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2025年6月18日 (水)

開演時間がばらついて困るという話と芝居が長くなりすぎじゃないかという話

私の昔の芝居経験は小劇場に偏っているのですが、その偏見を前提にして書きます。

芝居の開演時間は、昔なら昼は14時、夜は19時と相場が決まっていました。夜がこの時間になったのは、都内の人だと仕事が終わって晩飯を食べてから劇場に向かっても間に合ったからだ、とどこかで見かけたことがあります。それは東京の交通事情を考えると私にも納得のいくことでした。そこから逆算して、昼飯を食べ終わってから劇場に向かうことを考えると、昼が14時だったのでしょう。

それが近頃は、昼が13時、夜が18時が増えてきました。

理由の1つは、リタイアするくらいの年配の人が主要観客になってきたことでしょう。それは純粋に若い人の数が減ってきたからとも言えるし、他にも娯楽が増えた中で若い観客を掴まえることに失敗しているからとも言えるし、本気で面白い芝居を作ろうとしたらチケット代が1万円を超えるようになってさすがに若者が気楽に観に行けないこともあるでしょう。その理由はここでは本題ではないので置いておきます。

年配の人が主要観客になるとどうなるか。夜がきつくなる。それは家庭の事情もあれば、純粋に体力の問題もある。体力の問題は私も痛感しているところです。元々は夜公演が基本で土日祝日に昼公演を上演していた(平日だと水曜日だけ昼公演をやっているところが多かった)のですが、近頃の高い芝居の中では昼公演が基本で土曜日だけ夜公演を行なうようなものもあります。

道草ついでに書くと、もっと昔は1か月公演でも休演日がなかったようです。野田秀樹の夢の遊民社時代の本に、丸1日の休みがほしいと書かれていたのを読んだことがありますから。ただ、私が芝居を観たころには、長い芝居だと月曜日が休演なのは珍しくありませんでした。

そして理由がもう1つ。芝居1本当たりの上演時間が延びていることです。昔なら2時間きっちりに収めるのが普通だったのですが、近頃は3時間も珍しくない。ナイロン100℃の「ナイス・エイジ」初演は2000年9月ですが、上演時間は3時間40分と開演前アナウンスが流れてどよめいていました。私は観ていませんが同じ9月に蜷川幸雄演出の「グリークス」で土日に通し公演をやっていて、終演が22時を超えてBunkamuraの駐車場が閉まるのを関係ないと押通したとどこかで読みました。同じ2000年の6月がキレイ初演でこれが3時間超えだったはず。この前の「ベイジルタウンの女神」が3時間半超えでしたけど今時KERA芝居でこれだけ長くとも誰も驚かない。ただ2000年のころはまだ特別という感じでした。

それで2時間越えが当たり前になると、夜公演では終演時間の心配が出てくる。家がちょっと遠い人は最寄駅からの終バスに間に合わなくなったりもしますから。それで夜の開演時間を繰上げて、19時が18時半に、そして18時になる。となると昼の開演も繰上げないと間が詰まってしまいますから13時になる。

こうやって全ての芝居が素直に決まってくれるならそれはそれで慣れるのですが、問題はまだそこまで徹底されていないこと。平日だと高額の芝居は貴重な勤め人のシアターゴーアーを狙ったり、都内の小劇場は近場の観客狙いかつ相対的に観客も若い人が多いですから、夜が19時開演が残る。

この前の自分の話です。三谷幸喜の「昭和から騒ぎ」のチケットがたまたま取れたのが、土曜日の夜公演。これが2時間を切る芝居なのですが、夜の開演が極端にも17時半。せっかくだから昼にも何か観ようかと考えたけれどもこれが難しい。

劇団普通「秘密」を考えたのですがこれが土曜日は14時開演。上演時間を探したら2時間10分というものを見つけて、実際それくらいの上演時間でしたが、三鷹のあの駅から遠い劇場を16時10分に出て三軒茶屋に17時半に間に合うか。私は上演時間の微妙な延長を含めて何かあったらアウトと判断してこの日は見送りました。それなら劇団四季「ライオンキング」はどうだと考えたらこれは土曜日は13時開演(平日だと昼は13時半開演)の代わりに上演時間が2時間40分。間に合わなくもなかったでしょうが有明に土地勘がなかったのといつもカーテンコールが長いのは少ない観劇数でも知っていたので悩んで見送り。結局この日は夜の「昭和から騒ぎ」だけを観ました。

それで見送った2本を同じ日に観たのですが、「秘密」は三鷹が会場なこともあって平日夜は開演が19時半。まあ帰りが遅くなって大変でした。

そんな経験をした後にTHE ROB CARLTON「ENCOUNTERS with TOO MICHI」を観たらこれが1時間20分公演。快適でした。そもそも「昭和から騒ぎ」の2時間切りも快適でした。長すぎるんです、近頃の芝居は。

歌舞伎あたりは独自のタイムスケジュールですし、ミュージカルは歌の分だけ長くなりますから、突詰めるときりがない話題です。とりあえず小劇場に近いところのストレートプレイを考えると、昼は13時、夜は18時、上演時間は2時間以内、がありがたいです。平日夜なら勤め人狙いの19時でも仕方ありませんが、もう少しスタンダードなタイムスケジュールが固まってくれると観客にはありがたいなという話でした。

2025年6月15日 (日)

THE ROB CARLTON「ENCOUNTERS with TOO MICHI」赤坂RED/THEATER

<2025年6月14日(土)昼>

とある島国に、国土と同じ大きさの未確認飛行物体がやってきた。時のプレジデントは国民に平静を呼びかけて対応を誓う。それから1年半、未確認飛行物体は何もしない。何もしなさすぎて国民どころか世界中が慣れてくる。プレジデントから備えを任されているジェネラルとセクレタリーは1年半何もないままの備えに対して意見が割れてくる。会議が終わったプレジデントがやって来て今後の備えについて相談を始める。

初見の相手に笑ってやるものかと斜に構えていたけど、うっかり吹き出すこと多数。非常にくだらない、この上なく「無駄」な芝居(褒め言葉)をここまで一生懸命やる団体が現代日本にあるとは思わなかった。

作演出の村角太洋がふざけた前振りから一転してジェネラルもやっていたましたけど(役者名義はボブ・マーサム)、この芝居でずっと厳しい顔を貫き通した役者としての能力も買いたい。プレジデントの森下亮は、舞台でありながらそのまま撮影すれば映画にもできるのではという雰囲気はまさにプレジデント。そしてセクレタリーの高阪勝之は顔の作りがもうふざけていて真面目にやるほどに嘘くさくなる。ちょうど劇団員が減ったところだったようですが、ゲストの役者選びからしてきっちりと選んでいました。

簡単なりにスタッフワークもしっかりしていて、特に音の質が高いのは体感的に芝居の高級感につながっていました。近頃はこういう芝居なのに安っぽくなりませんよね。

これだけくだらないのに何芝居全体に品がありました。笑えれば何でもいいとは考えない、きっちりと作りこんだ話で笑わせる、それが当然だろうという古き良き職人魂を感じました。公式1時間20分、劇場を出た時間実測で1時間半という詰込み方も素晴らしいです。何となく応援したくなる雰囲気を出していました。

劇場を出てから考えましたが、今時ゲスト紹介から物販案内まで行なう最後の挨拶も含めて、ヨーロッパ企画に一脈通じるものがあります。どちらも京都が拠点のようですが、熟成する余裕というか隙間というか、そういうものがまだ京都にはあるのでしょうか。

2025年6月 7日 (土)

劇団普通「秘密」三鷹市芸術文化センター星のホール(若干ネタバレあり)

<2025年6月6日(金)夜>

コロナになって間もないころ、茨城のとある一軒家。年老いた両親が二人暮らししていたが、母が入院したため父の面倒を見るために子供のいない娘が戻ってくる。母のいない暮らしに慣れない父がいつもの調子で娘に頼むが、夫を置いて手伝いに来ている娘も疲れる。息子夫婦も様子を見に来るが、子供のこともあるためいつもは見に来られない。隣の家の夫婦も何かあったら手伝うと言ってはくれるものの両親と同じくらいの年齢のためしょっちゅうは頼れない。疎遠な従弟夫婦は妻の母の介護で妻が仕事を辞めている。そんな家族の物語。

年老いた両親の面倒を見る話と、今の高齢者の男性と女性の典型的な調子とを組合せて、それらの日常を茨城弁で淡々と娘を中心に描く1本。これを演劇用語で格好よく言えば現代口語演劇もここまで来たかとなりますが、緊張感の高い場面を淡々と描きすぎて、観ていていたたまれなくなる1本。

介護の話で最近観たものでは、ほろびての「音埜淳の凄まじくボンヤリした人生」がありましたが、こちらは認知症の始まった父の話とはいえ、その描き方にはまだ演劇らしい工夫があり、それがまたよく出来ていました。ところがこちらは演劇らしい組立にはしてあるものの、場面場面はまったくもって日常そのもの。コロナの時期を舞台にしてはいますが、それは手伝いや面会を遠慮する理由の1つとして機能しているくらいで、本編自体はとことんあり得る話を突詰めていました。笑えるような場面も少しはあって客席は笑っていましたが、それはこの話をロングショットで観られる人のための笑いで、クローズアップで観ざるを得ない自分にとっては本当に他人事ではない。

その淡々とした裏側で表に出てこない話があります。出てくる家族それぞれに秘密があって、そこに引っかかる人が観たらいたたまれなくなる妄想をいくらでもあてはめられます。

ネタバレというかなんというか、差支えない範囲で書くと、従弟夫婦は揉める場面を一番はっきりと描きますがその家族問題は曖昧に話されます。兄夫婦は共働きで子供がいるものの兄がそれ以上に非常に疲れて見えてその理由が描かれません。両親は互いの関係は後半で描かれるものの、父親の様子をあの年代の男性の典型で片づけていいのか実はXXXではないかという疑いが終わっても晴れません。そして娘は東京に暮らして夫がいて働いているものの、そちらがどうなっているかがさっぱり描かれません。にもかかわらず登場する家族が、当たり前から頼りにするところまで幅はありますが、娘が面倒を見れば両親の話は解決すると考えている。兄夫婦だけはいろいろ考えて妹と相談しますが、自分が引取って面倒を見られないのでいろいろ頼もうと考えることははっきりしている。

ちなみに現代勤め人だと兄夫婦の考えが正しいとなります。従弟の妻が母の面倒を見るために仕事を辞めていますが、それはなし。介護のセンターも地域ごとにだいぶ整備されてきており、そこに頼んで、買物なり掃除なりなんなり、いろいろな手伝いを頼めます。本当に体調や怪我がまずければ役所で認定してもらえれば補助金も出ます。そういう話は病院か役所で相談先を教えてもらえます。その手配のために会社の休日を取って休みます。自分は仕事を続けて、そのお金で手伝いを頼みつつ、会える範囲で休日に顔を出すことになります。そうしないと介護で潰れるから。一番貴重なのは人手で、そのためにお金を払うことになります。

みたいな話を少しでも書けるようになってしまった人間としては、本当に他人事ではない。この淡々とした話で役者の緊張感がまったく途切れない。本当に近頃の役者は上手で、今回も全員上手だったのですが、娘役を演じた安川まりを挙げておきます。脚本演出の石黒麻衣は近所の妻役で、小劇場界は脚本演出出演を普通にこなす人ばかりで恐れ入ります。しいて言えば両親以外の人たちの見た目がもう少し年上に見えるとよかった。引算の極みのような舞台と照明がこの淡々としたところと地続きで、そしてこの手の話らしく音楽なしなのはさすがです。

三鷹の公演ですが、金曜日の夜に観たにも関わらず満員御礼なのはさすがでした。あと二日間公演はありますし、出来だけなら緊急口コミプッシュを出せる出来ですが、よくできていてお勧めしたい気持ちと、よくできすぎていたたまれなくなる気持ちと、両方あるのでそれは止めておきます。日常は演劇並みの緊張感に満ちているのだという芝居だったので、ぼくのおもしろいしばいがうれないのはみんなのみるめがないからだ、みたいな人がいたらこの登場人物たちにお金を払って足を運んで楽しんでもらえるかどうかは基準のひとつにいいかもしれませんから観ておくといいです。今時はそんな人はもう淘汰されていなくなったかな。

劇団四季「ライオンキング」有明四季劇場

<2025年6月6日(金)昼>

サバンナの百獣の王の頂点に立ち一帯を治めるライオンの王ムファサ。いずれ息子のシンバが王を継ぐことになっており、ムファサの弟のスカーは面白くない。スカーは自分が王の座を継ぐべく、ハイエナたちと手を組んで一計を案じる。

私が劇団四季と聞けば言えばこれという演目でしたがようやく観劇。日本上演は今で27年目。現地上演から1年で引っ張ってきたのだから劇団四季の行動力には恐れ入ります。

粗筋はしごく単純なものの、音楽のよさと、それと動物を表す衣装というか仮面というか人形のインパクトで印象に残る1本でした。現地っぽい音楽多めにしつつ打楽器だけは手前で生演奏させて観客の興奮を煽るのはなかなかよいアイディアです。あと今時のミュージカルと比べると、舞台美術でが映像を使っていません。初演がだいぶ昔なこともあるでしょうが、照明でサバンナの朝焼け夕焼けを出すところが、このミュージカルの原始的な舞台設定とテーマにはしっくりきました。

出ていた役者は慣れたものですが、よくぞまあ吹替えみたいな声の役者を脇にここまで揃えたものです。普通の芝居なら浮くところですが、この舞台だと動物を人間が演じる違和感との掛算でむしろプラスになっていました。

もう少し踊りが多いほうが好みですが、気になっていた演目を観られてすっきりしました。

2025年6月 1日 (日)

シス・カンパニー企画製作「昭和から騒ぎ」世田谷パブリックシアター

<2025年5月31日(土)夜>

昭和の落着いた時期の鎌倉。芝居好きの教授の家に、贔屓の旅芸人一座から以前も相手をした役者たちが訪ねてくる。人気役者の木偶太郎は教授の長女のいい口喧嘩仲間だが、弟弟子の定九郎は次女に一目惚れしてしまい次女も満更ではない。次女の気持ちを確かめるのを手伝ってほしいと兄弟子に無理やり頼み込むところに見回りの巡査がやってきて、いい案を思いついたからと木偶太郎は協力することになってしまう。

本家の「から騒ぎ」は観たことがありませんが、昔ながらの芝居のだいぶ強引なところは多数あって、そこを大泉洋を中心とした手練れに突っ込みを入れさせつつの力技で乗り切って大笑いという仕上がりでした。

巡査がどうしてそこまで他人の家の話に深く関わってしかも引っ掻き回すのかと現代劇なら通じないところ、こいつがすべての元凶だと芝居の中で突っ込ませつつ、昭和もまだ五輪前くらいなら馴れ馴れしいくらい入り込むのもぎりぎりあるかなというあたりを狙って翻案するのはさすがでした。日本家屋も女中も旅芸人も、ぎりぎり残っていたでしょう。これはこの時代を選んだ三谷幸喜の慧眼です。

それでもシェイクスピア原作で、しかもあの時代の喜劇ですから、話の進め方は強引の一言に尽きるのですが、その強引を納得させる主役に大泉洋を選んだ三谷幸喜のキャスティングはさすがとしか言えません。出て来るだけで拍手をもらう大泉洋はずるいのですが、この荒唐無稽な話を観客に納得させられるイメージと見た目と腕前のすべてを兼ね備えた当代の一人です。その相手役の宮沢りえが芝居を引張るのではなく馴染むのも久しぶりに見ましたが、そういうときでもいい役者ですよね。シス・カンパニー所属とはいえ脇に小劇場で揉まれたベテランを当てるところの確かさ。だから全員役に徹しつつ、熱海五郎一座よりもよほど東京軽演劇ではないかという仕上がりでした。

ちなみにこの日は巡査役の山崎一が名手らしからず二度もトチって、二度目は客席が笑いつつ役者が笑わないようにこらえる中、後ろを向いてごまかしたところから一気に引き戻した松本穂香の根性は見事でした。

それにしても大泉洋と宮沢りえが、年齢不詳でした。芝居上は特に年齢は触れられていませんが、途中で身体を使って入替る場面もあったりして、三十代前半と二十代後半くらいかなあ、というつもりで最後まで観られました。これが売れっ子役者というものかと帰り道でしみじみ思い返していました。

日本家屋の一間が舞台なので蛍を除けば動きの少ないスタッフワークですが、全体に色が少ないところが、狙っていたのでしょうけどよかったですね。一人を除いて衣装は白またはかなり白に近いグレー、日本家屋も余計な色のついた置物は置かずに、庭の隅の緑は照明を隠して目立たせず。花火映えするのもありますが、全体にすっきりして、昔の日本の家はこんな感じだったよなと祖母の家を思い出しました。

役者良し、スタッフ良しですが、それらをひっくるめてさすが三谷幸喜とこれはシャッポを脱ぐしかない芝居でした。カーテンコールで大泉洋が「こんなくだらない芝居を皆様よくぞ」と話すような芝居です。そもそも元の題名からして「から騒ぎ」なのですが、ここまで真面目にくだらない話に徹した喜劇は昨今貴重なので、無事に千秋楽まで完走してほしいです。

<2025年6月18日(水)追記>

文章を少し調整。

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