梅田芸術劇場/研音企画制作主催「昭和元禄落語心中」東急シアターオーブ
<2025年3月15日(土)昼>
昭和の時代、名人と呼ばれるも弟子を取らないことで有名な噺家が、刑務所帰りで弟子入りを頼み込んだ男を弟子に取る。住込みなので自宅に居候となるが、家族はおらず、付人以外にはかつての兄弟弟子の娘が暮らしている。兄弟弟子が妻と一緒に亡くなったので引取って養っているのだが、その娘は噺家が両親を殺したと言い張る。ただ事ではないので新弟子が訊ねたところ、付人は娘の両親と噺家を巡る因縁を話し出す。
漫画原作も一切情報を入れないで観に行ったら、落語の話ではなく落語家の話でした。なので落語に寄せた展開は多少出てくるものの、本筋は身寄りのない子供が噺家に弟子入りして辿った因果です。
落語の場面は初めと終わりだけやるので座りっぱなしの場面が続くわけではありませんが、それだけに落語家らしく見せるのは難しい。そこを山崎育三郎は破天荒な落語家という設定を生かして、きっぷのよさと華を前に押し出して歌に演技に魅せてくれました。そちらが動なだけもう一方の落語家は静にならざるを得ず、古川雄大は歌はいいものの場面作りで動きを大げさにつけるわけにもいかず苦労していました。事情はみよ吉を演じた明日海りおも同じで、芸者時代は着物もあって動きが狭く、洋装になってからの方が場面は短くとも自由でした。それよりも落語家の物語という体を保っていたのは二人の師匠を演じた中村梅雀によるところが大きく、この人あってこその今回の物語と思わされました。
原作が選ばれることだけのことはあってよくできていましたし、役者も歌と演技を熱演していました。ただ、落語をミュージカルにするならともかく、落語家の話をミュージカルにするのはなかなか難しかった。ミュージカルにするには食い合わせが悪いというか、ストレートプレイの方が向いている原作だったように思われます。それをミュージカルにするなら歌の歌詞も挟みどころもまだまだ工夫のしどころがあったかなと思います。歌詞については後ろのスクリーンに映していましたが、私の観た席からだと半分以上見切れましたので、その辺もストレスでした。
その歌詞が見切れた理由の1つは高さのあるセットを組んだからですが、あの高さも物語にはここ一番以外にはいらなかった。大きい劇場を満員にした集客力はさすがでしたが、PARCO劇場とは言わないまでも、せめてシアタークリエくらいに抑えていたらまた評価も変わったかな、というのがミュージカルひよっこな観客としての感想です。
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