「ネタバレされたい人」が昔からいる
以前「『ネタバレされたい人』が世の中にいる」というエントリーを書きました。これを書いた時には、割と新しい現象なのだと思っていました。
ところが最近読んだ映画の本、山田宏一と和田誠の対談「定本 たかが映画じゃないか」の中に、こんなくだりを見つけました。
W (前略)いまの若い人たちは、もっとクールに好きになっているんじゃないかっていう・・・「キネマ旬報」で「オリエント急行--」は原作読んでストーリー知ってるから楽しみ方が違う、ああいうのは結末知らないで観た方がはるかに楽しい、っていうようなこと書いたらね、若い人やつから投書が来てさ、結末わかったらつまんない映画なんてのはもともとつまらない映画だ、自分は必ずストーリーを読んで、シナリオがあればそれも読んで、それから映画を観る、なんて書いてあるんだよ。そりゃ立派な意見かもしれないけどさ、映画を楽しんでないという気がするんだよ、不幸だと思うんだな、そういう映画ファンは。もっと違うじゃない、理屈じゃなく。映画館に勉強しに行くんじゃないんだから。
Y うん。勉強はいやだ。
W ワクワクするというか、金払って映画館入ってさ、ションベンなんかしたくなくても無理にションベンしてさ、待ってるとベルが鳴って、アナウンスがあって、、だんだん暗くなるとなんかドキドキしちゃって・・・ああいう感じね。(後略)
ああなるほど、昔からそういう人は一定数いたんだな、と勉強になりました。楽しみ方は人それぞれなのでネタバレを強要されない限りは文句はありません。ただ、自分は和田誠の側の人です。
一度観たものをまた観るのはいいんですよ。原作をすでに読んでいたものが舞台化映像化されたものを観るのだって構いやしません。その反対に、舞台化映像化をきっかけに原作に手を出すのも結構です。
でも原作なしの初見なら、ほどほどのあらすじにキャスト・スタッフ一覧を眺めて、チラシを観て、過去にどこかで名前を見かけていたら思い出して、それで飛込んで自分で答え合せをするのが趣味です。そこには観た芝居の良し悪しに対する一喜一憂だけでなく、自分の直感の精度を確かめたことによる一喜一憂も含まれていますから。
それでも昔と比べたら、はずれを引きたくない気分も強くなってきていて、年だなあとため息をつきたくなることもあります。
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