を探りに来て、主君の命日に生臭ものを食べさせるが由良之助は平気で口にする。なお様子を調べるために床下に隠れた斧九太夫に気づかず、届けられた密書を読んでしまった由良之助だが、それを手鏡越しに2階から見ていたおかると、床下に潜む斧九太夫に気が付く。密書を見られたおかるを放っておけないため身請けを申し出た由良之助を待つ間に平右衛門がやって来て、兄妹は再開する。由良之助がおかるの口封じを考えていることに気が付いた平右衛門は、おかるに家族の様子を知らせ、仇討に加えてもらうための手柄におかるの首をくれと頼む。それならとおかるが思い切ったところで由良之助が2人を止める。代わりにおかるといっしょに床下の斧九太夫を刺し、平右衛門が仇討に加わることを認める(七段目)。ついに仇討の晩、激しい戦いの末に師直を見つけた一行は本懐を遂げる。師直の首を捧げるために菩提寺に向かう一行に、江戸見回中の旗本の服部逸郎は、旗本屋敷を通ると捕まりかねないので裏道を通って向かうのがよいと遠回しに指図する。案内に従って道を変えるように指図する由良之助に向かって、服部逸郎は別れの挨拶を交わす(十一段目)。

仁左衛門勘九郎のBプロ。昼の部はこちら。今後のためにとあれこれ調べて粗筋をまとめてみましたが、後半は重たい場面が多いのでまとめも大変です。省略されているのは八段目が加古川本蔵の娘が由良之助の息子への嫁入りに向かう場面。九段目がその親子と由良之助親子とが、いざこざの末に和解する場面。十段目は討入り前にかつての塩冶家の出入商人で仇討の協力者の廻船問屋の真意をもう一度確かめる場面です。二段目の省略と合せて、大星由良之助の息子と加古川本蔵の娘の婚約が、塩冶判官と桃井若狭之助との間に関わるところが丸ごとかとされています。ここまで入れたらプラス2時間でも収まらないだろうからやるなら思い切りカット、その代わりにおかる勘平平右衛門の側はきっちり、という上演でしょう。

仁左衛門の由良之助以外に、勘平の勘九郎は昼の部に続いて夜も腹を切りましたがやっぱり上手、おかるの七之助は笑わせようという場面をきっちり入れてきて、あと平右衛門の松也はきりっとして真っ直ぐな感じが出ていましたね。他だと斧九太夫の片岡亀蔵は憎い役のはずなのにわからなくもない線まで持ってきているのが目を惹きました。五段目の斧定九郎は中村仲蔵方式で来るかなとちょっぴり期待しましたが、きれいで男前な斧定九郎でした。役者の出来に文句はありませんが、最後の最後、仁左衛門が「吉良邸に討入り」と台詞を言ったように聞こえましたが、あれはそういうものなのか、間違えたのか、どちらでしょう。

芝居全体では、もう少し場面転換がスムーズだとよかったのになと取れる場面がいくつかあったのが惜しいです。あとはたっぷりやりすぎて長くなったのもやはりもったいない。これだけカットしても1日がかり、昔はこれを1日で上演したのでしょうか。だとしたらもっと早い時間から開幕したとしても、芝居をもっとテンポよく運ばないと1日では収まらなさそうです。これはコクーン歌舞伎でカットなしで1日通し上演をやってくれないかなと期待したいです。

ちなみに芝居が終わって外に出たらこの季節なのに雪で、うおお討入りだあああとテンションが上がりながら駅まで歩きました。服装はまあ暖かくできたでしょうし、動いているうちには身体も温まるでしょうが、討入りの時に手足の暖はどういう格好をしていたんでしょうね。寒さには今より慣れて強かったでしょうが、手がかじかんで刀が握れないようでは困ります。それなりに防ぐ知恵はあったと思いますが、そういう普段の格好すらわからなくなった昔の話なのだな、江戸は遠くなりにけり、との感を覚えました。

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