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2025年9月28日 (日)

ネルケ×悪童会議プロジェクト「絢爛とか爛漫とか(絢爛チーム)」新宿シアタートップス

<2025年9月27日(土)夜>

大正時代。小説家と批評家の若者4人。処女作の評判がよかったものの第2作が書けなくて悩む男をよそに、他の3人は執筆も恋愛も楽しんでいる。月日が経つごとに事情が移り変わる春夏秋冬1年の様子を描く。

2チームあるうちの絢爛チームで、絢爛チームはこの日が千秋楽。甘いところは多々あれど熱気で押切る仕上がり。客席の女性比率の高さにアウェイ感を覚えずにはいられませんでしたが、その分だけ前に観たときよりも客席環境はよかったです。おかげで話がはっきりわかりました。きっちり2時間に収まった芝居を楽しみました。

これ、小説家として描いていますが、演劇に置きかえても成立する話ですよね。ひょっとして演劇を続ける人と辞める人の話、当時の脚本家の身近な話を書いたのではないでしょうか。Wikipediaで調べたところによればすでに劇団員全員が会社で働いていたのが1986年、この演目の初演が1993年ですから、様々な事情で演劇から離れる人もいたことでしょう。そして他の分野、音楽でも何でも、似たような事情はあるでしょう。今回の公式サイトでは青春群像劇の金字塔なんて謳い文句ですが、その通りで、青春の終わりの熱気が詰込まれた脚本です。だから繰返し上演される演目になったのでしょう。

役者寸評は、耽美小説家の加藤常吉役の川﨑優作が通して観ていられる出来、結末のない小説を書いてしまう諸岡一馬役の岐洲匠もなかなか、批評家の泉謙一郎役の嶋崎裕道は違うタイプの芝居でもう一度確かめたい、次が書けない小説家の古賀大介役の滝澤諒はもう一段の頑張りを望むも最後の長台詞はいい感じで最後に足が滑ってすっころんだのはご愛嬌。2公演観るのは無理でしたが、爛漫チームも観てみたかったですね。

パルコ企画製作「ヴォイツェック」東京芸術劇場プレイハウス

<2025年9月27日(土)昼>

冷戦時代の西ベルリン。共産主義からの防衛のためにイギリスから兵士が派遣されている。そこに赴任したヴォイツェックは、アイルランドの赴任時に知合った事実婚のマリーと赤ん坊と一緒にやって来たが、結婚していないため兵舎に入れず肉屋の上の部屋を借りて暮らすも、兵士の給料では暮らしが厳しい。幼少時のトラウマに悩まされるヴォイツェックはアイルランドで騒動中に持場を離れた前科があるため少数の兵士を除いて他の兵士から評判が悪く、母の反対を振切ってやって来たマリーはドイツ語が出来ない中で上官の妻のボランティアの手伝いを押付けられる。厳しい環境に追詰められてトラウマに悩まされるヴォイツェックを、慣れない環境で子供の世話をしながら苦しむマリーは少しでも繋ぎとめようとするが・・・。

小川絵梨子演出で観てみれば、いかにも小川絵梨子好みで初めから終わりまできつい話です。そしてこのきつい話にも関わらずきっちり仕上げてきました。19世紀に書かれた未完の原作を冷戦時代に置きかえたという元脚本ですが、冷戦で兵士云々はそんなことがあったと薄い背景として知っていれば差支えなく、ヴォイツェックとマリーを追えばいいです。それをさらに整理した演出と、役者の努力ががっちりかみ合った仕上がりですが、かみ合うほどに話のきつさが伝わって、観る側に体力が求められます。

追詰められるほどに自分のことしか話せなくなる、相手のことを話しているようで結局自分のことを話してしまうヴォイツェックですが、そこまで余裕がないことにも十分以上の理由がある。そんなヴォイツェックを何とか励ますマリーも、少しずつ余裕が削られていくだけの理由がある。この2人の会話がかみ合わなくなっていく様子を演じる役者が、がっちりかみ合っています。

弱く追詰められていくヴォイツェックを森田剛が演じるのは意外ですが、これがびっくりする好演で、卑屈な様子も長台詞も格好つけることなくやってのけました。ただこれは長いキャリアを考えれば褒められこそすれ驚かなくてもいい。マリーを演じた伊原六花がびっくりで、けなげで明るくヴォイツェックに寄添うところから段々と余裕がなくなっていく様子をきっちり演じて、しかもヒロインとしての華を保っている。調べたらこれで26歳、ただしそれでキャリアは14年なのかな、事務所所属から数えても8年、今時の若い人は本当にすごい。これを追詰める側は現元イキウメの浜田信也と伊勢佳世に、突き放すのが大ベテランの冨家ノリマサと栗原英雄 。全員よく似合っていた。伊勢佳世は2役をこなしつつ、マリーへの意地悪な奥様の様子が実にいいですね。もっとこういう役をやるべき。スタッフワークでは高い空間を埋めつつ頻繁な場面転換を上手に具現化した美術が見事。

仕上がりはほんとうにいいですが、話はきついですし、見た目は地味です。芝居を耳で観る人にはすばらしい出来ですが、芝居を目で観て楽しむ人にはしんどいかもしれません。だから座席に余裕があったのでしょう。2階席のある劇場よりはパルコ劇場の規模向きでした。この後ツアーでまた東京に戻ってくる変則日程なのでどうですか、と勧めるにはいささかチケット代が高い。歯ごたえを望む観客には勧めたい。

<2025年11月12日(水)更新>

役者名訂正。

2025年9月21日 (日)

しんどいものはしんどいので仁左衛門休演

ついこの前こんなことを書いたばかりですし、観てきたばかりの歌舞伎なので、やはり気になります。公式「歌舞伎座『秀山祭九月大歌舞伎』片岡仁左衛門 休演のお詫びと代役のお知らせ」より。

 平素より格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。

 歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」昼の部(※Aプロ)「筆法伝授」「道明寺」の菅丞相に出演をしております片岡仁左衛門ですが、体調不良のため、明日9月21日(日)(※Aプロ)の公演を休演し、下記の通り代役にて上演いたします。

 千穐楽9月24日(水)(※Aプロ)の上演に関しましては、決定次第、お知らせします。

 なにとぞご諒承を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

松竹株式会社

■歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」

【昼の部】

※Aプロ
 「筆法伝授」

 菅丞相  松本幸四郎

 武部源蔵 市川染五郎

 「道明寺」

 菅丞相  松本幸四郎

2025/09/20

観る側としては150歳までやってほしいのですが、とりあえず千秋楽が終われば、10月に予定されている芝居は後半の出演だから、それまでに回復してほしいところです。11月は予定がなさそうなのでそこで養生してほしい。

<2025年9月24日(水)追記>

無事だったようです。「歌舞伎座『秀山祭九月大歌舞伎』片岡仁左衛門 出演についてのお知らせ」より。

 平素より格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。

 歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」昼の部(※Aプロ)「筆法伝授」「道明寺」の菅丞相に出演をしております片岡仁左衛門は、体調不良のため、9月21日(日)の舞台を休演しておりましたが、明日9月24日(水)の昼の部に出演いたします。

 皆様にはご心配、ご迷惑をおかけしましたこと、深くお詫び申し上げますとともに、引き続きご理解ご協力を賜りますようお願い申し上げます。

松竹株式会社

2025/09/23

2025年9月15日 (月)

神奈川芸術劇場プロデュース「最後のドン・キホーテ」神奈川芸術劇場ホール

<2025年9月14日(日)夜>

「ドン・キホーテ」を上演中の劇団で、主演していたゲスト役者が遍歴の旅に出るから探さないようにと書置きを残して失踪する。主宰兼演出家が代役探しに奔走する中、失踪した本人は悪を倒す遍歴の騎士ドン・キホーテと信じてお供のサンチョを連れて何もない世界を旅する。どうやらそちらの世界では応急救護所の世話になり、医者や牧師や看護婦からはやはり頭のおかしくなった老人と見られているようだが、とある「奇病」のために牧師がサンチョとして付き合っている。失踪した役者の代役を探す主宰兼演出家と、医者の愛人だったが手を切って老人探しと看病に奔走する看護婦だが、その中心の老人は今日も放浪の旅を続ける。

初日。いつも通りのKERA芝居の手つきでありつつ、いつもよりも真摯な芝居でした。「ドン・キホーテ」を読んだことがなくて、「ラ・マンチャの男」を一度観たことがあるものの内容をすっかり忘れている自分ですが、ドン・キホーテの作品精神を相当に含んでいるのだろうという感触です。だからいつものように笑いつつ、終演後にはいつもよりもいいものを観たなという感想の残る仕上がりでした。

感想の理由を考えていたのですが、劇団が危機を迎える側の世界と、悪を倒す騎士のつもりでいるのに周りからは呆れられる世界、どちらもKERAの経験や内面、少なくとも身近で見聞きした出来事が背景にあるのではないでしょうか。KERAの経歴には詳しくないのですが、思い返せばあの場面はひょっとしたらこういう理由かな、あれはこんなことの隠喩かな、みたいなことはいくつか思いつかないでもありません。だからまったく違う2つの世界の出来事でも、どちらもある種のリアリティを持っていて、あるところから急にくっついても違和感がありません。もっとも、このあたりはKERAお得意の技術でもあります。

役者ですが、KERA芝居に悪い役者が出るわけないので誰を褒めてもいいです。KERA芝居に慣れている大倉孝二が力技を減らしつつ軽さと重さを調整してドン・キホーテと思い込む老人を演じきったのが新鮮で、キャスト表最多の6役を演じた犬山イヌ子の芸達者を芸達者と思わせないところは相変わらず。そして笑いのための笑いのない役に臨んだ主宰兼演出家の安井順平が追詰められた役を真摯に通してみせて初日から大好演で、ついにこういう役も務めるようになったかと感慨深い。複数役を演じても役の塊というか手ごたえみたいなものを残す山西惇もさすが。まあ好きに誰でも褒めてください。メモとしては、たいてい1か所はアドリブで笑わせようとする場面(そしてたびたび滑る場面)を入れてくる菅原永二も、さすがにKERA芝居でアドリブは入れられませんでした。

あとはスタッフワークですが、今回ははっきりとよかった。生演奏バンドは編成からして珍しかったですが、いいノリと迫力でした。ここは音楽家KERAの眼鏡にかなっただけのことはあります。風車から発想したであろう美術と繊細な照明が、大きな空間を埋めつつ多数の場面転換をこなします。そして映像。これはもう、毎回どうやって打合せているんだろうという出来です。雨の中から地下への場面、飛行機の場面、橋の場面は必見です。ただ、これを実現させるためにサイド席は売止めにしていたのでしょう。正面から見ないと成り立たなそうな仕掛けもありました。

段取り多数であろうに初日からここまで仕上げただけでも脅威で、しかもKERA芝居にしてはいつも以上に波長の合ったこの芝居。非常に観られるものならもう一度観に行きたいところですが、相変わらずの長尺で最長タイではないかという上演時間3時間45分、そしてアクセスの微妙に悪い神奈川芸術劇場というところで二の足を踏みます。だからこそKERA芝居なのにチケットが余っているんですが、悩みます。

2025年9月 9日 (火)

松竹主催「菅原伝授手習鑑 夜の部(Aプロ)」歌舞伎座

<2025年9月6日(日)夜>

管丞相が大宰府に追放されたため、三兄弟のうち梅王丸と桜丸は浪人の身。一方、松王丸は藤原時平に仕えている。参詣する藤原時平の牛車に出会って、梅王丸と桜丸主の仕返しをと車を壊しにかかるが、それを止めようとする松王丸と争いになる。そこを車から出てきた藤原時平に睨まれて、梅王丸と桜丸は動けなくなる(車引)。その三兄弟の父の七十の祝いのため、父の家には三人の妻が先にやって来て父の祝いを行なうが、息子三人はなかなかやってこない。父が宮参りに出掛けた間に松王丸と梅王丸がやっと来たかと思いきや喧嘩を始めて、戻ってきた父を相手に二人は祝いの品の代わりに書付を渡す(賀の祝)。その日よりしばらく後。管丞相の息子の管秀才は手習鑑を伝授された武部源蔵の開く寺子屋に匿われていたが、藤原時平の追手が迫る。顔検分にはかつて管丞相に仕えていた松王丸がやって来るという。今日一日をやり過ごせば逃げられると思い詰めた武部源蔵は、その日寺入りした子供を身替りにして松王丸の検分を何とか難を逃れる。隣村まで用事で出掛けていた子供の母親が戻って来たところで実は(寺子屋)。

通しで観ました。昼の部はこちら

フル上演の文楽で観た三段目から五段目までのうち、三段目はフルで、四段目は寺子屋のみ、五段目は丸ごと省いた構成でした。文楽の四段目では、管丞相の追放ではまだ足りずに管丞相本人とその家族の命を藤原時平が狙う場面が作られています。本人、管丞相の妻、息子の管秀才を狙う場面に分かれており、それぞれ梅王丸、桜丸の妻(と松王丸)、松王丸が助けるために活躍します。この管秀才と松王丸の場面が、寺子屋です。文楽だと管丞相本人は助けられて天神に変わってしまうので、歌舞伎になるときに省かれたのはわからないでもありませんが、「梅は飛び桜は枯るる世の中になにとて松のつれなかるらん」の歌の恨めしさは省かれることになりました。それと、管丞相の妻を助ける場面は桜丸の妻が犠牲になる場面だから残してもよかったはずなのですが、時間の都合か、寺子屋の場面が上出来すぎたか、寺子屋の場面で実は妻(管秀才の母)が助かっていたことにして盛上げたかったか。五段目はお家再興を願う残された人々が藤原時平と戦いますが、天神となった管丞相が助ける展開なので、この構成では省かれるのも止むなしです。だから後半は松王丸、梅王丸、桜丸の三兄弟の話に、武部源蔵と妻の戸浪が絡む構成です。

せっかく観た話なので自分のブログを振返って思い出していましたが、ここから感想。

車引はこの構成だと、後半のための3兄弟の顔見世です。そこに今回は高麗屋3世代が揃って出る顔見世を重ねてきました。白鸚が元気なところが観られてよかったです。

賀の祝は松王丸の妻千代の新悟が良い感じ。ただ白太夫の又五郎はもう少し年輪というか、昔は管丞相に仕えていたからこそ息子を説教する、自分がお世話に向かうと言い切るところの重さが出てほしかった。

寺子屋はこれも前に幸四郎の武部源蔵を観ていて、今回はもう少し重さが出ていましたが、やっぱり声の軽さが災いしてこの手の役には向かないというか、まだまだ貫禄を出してほしいところ。松王丸の松緑が大きさ一番でよいけれど、千代の萬壽ももなかなか、戸浪の孝太郎も好ましかったけれど寺子屋に入ったばかりの子供を犠牲にすることに早くから納得しすぎの気配を感じるのが惜しい。最後は犠牲にした子供に焼香する「いろは送り」までやって見せて、たしかに沈痛な場面なものの、長引いたと感じてしまったので短くする工夫はないものでしょうか。

通しての感想ですが、昼の部も夜の部も緩い仕上がりでした。おぼろげに覚えている文楽の記憶を思い出しながら観ていたので、脳内補足が効いて筋は理解しましたが、昼夜通して文楽からの移し方、脚本の縮め方がいまいちかなとは思いました。様々な制約があった上でこのようなまとめ方に落着いたのでしょうが、オリジナルを知っていることを期待した縮め方とも、役者頼みとも思えます。

そして今回の上演する側は、省かれたものの全体を通して大切な藤原時平の権力争いのことを脇に置いていたように思えます。大きな権力争いの構図が個人を押しつぶす、あるいは個人の悲劇に繋がる、それを端的に表したのが寺子屋の「すまじきものは宮仕え」の台詞ですが、そう思わされるものはありませんでした。有名だしフル上演だから筋は放っておいても伝わるだろうと考えたかは知りませんし、この日だけ飛びぬけて出来が悪かった可能性も残りますが、この日は昼も夜も駄目な出来だったと言わせてもらいます。脚本の縮め方に問題はあれど「面白い脚本を面白く立上げるのは至難の業」という古田新太の言葉を思い出すはめになりました。

あと、夜の部は夜の部で文句があります。同じ役なのに役者をいじりすぎです。AプロとBプロで違う役者が演じるのは当然です。同じ役者が1人2役を務めるのも演じ分ける力量があれば文句はありません。昼の部と夜の部で変えてくるのは、望ましくありませんがまあチケットも違うし事情もあるだろうから認めます。でも同じ夜の部の同じプロダクション中で同じ役者が通して務める役がないのはいかがなものでしょう。松王丸は幸四郎、歌昇、松緑。梅王丸は染五郎、橋之助。桜丸は左近、時蔵。千代は新悟、萬壽です。

部外者が事情を推測するのなら、先に書いた通り3世代揃わせてなるべく客を呼びたいとか、なるべく大勢の役者に多くの役をやらせて芸の継承を急ぎたいとか、通し狂言に大勢に出てもらってなるべくあぶれる役者を減らしたいとか、「なるべく」の理由がいくつか思いつきます。それは歌舞伎を今後も続けていく上で必要なことなのでしょうが、だからと言って納得できるほど熱心な歌舞伎ファンではありませんから、観づらかったと言わせてもらいます。

松竹主催「菅原伝授手習鑑 昼の部(Aプロ)」歌舞伎座

<2025年9月6日(日)昼>

親王が神事で外に出ている最中に、管丞相の姪で養女の苅屋姫との逢引を手伝った桜丸夫婦。そこに様子を嗅ぎつけてやって来た相手を桜丸が追払ったはよいが、その間に見つかっては一大事と親王と苅屋姫は駆落ちを決めて逃げてしまう(加茂堤)。一方、屋敷に籠っていた管丞相は、手習鑑の製作に没頭していたため家人が遠慮しての事件を伝えていなかった。管丞相は、手習鑑をかつて屋敷から追放した家来にして弟子だった武部源蔵に伝授するが、勘当は解かぬと追返す。そこに、親王の駆落ちを管丞相の企みと決め付ける藤原時平の手下によって屋敷で蟄居を命じられる。武部源蔵は屋敷の中の梅王丸から管丞相の息子を引取って逃げる(筆法伝授)。実母の覚寿の屋敷に、覚寿と姉の立田前の情けで匿われていた苅屋姫。大宰府に護送される途中、姉の覚寿の屋敷に滞在することを許された管丞相だが、自分が原因で追放されることになった管丞相とは顔を合わせられない。この滞在中、立田前の婿とその父は、自分の出世のために藤原時平の味方について、菅原道真の殺害を目論むが(道明寺)。

通しで観ました。夜の部はこちら

おそらく歌舞伎はこれでフル上演ですが、文楽のフル上演で観た初段から二段目までのうち、藤原時平との対立は見せる代わりに背景に追いやり、覚寿の屋敷に滞在することになる経緯を省いたものになります。滞在の経緯はともかく、藤原時平との対立はしっかり描かれた方が後半の松王丸梅王丸桜丸の話にも利いてくるのでよいと思うのですが、文楽だと最後は天神となって祟った管丞相が藤原時平を倒す展開なので、そこを省いて人間ドラマに仕立て上げようと昔の歌舞伎の人が考えたのでしょう。なので前半は管丞相の追放の原因、管丞相の追放、管丞相の追放の途中での一矢報いる話、と管丞相でまとめられた構成です。武部源蔵への筆法伝授と管秀才を預ける所は後半への振りです。細かいところですけど、武部源蔵と妻の戸浪に子供がいないことをここで触れていたのに気が付きました。これも後半への振りですね。

せっかく観た話なので自分のブログを振返って思い出していましたが、ここから感想。

加茂堤は逢引を手伝った桜丸の歌昇がやや軽く助平な有様で、一方逢引から駆落ちしてしまう親王の米吉が立派な宮様。この場面だけを考えても、後半の桜丸の思い詰めようを考えても、立派と助平は逆の方がよかったのでは。

筆法伝授は仁左衛門の管丞相と幸四郎の武部源蔵が組んだものを以前にも観ましたけど、前よりは良くても、やっぱり幸四郎が軽く見えてしまい、ぼちぼちです。三の線の方が似合うと思うのですよね、幸四郎は。

道明寺も、さらさらと進んで終わってしまいました。宿禰太郎と立田の前は夫婦なのに、宿禰太郎の叔父に当たる管丞相を討って出世の手蔓にしようという悪い側の酷さが流されて伝わらない。宿禰太郎の父土師兵衛の歌六が、貫禄と笑いのバランスを取っていましたが、話の酷さを伝えるところはやはり足りず。そしてこの場面の話の悲しさを伝えるのは管丞相ではなくその姉の覚寿ですが、覚寿の魁春にもっと頑張ってほしかった。仁左衛門がほとんど動かないのは覚悟の上で観ていましたが、座っているだけでも呼吸が荒くなっていたように見えたのは、役のテンションがそうさせるのか体力がきついのかいまいち見極められず。

あとこの回は客席でスマホが鳴っていて、たぶん2人いたと思うのですが、少なくとも1人はひっきりなしにメンションの音が鳴っているのに電源を切らずにいたので、3幕通して集中力が削がれてしまったのが残念でした。あれは本人が耳が遠くてあの高さの音に気付かなかったんでしょうか。そう言えば会場アナウンスも、機種によって電源の切り方が異なりますが必ず電源から切ってください云々とアナウンスしていたので、まさか電源の切り方入れ方がわからなくて確信犯で電源を切らない人だったということもないと思うのですが。歌舞伎座も電波抑制装置を導入してほしいです。

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