R Plays Company「海と日傘」すみだパークシアター倉
長崎に暮らす夫婦。妻は病気がちであり、夫は教員を務めていたもののその世話で休みがちだったため解雇され、副業の作家を細々と続けながら次の勤め先を探す。借家の大家である隣の夫婦から世話を受けたり町内会の運動会にされたりと付合いがありながら過ごしていたが、ある日妻が倒れる。往診に来た医者の見立てでは余命3か月だという。
たまたま目に触れたのが岸田國士戯曲賞作として割と見かける演目というのは覚えていて、行ったことのない劇場でもあるからここで一度観ておくかと観劇。脚本の力で引っ張られて、役者と演出で残念な出来でした。
脚本は全編長崎弁らしき言葉で描かれる、いわゆる静かな演劇。大騒ぎする場面はほとんどなく、主人公夫婦と現元編集者の2人、主人公夫婦と隣人の夫婦、主人公夫婦と医者看護婦(主に看護婦)の日常場面を描きながら手掛かりを出しつつ、誰が誰のことをどう考えているのかを観客に読ませていく。平田オリザや岩松了よりももっと純文学に寄せたような話でした。
大騒ぎする場面がほとんどないのにこれを成立たせるのは、何と言っても主人公夫婦が台詞の百倍くらい腹に言葉を溜めていないといけません。まず第一に妻が病気であり、かつ余命が短いと診断されたことがあります。そのうえで、妻の病気について本人と夫と周りの人の考え、暮らしを巡る大家の隣人への感謝と遠慮の集まる町内運動会、厳しい暮らしの中で夫の仕事に対する屈折、そしてもちろん元編集者を巡る関係。
ざっと挙げただけでもこれだけあってなお、足の裏の潰さずに残したマメよろしくごまかし続けて、どれひとつとしてお互いに正直に相談できない優しさともどかしさ、減っていく時間と反対に積上がっていく心残り、それをぎりぎりで清算に動くかどうかの葛藤を、大げさに動くことも叫ぶこともなく静かな演劇として演じないといけません。そこが主人公夫婦の大野拓朗と南沢奈央に、特に夫側に足りなかったと言わざるを得ないのは残念でした。代わりに役者では隣人夫婦を演じた斉藤淳と阿南敦子が目を惹きました。
あとはスタッフワークですが、頑張っていました。精一杯の美術に照明が目いっぱい頑張って、音響も抑え目ながら最低限を入れて展開と転換を伝えていました。ただ靴を履かずに通したのはさておき、衣装替えをせずに、小道具をすべて省略で臨んだのはさすがにいかがなものか。日常に潜む劇的なるものを描く静かな演劇として、具象の省略はかなりハードルの高い演出です。夏に始まり冬に終わる3か月を描くためにも衣装替えはほしいですし、包帯鉢巻なしで場面を通すのは観客に想像力を強いりすぎですし、布団梯子はともかくお盆と茶碗くらいかき集めれば集まるだろうという話です。これがスピーディーな展開を求めてミニマム志向で臨んだ演出の方針か、できるだけ費用と準備を削りたい制作の制限か、その両方なのかはわかりません。ただ、扇風機やストーブ一発で季節の移り変わりを示す洗練の極みのような芝居を近頃観たばかりの身としては、いまいちだったと言わせてもらいます。
演目として一度観られたのはよかったですが、立上げたばかりの学生上がりの劇団ならまだしも、前半後半で変動するチケット代の最低が7000円で最高が1万円です。厳しい評価もやむなしです。公式サイトの芝居の紹介文で団体名に誤表記があるくらいですから、人手が足りていないのだろうなとは察しました。
<2025年9月13日(土)更新>
一部文章がおかしくなっていたのを修正。
